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北海道は、桜が満開でした!

 ブログが滞っている。
 14日(金)から17日(月)まで北海道へ行ってきた。
 何ともハードな日程であった。
 15日(土)は、累積科学国語教育研究会に呼ばれた。
 私が「『3・7・30の法則』と国語科<味噌汁・ご飯>授業」について提案し、
 それについてさまざまに検討を加えようという試みである。
  また、模擬授業の形で、3人の先生(大野、高橋、山下各先生)が25分間授業をされた。
 見事な日常授業であった。
 3人とも共通する特徴があった。
 1つは、テンポがいい。2つ目は、ノート指導をとても意識している。3つ目は、全員参加の構成がすぐれている。
 授業が終わって、3人に「ごちそう授業とどう違うのですか?」と質問したのだが、あまり明確な答えはなかった。
 多分、「ごちそう授業」になったならば、子供の活動があったり、発問による討論などが付け加わってくるのであろう。
 この日常授業に付け加えることはない。
 こんな日常授業が行われれば、きっと日本の教育は変わってくるであろうと思われた。
 ★
 その会の最後に行われた「ファシリテーション」は、とても印象的なものであった。
 参加している先生達が、3,4人に分かれて、自分の中の学習をまとめていくという作業である。
 堀先生は、その時のことを次のように書いている。
 
 「第二に、ぼくのファシリテーターの手法が、ある程度「ファシリテーション」といえるものになってきたこと。ただ単に岡山さんの見よう見まねに、ぼくがよく使っている観点整理を中間まとめとしてほどこしただけだったのだが、かなり大きな成果が挙がったように思う。成果が挙がったというのは、今回のファシリテーションが満足のいくものだったという意味ではない。これまた、ファシリテーションの時間をどのように構成していくべきかという方向性が見えたということである。もし、この会に藤原くんがグラフィックを施していたならば、もっと可視化された形で進んでいったはずだ。

第一の点、第二の点ともに、先週の岡山さんの手法を間近で見、見ただけでなく自分がその題材として扱われ、更にはそれが機能していく体験をできたということが大きい。」

 私は、初めての体験であったので、実に新鮮であった。
 一見、ワークショップと思われるのだが、違う。
 ワークショップ型で話し合う場面はいくつも見てきたが、もっと一人一人がより参加しているという話し合いになる。
 こんな話し合いが、学校の重点研究会で展開されれば、もっともっと先生達の力量があがっていくのにと思われた。
 堀先生に聞けば、企業研修でいまよく使われているものらしい。
 書物もかなり出ているらしいので、ぜひインターネットで検索してほしい。
 私は、参加している先生方がどのように私の提案を受け取られたのかがよく分かり、実に貴重な経験をさせてもらったと思う一日であった。
 ★
 2日目の「石川晋 ふたり会 堀裕嗣」でも、「3・7・30の法則」「味噌汁・ご飯授業」~日常実践を充実させる視点~というテーマで行われた。
 一日目と同じような提案をしなくてはならない。
 二日続けて参加されている先生も、半分はおられる。
 私の提案の苦労を考えてみてほしい。(笑)
 この会は、擦れ違った。
 私が提案した内容と、二人の意図がまったくかみ合わなかった。
 私は、参加された先生方に申し訳ない気持ちでいっぱいであった。
 こんな話を続けていていいのか、という思いであった。

  堀先生は、ブログで次のように書いている。
 「 第三に、「ふたり会」の構成フォーマットが決まったこと。これは今回の「ふたり会」がうまくいったという意味ではない。今回の「ふたり会」は実はうまくいかなかった。結果的に、野中先生の主張の枠組み外のことを堀・石川でしつこく聴き続ける結果になってしまい、野中先生には大変申し訳ない思いをさせてしまった。参加者にも申し訳ない展開になってしまった。ただ、次からは大丈夫である、という確信を得た。「ふたり会」の一日の構成自体を組み替え、ぼくら二人にとっても、講師にとっても、そして参加者にとっても有益な一日を、質を落とすことなく、というかぼくらが「ふたり会」で本当にやりたいことをちゃんと踏まえたうえで、ちゃんと楽しい研究会として構成するフォーマットを決めることができた。

次からの池田修先生、上條晴夫先生、桃崎剛寿先生ともに、まず間違いなく有意義な研究会になっていくと思う。繰り返しになるが、野中先生には意識していなかったとはいえ、結果的にぼくらの実験におつきあいいただくような形になってしまって、大変申し訳なく感じている。

簡単に言うなら、鼎談という形で意見をちゃんと言い合って「議論」をしようとするのならば、今回のように野中先生だけが提案をして、ぼくらがインタビュアーのようにやっていてはダメだということである。ぼくらも事前に提案して、場にいるすべての方々がその差を認識した上でやらなければならなかったのだ。それがないから、結果として野中先生にはぼくらの意図が伝わらず、ぼくらは説明を長くしなければならない立場に陥り、参加者にもそれが散漫とした、漠然とした議論にしか見えないということになってしまったのである。

