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2010年7月

ツイッター風に~つれづれなるままに~

  明治図書から出ている雑誌「授業力&学級統率力」8月号に、原稿を書いている。
 「全員が参加できる発表方法を考える」というテーマである。
 ここで、「味噌汁・ご飯」授業の提唱をしている。
 ★
 朝日の「AERA」(10.8.2)の「不登校3分の1に激減、『中一ギャップ』克服した学校」に、取材された話が載っている。
 2時間ぐらいの話を聞いて、このようにまとめていくだけでも大変なことである。
 ほんとにご苦労様です。
 石川晋さんの話も載っている。
 ★
 総合教育技術8月号に「日本史上最高の教育者は誰だ?」が載っている。
 読者336名が選んだトップ30の発表である。
 1位大村はま 2位福沢諭吉 3位吉田松陰 4位斉藤喜博 5位緒方洪庵
 6位向山洋一 7位宮沢賢治 8位森信三 9位津田梅子 10位東井義雄
 おもしろい企画だが、昔の教育者たちと現在の教育者たちを比較すること自体、とんでもないことになる。福沢諭吉や吉田松陰と大村はまとを比較ができるのであろうか。歴史に果たしてきた役割を考えただけでも、とんでもないことである。
 と難癖をつけても、まあまあ。
 ★
 必ず真っ先に読む本がある。佐伯泰英の本である。最近も、「仇敵」(23巻)と「紫房の十手」(17巻)を読んだ。読み出したら止められない。でも、こんなにほっとする時間は他にはない。
 この前も、佐伯の本を読んでたら、飛行機に乗り遅れそうになった。
 ★
 関東南部にある横浜は、いつもの夏は、だいたい32,3℃ぐらいの暑さで、他の処に比べれば過ごしやすいところである。
 ところが、今年の夏は、様変わり。梅雨明けから35℃を越える暑さに喘いでいる。
 亜熱帯の気候である。
 いつも夏に郷里(佐賀)に帰るので、この暑さは経験しているのだが、それにしても大変である。
 これから島根に行く。浜田の教育委員会から呼ばれての学級経営講座である。
 午前、午後一日ずっと講座を持つ。
 40名の枠に、85名の受講者があるという。ありがたいものである。
 山陰を訪れるのは初めてなので、楽しみにしている。
 
 

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問題の核心はここにあった~「その子育て科学的に間違っています」~

  横藤先生からのお薦めの本を早速アマゾンから取り寄せた。
 高知へ行く飛行機の中で読んだ。
 「その子育ては科学的に間違っています」(國米欣明著 河出書房新社)という本。
 読みながら驚いた。
 このような画期的な本を今まで目にすることができなかったことを悔やんだ。
 このオリジナル版が、2007年に三一書房から出ていたのである。
 ★
 この本は、プロローグの中で次のように指摘する。

  「ハイリスクの子」(危険度の高い子)ともいわれる「すぐキレる子ども」
  たちの出現、「子ども中心の子育て法」を導入し、実践してきた国々に、
  その育児法を導入した後から多発し、重大な問題になった特有な現象 
 です。
  しかも、その「ハイリスクの子」は、数々の性格的欠陥をもっていて、
  その影響は学校教育を困難にし、子どもの学力に影響するほど深刻です。
  特徴は「自分の感情が抑制できない」ことです。 
     どこに本質的(科学的)にまずい問題があったのでしょうか?それを考え、
  どこをどう改善したらよいのか、そして信頼の置ける現代の「子育ての基本
  原則」(プリンシプル)とは何なのか、それを本書では可能な限り明らかに
  してみたいと思います。 

 國米先生は、認知神経科学(脳科学)の視点から問題を指摘していく。
 ★
 問題の核心は、「子ども中心の子育て法」にあったのだと、次のように諸外国の例を紹介する。

  アメリカ合衆国は1990年代のなってから、認知神経科学や認知心理学が明らかにしてきた多くの根拠をもとに、「子ども中心主義」の子育ての誤りに気がつき、大いなる反省のもとに1997年からの別の道を選択しました。それが教育現場の「ゼロ・トレランス方式」の導入だったのです。それを境にして、アメリカの家庭での「子ども中心の育児法」も、大きく方向を変えました。現在までに十数年が経過して「ハイリスクの子ども」が大量生産されることもなくなり、教育現場に平静さがもどって学校教育の質も改善されています。
  また、イギリスの元サッチャー首相も、いまから10年以上前になりますが、その政権当時「子ども中心主義」が教育荒廃の根本原因だと強く批判し、教育水
準局を新設して偏向教育の是正をはかり、それなりの成果が上がってきています。
  10年前には荒れていたスウェーデンも、さまざまな対策によって、いまでは
 改善されています。数年前から校内暴力に悩まされているドイツは、いま緊急の対策を迫られています。

  同じように「子ども中心の子育て法」で子育てをしている多くの日本の実際は、これほどの大きな問題を抱えながら、ほとんどと言っていいほど根本的な対策を取れないでいる。
 ★
 私は、「困難な現場を生き抜く教師の仕事術」(学事出版)の中で、子供の変化を「児童変貌論ノート」という形で展開している。
 子供たちの変化は、どこから、どのような形で起こったのか。
 その原因とは何か、というのを私なりに追求している論である。
 1970年代に、日本で展開された消費資本主義が、決定的に日本の子供たちを変えていったと、私はこのノートで指摘している。
 
