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そんな<場所>に帰っていかなくてはならない

  
 北海道の堀先生が、ブログ「気概と丁寧さとしつこさと…」の中で以下のように呟いている。
 ★
 
 やるべきことがはっきりしていて、丁寧に教えれば、いまどきの子でも、できない子と呼ばれるような子でもできるようになるという証拠である。問題は教える側の「一人も置いていかない」という気概と、授業の丁寧さと、もう一つはしつこさである。

 できれば小学校の算数にこの3つが欲しいなと思う。せめて九九や通分には同じような気概と丁寧さとしつこさが欲しい。最近の九九や通分の習熟率の低さには深刻なものがある。できるだけ小学校の悪口は言いたくないのだが、ここ10年くらいで目に見えて深刻化しているのを肌で感じる。

 ゆとり教育のせいなどではない。子どもの変容のせいでもない。ここに気概と丁寧さとしつこさを発揮しなければならないというコンセンサスが、この10年間、小学校で落ちてきていたのだと思う。義務教育のシステム改変でも行わない限り、その後の学年でこの遅れを取り返すことは不可能に近い。

 正直、ぼくは国語科でよかったなと思うことがある。数学科の教師たちにはどこか諦めが感じられる。そんな諦めの表情をもう10年近く見続けているような気がする。
  ★
 
 私は、小学校の現場を生きてきたが、ここでの指摘はその通りであり、教師としての気概がなくなっていることがとても気になっていた。
 これが顕著になったのは、新しい学力観が導入されてからのことである。
 「支援だ、支援だ」「個性を大切にしよう」と盛んに叫ばれ、教師は、どんどん指導することを控えていった。
 それまでは、かけ算九九は、指導すべき必須の事項で、首根っこをつかまえても教え込まなくてはならない使命が課せられていた。
 だから、どの教師でも、必死になって指導した。
 しかし、「基礎学力は、個々の子供によって違う」などと指導され、教師たちは、「そんなに無理して教えることもないんだ」と受け取っていったのである。
 それ以来、教師たちの中にあったコンセンサスが一気に崩れていった。
 「漢字を覚えること」しかり、「音読をすること」しかり、…ほとんどが取り組み主義に終わるようになった。
 易きに流れたのである。
 子供たちが、どのような結果になっているかどうかが問われなくなっている。
 それ以来、もう15年ぐらいの月日が経っている。
 ★
 教師の喜びとは何だろう?
 教師のおもしろさ・楽しさとは何だろう?
 これを問うことが教師たちから抜けていって、多くの教師たちが、ただ「教師している」気がする。
 仕事だから。生活がかかっているから仕方がない。ほんとうなら辞めたい。
 そんな声が聞こえる。
 教師は、本来子供たちの喜びに寄り添って、それを自分の喜びとして過ごしていく存在である。
 「先生、嫌いだった算数が好きになったよ!」
 「先生、走るのがちょっとだけ速くなった気がする!」
 「かけ算九九を全部言えるようになってうれしいなあ!」
 ……
 教師は、このような<事実>を教室の現場で必死に作り上げる。
 それが私たちの仕事であったはずだ。
 いつからこのことが忘れ去られていったのだろうか。
 ★
 2年生の初任者のクラスで、繰り上がり(36問)、繰り下がり(36問)テストをした。
 初任者が教室を空ける時間に、私が代わりに受け持った時間である。
 ちょっと悲惨な結果である。
 もう算数嫌いは始まっているが、これではこれからのかけ算九九も容易ではない。
 初任者と話し合って、カード方式で対応しようということになった。
 100円ショップで、英単語カードを買ってきた。
 そのカードに36問の計算を全部書いて、できていない子供たちに渡した。
 「計算の仕方は、1年の時に教えているので、この答えがすぐ出てくるように覚えなさい」
 ちょうどいい具合に15分の計算タイム(モジュールのような)がある。
 この時間を使える。
 私が、どのようにやるか示範授業をした。
 フラッシュカード(5分)、二人組でまず一人が問題を出し、もう一人が答える。(それぞれ5分ずつ)×2
 カードに○が3つ付いたら合格で、カードを引き抜く。
 だんだん少なくなって、全部なくなったら合格。
 昨日で3人合格。
 掲示板に、「○○さん、くりさがり合格」とはりだす。
 「とにかくみんなが、カードを持っておぼえるのに夢中になるムードを作ろう!」と初任者の先生と話し合う。
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 私が高学年を受け持っているとき、かけ算九九がうまく言えない子供たちに適用した方法である。
 給食の待ち時間の10分間をその時間に当てた。
 その時間しか空き時間はなかった。
 だが、確実に彼等はマスターしていった。
 それで九九が言えない子供を一掃していった。
 ★
 教師は、教師本来の仕事に帰っていかなくてはならない。
 教師は、やさしさとか、感動とか、思い出とか、喜びとか、子供と共有できる、そんな<場所>に帰っていかなくてはならない。  

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日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

コメント

やっぱりそうなんですね。小学校側から見ても。おそらくこの堕落というか、たるみというか、これをもとに戻すには30年かかりますね。いまの子たちが親になったとき、子どもたちに「私らは九九をちゃんと覚えなくてこんなに苦労した」なんてことは言わないでしょうからね。自分の人生はだれしも肯定したいものです。
それにしても、新学力観は罪なことをしましたね。当時、文部省は指導事項の精選といって、基礎学力はしっかり身につけること、教えるべきことは徹底して教えることと言っていたのですが、地方の指導者が新しいところだけに食いついて宣伝してしまったのがよくなかったですね。もう、あれから20年たつんですね。

投稿: 堀裕嗣 | 2010年9月18日 (土) 03時58分

 堀先生、コメントありがとうございました。
 そうなんですよ。新学力観は、現場を大きく変えました。
 というより、それをふりかざして進めていったものたちの問題です。この新学力観の総括は、どこでも、誰でもがほとんどやっておりません。私は、きちんとやるべきだと思っています。

投稿: 野中信行 | 2010年9月21日 (火) 21時04分

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