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違った風景が見えてくる~「参加」する授業を作るということ~

   いつも書いていることだが、授業を「する」立場から授業を「見る」立場に変えてから、見える風景が変わる。
 今まで自分がしてきた授業が、対象化される。
 実にいい仕事についたものだと、私は自分で納得している。
 どんなに変わるのか。
 子供の立場になって、授業を体験することができるのだ。
 これは言うことは簡単だが、実際に体験するとなると、大変なことだ。
 私は、いま現場で格闘している先生方に、普通の教師の普通の授業を見る機会が数多くあったなら、ずいぶん授業は変わるのでないかと思う。つくづくそう思ってしまう。
 昨年までは、授業を見る視点を、子供がのるときはどんな時か、飽きるときはどんな時かにおいていた。
 今年から、視点を変えた。
 子供たちを全員参加させるには、この場合どうしたらいいか。
 子供たちを全員活動させるには、この場合どうしたらいいか。
 この2つの視点で、授業を見ている。そして、その都度、その都度、この視点で考えていくのである。
 これは、「味噌汁・ご飯」授業を意識しているからである。
 この授業の目標は、この2つになる。
 1 全員参加の授業
 2 活動のある授業
 ★
 連休明けのクラスは、大変である。
 クラスの雰囲気が、4月当初に戻っている。
 連休前にはできた課題が、できなくなっている。
 よくあること。
 1週間の連休で、子供たちは、学校にいく生活時間から自宅での野放図な生活時間に慣れてしまったのである。
 短い時間で取り戻す必要がある。
 今日は、2年生のクラスに入る。
 1時間目は、書写の時間。3つの漢字を書いている。
 落ち着いた雰囲気である。子供たちは、書写ノートにさかんに書いている。
 5時間目は、国語の時間。「今週のニュース」を作ろうというねらいである。
 連休中の印象深いニュースを書こうというのである。
 先生は、そのニュースを子供たちに挙手させて発表させている。
 興味があるのか、子供たちは、思い思いに勝手にしゃべっている。
 なかなか先生の説明を聞かず、先生の注意の声がたびたび出る。それでも収拾がつかない。
 ★
 実は、私は、この5時間目に、ある一人の男の子をマークしてストップウォッチで計時していた。
 「活動している時間」は、一体どのくらいだろうか。
 活動している時間とは、発言している時、作業しているときなどである。
 要するに、活動している時間である。
 5時間目は、次の課題を与えて、25分で終わってしまった。
 この時のA君(積極的でよく発言する子供)は、どのくらいの活動をしていたと思われるだろうか。
 2分15秒。
 発言と作業の時間。あとは、ふらふらしている。前の子とおしゃべりをしていたり、ねそべっていたり。
 1時間目はあんなに落ち着いて学習できたのに、5時間目は、まったく落ち着かなくなる。
 初任の先生も、どうしてああなるのか困り果てていた事態である。
 何の違いであろうか。
 私は、「活動の時間」の違いであると見抜いていた。
 子供たちが、授業に飽きてしまうのかどうかは、どれだけその授業に「参加」しているかどうかにかかっているのである。
 キーワードは、参加。
 1時間目に落ち着いて学習ができたのは、子供たちが書写ノートに漢字を書くという作業をしていたからである。その作業に興味があるかどうかではなく、とにかく作業をすることによって「参加」していたのである。
 ★
 この「参加」がとにかく大切なことであることは、私がこの仕事をするようになってから感じたことである。
 それまで、「内容」を重視していた。内容こそが、ほとんど全てであると思っていた。
 今まで日本の教師達が盛んに研究してきたことは、「内容」である。
 教材開発、ネタ開発、発問研究、ゲーム開発、…子供たちが興味関心を示してくる教材や指導法などに多くの時間をさいてきた。
 私も、その研究成果に多くの恩恵を受けてきた。
 しかし、「日常」授業を追っていくうちに、見方が大きく違ってきたのである。
 ★
 子供たちが、授業の中で飽きるのは、ほとんど教師が説明している時である。
 それ以外の時間、自分が「参加」しているときは、ほとんど飽きないで授業に集中してくるのだ。
 とりあえず「内容」ではないということが分かってきたのである。
 これは新鮮な発見であった。
 ★
 小学校の時期は、子供の発達段階から言えば、学童期と言われる。
 小学校に上がる時期から中学校へ行く時期を指しているのであろう。
 この時期は、「遊ぶこと」がすなわち「生活のすべて」である生涯唯一の時期である。
 このことがこの時期、満足させられなければ、おどおどした成人ができあがる。
 この時期子供たちは、遊びを「遊び」する。
 遊びの内容ではなく、とにかくそこにある「遊び」に「参加」していく。
 参加できるかどうかが、子供たちにとっては最も大切なできごとである。
 こういうことを私たち大人は、忘れ去っていたのかもしれない。
 
 

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