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2010年6月

再び、再び、再び、「味噌汁・ご飯」授業について

 「味噌汁・ご飯」授業について、ずっと考え続けている。
 考えているというのは、「なぜ、今まで『日常授業』を対象化して研究の対象にするという発想が出てこなかったのか?」ということについてである。
 これは考えれば考えるほど不思議なことになる。
 ★
 私の最後の勤務校である大池小学校では、算数を3年間、国語を3年間研究授業を行ってきた。
 この2教科が、子供たちから最も嫌われていた教科だったからである。
 大池小は、かけ算九九がうまく言えない子供たちを中学校へ送っていくということをずっと繰り返していた。
 中学校の先生達に言わせれば、「小学校の6年間で何を教えているのか?かけ算九九がうまく言えない子供がこんなにいて、何を教えているのか?」という当然すぎる疑問があったのだと思う。
 大池小は、その問いかけにきちんと実践で答えなければいけなかった。
 だから、当然大池小の職員は、日常授業の改革以外に為すことはなかったのである。
 そういう問いかけから、分割授業が生まれてきた。
 ★
 その延長戦として、「味噌汁・ご飯」授業がある。
 それでは大池小で開発した分割授業が、「味噌汁・ご飯」授業でいいのではないかと言われそうだが、私はそうは思わない。
 分割授業は、あくまでも大池小学校の子供たちの現状を変えようと身構えて出てきた授業である。
 範疇が狭いと思う。
 私が、ここで問いかけている「味噌汁・ご飯」授業は、多くの先生達が抱えている「日常授業」をどのように変えていくかという範疇で考えているものである。
 ★
 最初の問いかけに戻る。
 「なぜ、日常授業が研究の対象とならなかったのか?」
 自分に何度も問いかけてみた。
 多くの先生たちにとって、「日常授業」といっても、あまりピンこないのではないか。
 日常行っている授業は、ただ行っているだけで、意識の対象外のもの。
 研究授業などと言われたときに、何か特別なことをやるという意識になるという状況。
 だから、「日常授業」と「ごちそう授業」と区別しても、そのような区別を特別にしていたわけではない。
 意識するのは、研究授業などの「ごちそう授業」だけで、あとの授業は、それなりに、ただ流しているだけの「もの」としてあったのではないか。
 私は、「味噌汁・ご飯」授業の講演で、何度も問いかけた。
 「ごちそう」授業は、1年間の中で、ほんの数時間でしかないではないか。
 あとは、千時間以上が日常授業をしていることになる。
 その日常授業を研究の対象にしなくては、やはり私たち教師の授業は変わらないのではないかという問いかけである。
 しかし、この問いかけは、中学校の先生たちにはあまりぴんとこないだろうと思う。
 ほとんど1、2教科しか教えていない中学校の先生達にとっては、教材研究の時間がかなりあるはずだし、(少なくとも小学校の教師より)毎日「ごちそう」授業に近い授業だってできるはずである。
 小学校は違う。7,8教科は普通に教えている。これに英語も入ってきたのである。
 多分、かなり綱渡りの教材研究をしているはずである。 
 ★
 実は、まだブログに書く段階ではないが……。と言いながら、書いているのだが、「味噌汁・ご飯」授業と学級づくりの2つについての研究会を設けたいということで、企画が進んでいる。
 まだまだ準備会である。準備会で終わるということもありうるのである。
 親しい友人は、「もしかしたら、画期的な試みになるのかもしれない」と言ってくれた。試みは、とても地味なことであるが、その言葉に励まされる。
 はっきり研究会と打ち出していこうとなった時は、このブログで明確に考えを明らかにしていきたいものである。
 
  
 
 

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最初のお楽しみ会は、私にやらせてください!

