« 2010年4月 | トップページ | 2010年6月 »

2010年5月

初任の時の子供達の同窓会に参加しました

 同窓会に参加する。
 初任の時の子供たちである。
 これはぜひとも参加せねばならない。
 50歳になるという。それを記念して、集まることになったのである。
 もう50歳になるのだ。
 初めてのクラスは、男子13名、女子12名 計25名のクラスであった。
 出かけるとき、一人一人の名前を手帳に書く。
 まだ覚えている。当時の一人一人の顔が浮かび出てくる。
 ★
 同窓会が苦手である。
 私は、新設高校の第1回の卒業生で、第1回の同窓会長をしていた。
 だから、同窓会にはずいぶんと出たことになる。
 しかし、どうしても馴染めなかった。
 性格が、片寄っていたからであろう。
 思い出話にふけるということが苦手であった。(もちろん、楽しいけれど)
 私たちの世代になると、同窓会が盛んに行われる。
 だが、ほとんど不参加になる。
 今、過去の人たちと会うのは、高校時代の数人の人たちだけである。
 夫婦で会う。
 過去の話は、ほとんどしない。
 今の話とこれからの話である。
 ★
 初任のクラス。11名の参加があった。
 あの当時の面影を残しながら、やはり39年の歳月を過ごしてきていた。
 笑いに包まれた。
 ゴルフのレッスンプロをしているH君の話題に引き込まれる。
 ほとんどがセクハラにひっかかる話題である。でも、それはそれ。みんなわあわあ笑ってすます。
 私は、当時出していた学級通信を持って行く。
 彼等から色紙と贈り物をもらう。
 色紙には、「長い間、お疲れ様でした」と書いてあった。
 帰りの車中で、みんなのあの頃の笑顔が思い出されて、37年間の教師生活の長さを振り返った。
 
 

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

 給食を食べるのが遅い子どもをどうしたか?

   現場では、きわめて具体的な課題があり、それにどのように応えていくかが現場教師は突きつけられている。
 24日に行った兵庫県のM市での研修会で、このような質問が出た。
「給食指導について 偏食の子がいて、食べる時間も足りず、減らしても食べきらせることができません。何かよい指導法があったら教えてください」
 初任者の先生か、若い先生の質問であろう。
 さてさて、この質問に即座に答えなくてはならない。
 私の実践を答えることにした。
 私のクラスでも、食べるのが遅い子供がいた。
 食も細く、ゆっくり食べる。そのために、なかなかみんなと同じように食べられない。 給食の時間は決まっている。12時55分には、ごちそうさまをして、歯ブラシタイムにしていかなくてはならない。
 食べ始める時間は、12時35分。
 20分で食べ終えなくてはならない。普通は、この程度でいいはずである。
 だが、食べ終えられない。おしゃべりをして遅くなっているわけでもない。
 ★
 私がとった措置は、その子供たちに最初に配膳し、その時点で食べ始めさせること。
 食べ始めるのが、みんなより10分ぐらいはやかったわけである。
 これは効果的であった。
 簡単な措置でしょう。
 明日からできることである。
 ところが、このような簡単な措置が、思いつかない。
 なぜか。
 「いただきます」という挨拶は、みんなで行うものだという固定観念をなかなか打ち破れないからだと思う。
 ★
 私たち教師は、このような固定観念にしばられて、自分のなしてきた実践をなかなか変えられないでいる。(私も、えらそうなことは言えないが…)
 現場で困った、何とかならないかな、…と思うことには必ず解決策がある。
 そのように思って、いろいろ考えていくこと。
 これが仕事術である。
 ★
 脱線をしたが、給食の遅い子については、私の実践を以上のように話したわけである。
 初任者を相手に話をしていると、こんな課題が豊富に出てくる。
 なるほど、なるほど。こんなところでつまづいていくのかと…。
  

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

スピードとテンポが大切だ!

