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声を大にして訴えたいこと

  初任者指導の仕事を続けてきて3年目になる。
 37年間の教師生活ではうまく見えなかったものがはっきり見えるようになってきた。
 ★
 私が本を出すきっかけは、学級崩壊の事態に遭遇したことによる。
 自分のクラスではなかったが、周りがどんどん学級崩壊に陥っていく事態になんとか声をあげなければいけないという思いであった。
 その原因の1つは、「学級づくり」にあると考えていた。
 だから、その視点から声を上げ続けてきたことになる。
 ★
 それでも初任者指導の仕事をしながら、2年目までは、初任者のクラスへ行き、(1週間に1回)、ほとんど授業のことについて助言をしてきたことになる。
 学級づくりについては、付け加えるぐらいに終わっていたと思う。
 結果は、どうも芳しくない。
 授業については、先生の力は向上していくが、クラス自体は、成長、向上していくということにはならない。
 これではだめだという思いに至った。
 「学級づくり」を本格的に教えていこう、と今年度は取り組み始めた。
 今年受け持った初任者は2人。
 4月3日の土曜日に臨時に会って、初任者としての心得とクラスの出発を伝えていった。机の配置、名前つけ、そして給食の準備、掃除の準備を一緒に作っていった。
 これは初任者を安心させることにつながっていった。
 ★
 教えていったことは、大きく3つ。
 このブログでも何度も書いてきたことである。
 
 ①学級の仕組みづくり(3・7・30の法則)
 ②子供たちとの関係づくり(縦糸・横糸の教育学)
 ③「集団」づくり(群れを集団へ)

 担任(初任者)は、学級の仕組みづくりをしながら、子供たちと関係を作っていく。
 縦糸で教師と生徒の上下関係を作りながら、横糸で通じ合いの関係づくりをしていく。
 1ヶ月でクラスがまとまりだしたら、「集団」づくりへ着手していく。
 この流れになる。
 これがうまく機能したら、落ち着いたクラスができあがる。
 ただ、条件が必要だ。
 それも、3つある。

 ①スピード、テンポ、リズム
 ②空白の時間をできるだけ作らない
 ③北風方式から太陽方式へ
 
 この3つの条件は、先述した3つの「学級づくり」にはどうしても必要である。
 2つの初任者のクラスは、みごとに落ち着いたクラスを作り上げてきた。
 今のところは、申し分のない状態である。
 ★
 それでは、授業はどうしていたか。
 初任者の授業をしていた。
 うまい授業ではない。
 初任者は、ほとんど塾の授業のような進め方をする。
 授業のイメージは、そのことで作り上げられているから。
 このイメージを壊していくのは、多くの時間がかかる。
 私は、今まであまり授業については注文をつけていない。
 注文をつけても、初任者を戸惑わせるだけである。
 授業の方法を教えて、すぐにできるようにはならないからである。
 繰り返し、繰り返し挑戦してみて、やっと身についていく。
 そんなことよりなにより、学級づくりに力を注いでほしいという願いがあった。
 授業は、初任者ができる、それだけの授業で充分である。
 ★
 でも、「学級づくり」は待ったなし。
 ここは絶対に手を抜けない。
 結局、今まで初任者のクラスが七八割荒れると言われてきたのは、この「学級づくり」がうまくできなかったことによる。
 このことが初任者指導をしながらはっきり分かってきたことである。
 初任者のほとんどは、「学級づくり」のノウハウを知らない。(臨採を続けてきた先生は、自己流の学級づくりは知っている)
 大学も、ほとんど教えない。
 初任者は、見よう見まねで、学年主任の先生のクラスの様子を観察しながら、自分のクラスを作っていこうとする。
 ここでもう一歩遅れる。
 また、それは外側から見ているので、実際のコツは学べない。
 猿まねにすぎない。 
 一方の子供たちは、初任者の先生だという考えはない。
 教室にいることが不快に感じたら、それを行動に表していく。
 かくて、クラスは荒れていくことになる。
 荒れていく先生に、周りは「教材研究をもっとしなさい」「授業の発問をきちんと絞っていきなさい」…などとさかんに助言をする。
 初任者も、その助言を受けてなんとか頑張るが、それ以上にどのように努力して良いのか分からない。へとへとになっていく。
 こんな光景が、あらゆる学校で展開されているのかもしれない。
 ★
 私たちは、まったくとんちんかんな対応をしていたのかもしれない。
 私は、何度も言うが、落ち着きのあるクラスを作り上げるのは「授業」の役割ではない。「学級づくり」の役割である。
 授業は、実際の学力保障の役割を持つが、それ以上に子供たちを元気にしていく役割があると考えている。
 そうではないだろうか。
 「私は、今まで算数が嫌いでしたが、好きになりました」
 「私は、今までかけっこが苦手でしたが、走るのが速くなりました」
 「ぼくは、みんなの前で発言できるようになりました」
 「苦手だった漢字が書けるようになって、好きになりました」
 ……
 こんな事実が子供たちの中にできあがっていくと、それだけで子供たちは元気になっていく。
 これは、教師にしかできない仕事である。
 ★
 「学級づくり」と「授業づくり」は、本質的にはまったく違う。
 こういうことが今までの教育界では、あいまいなままで、いい加減に済まされてきた。
 私は、声を大にして、今訴えているところである。
 
 
  
 

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