  2年生の初任者のクラスで、お楽しみ会の司会をした。
 「最初のお楽しみ会は、私にやらせてください」と頼んでの司会である。
 2年生の子供たちにとっては、初めてのお楽しみ会である。
 3週間前から進めている「○○はかせ」で、10人以上のはかせが生まれてきたのである。それをお祝いしてのお楽しみ会なのだ。
 お楽しみ会をやる前に、きちんと趣旨を話し、「べんきょうはかせ」「そうじはかせ」「かたづけはかせ」になった子供たちを起立させた。みんなで拍手した。
 3つとも「はかせ」になった子供たちを前に出させて、「なぜ、3つともはかせになることができたのか?」のスピーチをさせた。その場で考えて、発表である。
 6人の子供たちは、元気に発表することができた。
 ★
 プログラムは、次の通り。
 1,はじめのことば(子供)
 2、「はかせ」の人にはくしゅ
 3,ゲーム
  ①好きですかきらいですか
  ②にんげんすいかわり
   ③ジェスチャーゲーム
 4、おわりのことば(子供)
 ★
 はじめてなので、私が司会をして、どんどんテンポ良く進めていく。
 徐々に教師がやることを子供たちに移していかなくてはならない。
 机を後ろへ下げさせて、椅子だけ前に出させる。
 クラスを2つのチームに分けて、それぞれくまさんチーム、パンダさんチームとする。
 それぞれのチームのキャプテンを決める。話し合いである。
 くまさんチームは、ジャンケンですぐ決まる。パンダさんチームは、もめている。
 じっとみつめる。自分たちで決めさせなくてはならない。
 教師が間に入らないで、自分たちで決めていく経験をいっぱいさせなくてはならない。
 お楽しみ会は、いいチャンス。
 キャプテンが決まり、それぞれ応援合戦をする。
 合い言葉を相談して、キャプテンの合い言葉にあわせて応援をする。
 これは、パンダさんチームの勝ち。1点。
 ★
 ゲームを始める。
 勝ったら2点になる。
 ①好きですかきらいですかのゲーム。
 チームから一人出てくる。その子供は、黒板に伏せている。その背中に問題が書いてある紙が貼られる。
 他の子供は、見えている。
 「おかあさん」
 私「好きですかきらいですか?」
 子供「きらいです」笑、笑。
 私「どうしてきらいですか?」
 子供「だって、気持ち悪いから」(必ず何か答えなくてはならない。)笑。笑。
 私「さわったことがありますか?」
 子供「ありません」笑。笑。
 ………
 というような問答をしていく。
 床に転げて、笑い転げる子供がいる。
 最後に、「これは、何ですか?」
 当たったら、2点である。
 ②のにんげんスイカ割りは、ヘルメットをかぶっている子供(体操座り)に向かって
タオルで目隠ししたもう一方のチームの子供が新聞紙を丸めた棒を持って、叩きに行くというゲーム。(強く叩いたら絶対ダメ)
 指示するのは、チームで3人。「もっと右」「まっすぐ」…とか指示を出す。
 ヘルメットの子供にさわったら、ゲームは終了。
 大変な騒ぎになる。うまくチームワークが発揮できるかどうかが勝負。
 振り下ろした棒が、ヘルメットに当たったら、2点。
 これも大笑いのゲームになる。緊張もする。
 ★
 お楽しみ会を学期の最後に1回程度するというのでは、もうだめである。
 年度の行事を行い、あとは授業だという学級は、学級づくりにおいて問題がある。
 学級づくりにおいて、お楽しみ会などを企画していくことはとても大切なことだと、私は思っている。
 学校は、学力を子供たちにつけていくところだから、お楽しみ会などを入れていくことに反対であると主張する先生はいる。
 私は、逆にどんどんお楽しみ会(名前はいろいろ変わった)を入れていった。
 会社活動(係活動)では、2ヶ月に1回はみんなが楽しめる会を企画するようにした。もちろん、自分たちで企画し、自分たちで会を開くのである。(高学年の場合)この積み重ねで、リーダーが育っていく。自分たちで行動できるようになる。
 ねらいをはっきりさせて、計画的に進めるのである。
 私は、初任の時からこんな活動をどんどん学級づくりに入れていった。
 学級をまとめていくにはもってこいの手立てである。
 ★
 2年生のクラス。最後は、同点になった。引き分けである。
 「楽しかった!」「おもしろかった!」と笑顔の子供たち。
 チームをまとめるキャプテン。それに呼応するみんな。
 とてもまとまってできた2時間であった。
 「ゲームをするから、泣いたらダメ。文句を言ったり、ケンカをしたりしてもダメ」と強く言っていたので、そういうこともなかった。
 2年生の学級も、見違えるようにまとまってきている。うれしいことだ。
 
 
 
 
  
 