   24日(月)は兵庫県M市教育委員会主催の学級経営講座に行く。
 兵庫県は、朝大雨で、大雨警報が発令され、学校は休校になっている。
 大変なところへ出かけたが、新神戸に着くと、もうすでに雨は止んでいた。
 15:00から16:30まで講演。
 そのあと、付箋紙に講座で良かったことと質問を書く時間が設定された。
 ★
 質問はたくさん出された。
 全部にはとても答えられない。
 「学級づくりで一番気を付けなければいけないことは何ですか?」
という質問があった。
 学級作りで大切なことは、3つだと答えた。
 1つは、子供との関係作り。2つ目は、学級の仕組み作り。3つ目は、スピードとテンポ。
 この3つ目のスピードとテンポについては、多くの質問が集中した。
 今まで初めて聞くことだったらしい。
 あとで指導主事の先生が、「関西は、スピードが遅い子供は、できるまで待つという先生方が多いので、野中先生からあのように言われてきっと戸惑ったのだと思います」と説明されていた。
 ★
 スピードとテンポがないクラスは、荒れる。
 ほんとうである。
 学級崩壊になっているクラスのことを見てほしい。
 スピードとテンポがなくなっているはずだ。
 やたらと先生は、子供たちに丁寧に対応する。
 泣いている子供がいたら、何度も何度も足を運んで、「だいじょうぶなの、だいじょうぶなの?」と聞いている。
 その間、他の子供たちにとっては、空白の時間だ。おしゃべりをしたり、うろうろしたりしている。
 こんなクラスにかぎって、体操服の着替え、給食の白衣の着替えなどが遅い。
 だらだら着替えている。
 やたらと時間がかかる。
 担任の先生は、毎日遅いと小言を言う。
 だけど、速くしようとはしない。ただ、小言を言うだけだ。
 初任の先生たちのクラスの7、8割が荒れるというのは、こういうところにも原因がある。
 ★
 初任者の先生達に共通していることは、「個を大切にする」という意識。
 きっとどこかできちんと教えられてきてはずである。
 もちろん大切なことだが、間違った対応をする。
 個を大切にすることは、いつまでもその子に付き添って、他の多数の子供の空白の時間を作り出すことではない。
 泣いている子供がいたら、事情を簡単に聞いて、「泣き止んだら、あとできちんとわけを聞くからね」と言えばいい。その間、10秒から20秒。
 子供は泣くものである。一々その度に時間をかけてはいけない。
 ほとんどがほっといていれば、そのうちに泣き止む。
 なぜ、こういうことを言うかというと、学級活動や授業のスピードやテンポが崩れるからである。
 私は、それをとても大切にするからである。
 ★
 なぜ、スピードやテンポが大切か。
 これは、現場で経験的に子供を見ながら、どうしてもこれが必要だと身につけてきたことである。
 仮説的に考えていることはある。
 テレビの15秒や30秒のコマーシャルの速さや、ゲーム機でのテンポの速さなどに慣らされている子供たちの体は、無意識のうちに、速さを欲求する。
 このスピードやテンポが遮断されたり、ゆっくりリズムになったりしたとき、「不快現象」を起こす。
 それが、立ち歩き、落ち着きのなさ、叫び、…などを引き起こす。
 これが教室を不穏な状態にしていくのだと。
 ★
 だから、どの低学年(1,2年生)でも一緒に唱和するかけ声が、あのように間延びすることをやめさせなくてはならないと、思っている。
 教師が注意をし、きちんとした声で音読することを教えていけばいいのである。
 中学年になったら、もうあんな間延びした声はなくなるではないか。
 低学年の子供たちの話し声は、きわめて普通の速さであるのだから。
 
 
 
 
 
 
 

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

子どもは「もう一歩」を待っている~パート2~

   18日(火)に出勤すると、保健室登校しているAさんが、音楽専科の先生と一緒に職員室へやってきた。
 廊下で、もぞもぞとしている。
 音楽専科の先生が通訳してくれる。
「野中先生の怖い話を聞きたいということらしいです!」
隣のクラスの友人から「野中先生は○年○組に怖い話をしたんだよ」と聞いたらしい。
その怖い話を自分にもしてほしいという要望である。
「よし、よし、怖いぞ。お漏らし用のパンパースをはいているか?」
等と話しながら、会議室で「理科室骸骨事件」を話した。
 私とも打ち解けてきている。
 ★
 次の日。
 ○年○組に一日入る水曜日。
 5時間目にAさん、音楽専科の先生と一緒に教室へ来る。
 すぐ、先生は帰られる。
 Aさんは、尻込みして廊下へ出る。
 私は、追いかけていく。
 「じゃあ、廊下でなら勉強できるかな?」と聞く。
 Aさんは、頷く。
 急いで欠席している子供の机を廊下へ出す。
 だが、椅子だけは自分の机の椅子を出してくれとこだわる。
 これにヒントを得た。
 Aさんの机は、教室のちょうど真ん中にあるのだ。
 廊下で勉強しているAさんに問いかける。
「Aさん、真ん中の机が嫌なんだろう。廊下側の一番後ろの端のところなら、大丈夫かな?」
 Aさんは、頷く。やはり、そうだったのだ。
 図工室での図工、音楽室の音楽は、もうきちんと参加できているのである。
 教室だけがどうしても入れない。
 もうAさんの気持ちは、みんなと一緒に勉強したいと思っている。
 だけど、教室へ入っていくことだけがうまくできない。体が動かない。
 それはそうであろう。1年生の時からずっと不登校になって、4年生まで来てしまっているのであるから。
 そこで、Aさんと約束。
「私がみんなにAさんが後ろの席だと入れるのだと言っていることを言って、席替えをしてもらうから、それでいいでしょう!」
 5時間目の最後の5分間。私は子供たちに訴える。Aさんも廊下で聞いている。
「Aさんが、今廊下で勉強していることは知っているでしょう。Aさんは、教室へ入りたいのだけど、体が思うように動かないんだ。でも、この前のお楽しみ会のとき、みんながAさんが参加してくれたことを喜んだでしょう。Aさんはうれしかったのです。
 一緒に勉強したいと思っているのです。みんなで協力してください。そこで、Aさんは教室の端の机だったら入れるって言っています。ちょっとだけ席替えをお願いしていいですか?」
 みんなも十分納得してくれた。
 その日、Aさんは、勉強が終わって保健室へ元気に帰っていった。
 ★
 無理をしてはならない。
 Aさんの思いを十分大切にしながらの行動である。
 放課後の反省会で、初任者の先生と話す。
「これからは、先生達の後押しだけでは限界がある。これから女の子達の包み込みが必要になる。とにかく、女の子達にしょっちゅう声かけをさせるなどの作戦だね」と話し込む。
 不登校になっている子供へどのように対処していくか、同時進行の緊迫の初任者指導をしていることになる。
 ★
 次の木曜日。
 Aさんは、理科の時間も、道徳の時間も、運動会の練習も、英語の時間も、全部クラスのみんなと一緒に過ごしたという報告を受ける。
 事態は一気に動き出したのである。