  日本が、<生産>を中心とする時代から<消費>を中心とする時代に大転換を果たした時、<子どもたち>は<大人社会>の先を駆け抜けるたくましいランナーになったのである。
 

 そして、子供たちの変貌を<位置の転換>という視点からとらえている。

 社会の中では、消費をする主人公として登場するようになった。家庭の中では、大人との関係で常に下に見られる存在から、家庭の真ん中にすわる存在になった。
 学校では、勉強を教えてもらえる<生徒>から、先生を単なる大人か友だちのようにしか考えない、単なる<子ども>がウヨウヨいるようになった。
  社会も、家庭も、学校も、いつのまにか大手を振って歩き回る<子どもたち>に振り回されている。そこでは、はっきり<位置の転換>が図られたのである。

 だから、「子ども中心の子育て法」は、こういう大きな<位置の転換>の中で展開された子育て法と考えた方がいいと、私なら考える。
 ★
 この本は、多くの先生たち、親たち、行政の人たちに読んでほしい。
 子育ての方法を原点に戻していかなければ、このままでは多くの人たちが疲弊し、学校が崩壊し、日本は内部から壊れていく。
 そのことを考えさせてくれる画期的な本である。

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天に意志があるとしか、思えない

   高知へ行った。二泊三日の旅である。
 龍馬伝に影響を受けて、龍馬の故郷へ行ってみたいという思いからであった。
 高知は、ゆったりとした、いい街である。
 海が近くにある影響からか、朝夕の涼しさは格別で、関東の暑さから逃れてほっとする時間であった。
 ★
 高知龍馬空港へ降り立った時から、見る物聞く物全てが龍馬一色で、どこへ行っても「龍馬、龍馬」であった。
 龍馬伝が終わったら、どうするのであろうか、と余計な心配をしてしまうほどの盛り上がりよう。
 訪ねたのは、龍馬記念館、桂浜、龍馬の生まれたまち記念館。
 龍馬についての知識をいっぱい頭に詰め込んで、夢でも龍馬が出てくる勢いであった。
 ★
 上士と下士という身分差別が激しいこの土地柄で、よくも龍馬が育っていったものである。
 この龍馬の存在は、この土佐の土地柄の中で生きながらえただけでも、不思議なことである。
 龍馬記念館で、司馬遼太郎が龍馬について書いていることが目に付いた。
 
 
 天に意志がある。としか、この若者の場合、思えない。天が、この国の歴史の
 混乱を収拾するためにこの若者を地上にくだし、その使命がおわったとき、惜し気もなく天に召しかえした。

 「龍馬がゆく」の著者は、うまいことを言うものである。
 おそらく、龍馬は、薩長同盟、大政奉還という大事業を為すために天が使わした若者であった、のであろう。

   
 
 
 
 