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 保健室登校しているAさんのその後

 保健室登校しているAさんのその後について報告しておきたい。
 6月16日(水)、いつものように朝から初任者のクラスに入った。
 Aさんは、朝の会が終わる頃に、専科の先生に付き添われて、教室へ入ってくる。
 他の子供はなにごともないように振る舞っている。
 Aさんも、なにごともないように授業に参加している。
 ときどき、隣の子と話したり、前の男の子と話している。
 笑い顔も見える。
 慣れてきているのだ。
 ★
 給食の時間に、Aさんの隣に行く。給食に参加できるようになったのは、14日(月)かららしい。
 「Aさん、あなたにあだなをつけたいけど、○ちゃんでいい?」
と言って、みんなにつけたあだなを見せてあげた。
「いやだ!」
「いいじゃない!これぐらい」
「いやだ!」
「じゃあ、どういうあだながいいの?」
と聞くと、あだなを書いた座席表に2つのあだなを書いてくれた。
 もう自分から話しかけられるようにもなっていた。
 ★
 その日、一日中教室にいて、終わりの会も参加して、帰っていった。
 朝の会だけが参加できないのである。
 朝、教室へ一人で行くことに抵抗がある。それをどうしたらいいか。
 初任の先生と、これからの対処を話した。
 もう待っているだけでなく、こちらからどんどん手を打っていけばいい。
 朝、保健室にいるAさんを迎えに行く子供が行くがそれでいいか、とAさんに聞いてみればいい。承諾したら、そのような措置を取ればいい、と。
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 3ヶ月で、ここまでよくきたものである。
 児童指導主任を中心とする徹底した学校ぐるみの体制が、効果をあげている。
 受け入れていく学級の子供たちも、とてもいい。
 初任者のがんばりも、すばらしい。
 すでに、学級を<群れ>の状態から<集団>の状態に引き上げていっている。
 
 
 
 

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中1ギャップの問題について

   朝日の週刊誌「AERA」から取材を受けた。
「中1ギャップ」についてである。
 このことは、数年前から登場してきた名前であろうか。
 中学1年の生徒たちが、5月の連休が明ける頃から、学校へ行くのを渋る状況が現れるという現象である。
 私は、当然出てくるであろうと思っていた。
 すでに、「中1ギャップ」(学事出版)<石川晋、石川拓、高橋正一著>という本が世に出ている。
 ★
 私にとっては、佐世保小6殺人事件が大きな衝撃であった。
 同じグループの中の女子が加害者と被害者にわかれて、衝撃的な殺人を行った事件である。
 私は、夏休みに早速その事件があった現場に行った。
 風光明媚な土地で、自然が豊かな、落ち着いたところに学校も、加害者の自宅もあった。おそらく、学校の関係者は、驚愕の事件であったのであろう。
 私は、事件を検討しながら、その時、「もし…」という命題を2つ立てた。
 もし、保護者が、加害者の私立受験という名目で大好きだったミニバスを止めさせなかったら、あの事件は起きなかったのではなかったか。
 もし、被害者の女子たちから離れて孤立していた加害者の動向に、担任が注目し、相談相手になっていたならば、あの事件は起きなかったのではないか。
 事件は、こんなことで解決できたはずはないのかもしれないが、私は、そのように思えてならなかったのである。
 ★
 あの事件以降、私はさらに女子グループの動向に注目し、もめごとをキャッチしたならば、こちらからどんどん話をするという方針を選んだ。
 今、高学年担任の第一の課題は、女子グループの問題であり、彼等といかに交わし合うかという姿勢を持てるかどうかである。
 私は、そのように考えてきていた。
 今、小学校高学年は、かなり深刻な状況にあり、高学年担任は、特別な仕事となってきているのである。
 ネットと携帯が、この状況をさらに増幅させていったと、私は思う。
 これもまた、かなり深刻である。
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 だから、この高学年の状況は、そのまま中学校へ持ちまれていき、新たな問題を起こしていくだろうと、当然予測できた。
 それが、中1ギャップだったのではないかと思っている。
 中学校の先生たちは、小学校の高学年が、このように深刻な状況になっていることをまだあまり分かっていない、分かろうともしていないのではないか。
 だから、従来の方法でしか対処できていないのではないか。
 小学校の担任は、ずっとクラスにいて、必然的に子供たちの動向が目に入る。
 しかし、中学校の担任は、教科担任制で、よほど意識的でなければ、子供たちの間で起こっている問題は目に入らないはずだ。
 そのシステムだけでも、問題発見に圧倒的に中学の担任は不利になる。
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 どうしたらいいか。
 今、中1ギャップについて、中学校へ馴染めない子供たちが多くなっていると分析し、馴染める処方箋をとっていこうという試みが多くある。
 もちろん、必要なことである。
 私も、6年生の時には、そのような試みをいくつかしてきた。
 しかし、以前も同じ状況にあったわけであり、急に今子供たちが中学校へ馴染めなくなっているわけはないはずである。
 そこに問題の核心があるとは思えない。
 小中連携を強めていくことしか、とりあえずの方向はないように思える。
 小学校の高学年が、前代未聞の深刻な事態になっていることを中学校の先生たちに分かってもらうことが先決である。 

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「子供」か「子ども」か?