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

送られてきたものに感動する

 北海道から帰ってきたら、閉校した太郎生小学校の中林校長先生から贈り物が届いていた。
 日刊の学校便り「たろうっこ」(上巻、下巻2冊)、津市立太郎生小学校閉校記念誌「幾多の日々ここに」、母校・太郎生小学校閉校に寄せて(DVD)、津市立太郎生小学校終了式(DVD)。
 圧倒された。
 まず、終了式のDVDを見た。そこには、私のメッセージが入っているという。
 玉置先生と堀田先生と一緒に私のメッセージなのである。
 どんな言葉が入っているのか、分からないままにDVDを見た。
 91分の終了式。
 これは、永遠に残ることを考えたらすごいものだと思いつつ、見せてもらった。
 あった、あった。
 42分27秒。
 私がブログで書いたものがコンパクトにまとめられていた。

 小規模のこの太郎生小学校が、複式学級を抱えながらも、こんなに本物の
 教育を作り上げているという自負が、随所に見える。
 そして、その自負をほんものにしている。
 本物は飾らない。
 でも、中心に必ず夢を語る校長がいる。
 私は、この日本のはじっこで、かすかに新しい教育の胎動が始まっていることを
 感じている。その胎動は、本物の、日常授業の変革を標榜して始まっているよう
 に見える。

 私が確かに書いた言葉だけど、ちょっと感動して読んだ。

 ★
 橘大学の池田修先生からも、書が送られてきた。
 池田先生の研究室の前に張り出されていた書をぜひとも頂けないかと所望したのである。私が本に書いた言葉である。
 それが、いま私の居間に飾られてある。
  
 
子どもたちは担任がきちんと教室に秩序立ったシステムを確立してくれることを
 願っている   野中信行

 池田先生は、書家である。この書を私の家の家宝にしていきたい。 

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

DVDが5月22日発売である

  京都「明日の教室」での講座「味噌汁・ご飯」授業についてのDVDが発売になる。

 5月22日発売である。

 「日常授業」への取り組みの必要を繰り返し問い続けている。

 今までの教育研究は、「ごちそう」授業をどのように作っていくかの歴史であったと、私は考えている。

 この発想の転換は、なかなかぴんとこられないかもしれない。

 しかし、確実に「日常授業」をほんとうに問うていく時代が来たのである。

 http://www.sogogakushu.gr.jp/asunokyoshitsu/dvd_1.htm

 

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

北海道は、桜が満開でした!

 ブログが滞っている。
 14日(金)から17日(月)まで北海道へ行ってきた。
 何ともハードな日程であった。
 15日(土)は、累積科学国語教育研究会に呼ばれた。
 私が「『3・7・30の法則』と国語科<味噌汁・ご飯>授業」について提案し、
 それについてさまざまに検討を加えようという試みである。
  また、模擬授業の形で、3人の先生(大野、高橋、山下各先生)が25分間授業をされた。
 見事な日常授業であった。
 3人とも共通する特徴があった。
 1つは、テンポがいい。2つ目は、ノート指導をとても意識している。3つ目は、全員参加の構成がすぐれている。
 授業が終わって、3人に「ごちそう授業とどう違うのですか?」と質問したのだが、あまり明確な答えはなかった。
 多分、「ごちそう授業」になったならば、子供の活動があったり、発問による討論などが付け加わってくるのであろう。
 この日常授業に付け加えることはない。
 こんな日常授業が行われれば、きっと日本の教育は変わってくるであろうと思われた。
 ★
 その会の最後に行われた「ファシリテーション」は、とても印象的なものであった。
 参加している先生達が、3,4人に分かれて、自分の中の学習をまとめていくという作業である。
 堀先生は、その時のことを次のように書いている。
 
 「第二に、ぼくのファシリテーターの手法が、ある程度「ファシリテーション」といえるものになってきたこと。ただ単に岡山さんの見よう見まねに、ぼくがよく使っている観点整理を中間まとめとしてほどこしただけだったのだが、かなり大きな成果が挙がったように思う。成果が挙がったというのは、今回のファシリテーションが満足のいくものだったという意味ではない。これまた、ファシリテーションの時間をどのように構成していくべきかという方向性が見えたということである。もし、この会に藤原くんがグラフィックを施していたならば、もっと可視化された形で進んでいったはずだ。

第一の点、第二の点ともに、先週の岡山さんの手法を間近で見、見ただけでなく自分がその題材として扱われ、更にはそれが機能していく体験をできたということが大きい。」

 私は、初めての体験であったので、実に新鮮であった。
 一見、ワークショップと思われるのだが、違う。
 ワークショップ型で話し合う場面はいくつも見てきたが、もっと一人一人がより参加しているという話し合いになる。
 こんな話し合いが、学校の重点研究会で展開されれば、もっともっと先生達の力量があがっていくのにと思われた。
 堀先生に聞けば、企業研修でいまよく使われているものらしい。
 書物もかなり出ているらしいので、ぜひインターネットで検索してほしい。
 私は、参加している先生方がどのように私の提案を受け取られたのかがよく分かり、実に貴重な経験をさせてもらったと思う一日であった。
 ★
 2日目の「石川晋 ふたり会 堀裕嗣」でも、「3・7・30の法則」「味噌汁・ご飯授業」~日常実践を充実させる視点~というテーマで行われた。
 一日目と同じような提案をしなくてはならない。
 二日続けて参加されている先生も、半分はおられる。
 私の提案の苦労を考えてみてほしい。(笑)
 この会は、擦れ違った。
 私が提案した内容と、二人の意図がまったくかみ合わなかった。
 私は、参加された先生方に申し訳ない気持ちでいっぱいであった。
 こんな話を続けていていいのか、という思いであった。