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「入力型学習」と「出力型学習」ということ

   内田樹さんのブログは、毎回読んでいる。
 時として考えさせてくれる内容がある。
 こんなブログがあった。全文引用してみよう。
 ★
 池谷裕二さんの講演を聴く
池谷裕二さんが中之島の朝日カルチャーセンターで講演をすることになったので、ご挨拶にお伺いする。
池谷さんは講演ということをされないのだが、どういうわけか去年の11月にここで私と対談をしたときに、モリモトさんに籠絡されて、また講演をすることになってしまったのである。
ふだんは本郷の薬学部の奥まった研究室にこもって、世間に顔を出さない池谷さんを「なま」で見られる機会を得たことを私どもはモリモトくんに感謝せねばならぬ。
例によってものすごいハイスピードで、最新の脳科学の驚くべき知見を乱れ打ち的にご紹介いただく。
面白かったのは、「トム・クルーズ」ニューロンと「ハル・ベリー」ニューロンの話だったけれど、それは面白すぎるので、また今度。
忘れないうちにメモしておこうと思ったのは、スワヒリ語40単語を覚えるプログラムの話。
それをご紹介しよう。
スワヒリ語の単語40語を学習して、それから覚えたかどうかテストする。
という単純な実験である。
ただし、4グループにわけて、それぞれ違うやり方をする。
第一グループはテストをして、一つでも間違いがあれば、また40単語全部を学習し、40単語全部についてテストをする。
それを全問正解するまで続ける。
いちばん「まじめ」なグループである。
第二グループは、間違いがあれば、間違った単語だけ学習し、40単語全部についてテストをする。
第三グループは、間違いがあれば、40単語全部を学習し、間違った単語についてだけテストをする。
第四グループは、間違いがあれば、間違った単語だけ学習し、間違った単語についてだけテストをする。
これがいちばん「手抜き」なグループである。
全問正解に至るまでの時間はこの4グループに有意な差はなかった。
まじめにやっても、ずるこくやっても、どの勉強法をしても、結果は同じなのである。
ところが、それから数週間あいだを置いて、もう一度テストをしたら、劇的な差がついた。
「まじめ」グループの正解率は81%。「手抜き」グループの正解率は36%。
まあ、これは天網恢々粗にして漏らさずというやつである。
さて、問題は、第二グループと第三グループはどういうふうになったかである。
第二と第三はやったことがよく似ている。勉強に割いた時間も変わらない。にもかかわらず、大きな差がついた。
さて、どちらが正解率が高かったでしょう。
1分間考えてね。
第二グループの正解率は81%(「まじめ」グループと同率)。
第三グループの正解率は36%(「手抜き」グループと同率)。
これから何がわかるか。
「学習」は脳への入力である。
「テスト」は脳からの出力である。
つまり、脳の機能は「出力」を基準にして、そのパフォーマンスが変化するのである。
平たく言えば、「いくら詰め込んでも無意味」であり、「使ったもの勝ち」ということである。
書斎にこもって万巻の書を読んでいるが一言も発しない人と、ろくに本を読まないけれど、なけなしの知識を使い回してうるさくしゃべり回っている人では、後者の方が脳のパフォーマンスは高いということである(生臭い比喩であるが)。
パフォーマンスというのは、端的に「知っている知識を使える」ということである。
出力しない人間は、「知っている知識を使えない」。「使えない」なら、実践的には「ない」のと同じである。
学者たちを見ていると、そのことはたしかによくわかる。
入力過剰で、出力過少の学者たちは、そのわずかばかりの出力を「私はいかに大量の入力をしたか」「自分がいかに賢いか」ということを誇示するためにほぼ排他的に用いる傾向にある。
せっかくの賢さを「私は賢い」ということを証明するために投じてしまうというのは、ずいぶん無駄なことのようなに思えるが、そのことに気づくほどには賢くないというのがおそらく出力過少の病態なのであろう。
むかし、学生院生たちがよく読書会というのをやっていた。
彼らはちょっとずつ頁を進めながら、これはいったいどういう意味なのであろうかと話し合い、これはどういう学説史の中に位置づけられるのであろうか、というようなことを論じ合っていた。
あのさ、読むのはいいけれど、使ってみないと、どうしてその人がそんな本を書いたのか、その意味はいつまでもわからないよ、と私は彼らに申し上げたことがある。
自転車に乗るのといっしょである。
みんなで集まって、何日も何週間も自転車の部品をぴかぴかに磨いたり、設計図を眺めたり、「自転車の歴史」という本を読んで、自転車がこのような形態をとるに至った歴史的進化のプロセスを勉強したりしても、自転車が何をするためのものかはわからない。
それよりも「乗る」方が先でしょ。
まず飛び乗って、走ってみる。
そのうちにハンドルというのがどういうものか、チェーンというのがどういうものか、ブレーキというのがどういうものかについての理解がすりむいた膝の傷の数と一緒に増えてゆく。
どういう自転車がより高機能であるのか、どういうかたちのもの自分の目的に似つかわしいかがだんだんわかってくる。
わかってきたら、それを「自作」すればいい。
学問というのは、そういう生成的なプロセスである。
あらゆる学問は、その学問を「自作」した個人の夢を宿している。
彼はその学問を作り上げることによって「何をしたかったのか?」
それを問うためには、その学問に「乗って、走ってみる」しかない。
自転車を作った人の「夢」は自転車に乗ってみないとわからない。
眺めても、わからない。
レヴィナスの本をはじめて読んだときに、意味がぜんぜんわからなかった。
でも、頭の中に手を突っ込まれて、ぐるぐると引っかき回されたことはわかった。
そのときに、この世には「知識」として習得されるためにではなく、「知識を習得するための装置そのものを改変させるため」に読まれる書物が存在することを知った。
それが書物の「出力」性ということであると私は理解している。
爾来私は書物について「出力性」を基準にその価値を考量することにしている。
小説だってそうである。
読んだあとに、「腹が減ってパスタが茹でたくなった」とか「ビールが飲みたくなった」とか「便通がよくなった」とか「長いことあっていない友だちに手紙が書きたくなった」いうのは、出力性の高い書物である。
それを基準に作物の良否を論じる人がいないことをひさしく不審に思っていたのであるが、池谷さんの話を聴いて、深く腑に落ちたのである。
終わったあと、池谷さんと大阪駅までごいっしょする。
わずかな時間のあいだに「身体語彙と脳内部位」の話に夢中になる。
でも、駅でお別れ。
今度お会いするときはゆっくり飲みながら、脳と身体の話をしたいですね。
  ★
 長々とした引用。申し訳ない。
 私は、ものすごい刺激を受けた。何度も読んだ。
 このスワヒリ語の学習とテストについてのことである。
 内田樹さんは、書いている。
 
  これから何がわかるか。
「学習」は脳への入力である。
「テスト」は脳からの出力である。
つまり、脳の機能は「出力」を基準にして、そのパフォーマンスが変化するのである。
平たく言えば、「いくら詰め込んでも無意味」であり、「使ったもの勝ち」ということである。