   私がブログで書いている「子供」にコメントがついた。
 「子ども」ではないかというコメントである。
 もちろん、意識して「子供」の方を使っている。
 少しこのことについて書いておきたい。
 「子供」を使い始めたのは、明治図書版「新卒教師時代を生き抜く心得術60」の本以降である。
 それまでは、「子ども」を使っている。ほとんど意識なく使っていたのである。
 ★
 意識するようになったのは、横藤雅人先生の「アンテナ」を読んでからである。
 横藤先生が教頭時代に職員に出されていた通信である。
 そこには、「子供」が正しい使い方であることが書かれていた。
 そこで、私もさまざまに調べたのである。
 ★
 フリー百科事典「ウィキペディア」には、表記についてということで、「子供・子ども・こども」のことが書いてある。

 教育や福祉などの世界では、「子供」という表記を避けて「子ども」または「こども」という表記が推奨されることがある。その理由として挙げられるものには、以下がある。

 1「子供」の「供」の字は、「お供」、すなわち子が大人の付随物であると連想させるため。
 2「子供」の「供」の字は、神に奉げる「供え物」の意味につながるため。
 3「子供」の「供」は当て字であり漢字に意味はないので、ひらがなにすべきである。
 4「子供」よりも「子ども」「こども」と表記した方が、ソフトで親しみやすい印象を与える(差別であるとは必ずしも主張しない)。
  ★
 一方、「子供」という表記が差別的であるとの上の第1・第2の意見に対しては、言葉の歴史的変遷に基づく以下の反論がある。

 ■「こども」の語源は、万葉集において「子」の複数を表す「胡藤母」・「子等」である。このうち「子等」は上代から室町時代まで用いられた。
 ■院政期頃から「子等」に代わって「子共」という表記に増え始め、複数の「子」を表すのに「こどもたち」「子共衆」などと呼ぶようになる。つまり、この時代から、「こども」が複数の「子」ではなく単数の「子」を表す意味でも用いられるようになった。
 ■「子共」が「子供」と表記するようになったのは、近世に入ってからである。

 つまり、「こども」の原義は、「男共」「女共」などと同じく複数をあらわす接尾語「共」・「ども」に由来しており、「供」は単なる当て字に過ぎないため、付随物や供え物などを含意していない。

 このようなことで、「子供」と「子ども」についてはまとめてある。
 ★
 また、教科書における表記については、次のようにウィキペディアは記している。

 国語教育においては、必ずしも「子供」という表記が避けられているわけではない。
 以下、2007年現在使用されている国語の教科書について述べる。

 小中学校の国語の教科書では、「子供」「子ども」両方の表記が行われており、少なくとも小学校では「子供」を用いている方が多数派である。中学校では、全5社中、「子供」が光村図書、教育出版の2社、「子ども」が三省堂、東京書籍の2社、両方見られるのが学校図書、とほぼ拮抗している。各社の教科書採択率を考えると、「子供」と記した教科書で学んでいる生徒の方が多数派であると考えられる。小学校では、5社(光村図書、教育出版、東京書籍、学校図書)が、六年配当の教育漢字である「供」を学習後は「子供」を用いている。(大阪書籍については確認していない)小学5年まではどの教科書も「子ども」を用いているが、それは未習の漢字だからであり、「子供」という表記を忌避しているわけではない。
 ★
 文化庁から出している「言葉に関する問答集9」には、<問19  「子供」か「子ども」か>が載せられている。

 「こども」という語は、本来「こ(子)」に、複数を表す接尾語「ども」がついたものである。「宇利波米婆 胡藤母意保由…(瓜食めば、子ども思ほゆ…)」(万葉集5・802)と山上憶良の歌にもあるほど、古い語であるが、のち、「しにをくれぐれたどれ共、子どものあしにあめのあし、おとなのあしにをひぬひて」(浄瑠璃、賀古信教)のように単数複数に関係なく用いられるようになった。
 その表記としては、「子等、児等、子供、児等、小供、子ども、こども」などいろいろな形が見られたが、明治以後の国語辞典類では、ほとんど「子供」の形を採り、「小共」は誤りと注記しているものもある。その後、「子ども」の表記も生まれたが、これは「供」に当て字の色彩が濃いからであろう。
 昭和25年の「文部省刊行物の基準」では、「こども」と仮名書きを示し、「子供・子ども」を(  )に入れて、漢字を使って差し支えないが、仮名書きが望ましいものとしている。
 しかし、現在では、昭和56年の内閣告示「常用漢字表」の「供」の「とも」の訓(この訓は、昭和23年の内閣告示「当用漢字音訓表」にもあった)の項の例欄に「供、子供」と掲げられており、公用文関係などでは、やはり、「子供」の表記を採っておいてよいと思われる。
 なお、新聞・放送関係では、早くから、統一用語として「子供」を使うことになっている。ただし、実際の記事では、「子ども、こども」なども時には用いられることがあるようである。
 また、国民の祝日に関する法律(昭和23年7月20日、法律第178号)では、毎年5月5日を「こどもの日」と定め、「こどもの人格を重んじ、こどもの幸福をはかるとともに、母に感謝する」と、その趣旨が述べられている。