  堀先生は、ブログで次のように書いている。
 「 第三に、「ふたり会」の構成フォーマットが決まったこと。これは今回の「ふたり会」がうまくいったという意味ではない。今回の「ふたり会」は実はうまくいかなかった。結果的に、野中先生の主張の枠組み外のことを堀・石川でしつこく聴き続ける結果になってしまい、野中先生には大変申し訳ない思いをさせてしまった。参加者にも申し訳ない展開になってしまった。ただ、次からは大丈夫である、という確信を得た。「ふたり会」の一日の構成自体を組み替え、ぼくら二人にとっても、講師にとっても、そして参加者にとっても有益な一日を、質を落とすことなく、というかぼくらが「ふたり会」で本当にやりたいことをちゃんと踏まえたうえで、ちゃんと楽しい研究会として構成するフォーマットを決めることができた。

次からの池田修先生、上條晴夫先生、桃崎剛寿先生ともに、まず間違いなく有意義な研究会になっていくと思う。繰り返しになるが、野中先生には意識していなかったとはいえ、結果的にぼくらの実験におつきあいいただくような形になってしまって、大変申し訳なく感じている。

簡単に言うなら、鼎談という形で意見をちゃんと言い合って「議論」をしようとするのならば、今回のように野中先生だけが提案をして、ぼくらがインタビュアーのようにやっていてはダメだということである。ぼくらも事前に提案して、場にいるすべての方々がその差を認識した上でやらなければならなかったのだ。それがないから、結果として野中先生にはぼくらの意図が伝わらず、ぼくらは説明を長くしなければならない立場に陥り、参加者にもそれが散漫とした、漠然とした議論にしか見えないということになってしまったのである。

参加者にちゃんと説明せずに伝わっていなかったことをアンケートで改めて知ったのだが、ちらしに謳っていた「鋭い教育」とは今日議論の俎上にのぼっていた「規律訓練型権力に基づいた教育」のことであり、「優しい教育」とは同じく議論にのぼっていた「環境管理型権力に基づいた教育」(ぼくらは「環境調整型権力」と呼んでいるのだが)のことだったのである。しっかり伝えることを旨とする教育から、なんとなくその気にさせる教育への転換……といった意味合いだと思っていただければいい。」

  もう一人の石川先生は、次のようにブログに書いている。

 「一方、二日目の二人会は、結果的に、私と堀さんとが結託をして、野中さんの主張に疑義をさしはさむというような、野中さんには大変ハードな流れになってしまった。これは、野中さんをお迎えする側である私たちの大きな反省点であった。これまでになく野中さんの主張の濃い部分が見えて、参加者の感想を読むと評価していただけてはいたのだが、私としては申し訳ない気持ちだった。
 しかし、これも申し訳ないことだが、今後の二人会の方針と進め方が明確になり、感謝でいっぱいだった。」

 ★
 石川先生は、「野中さんの主張の濃い部分が見えて…」と書いている。
 そこである。
 私は、2日間で特に主張したことは、「生徒させる」ということであった。
 学校は、Aという「教師」とBという「生徒」という関係がなければ成立しない。AとBという関係では、教授関係は成り立たない。あくまでも「教師」と「生徒」でなければいけないことを強く主張した。
 そのことが、普通の教師たちが、学校の<日常>を過ごしていく大きな視点であるという主張である。
 これは、二人の主張とは、まったく違っていた。
 私は石川先生に問うた。
「石川先生は、ミニショップなどの方法を用いて、子供たちから自発的内発的な欲求を引き出すと言われているが、それは『生徒させる』ための過程だと考えていいのか」と。
 私がワークショップなどの方法を用いて、子供たちに新しい迫り方をしなくてはならないと主張されている先生方に一番聞きたいことでもあった。
 「生徒させる」ということでなかったならば、それはどうすることなのか。
 そのための答えはなかった。
 そこで、いきなり堀先生が「規律訓練型権力から環境管理型権力へ」という東浩紀の考え方が出されてきた。
 私の手法は、「規律訓練型手法」であって、すでに遅れた手法であるという指摘であったと思う。
 ★
 こういう言葉があることは分かっていたが、ほとんど内実は分からなかった。
 事前に指摘されていれば、にわか勉強ぐらいはしてきたのだと思う。
 どういう内容かを聞いていると、いくらか理解することができた。
 ここでは、このことについては書けない。まったく勉強していないからである。
 でも、いくらか感想を述べておこう。
 ほんとうならその場で二人と討論すべきだったと思うが、時間もなかったし、参加されている先生達を置き去りにした討論になる恐れがあった。
 参加されている先生方は、こんな討論を聞きにこられたのではないと判断した。
 テーマも「日常実践を充実させる視点」ではないか。
 ★
 私の手法が、確かに「規律訓練型権力」の方に近いことは間違いない。
 そして、この手法は、「クラスで半分以上の『生徒しない』子供が出てきた場合、効果を発揮しない」と考えている。
 そこで「環境管理型手法」(それがどんなものかはっきり分からないが)が必要になるのかどうか、それはこれからの時代が決めていく。
 私の今の立場は明確だ。
 まだまだ「生徒しない」子供は、クラスの一部である。
 その子供を学級づくり、学級経営で包み込み、「生徒させて」いくことは可能である。
それは実践的にも確かめている。そして周囲の実践者の実践でも明確だ。
 多くの子供たちもそれを望んでいる。
 むしろ、このような手法を取っていないクラスから崩れていっている。
 それもまた確かである。
 だから、学校は、教師は、「規律訓練型手法」を捨て去ることはできない。(ただ、軍隊式に強めていくことには反対である)
 これが二人会のその場で話せなかった私の感想である。
 ★
 教師達が抱え込んでいる目の前の<現実>を考えてほしい。
 いつもその<具体>から出発したい。
 その<具体>で考え、戸惑い、試行錯誤しながら私たちは<日常>を生きている。
 どんなにそのことに限界があったとしても、外からの<理念>や<思想>に容易に動かされない。それがかつての私の経験から学んできたことでもある。
 ★
 こんな形で終わった。
 北海道は、素晴らしい天気に恵まれていた。
 14日は、コートが手放せないような寒さを感じたが、次の日からは、暖かい本来の季節が戻ってきていた。
 桜が満開であった。
 今年は、関東と北海道で二度桜が見られる経験をした。
 これはこれで貴重な経験であった。
 