  このことから、私は「入力型学習」「出力型学習」という名前をつけてみた。
 ★
 2年生の初任者との夏休み前最後の打ち合わせで、漢字学習を話題にした。
 市販テストでの漢字学習は、残念ながらその結果は芳しくなかった。
 国語の授業では、毎回きちんと一字一字教え、そして、ノート1ページに書き順、使い方、練習を毎日宿題として出していたのである。
 その結果が、何とも芳しくなかった。
 私は、その問題を「入力型学習」に多くの時間を割き、「出力型学習」を怠ってきた結果だと指摘した。
 つまりこういうわけである。
 新しい漢字の練習には、多大な労力を使っているが、その練習をテストする場があまりにも少ない。テストは、たまに行う市販テストだけである。
 ★
 今、光村図書の「あかねこスキル」がどこの学校でも多く使われている。
 漢字学習をシステムとして採用している点で、抜きんでている。
 しかし、他のテスト会社も、「あかねこスキル」があまりにも売れるので、それに右ならいしている現状がある。似たようなドリルを作っている。
 私の最後の勤務校のO小学校は、全学年で「あかねこスキル」を採用し、使用にあたっては、1人の先生が模擬授業をして使い方を統一していた。3年間、国語を重点研究にしていたので、そのような方式になっていた。
 このことで飛躍的に子供たちの漢字学習が向上した。それは間違いない。
 私がいた頃は、1年間の中で3回全学年で漢字テストをし、結果を教職員全員に配布していた。だから、どのクラスも、80点以上の合格者○人、不合格者○人とはっきりしていた。そういうことを隠さない。明らかにしていくことをモットーにしていた。
 だが、1つだけ問題点があった。
 「あかねこスキル」で学習して、テストする。テストは全体的によくできる。
 しかし、時間をおいてテストをすると、ぱったりと忘れてしまっている。
 最初は、使い方のまずさがあると思っていたが、どんなにしても忘れてしまうのである。
 ★
 ここには、やはり「出力型学習」を意識した取り組みがなければいけないと思うようになった。
 2年生のクラスでは、9月から「出力型学習」を意識した漢字学習への転換をしようということで具体的な取り組みをすることになった。
 さて、どういう結果になるか、9月からが楽しみである。

 この「入力型学習」や「出力型学習」という視点で、ほかの分野でも考えられないかと思っている。
 

 
 

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そんな時がやってきている

 夏休み前の一日。初任者の一人との「前期の反省」をする。
 クラスが最初の4月からどのように変容していったのかを確認する。
 「1,最初から落ち着いた子供たちであった。だが、それぞれ自分勝手に動いていく  状況であった。そんな子供たちが、6月頃には、自分たちで自分たちを動かしてい  く『集団』化の状況を呈している。
  効果があったのは、3つ。
  ①A先生のリーダーシップ
  ②クラスの仕組み
  ③「集団」化への手立て 
    ・目標達成法、学級会など
  2、7月までに落ち着いたクラスに仕上げていくという課題はすでに達成されてい  る。それ以上に、クラスを「集団」にすることに成功している。
   3,不登校になっていたUさんをクラスに引き入れることに成功している」
 このことを確認する。
  そして、A先生の強みを指摘した。
  ①クラスを動かしていくリーダーシップ
  ②テンポ良く進めていく話術
  ③どんどん前へ進んでいく行動力
 もちろん、9月からの課題も確認する。
 明日は、もう一人の初任者と「前期の反省」をする。
 こちらもみごとなクラスに仕上げていっている。
 初任者指導の仕事をやって3年目になる。ものすごい手応えを感じる。
 2人の初任者が大きく育っていることにうれしさを感じる。
 ★
 私の前回のブログに、多くの方からのコメントが寄せられた。
 それぞれのコメントには、重要な内容が込められている。
 これから一つずつきちんと考えたいと思う。
 ほんとうにありがとうございます。
 コメントをいただいた南田さん、どうぞ自由に使ってください。
 駒井さんからは、次のようなコメントがついていた。
 
  自分にできることをします。
 自分にできることは何なのかを考えようと思います。
 …具体的に。
 現場は何処も疲弊しているのだな、と妙な繋がりを感じました。
 これって良いことなのか悪いことなのか。。。。
 どうにかしたいと。
 そんな時がやってきているのだと感じます。

  この「どうにかしたいと。そんな時がやってきているのだと感じます」と書いてある。
 私もまたこのことを強烈に感じている。
 そのために、私は、37年間の教師生活ではまったくしなかったことをし始めている。
 このブログでもお知らせした「味噌汁・ご飯」授業・学級づくり研究会の立ち上げである。まだ、準備会の段階であるが、私は意を決して動き始めている。
 ★
 ある日、2人の人と話をした。その2人、学校の中では、もう中堅の30代後半である。
 一人の人が、「時々教師を辞めたいなと思いますよ」と言った。もう一人の先生が、それに応じて「私は、今でも毎日のように教師を辞めたいなと思っていますよ」と話した。びっくりした。ばりばりの中堅であり、その学校の中心メンバーなのである。
 その教師たちが、このようなことをささやくのである。
 えっ~~~~という感じであった。
 こんな教師たちさえも、こんな思いを持っていることに驚いたのである。
 それからちょっと注意して教師たちを見ることにした。「やっぱりなあ」という思いが募った。
 教師たちは、現場から逃れようとしている。
 実際に逃れられない教師たちは、気持ちだけでも逃れたいという思いを強く持っているということが分かってきた。
 おいおい、学校の中心メンバーたちが、こんな状態で学校はどうなっていくのだ。
 子供たちへ向かう気持ちが、こんな状態でうまく子供たちを育てていけるのか。
 私は、37年間の中で、辛い学級を持ってきたことは何度かあるが、辞めたいと思ったことは一度もなかった。そんなことよりも、新しい教材を子供たちに試そうとわくわくした気持ちになって、早く月曜日にならないかなと思ったりしたことが何度もあった。
20代の頃は、子供たちとの関わりのおもしろさに日々を忘れ、こんなことをして給料をもらっていいのかなと思ったりもした。
 私が特別だったわけではない。
 私たちの周りの普通の教師たちも、そんな思いを持っていたのである。
 ★
 とんでもないことが起こっている。
 子供が大きく変わった。親も、家庭も、変わっている。
 前代未聞の状況が現場では起こっているのだ。
 そのことに警鐘を鳴らしてきた。
 しかし、もっと大変なことが起こっていた。
 現場の教師たちの多くが、疲弊しきっている。
 子供たちの目の前から逃げだそうとしている。
 初任者指導の仕事をしながら、この現実を激しく突きつけられることになる。
 一体、この日本の教育は、このような有能で、中心を担っていく教師たちの多くを疲弊させてどうしようとしているのだろうか。
 ★
 子供たちと関わることにわくわくする、そんな先生たち。
 そんな先生たちが1人でも2人でも増えていく。
 そのためには、どうしていくか。
 私たちは、そのために動き出そうとしている。
 