 ★
 さて、このような経過であり、私は最近は、「子供」という言葉を使っている。
 差別的な表現という言い方に対する反発の意味もある。
 「男の子も『さん』と呼ばないと差別になる」などという言い方に対する反発もずっとあって、その延長としてのものである。
 しかし、そんなにこだわっていない。
 文章の中で、漢字を使うのは、文章自体をかたいものにしていく恐れがあり、できるだけひらがなを使うことも意識している。
 「子ども」であっても別にかまわないのである。
 もはや広く使われている表現である。市民権を得ている表現である。
ほとんどの人は、きっと気軽に使っているのである。

 「子供」の「供」は、差別的な表現だから使ってはだめだという考えはおかしな考えである。
 また、絶対「子供」でなくてはならないというのも、あまりにも頑なであると考える。言葉も時代と共に変化するからである。
 だが、基本は「子供」であると私は押さえて、それは使っているわけである。
 
 
 
 

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山形での東北青年塾

   12日(土)から14日(月)まで山形へ行ってきた。
 山形での第17回東北青年塾に呼ばれたものである。
 びっくりするぐらいの暑さ。
 30℃を越えて、今年最高の暑さという。
 涼しい東北をイメージしていたが、とんでもないことであった。
 ★
 私の提案の前に、2つの模擬授業。
 一人は、横浜の大池小の同僚で3年間一緒にともにがんばってきたM先生。
 結婚をして、実家のある山形に戻ってきたのである。
 もう一人は、私の親しい知り合いで、郡山の指導主事のW先生。
 M先生は、草野心平の「春のうた」(詩)の授業。
 相変わらず、テンポがいい。とても良い提案であった。
 大池小で鍛えられたのである。大池小は、指導案検討から模擬授業であったので、M先生は慣れているのだ。
 W先生は、研修日誌を朗読するという提案。
 こんな提案は初めてであった。
 朗読のすばらしさ。そうだ、W先生は、国語の先生であったのだ。
 語られた内容について、私はずっと心に残った。
 こういう提案もあるのだと、とても印象に残ったものである。
 ★
 「味噌汁・ご飯」授業の提案であった。
 提案のたびに、少しずつ変化していくのである。
 まだまだ試案段階の提案であるので、聞いてもらう人たちにはとても申し訳ない。
 今回、新しく提案したのは、「基本型」という考えである。
 たとえば、国語では、説明文の指導を必ずする。
 初任の先生などは、戸惑う。どう教えていいのか分からない。
 国語の指導書に頼ろうとするが、これがさっぱり分からない。
 ぐじゃぐじゃ書いてある。
 どうするか。副教材のプリントを印刷して、それで進める以外にない。
 しかし、これもむずかしい。
 そこで私は、「基本型」という考え方をする。
 説明文は、このように教えていけばいいという「基本型」ができあがっていれば、それにもとづいて教材研究をし、1時間ずつの単元配列ができるはずである。
 もちろん、完璧な基本型など作れないが、70点ぐらいの授業をイメージしてのものでれば、説明文ではこれだけのものを教えればいいという基本は教えることはできる。
 物語文の基本型、詩の基本型、作文指導の基本型、漢字指導の基本型などあっていい。
 「味噌汁・ご飯」版基本型とでも考えればいい。
 どうしてこんな発想をしないのであろうか。
 と、国語の先生たちからはひんしゅくをかう提案をしているのである。
 ★
 13日(日)は、M先生夫妻に案内してもらって、蔵王のお釜に行った。
 絶句するほどの素晴らしい景色。「冥土の土産、冥土の土産……」と言いながら、歩いた。
 こんにゃくづくしの昼食。日本一のけやきの木。…など感激する。
 さくらんぼ狩りにはもう少し時間がはやい。これは残念。
 食べ物のおいしさ、景色のすばらしさ。すっかり山形のとりこになってしまった。
 
 
 
 