 
 
 
 
 

 

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

子どもは「もう一歩」を待っている

 初任者のクラスで、5時間目は「お楽しみ会」。
 子供たちは、張り切っていた。
 始まろうとするとき、ふいと不登校で保健室登校をしている子供が、臨任の先生と一緒にプリントを届けにきた。
 私は、「ここだ!」と思い、廊下へとびでる。
「Aさん、いまお楽しみ会をしているんだ。ちょっとだけでいいから見ていかない?
 ちょっとでいいよ。ちょっとだけ」と誘いかけた。
 一緒に付いてみえた先生も、同調されて「じゃあ、ちょっと見ていきましょうよ」と押してもらえた。
 私は、Aさんを「ちょっとだけだから」とかなり強引に教室に引っ張り込んだ。
「Aさんが参加してくれるんだってよ」と、みんなに呼びかける。
「わあっ~~~~い」という歓声。
 ★
 Aさんは、もうずいぶん教室を避けてきた。
 前の学年から不登校になっていて、今年になって、保健室登校をし始めていた。
 原因は分からない。
 でも、保健室での表情は、もう何とかなると思われていた。
 お楽しみ会は始まった。
 最初は、椅子取りゲームだ。最初は、こわごわという感じだったが、だんだんに慣れてくる。
 最後のビンゴゲームのときには、自分から景品を取りに行く。安心している表情。笑顔も見える。
 終わりに、「お楽しみ会」会社の子供たちがみんなに感想を聞いていた。
 一番感激したのは、「初めてクラス全員でお楽しみ会ができたことがとてもうれしかったです」という感想。
 私も最後に手を挙げた。
「Aさんが今日初めてお楽しみ会に参加してくれました。野中先生が強引に無理矢理誘いました。(笑い声)みんなに聞きたいです。Aさんが今日こうしてお楽しみ会に参加してくれてとても嬉しかったという人、手を挙げて!」
 全部の子供が、手を挙げてくれた。
 Aさんは、みんなの挙手が、きっとうれしかったのだろう。
 明るい顔で、教室から保健室へ帰っていった。
 ★
 初任の先生は、あとでの反省会で、「まさか、Aさんが教室に入れるなんて思っていませんでした。感激して涙が出ました」と。
 これぞ、緊迫した初心者指導をしていることになる。
 北海道の横藤雅人先生は、その著「子供たちからの小さなサインの気づき方と対応のコツ」(学事出版)で次のように指摘されている。

 子供に「もう一歩」近づこうとする私を子供たちは歓迎してくれた。こちらが「もう一歩」を踏み出そうとすると、子供と私の距離はぐっと近くなり、子供たちは、「先生、本当はね…」と自分のことを語ってくれたように思う。
 ところが、この頃は、「もう一歩」を意識的、無意識的に避けようとする風潮が強まっているように感じる……

 「もう一歩」踏み出してみたらどうだろう?きっと子供たちは、待っているのも知れないのである。 
 

| | コメント (3) | トラックバック (0)
|

人は、楽しみのところへ集まっていく

   いつも帷子川の歩道を歩く。
 その歩道の側に、小さな畑がある。
 いつもおじいさんが、畑仕事をしている。
 80歳前後であろうか。
 ラッパズボンに身を固めて、一日中仕事をしている。
 なんとも楽しそうだ。
 散歩の途中で、その畑をのぞくことが楽しみの一つになっている。
 今日は、土作りに精を出している。
 今日は、竹を組んで竹垣作り。

 ……………
 本格的な畑仕事。
 さまざまな野菜が、育てられている。
 散歩をする人たちも気になるのか、さかんにのぞいている。
 最近は、年寄りたちが、そこに集っておしゃべりをしている。
 年寄りたちも、気になるのだ。
 人は、いつのまにか楽しみのところに集まっていく。
 
 