 
 
 
   

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孤立 命絶った教師

   朝日新聞(2010.7.19朝刊)で、「いま、先生は①」が始まっている。
 最初の記事が「孤立 命絶った教師」である。
 2004年9月29日に命を絶った初任教師の記事であった。
 他人事ではない。
 初任を育てていく仕事をしているので、他人事とはとても思えないのである。
 ★
 初任の百合子さんは、子供の頃から先生が大好きで、学生時代から取り組んだボランティアでは、東南アジアのストリートチルドレンの支援に関わっていたというから、かなり意欲を持って教師になっていったことが分かる。
 そして、教師になる。32人の4年生のクラス担任を任されている。
 百合子さんの実践記録には次のようなことが残されている。

 4/1 とても緊張した。責任の重さを感じると同時に、子どもたちを愛していこう、全力を尽くそうと心に誓った。

 いい加減な気持ちで教師になったのではないことは、これだけでも充分に分かる。
 また、次のような記録もある。

 5/31 授業が下手だから…教室内の重い空気になんともいえない息苦しさを感じる。子どもを愛すること、できているのかな。
 ★
 初任者は、「子供は天使である」「子供は、純粋な気持ちをもった小さな存在」…などという幻想(?)をもって教師になってくることが多い。
 あるいは、無意識のうちに「子供は、純粋な存在だ」という観念を持っている。
 しかし、愕然とする。 
  その観念とあまりにも違う子供がそこにいる。
 きっと百合子先生も、そのような落差に陥ったのではないだろうか。
 残された日記には、次のような記述が残されている。
 
 おこってばかりいるうちに
 私の顔が かわいそう。
 おこってばかりいるうちに
 私の人格 かわいそう。
 神様 私を愛してください。
 神様 私を助けてください。
 神様 私に助け手を与えてください。
 神様 私を愛してください。

 ボールペンでぐじゃぐじゃに消そうとする線が入っている。
 このように書いて、その思いを打ち消そうとするかのような殴り書きの線である。
 自分が抱いていた思いと、あまりにも違う子供たちの存在。
 毎日、叱られることばかりする子供たち。
 怒ってばかりの毎日。
 ★
 百合子先生は、自分を責めていく。
 だが、ほとんどの初任者が、このような思いを持つのだということを果たして百合子先生は、知っていたのかどうか。
 私は、今年の初任研を3月29日と4月2日に行った。愛知県のK市と東京のO区である。その最後に、付け加えた。
「あなたたちは、ほとんど子供たちが嫌いになります。そのことに苦しみます。でも、教師になるというのは、それからなのです。」と。
 私の知り合いも、何人も社会人から教員採用に合格し、初任者の道を歩んだ。
 何人も七転八倒をした。学級が壊れ、辞めていく寸前まで行ったこともあるのである。
 ★
 7月17日に、百合子先生から知人にメールが入る。
 