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学級づくり~「群れ」を「集団」にするということ~

 7日(月)は、福島の郡山市に行った。ここの教育委員会から呼ばれての講座である。私は、月曜日、休日なのである。
 郡山に新幹線で着くと、そこは、広々とした街が広がっていた。
 私の親しい友人で、指導主事であるW先生が車で迎えにこられていた。
 2:00からの講座である。
 テーマは、「学級経営を成功させるポイント」。
 初任研研修講座であったが、初任者は8名だけで、あとはベテランの先生たちも多く参加されていた。
 最近、学級経営、学級づくりで呼ばれることが増えた。
 それだけ授業以前の学級づくりで悩む先生が、多くなっていっているのであろうと思われる。
 ★
 さまざまな学級づくりについて話をした。
 「6月、7月の学級づくりは、どのようなことに注意した方がいいのか」
 私は、「群れ」を「集団」にする手立てをどんどん取っていく期間であると思っている。
 この手立てについては、本では、目標達成法、ちょこちょこ学級会、会社活動(係活動)などを提起している。
 もう一つ、「○○はかせ~低学年方式」を提案した。
 ★
 この方式は、担当している2年生の初任者にアドバイスしたものである。
 10日(木)に教室に行くと、「べんきょうはかせ」「かたづけはかせ」「きゅうしょくはかせ」「そうじはかせ」が画用紙に書かれて、貼られていた。
 その画用紙の下には、子供たち全員の名簿が貼られていた。一つずつ○をつけるようになっている。もうすでに、何人も○がつけられていた。
 10個○が貯まったら、それぞれの「はかせ」になっていく。(私は、10個はちょっと多すぎるので、5個でいいのではないかと助言した。どんどんはかせにならせるのがポイントであるから。)
 今、困っていることを4つの「はかせ」にしたのである。
 そうじのとき、私も子供たちにどんどん「○○さん、はかせ1回」と呼びかけた。
 そうすると、急いで子供は、鉛筆を持って○をつけにいくのである。
 一生懸命そうじをしている子供である。
 2年生のその教室は、掃除の仕方がさまがわりをしていた。
 全員が、夢中になってそうじをしているのだ。
 結局、いつもよりずいぶん早く掃除が終わってしまった。
 先生は、さぼっている子供を叱ったり、さかんに指示を出す必要がない。
 自分たちでどんどん終えてしまう。
 「かたづけはかせ」は、終わりの会のとき、急いで帰る準備ができることである。
 今までは、おしゃべりをしたり、走り回ったり、だらだらしたり、…うまくできなかったのである。
 しかし、この「はかせ方式」で、とてもすばやくできるようになった。
 先生が、子供たちを叱ることは一度もない。ただ、「○○さん、すごく早いね。かたづけはかせ一回」と声をかけるだけでいい。子供たちは、その場で○をつけにいく。
 ★
 この方式の発祥は、有田和正先生の「~~のプロ」づくりである。
 低学年は、その「プロ」を「はかせ」にしただけである。
 このプロ方式は、4年生までしか通用しないと思われる。
 高学年は、ちょっと無理がある。「そんなのになったってつまんない」という声があれば、もう意味がないからである。
 2年生の初任者のクラスは、やんちゃな子が多いために叱ることが多かった。
 そんなクラスは、エネルギーがある子供たちが多い。
 そのエネルギーを悪い方ではなく、良い方に向けていけば、充実した学級ができあがる。それを狙った方式である。
 ★
 「群れ」から「集団」へ変わっていくというのは、次の2つの条件が必要だ。
 1つは、学級でのルールがきちんと機能していて、自分たちでそのルールを守っていくことができること。
 2つ目は、教師の手助けなくして、自分たちで学級の活動を進めていくことができること。
 これは、低学年でもできることだ。
 「給食はかせ」「朝自習はかせ」「読書はかせ」「ノートはかせ」「したじきはかせ」など、学級の目標やめあて、困っていることなどに合わせて、どんどん作っていくことができる。クラス全員の子供がどこかの「はかせ」に入るようにすることが必要である。

 ★

 そのあとの懇親会では、東北授業づくりネットワークの阿部先生もみえて、6人での会合であった。

 いろいろな刺激的な話が聞けて、ずいぶんおもしろかった。

 何から何まで丁寧な対応をしてもらった指導主事の先生方に感謝したい。
 
 
 
 
 

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習字が苦手な教師が挑戦する習字の授業

   4年生の初任のクラスで、示範授業をした。
 2時間の習字の授業である。
 前回、「虫」という字を書いていて、それが貼られていたが、どうも良くない。
 そこで私がもう一度「虫」で挑戦してみるということになった。
 といっても、私は、まったく習字は苦手である。
 まともに書いたこともない。
 だから、習字が苦手な教師がどうやったら、子供にうまく習字を書かせられるかという難題に挑戦した示範授業である。
  ★
 まず、初任の先生に、楷書体で子供たちの名前を作ってもらっていた。
 その楷書体(これから1年間これを使うのである)を見ながら、子供たちが、自分の名前を書くのである。
  手本も印刷してもらっていた。(ところが、これは子供に配布しなかった。私が黒板に貼り付けて、使っただけである)

 1 習字の準備をさせて、最初に小筆で半紙3枚に、楷書体の手本を見ながら、
   名前を書かせた。
   注意したことは、1つ。「鉛筆書きするように書いてはだめだ。筆を立てて
   書くこと」