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

業務連絡です

 北海道と聞くと、風邪をひく。

 連休前からひいている風邪で、咳がなかなかおさまらない。

 困ったことである。

 来週の金曜日には、北海道へ行く。

 桜に再び出会えるのかなと思ったりしている。

 15日(土)は、日常授業を充実させる第一弾ということで、「3・7・30の法則」・「味噌汁・ご飯」授業の提案をする。

 16日(日)も、堀さんと石川さんのふたり会である。日常授業を充実させる視点で、また違った観点から提案していく。

 2日間、ずっと講座に出ているという恐怖の(?)研究会である。(笑)

 まだ参加できるらしい。どうぞおいで下さい。

 京都明日の教室よりも、もう少し深化した提案ができることを願っている。

 

 

2010年5月15日(土)/第26回累積科学国語教育研究会in札幌日常の授業を充実させる・第1弾!/野中信行先生のライフヒストリー・アプローチ/札幌市白石区民センター1F多目的室/参加費4000円/野中信行・高橋裕章・大野睦仁・山下幸・堀裕嗣・石川晋・森寛・横藤雅人・南山潤司/定員40名/残席僅少

2010年5月16日(日)/第2回堀裕嗣・石川晋「ふたり会」featuring野中信行in札幌〈3・7・30の法則〉〈味噌汁・ご飯授業〉~日常実践を充実させる視点~/札幌市白石区民センター1F多目的室/参加費4000円/野中信行・堀裕嗣・石川晋/定員30名

| | コメント (1) | トラックバック (0)
|

違った風景が見えてくる~「参加」する授業を作るということ~

   いつも書いていることだが、授業を「する」立場から授業を「見る」立場に変えてから、見える風景が変わる。
 今まで自分がしてきた授業が、対象化される。
 実にいい仕事についたものだと、私は自分で納得している。
 どんなに変わるのか。
 子供の立場になって、授業を体験することができるのだ。
 これは言うことは簡単だが、実際に体験するとなると、大変なことだ。
 私は、いま現場で格闘している先生方に、普通の教師の普通の授業を見る機会が数多くあったなら、ずいぶん授業は変わるのでないかと思う。つくづくそう思ってしまう。
 昨年までは、授業を見る視点を、子供がのるときはどんな時か、飽きるときはどんな時かにおいていた。
 今年から、視点を変えた。
 子供たちを全員参加させるには、この場合どうしたらいいか。
 子供たちを全員活動させるには、この場合どうしたらいいか。
 この2つの視点で、授業を見ている。そして、その都度、その都度、この視点で考えていくのである。
 これは、「味噌汁・ご飯」授業を意識しているからである。
 この授業の目標は、この2つになる。
 1 全員参加の授業
 2 活動のある授業
 ★
 連休明けのクラスは、大変である。
 クラスの雰囲気が、4月当初に戻っている。
 連休前にはできた課題が、できなくなっている。
 よくあること。
 1週間の連休で、子供たちは、学校にいく生活時間から自宅での野放図な生活時間に慣れてしまったのである。
 短い時間で取り戻す必要がある。
 今日は、2年生のクラスに入る。
 1時間目は、書写の時間。3つの漢字を書いている。
 落ち着いた雰囲気である。子供たちは、書写ノートにさかんに書いている。
 5時間目は、国語の時間。「今週のニュース」を作ろうというねらいである。
 連休中の印象深いニュースを書こうというのである。
 先生は、そのニュースを子供たちに挙手させて発表させている。
 興味があるのか、子供たちは、思い思いに勝手にしゃべっている。
 なかなか先生の説明を聞かず、先生の注意の声がたびたび出る。それでも収拾がつかない。
 ★
 実は、私は、この5時間目に、ある一人の男の子をマークしてストップウォッチで計時していた。
 「活動している時間」は、一体どのくらいだろうか。
 活動している時間とは、発言している時、作業しているときなどである。
 要するに、活動している時間である。
 5時間目は、次の課題を与えて、25分で終わってしまった。
 この時のA君(積極的でよく発言する子供)は、どのくらいの活動をしていたと思われるだろうか。
 2分15秒。
 発言と作業の時間。あとは、ふらふらしている。前の子とおしゃべりをしていたり、ねそべっていたり。
 1時間目はあんなに落ち着いて学習できたのに、5時間目は、まったく落ち着かなくなる。
 初任の先生も、どうしてああなるのか困り果てていた事態である。
 何の違いであろうか。
 私は、「活動の時間」の違いであると見抜いていた。
 子供たちが、授業に飽きてしまうのかどうかは、どれだけその授業に「参加」しているかどうかにかかっているのである。
 キーワードは、参加。
 1時間目に落ち着いて学習ができたのは、子供たちが書写ノートに漢字を書くという作業をしていたからである。その作業に興味があるかどうかではなく、とにかく作業をすることによって「参加」していたのである。
 ★
 この「参加」がとにかく大切なことであることは、私がこの仕事をするようになってから感じたことである。
 それまで、「内容」を重視していた。内容こそが、ほとんど全てであると思っていた。
 今まで日本の教師達が盛んに研究してきたことは、「内容」である。
 教材開発、ネタ開発、発問研究、ゲーム開発、…子供たちが興味関心を示してくる教材や指導法などに多くの時間をさいてきた。
 私も、その研究成果に多くの恩恵を受けてきた。
 しかし、「日常」授業を追っていくうちに、見方が大きく違ってきたのである。
 ★
 子供たちが、授業の中で飽きるのは、ほとんど教師が説明している時である。
 それ以外の時間、自分が「参加」しているときは、ほとんど飽きないで授業に集中してくるのだ。
 とりあえず「内容」ではないということが分かってきたのである。
 これは新鮮な発見であった。
 ★
 小学校の時期は、子供の発達段階から言えば、学童期と言われる。
 小学校に上がる時期から中学校へ行く時期を指しているのであろう。
 この時期は、「遊ぶこと」がすなわち「生活のすべて」である生涯唯一の時期である。
 このことがこの時期、満足させられなければ、おどおどした成人ができあがる。
 この時期子供たちは、遊びを「遊び」する。
 遊びの内容ではなく、とにかくそこにある「遊び」に「参加」していく。
 参加できるかどうかが、子供たちにとっては最も大切なできごとである。
 こういうことを私たち大人は、忘れ去っていたのかもしれない。
 