 悪いのは子どもじゃない、おまえだ。おまえの授業が悪いから荒れるーーと言われ、生きる気力がなくなりそうに感じました。苦しくて。苦しくて。苦しくて。

 地方公務員災害補償基金の県支部の聴取記録に、同僚の語った記録が残っている。

 「とにかく心配していた」「最初はみな同じ、と励ました」「自分の教室に行く前、百合子さんの学級の前を通り、様子をみることにした」

 百合子さんが発言を書き残している教師たちは、それぞれ反論している。例えば「悪いのはおまえだと言われた」とメールで訴えられた教師は、「自分が言ったのは、悪いのは子どもばかりじゃない、子どもを変えたければ自分が変わらなければ、ということ」と述べた。
 ★
 はっきりしているのは、管理職、同僚の教師たちが、フォローできなかったこと。
 これは、どう反論しようにもどうしようもない事実である。
 一人の有為な人材を、こうして無残に失っている。
 では、どうすればよかったのか。
 はっきりしている。
 支援は、具体的に、継続的にしなければいけなかったのである。
 私は、最後の勤務校で初任者担当を行っていた。
 あるとき、初任者の授業を見ていたとき、これはあぶないと思ったことがあった。
 即座に、校長に直訴に行った。
 「校長先生、今が限界です。いますぐ教務主任の先生をT・Tでつかせてください」
 それは、大いに効果があった。
 あとで、その初任者に言われたことがあった。
 「あの時が、もう限界でした。どうしようと思っていて、辞めることばかり考えていました」と。
 支援は、具体的でなければいけない。
 しかしながら、学校の現実は、具体的な支援ができない状況であることも事実である。
 教師たちは、その忙しさに追い詰められて、まったく他の教師たちのことを考えてあげられる余裕を失っている。何かの支援をしようにも、自分のクラスだけで精一杯のところがある。
 学校は、行事と会議に追われていて、先生たちがゆっくり子供たちのことを話し合う
時間さえも取れない。そんな学校はいっぱいある。
 朝日のこの記事の最後には、次のように書かれている。
 
 男性教師の職場では昨年、新人に加え、50代のベテラン教師が辞めていった。
 「今の学校は失敗しながら伸びていくゆとりがない。教師を育てられない学校が、子どもを育てられるだろうか」

 重い問いかけである。 
 ★
 百合子先生は、最後まで自分の授業の下手さに悩んでいた。同僚の教師にも、そのようなことを指摘されている。
 これもばかな迷信が信じられている。
 初任者に授業のうまさを要求して、すぐにうまくなっていくことなどありうるはずがない。
 私は、断言してもいいが、多くのベテラン教師だって、初任者と同じようなレベルで「授業が下手」なのである。
 べらべらべらべら、授業の最初から最後まで喋り続けている。
 いわゆる説明だらけなのである。
 学級が荒れていくなどの原因は、授業ではない。
 まったく関係ない。
 では、何なのだと言われるだろうが、私のブログをずっと読んでもらえていれば、それはもうはっきりしていると思う。
 どのように学級を立ち上げ、どのように学級を作っていくか。
 どのように子供たちに接し、どのように彼等との関係を作り上げていくか。
 どのように学級の「群れ」の状態を「集団」へとかさあげていくか。
 この3つができればいい。
 普通の学級を作ろうとすれば、この3つで充分なのだ。
 この3つのことが分かっていない。
 この「学級づくり」の上に、「授業」を乗せていけばいいのである。(もちろん、同時進行であるが)
 百合子先生も、まったく分かっていなかったのであろう。
 大学も、研修会でも、同僚も、知り合いも、誰も教えてくれないからである。
 それが無念である。
 ★
 朝日は、記事の最後に書いている。

 教師が苦しんでいる。荒れる学級、保護者の苦情、終わりのない事務作業…。社会からの絶対的信頼が過去のものになるなか、悩む姿を通して、いまの学校を見つめた。

 今までマスコミが取り上げてきた内容が、学校の現場の現実とどれほどかけ離れていたか、それは言うまでもないことである。
 今回の朝日の記事には、その現実を取り上げようという意気込みを感じる。
 ぜひとも、現実の姿を明らかにしてほしいと思う。
 
  
 
 
 

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「風景の発見」としての「日常授業」

   まだ、こだわっている。
 「日常授業が、どうして今まで研究対象にされてこなかったのか?」
 しつこいのである。(笑)
 今まで日常授業は、多くの実践家にも、現場教師達にも、研究家たちにも、ほとんど意識の対象外に置かれていたものである。
 ただ、流れる「もの」のように考えられていたと今までブログで書いてきた。
 あるいは、公開授業への練習授業として取り扱われてきた。
 ★
 たまたま、柄谷行人さんの「日本近代文学の起源」(講談社)を読んでいて、そこに「風景の発見」が収めれている。
 柄谷さんは言う。
「私の考えでは、『風景』が日本で見出されたのは明治20年代である。むろん見出されるまでもなく、風景はあったというべきかもしれない。しかし、風景としての風景はそれ以前には存在しなかったのであり、そう考えるときにのみ、『風景の発見』がいかに重層的な意味をはらむかをみることができるのである」
 芭蕉の「奥の細道」には、大自然をありのままに見て、その様子に心動かされたような言葉はほとんど出てこない。芭蕉が見たのは、古典に歌われた「いにしえ」をしのぶ景色であり、実際の風景というよりも、心でみた風景であった。
 同じように、江戸時代に描かれた山水画などを見ても、山の姿は当時としては幾分リアルだとしても、画一的な山の姿をしていて、実際の山の姿とは隔たりがある。
 つまり、明治20年代までは、人々は、現在私たちが見ているような見方で、風景を「風景」として見ていなかったのである。
 文芸評論家の柄谷行人さんは、この本の中で、日本人におけるこの転換を、明治時代初期の言文一致の広まりと関連づけて、言文一致を目指すという自己表現が、自然と客観的な対象や写実を生み出していき、「風景」をも作りだしていったと説いている。
 ★
 このことで何を言いたいのか。
 「日常授業」も、発見されるまえの風景みたいなものではないのか、という思いである。
 1年に1000時間以上行われている授業は、まさに「日常授業」である。
 だから、日常授業は、あったのである。
 しかし、現場教師たちや多くの実践家が問題にした「授業」というのは、研究授業や公開授業で行われる「授業」だったのである。
 賞賛される「授業」は、教師の数少ない発問で、子供たちが話し合い、討論をし、多くの活動を誘導していく「もの」であった。
 そして、それを提起してくれる名人教師や達人教師が、多くの実践家たちの目指すべき方向になっていたのである。
 それは、江戸時代の山水画みたいなもので、みんながイメージしている「授業」は、こうあるべきであるという「授業」を描くものであった。
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 何を言いたいのか。
 今まで「日常授業」は、「風景」として認められていなかったために、意識される対象ではなかった。だから、研究の対象にもならなかった。
 ただ、放置されていた。(悪い表現で、申し訳ない)
 私は、このように扱われてきた「日常授業」を「風景」として救出し、「授業」として位置づけ直していきたいと願っている。
 「味噌汁・ご飯」授業は、このような意味を持っている。
 
