« 「学級づくり」と「授業づくりは、学級経営の両輪である | トップページ | 孤立 命絶った教師 »

「風景の発見」としての「日常授業」

   まだ、こだわっている。
 「日常授業が、どうして今まで研究対象にされてこなかったのか?」
 しつこいのである。(笑)
 今まで日常授業は、多くの実践家にも、現場教師達にも、研究家たちにも、ほとんど意識の対象外に置かれていたものである。
 ただ、流れる「もの」のように考えられていたと今までブログで書いてきた。
 あるいは、公開授業への練習授業として取り扱われてきた。
 ★
 たまたま、柄谷行人さんの「日本近代文学の起源」(講談社)を読んでいて、そこに「風景の発見」が収めれている。
 柄谷さんは言う。
「私の考えでは、『風景』が日本で見出されたのは明治20年代である。むろん見出されるまでもなく、風景はあったというべきかもしれない。しかし、風景としての風景はそれ以前には存在しなかったのであり、そう考えるときにのみ、『風景の発見』がいかに重層的な意味をはらむかをみることができるのである」
 芭蕉の「奥の細道」には、大自然をありのままに見て、その様子に心動かされたような言葉はほとんど出てこない。芭蕉が見たのは、古典に歌われた「いにしえ」をしのぶ景色であり、実際の風景というよりも、心でみた風景であった。
 同じように、江戸時代に描かれた山水画などを見ても、山の姿は当時としては幾分リアルだとしても、画一的な山の姿をしていて、実際の山の姿とは隔たりがある。
 つまり、明治20年代までは、人々は、現在私たちが見ているような見方で、風景を「風景」として見ていなかったのである。
 文芸評論家の柄谷行人さんは、この本の中で、日本人におけるこの転換を、明治時代初期の言文一致の広まりと関連づけて、言文一致を目指すという自己表現が、自然と客観的な対象や写実を生み出していき、「風景」をも作りだしていったと説いている。
 ★
 このことで何を言いたいのか。
 「日常授業」も、発見されるまえの風景みたいなものではないのか、という思いである。
 1年に1000時間以上行われている授業は、まさに「日常授業」である。
 だから、日常授業は、あったのである。
 しかし、現場教師たちや多くの実践家が問題にした「授業」というのは、研究授業や公開授業で行われる「授業」だったのである。
 賞賛される「授業」は、教師の数少ない発問で、子供たちが話し合い、討論をし、多くの活動を誘導していく「もの」であった。
 そして、それを提起してくれる名人教師や達人教師が、多くの実践家たちの目指すべき方向になっていたのである。
 それは、江戸時代の山水画みたいなもので、みんながイメージしている「授業」は、こうあるべきであるという「授業」を描くものであった。
 ★
 何を言いたいのか。
 今まで「日常授業」は、「風景」として認められていなかったために、意識される対象ではなかった。だから、研究の対象にもならなかった。
 ただ、放置されていた。(悪い表現で、申し訳ない)
 私は、このように扱われてきた「日常授業」を「風景」として救出し、「授業」として位置づけ直していきたいと願っている。
 「味噌汁・ご飯」授業は、このような意味を持っている。
 
 
 
 

|
|

« 「学級づくり」と「授業づくりは、学級経営の両輪である | トップページ | 孤立 命絶った教師 »

日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/520860/48897779

この記事へのトラックバック一覧です: 「風景の発見」としての「日常授業」:

« 「学級づくり」と「授業づくりは、学級経営の両輪である | トップページ | 孤立 命絶った教師 »