 

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

連休の狭間で~つれづれなるままに~

  連休も後半。

 1日から3日まで、とにかく連休中に仕上げなくてはならない原稿にかかり切りであった。

 大変なことである。

 まあ、とにかく終わる。

 4日は、親しい友人に孫誕生ということで、赤ちゃんと対面しに行く。

 まだ風邪が治りきらないので、マスク着用である。

 友人の満足そうな顔が印象的である。

 孫はかわいくて仕方がないということであるが、私はまだまだ……。

 ★

 やっと村上春樹の「1Q84」にたどり着く。やっと、やっと、だ。

 2巻の最後を忘れているので、もう一度読み直して、3巻目に入る。

 村上春樹をずっと読んできた。

 村上は、どこへ行こうとしているのだろうか。

 ★

 この連休中に、拾い読みで村瀬学の「『食べる』思想」(洋泉社)を読む。

 村瀬は、まったくおもしろい発想をするものだと思う。

「たとえば、近代哲学の出発点になったとされるデカルトの『方法序説』には、いろいろ思うことがあって、書斎での学問を捨て、いくつもの国を『旅』したことが書かれている。彼が旅したのは、フランス、オランダ、ドイツ、北欧、東欧、イタリアといった国々である。……略……そうしてたどり着いたのが『私は考える、ゆえに私は存在する』という考え方であった。ここでの確実な『私』は『順序にそって考える私』ということになるだろうか。ここに『確実なもの』が『順序』であることの思想が生まれる。

 ところが、この本を読みながらどうしても不思議に感じることが出てくる。それは、この有名な発想にたどり着くページまで、この『私』が何かを食べたことを一行も書いていないことである。『順序』から言うと、デカルトは、まず食ってから仕事をしていたのではなかったのかと」

 そして、村瀬は、次のように続ける。

「君は旅先では何も食べなかったのかと。一番『確実なこと』は、君が毎日何かを食べていたことではなかったのかと。それを食べることで、君は次の日の旅ができていたのではないか。『われ朝にソーセージを食べたり、ゆえに昼のわれあり』だったはずではなかったのかと」

 なるほど、なるほど。おもしろい。

 私がこれを読みながら考えていたことは、「味噌汁・ご飯」授業についてである。

 なぜ、日本の教育は、「ごちそう」授業ばかりにスポットを当てて、日常授業に目を向けることをしてこなかったのか。

 このことについてである。

 ★

 京都へ行く新幹線の中で読んだ本も印象的だった。まだ、読み終えていない。

 「共同体の基礎理論」(内山節著 農文協)である。

 内山は、大塚久雄「共同体の基礎理論」(これは私も学生時代に読んでいる。ほとんど、おぼえていないが)と、まったく同名の書名で挑戦している。

 大塚は、日本が持ち得ていた共同体を否定の対象として書いていた。

 共同体的な社会が封建主義の社会とほとんど同意義で使われ、近代化、市民社会化、民主化が絶対善のように語られた時代である。

 今から40年前。

 この大塚の本は、共同体の勉強をするための教科書であった。

 ところが、40年が過ぎて、まったく事情が違っている。

 否定の対象にされた共同体が、今では、関係性、共同性、結びつき、コミュニティという形で、未来へ向けた言葉として使われるようになってきたのである。

 内山は、その視点で、共同体を再検討している。

 なぜ、私が、この本に興味を持ったのか。

 それは、同じような視点で、戦後教育をもう一度再検討したら、また違った風景が見えてくるのではないかと思ったからである。

 「戦後教育」なんてもう死語になっている言葉にこだわる世代は、もう団塊の世代までなのであろう。

 

 

 

 

 

 

 

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

業務連絡です

  山形へ行く。

 知り合いの先生の結婚式で一度出かけたのだが、山形の素晴らしさに浸った3日間であった。

 今回、再び6月の山形にお邪魔する。またまた、素晴らしい季節である。

 「味噌汁・ご飯」授業について、京都、北海道に続いて提案する。

 これまで教育界が不問にしてきた課題を取り上げている。

 そのように私は意識している。

 お近くの先生、ぜひ提案を聞きにきてください。

 

第17回東北青年塾のご案内
17回野中

 授業中、子どもたちが教師の話を聞かなかったり、すぐに立ち歩きを始めてしまったりして、授業成立が難しくなってきている状況に「授業づくりネットワーク」ではいち早く注目し「授業成立プロジェクト」を立ち上げ、研究を進めてきました。
 ここ東北でも「授業成立の基礎技術」に関する考えを深めようと「東北青年塾」を2007年9月に立ち上げ「『授業成立の基礎技術』の集積・習得・開発」を行って参りました。
 2010年度は「授業成立の基礎技術」から「学びのしかけ」プロジェクトへと内容を変えていこうと考えているところです。もちろん、背景や青年塾を始めようとした考え方は同じです。教育関係者の皆様、ぜひご一緒しませんか?