 2 それから、筆を持つ前に半紙の上で筆順を確認しながら指書きをさせた。
   数回指書きをさせた。
 
 3 実際の指導に入った。
   一画ずつ、まず私が書き方を注意しながら、黒板に貼り付けた手本の紙の 
上に朱墨で書く。一画書いたら、子供たちにも一画書くようにする。
   ここも注意したことは、「筆を立てて」。
   個人名をあげながら、注意する。

 4 1枚目が書き終わったら、10点満点で全員の作品を評定する。
   8点以上を合格とした。合格になったのは、3人だけだった。
   あとの子供は、かなり厳しく評定した。

 5 2枚目も、同じように一画ずつ書いた。
   同じように評定した。今度は、満点の子供も数人出た。
   あとの子供も、かなり点数を向上させた。

 6 3枚目は、今度は自分で挑戦させた。評定は、希望者だけだと言ったが、
   結局全員が自分も評定してくれと言った。

 7 3枚のうち1枚が乾いたら、後ろの掲示板に貼りだした。

  4時間目の終了15分前には、全員の作品を貼りだし、片付けも終わった。
  子供たちにとって、実に満足した作品になった。
  といっても、そんなに褒められるできばえではない。
  積み重ねの指導をしていかなければ、うまくはならない。
  それでも前回とは歴然とした違いである。

  ★

  結局、この指導の良さは、どこにあるのか。
 ①名前の手本がきちんとあること。それを見ながら、1年間練習できること。
 ②一画ずつ注意点をはっきりしながら書かせること。
 ③個別評定をきちんとしてやること。良いのか悪いのか、悪いとしたなら、どこ  が悪いのかをはっきり指摘してあげること。
 ④3枚しか書かせないから、2時間で貼り付けるまで全部終了してしまう。

 この指導は、「授業を安定する学級経営術」(知的授業づくりの提案 第4巻 松藤司 明治図書)に紹介してあったものをアレンジしたものである。
 習字が苦手な先生は、挑戦してみてほしい。 
 
 

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運動会はどこを見たらいいか?

   運動会に参加した。
 朝方空模様がおかしかったが、何とか天気が持って、無事終了することができた。
 私は、採点係。教室にいて、あがってくる得点を集計して、得点板に掲示する段取りをつけることが仕事である。掲示は、子供たちがやってくれる。
 37年間の教師生活では、一度もやったことがない仕事である。
 ★
 その学校の運動会で、どこを見ればその学校の様子が分かるのか。
 このようなことについても、いろいろ考えてきたことがある。
 3つある。
 1つは、高学年がどのように演技をこなし、どのように仕事ぶりをこなしているか。
 2つ目は、競技、演技のテンポはどのようなものか。
 3つ目は、応援団に呼応する全体の応援合戦の様子がどのようなものか。
 とくに、3つ目でよく分かる。
 応援団は、どこも練習して一生懸命である。
 ところが、その応援団に呼応して応援していくその他大勢の子供たちの応援ぶりにその学校の状況が如実に出てくる。
 ★
 高学年のソーラン節は、すごかった。
 はじめてこのようなすごいソーラン節を見た。
 とくに、6年生が良かった。
 全員が法被に身を包み、迫力のある踊りであった。
 ★
 その他大勢の応援ぶりはどうであったのだろうか。
 赤が良かった。迫力があった。白も悪くはなかったが、どうも元気がない。
 これには理由があった。
 今まで5年間、ずっと白が負けていて、今年も白の子供たちは、赤には勝てないという思いがいっぱいであった。
 それが、白の応援を元気がないものにしていた。
 とくに、上の階から見ていると、その様子がよく分かるのだ。
 案の定、挙げられてくる得点集計は、午前中で100点近くの差が開く。
 これでは元気の出しようがない。
 とにかく、どの競技も、赤が圧倒的に有利なのである。
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 運動会は、赤と白しかない。いつも(5年間)赤しか勝っていないとするなら、これは大きな失敗をしていることになる。
 せいぜい2年連続で同じ色が優勝するぐらいにしていかなくてはならない。
 でも、そんなことはほとんど教師の側では、問題になっていない。
 私は、それがおおいに問題であると思う。
 教師の側は、赤が勝とうが白が勝とうがたいした問題ではないであろうが、子供たちにとっては、ものすごい問題である。
 負けたチームはしょげかえる。勝ったチームは、勢いづく。
 もちろん、勝ちがあり、負けがあるということでいい。
 しかし、ずっと5年間も(今年も負けたので6年間)負けというのは絶対に教育的にも良くない。白(要するに2組になったら)になったら、運動会は、もう最初から負けだという思いを作ることになる。
 私の知り合いの学校では、兄弟で赤白に分かれていて、運動会が終わり帰宅後、兄弟げんかになったという事例があった。よくあることである。
 翌日、保護者が学校へ抗議電話をかけ、「来年から赤白は、兄弟同じにしてほしい」となったのである。
 こんな抗議電話が、学校によくかかる。馬鹿馬鹿しいにもほどがあるが、笑えない事例である。
 ★
 6年間も、赤(要するに1組)がずっと勝つ。
 教師の側に意図的な配慮がないから、こんなことになる。
 私は、学級編成の失敗だと考える。
 学級編成基準に、運動がよくできる子供、リレーメンバーの項を入れていなくてはならない。
 こういう基準を入れていないところは、だいたい1組つまり赤が勝つ。
 それは、編成するときに、いつも1組、2組(2クラスの場合)と自然に分けていけば、1組から先に目立つ子供を配置していくことになるからである。
 ★
 校長先生に話したら、「子供たちの赤白を考える前に、配慮をする事項はいくつもあるんですよ」と笑いながら言われた。
 なるほど、なるほど。
 確かに、学級編成上、運動会の赤白なんかより考慮する事項は、やまほどあるからである。
 でも、子供たちの視点から考えたら、そうは言えないと思う。
 大切な問題である。
 「どうせ白は負けるんだもん」「ずっと白は負けているから、今年も白は負けるんだよ」……こんな声を今回の運動会でよく聞いた。
 この気持ちが、さらに白を弱くしていく。応援も盛り上がらない。
 ★
 私が職員ならば、絶対に反省事項に学級編成基準の変更を提案する。
 更に、年ごとに赤、白を入れ替えるなどの方策をとる。(今年が、1組が赤ならば、来年は、1組が白…)
 「子供を大切にする」とは、こういうことを子供の視点に立って考えていくことである。
  