 
 
 

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「学級づくり」と「授業づくりは、学級経営の両輪である

   あと2週間もしないで、夏休みを迎える。
 私が担当している初任者の2人も、順調に担任をこなして、今日を迎えている。
 2人のクラスは、ベテランのクラスとも遜色ないくらいに仕上がってきている。
 私のひいき目で、そのように言っているのではない。
 事実として、そのようになっている。
 ★
 初めてクラスを受け持った2人の初任者が、3ヶ月で、そのようなクラスを作れるようになるためには、どのような試みをしたのか。
 そのことが大切である。
 まず、2人とも、実に素直で前向きだったと言える。
 私の助言を素直に受け取って、実践につなげることができた。
 私は、最初に2人に言った。
 「私が助言することで、どうにも自分では実践できないことがあると思う。
  そんなときには、実践する必要がない。自分で納得できなければやる必要がない。
  でも、納得できることがあれば、即座に実践していける素直さを持ってほしい」ということであった。
 初任者の課題は、「1・1・1の課題」である。
 1は、1週間。次の1は、1ヶ月。次の1は、1学期。
 この3つの1をうまく通過できれば、1年間をきちんと過ごすことができる。
 1週間では、クラスの仕組みを作る時間。
 1ヶ月は、作り上げた仕組みを繰り返し繰り返し徹底する時間。
 1学期は、落ち着いたクラスにしていく時間。
 ★
 4年生の初任者(女性)は、どのようなことを実践したのか。
 学級づくりの基本をみごとに実践している。
 私が提唱している「学級づくり」の基本をほぼ完全に実践している。
 私の助言も、素直に受け入れて、実践につなげている。
 それはみごとなことである。
 7月までの間に、学級を「群れ」の状態から「集団」の状態へ引き上げている。
 「集団」になるとは、子供たちが自分たちで学級を動かしていける状態である。もうすでに、その状態へ引き上げている。
 4年生の初任者は、教育実習以来4年間のブランクがあって、子供と接しているのである。
 ★
 どんなことを実践したのか。
 ①子供たちとの関係づくりをきちんとできた。~縦糸張りと横糸張り~
 ②クラスの仕組みづくりをきちんとできた。~3・7・30の法則の実践~
 ③「群れ」を「集団」へ高めていく手立てを打てた。
 学級づくりでいえば、この3つのことがほぼきちんと実践できた。
 だからこそ、あのようなすばらしいクラスができあがるのである。
 普通の教師たちが、学級づくりをするためには、以上3つで充分なのである。
 この3つのことができないからこそ、初任者もベテランも、クラスを荒らしていくのである。
 ★
 それでは、授業はどのように実践したのであろうか。
 初任者の2人とも、普通の授業であった。普通の初任者が行う、普通の授業をやっている。それ以上でも、それ以下でもない。
 私は、授業について多くの注文をしていない。
 むしろ、私が示範授業をしている。
 初任者よりもちょっとだけ上手に普通の示範授業をしている。
 授業が、短期間でそんなにうまくなるはずはないのである。
 断定してもいいが、クラスを落ち着いたクラスにしていくためには、「授業」はとりあえず関係ないのである。
 ★
 もはや、「学級づくり」を無視しては学級が成り立たなくなっている。
 私は強くそのように主張したい。
 その「学級づくり」の上に乗っかってくるのが、「授業作り」と「行事づくり」である。
 特に、子供を生き生きと元気にしていくのは、「授業作り」の役割である。
 「学級づくり」と「授業づくり」は、学級経営の両輪である。
 

 
 

 
 