参加者にちゃんと説明せずに伝わっていなかったことをアンケートで改めて知ったのだが、ちらしに謳っていた「鋭い教育」とは今日議論の俎上にのぼっていた「規律訓練型権力に基づいた教育」のことであり、「優しい教育」とは同じく議論にのぼっていた「環境管理型権力に基づいた教育」(ぼくらは「環境調整型権力」と呼んでいるのだが)のことだったのである。しっかり伝えることを旨とする教育から、なんとなくその気にさせる教育への転換……といった意味合いだと思っていただければいい。」

  もう一人の石川先生は、次のようにブログに書いている。

 「一方、二日目の二人会は、結果的に、私と堀さんとが結託をして、野中さんの主張に疑義をさしはさむというような、野中さんには大変ハードな流れになってしまった。これは、野中さんをお迎えする側である私たちの大きな反省点であった。これまでになく野中さんの主張の濃い部分が見えて、参加者の感想を読むと評価していただけてはいたのだが、私としては申し訳ない気持ちだった。
 しかし、これも申し訳ないことだが、今後の二人会の方針と進め方が明確になり、感謝でいっぱいだった。」

 ★
 石川先生は、「野中さんの主張の濃い部分が見えて…」と書いている。
 そこである。
 私は、2日間で特に主張したことは、「生徒させる」ということであった。
 学校は、Aという「教師」とBという「生徒」という関係がなければ成立しない。AとBという関係では、教授関係は成り立たない。あくまでも「教師」と「生徒」でなければいけないことを強く主張した。
 そのことが、普通の教師たちが、学校の<日常>を過ごしていく大きな視点であるという主張である。
 これは、二人の主張とは、まったく違っていた。
 私は石川先生に問うた。
「石川先生は、ミニショップなどの方法を用いて、子供たちから自発的内発的な欲求を引き出すと言われているが、それは『生徒させる』ための過程だと考えていいのか」と。
 私がワークショップなどの方法を用いて、子供たちに新しい迫り方をしなくてはならないと主張されている先生方に一番聞きたいことでもあった。
 「生徒させる」ということでなかったならば、それはどうすることなのか。
 そのための答えはなかった。
 そこで、いきなり堀先生が「規律訓練型権力から環境管理型権力へ」という東浩紀の考え方が出されてきた。
 私の手法は、「規律訓練型手法」であって、すでに遅れた手法であるという指摘であったと思う。
 ★
 こういう言葉があることは分かっていたが、ほとんど内実は分からなかった。
 事前に指摘されていれば、にわか勉強ぐらいはしてきたのだと思う。
 どういう内容かを聞いていると、いくらか理解することができた。
 ここでは、このことについては書けない。まったく勉強していないからである。
 でも、いくらか感想を述べておこう。
 ほんとうならその場で二人と討論すべきだったと思うが、時間もなかったし、参加されている先生達を置き去りにした討論になる恐れがあった。
 参加されている先生方は、こんな討論を聞きにこられたのではないと判断した。
 テーマも「日常実践を充実させる視点」ではないか。
 ★
 私の手法が、確かに「規律訓練型権力」の方に近いことは間違いない。
 そして、この手法は、「クラスで半分以上の『生徒しない』子供が出てきた場合、効果を発揮しない」と考えている。
 そこで「環境管理型手法」(それがどんなものかはっきり分からないが)が必要になるのかどうか、それはこれからの時代が決めていく。
 私の今の立場は明確だ。
 まだまだ「生徒しない」子供は、クラスの一部である。
 その子供を学級づくり、学級経営で包み込み、「生徒させて」いくことは可能である。
それは実践的にも確かめている。そして周囲の実践者の実践でも明確だ。
 多くの子供たちもそれを望んでいる。
 むしろ、このような手法を取っていないクラスから崩れていっている。
 それもまた確かである。
 だから、学校は、教師は、「規律訓練型手法」を捨て去ることはできない。(ただ、軍隊式に強めていくことには反対である)
 これが二人会のその場で話せなかった私の感想である。
 ★
 教師達が抱え込んでいる目の前の<現実>を考えてほしい。
 いつもその<具体>から出発したい。
 その<具体>で考え、戸惑い、試行錯誤しながら私たちは<日常>を生きている。
 どんなにそのことに限界があったとしても、外からの<理念>や<思想>に容易に動かされない。それがかつての私の経験から学んできたことでもある。
 ★
 こんな形で終わった。
 北海道は、素晴らしい天気に恵まれていた。
 14日は、コートが手放せないような寒さを感じたが、次の日からは、暖かい本来の季節が戻ってきていた。
 桜が満開であった。
 今年は、関東と北海道で二度桜が見られる経験をした。
 これはこれで貴重な経験であった。
 
 
 
 
 
 

 

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