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連休の狭間で~つれづれなるままに~

  連休も後半。

 1日から3日まで、とにかく連休中に仕上げなくてはならない原稿にかかり切りであった。

 大変なことである。

 まあ、とにかく終わる。

 4日は、親しい友人に孫誕生ということで、赤ちゃんと対面しに行く。

 まだ風邪が治りきらないので、マスク着用である。

 友人の満足そうな顔が印象的である。

 孫はかわいくて仕方がないということであるが、私はまだまだ……。

 ★

 やっと村上春樹の「1Q84」にたどり着く。やっと、やっと、だ。

 2巻の最後を忘れているので、もう一度読み直して、3巻目に入る。

 村上春樹をずっと読んできた。

 村上は、どこへ行こうとしているのだろうか。

 ★

 この連休中に、拾い読みで村瀬学の「『食べる』思想」(洋泉社)を読む。

 村瀬は、まったくおもしろい発想をするものだと思う。

「たとえば、近代哲学の出発点になったとされるデカルトの『方法序説』には、いろいろ思うことがあって、書斎での学問を捨て、いくつもの国を『旅』したことが書かれている。彼が旅したのは、フランス、オランダ、ドイツ、北欧、東欧、イタリアといった国々である。……略……そうしてたどり着いたのが『私は考える、ゆえに私は存在する』という考え方であった。ここでの確実な『私』は『順序にそって考える私』ということになるだろうか。ここに『確実なもの』が『順序』であることの思想が生まれる。

 ところが、この本を読みながらどうしても不思議に感じることが出てくる。それは、この有名な発想にたどり着くページまで、この『私』が何かを食べたことを一行も書いていないことである。『順序』から言うと、デカルトは、まず食ってから仕事をしていたのではなかったのかと」

 そして、村瀬は、次のように続ける。

「君は旅先では何も食べなかったのかと。一番『確実なこと』は、君が毎日何かを食べていたことではなかったのかと。それを食べることで、君は次の日の旅ができていたのではないか。『われ朝にソーセージを食べたり、ゆえに昼のわれあり』だったはずではなかったのかと」

 なるほど、なるほど。おもしろい。

 私がこれを読みながら考えていたことは、「味噌汁・ご飯」授業についてである。

 なぜ、日本の教育は、「ごちそう」授業ばかりにスポットを当てて、日常授業に目を向けることをしてこなかったのか。

 このことについてである。

 ★

 京都へ行く新幹線の中で読んだ本も印象的だった。まだ、読み終えていない。

 「共同体の基礎理論」(内山節著 農文協)である。

 内山は、大塚久雄「共同体の基礎理論」(これは私も学生時代に読んでいる。ほとんど、おぼえていないが)と、まったく同名の書名で挑戦している。

 大塚は、日本が持ち得ていた共同体を否定の対象として書いていた。

 共同体的な社会が封建主義の社会とほとんど同意義で使われ、近代化、市民社会化、民主化が絶対善のように語られた時代である。

 今から40年前。

 この大塚の本は、共同体の勉強をするための教科書であった。

 ところが、40年が過ぎて、まったく事情が違っている。

 否定の対象にされた共同体が、今では、関係性、共同性、結びつき、コミュニティという形で、未来へ向けた言葉として使われるようになってきたのである。

 内山は、その視点で、共同体を再検討している。

 なぜ、私が、この本に興味を持ったのか。

 それは、同じような視点で、戦後教育をもう一度再検討したら、また違った風景が見えてくるのではないかと思ったからである。

 「戦後教育」なんてもう死語になっている言葉にこだわる世代は、もう団塊の世代までなのであろう。

 

 

 

 

 

 

 

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