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つれづれなるままに

 このブログへの書き込みがまたまた滞っている。
 書くことはいくらもありそうなのだが、なかなか時間が思うようにならない。
 今、がんばっているのが、8月にある講座の資料づくりである。
 5つの講座を持つので、その一つ一つにパワーポイントを作成していく。
 また、今「味噌汁・ご飯」授業・学級づくり研究会の立ち上げで忙しい。
 まだまだ準備会なので、その土台づくりに追われている。
 やらなければならないことが結構ある。
 ★
 そうは言っても、休みの日は、午前中と午後、必ず散歩に出る。
 午後は、ジョギングである。
 10月に私が所属している横浜教職員走友会主催で、フルマラソン大会がある。
 私も参加するが、今の体力でどの程度走れるのかどうか不安である。
 今から走り始めている。
 といっても、歩いたり、走ったり。これを繰り返して、徐々に走れる体にしていくことになる。
 もう10年以上、まともに走っていない。
 さて、10月23日(土)までにどの程度の走り込みができるかどうか、それが問題である。
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 先日、山形に行った時、樽石大学というのがあることを聞いた。
 学長は、松田清男先生。
 この大学は、卒業がない。入学金1000円を納めれば、学生になれる。
 学長曰く。
「やり直しの出来ない人生、限られた人生だからこそ、誰もが皆、充実した人生を求めています。人生を考えるための生涯学習の場なので、もちろん卒業もありません。
 申込書に記入し入学金1000円を納めれば、それで学生になれます。
 村山市全域、山形市、遠くは東京からの申し込みもあります」
 ユニークな学長先生らしい。
 学長先生からもらったお茶のみ茶碗というのを知り合いから写真で送ってもらった。
 そこには、次のように書いてあった。
 「する事がある。行く処がある。友達や仲間が居る せいなん」
 60歳の還暦もとっくに過ぎた今、この言葉は、胸に残る。
 歳をとった者たちに必要なことが、この言葉には凝縮されている。
 ★
 休みの日は、「ゲゲゲの女房」というNHKの連続ものを見ている。
 私の知り合いは、一日に3回(朝、昼、BS)も見るという。(笑)
 それほどまでに見られているらしい。
 ここには、日本人が忘れ去ってきた、極貧で、豊かな人生が、確かにあるのである。
 団塊の世代以上の人たちは、忘れ去ってきた過去を懐かしさで思い出しているのであろう。
 私もまた、あの時代の貧しさと、豊かだった自然を思い出す。
 
 
 
 
 

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 2学期制 撤退続々

   朝日新聞7月2日(金)の夕刊の一面に「2学期制 撤退続々」という見出しが出た。
 「前期と後期の『2学期制』を採用した公立小中学校で、元の3学期制に戻す動きが相次いでいる。2学期制を採れば、3学期制に比べて始業式や終業式、定期テストなどの回数が減り、その分を授業に回せるメリットがあるとされてきたが、実際にはさほどの効果がなく、逆に『前期の中に長い夏休みが入るなどしてメリハリがつかない』と不評を買う結果に。一時のブームは冷めた格好だ」
 まさに、現場では、この通りであろう。
 2学期制の導入は、確かに時間数の確保が第一の課題であった。
 横浜では、早々と導入してしまった。
 学校で採用するという建前になっていたが、導入するというのは大前提で、議論の余地がなかった。
 私は、学制以来100年以上続いてきた3学期制を崩して、2学期制にするというのは、大きな転換になるという思いがあり、もっと慎重に検討をするべきであるという意見であったが、そんな意見は少数であった。
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 そして、どうなったのか。
 時間数の確保などたいしたことがなかった。要するに、たいして減らなかったのである。そんな時数など、秋休みや夏休みを2日ほど減らせば、十分に事足りたのである。
 唯一のメリットは、(といっても教師側だけである)通信票が2回になったということだけである。
 しかし、これは教師側にとっては不評である。
 問題は、夏休みであり、その前に通信票と変わらないほどの個人面談の資料を作成しなければなくなった。
 だから、教師側の負担も、たいして変わらなかったと言える。
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 2学期制など、もう何ほどの意味もなくなっている。
 それよりも、前期の間にくる夏休みの存在が、教師側にとっても大きな壁になってきている。極めて中途半端なのである。
 3学期制の時には、1学期の終わりに通信票をもらい、2学期へ向けてのはっきりした夏休みの課題を明らかにできた。
 しかし、2学期制では、夏休みをどのように位置づけるかが極めてあいまいになる。
 だから、4,5,6,7月までの課題を夏休みへつなげていこうとして、個人面談の資料づくりが大変になる。
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 横浜市では、新聞によると11校の学校が、3学期制に戻している。
 この流れは、きっと続いていくと思われる。
 もう3学期制の意味がなくなっているのであるから。
 推進した側は、誰も責任は取らない。
 建前では、学校が決定していくことになっているから、学校の責任である。
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 退職して2年3ヶ月。立場を変えて、学校へ通っている。
 この立場になってよく分かるのは、学校というのは、どうでもいい行事や会議に振り回されていることである。(笑 ごめんなさい)私も、現役の頃は、その行事や会議を推進する立場にいたのでえらそうなことは言えない。
 その行事や会議を止めていくという発想はない。
 止めようとしても、誰かが「必要です」と声をかける。
 そこで、前年度通りになってしまう。
 増やすのは簡単だが、止めるのはむずかしい。
 昔、斉藤喜博というえらい校長先生が「学校づくりの記」で、「1つの行事を作ったら、必ず今までの1つの行事を止めにしていくことを考えなければいけない」というようなことを書かれていたのを思い出す。
 そういう発想をする学校は、いま皆無にひとしいと思ってよい。
 ある知り合いの先生のところへ以前の学校から学校便りが送られてきた。
 7月の行事予定を見たら、それこそ驚くばかりの行事、会議のオンパレード。
 一日の隙間なく、行事や会議が並んでいると、嘆かれていた。
 きっとその分だけ授業や学級づくりがいい加減になっていくのであろう。
 
    
 
 
 

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