 
 
 
 
 

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 あわただしく日々が流れていく

 ブログが滞っている。
 何かしらばたばたしている。
 6月5日(土)に私が勤めている学校の運動会がある。
 私も、参加する。
 昨年の学校は、大規模校で都合があり失礼したが、今年の学校は少人数の学校で仕事は幾らでもある。
 もちろん、当校の職員であるので、参加する。
 雨も降りそうになく、安心している。
 延びると大変である。
 7日(月)は、福島県のK市教育委員会での初任者研修「学級経営集団づくり講座」に出かけるので、延びると困るのである。
 ★
 原稿書きも行った。
 といっても、来春に発刊する本の原稿である。
 学陽書房から出すことになっている。
 横藤先生と一緒に出すことになっている「縦糸・横糸」の本である。
 今頃から原稿書きの準備をしている。
 私が担当する部分の半分ぐらいの原稿を一気に書き上げた。
 集中すれば、何とかなるものだと自分を褒めながら満足している。
 私たちがあちこちでしゃべったり、書いたりしたものをまとめて提起することになる。
 ★
  12日(土)は、山形へ出かける。「味噌汁・ご飯」授業を提起することになっている。
 食育の授業ではない。(笑)このように誤解される方が何人もいる。
 このような問いかけは、今までの授業研究では、ほとんどなかったことである。
 あえて、このような提起をしている。
 この提起が、これからの授業研究への問題提起になってくれることを願っている。
 ぜひ、ご参加下さい。
 
■テーマ  「味噌汁・ご飯」授業を提起する
■主 催  東北青年塾
■日 程  2010年6月12日(土) 13:00~17:00
■場 所  山形大学小白川キャンパス 地域教育文化学部1号館2階会議室
■参加費  2000円
■内 容
13:00~14:15
東北青年塾生3名による「模擬授業・ミニ講座」20分×3回

渡邉謙一  ミニ講座「カレーライス」(「謙舟日誌」より)

高橋 章  ミニ講座「子どもの能力を引き出す教室コーチング」

小川まりも 模擬授業「詩の授業」

14:25~16:10
野中信行氏講演「味噌汁・ご飯」授業を提起する

16:20~16:50
ライフヒストリー・インタビュー 野中信行氏と「味噌汁・ご飯」授業
* インタビュアー 阿部隆幸

(18:00~ 懇親会 山形駅前 4000円を予定)

■定 員  50名
■締 切  6月11日(金)(または、定員に達し次第)
■申込方法 以下の必要事項をご記入の上、メールにてお申し込みください。
      iabetaka@yahoo.co.jp(東北青年塾代表:阿部隆幸)
      参加費、懇親会費は当日受付でお支払いください。

 1 名前
 2 勤務先
 3 メールアドレス
 4 懇親会参加の有無

 




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