第17回を迎える今回は野中信行先生(元横浜市小学校教諭)を山形県山形市にお迎えします。野中先生は第5回(2008年4月12日)に続き2度目のご登壇となります。第5回では「授業成立の土台づくりを考える」と題し、野中氏が提唱する「3・7・30」の法則を中心にご講演いただきました。
今回は、この一年間をかけて考えをまとめておられます「味噌汁・ご飯」授業についてお話をいただく予定です。

昨年8月に続いての2度目の山形市での開催になります。みなさん、ぜひいらしてください。

【プロフィール等】



■テーマ  「味噌汁・ご飯」授業を提起する
■主 催  東北青年塾
■日 程  2010年6月12日(土) 13:00~17:00
■場 所  山形大学小白川キャンパス 地域教育文化学部1号館2階会議室
■参加費  2000円
■内 容
13:00~14:15
東北青年塾生3名による「模擬授業・ミニ講座」20分×3回
  • 渡邉謙一  ミニ講座「カレーライス」(「謙舟日誌」より)
  • 高橋 章  ミニ講座「子どもの能力を引き出す教室コーチング」
  • 小川まりも 模擬授業「詩の授業」


14:25~16:10
野中信行氏講演「味噌汁・ご飯」授業を提起する

16:20~16:50
ライフヒストリー・インタビュー 野中信行氏と「味噌汁・ご飯」授業
* インタビュアー 阿部隆幸

(18:00~ 懇親会 山形駅前 4000円を予定)

■定 員  50名
■締 切  6月11日(金)(または、定員に達し次第)
■申込方法 以下の必要事項をご記入の上、メールにてお申し込みください。
      iabetaka@yahoo.co.jp(東北青年塾代表:阿部隆幸)
      参加費、懇親会費は当日受付でお支払いください。

 1 名前
 2 勤務先
 3 メールアドレス
 4 懇親会参加の有無
     
| あべたか | イベント案内 | 15:47 | comments(1) | trackbacks(0) |

| | コメント (1) | トラックバック (0)
|

1ヶ月が過ぎた!

 5月に入った。もう1ヶ月が過ぎたことになる。

 4月29日は、横浜教職員走友会の総会。午前中の駅伝は、どうしても外せない用事があり、欠席。午後からの総会だけ参加する。

 久しぶりに会った方々と、いつもの笑い。もう20年近く付き合っている人たちとの出会いはうれしいものだ。

 30日は、今年の学校の歓送迎会。1年ごとに学校が変わる。まさに旅芸人みたいなものである。

 ひさしぶりに風邪をひいている。熱はないのだが、咳がある。

 じっとしなくてはならないのだが、でかけるので、治らない。

 ★

 1ヶ月が過ぎようとしている。

 担当している初任者も、二人とも声をからして一人は医者にかかる。

 でも、まあまあ順当に1ヶ月を通り過ぎようとしている。

 初任者は、「1・1・1の課題」がある。

 最初の1は、1週間。

 次の1は、1ヶ月。

 最後の1は、1学期。

 この3つの1をどのように通り過ぎるかが大きな課題になる。

 最初の1週間は、クラスの仕組み作りである。

 これをきちんと作れなければ、1年間教師がいつも前面に出て、大きな声で子どもたちに指示を繰り返さなければいけない。

 一人の教師が、そんなに力を発揮できるわけがない。

 だから、初任者のクラスは、7,8割が荒れてくる。

 ★

 次の1ヶ月が、仕組みを定着する期間である。

 繰り返し繰り返し定着させなければいけない。

 ところがここがむずかしい。

 <定着させる>ということが分かっていない。

 何のために定着させるのか。

 それは、子どもたちが自分たちで、自分たちを動かしていくシステムにきちんとしていくためである。

 だから、教師の立ち位置が問題になる。

 いつまでも教師が前面に出ていてはいけない。

 どんどん教師は、後ろへ下がっていき、子どもたちのリーダー達(班長たち)が号令をかけ、動かしていけるようにしなくてはならない。

 ここを意識化していくことが極めて大切なことである。

 ★

 その1ヶ月が終わった。

 クラスの陣容がほぼ決定している。私は80%決定すると言っている。

 もうすでにクラスが不穏な空気になっている。すでに落ち着かなくなっている。

 そうなっているクラスは、仕組み作りのどこかで失敗している。

 そもそも仕組みを作ろうと意識化しなかったのかもしれない。

 作ろうとしても、どのように作ったらいいのか分からなかったのかもしれない。

 あるいは、作り方の方法がまずかったのかもしれない。

 5月の連休明けに再チャレンジしなければいけない。

 ポイントは、4つ。

 ①クラスの1日を子供達が自分たちで動かしていける仕組み作りができているか。(日直システム)

 ②クラスの役割当番が、きちんと機能しているか。(一人一役システム)

 ③給食システムは、スムーズに動いているか。

 ④清掃システムは、スムーズに動いているか。

 ★

 1ヶ月が、一応順当に通過すれば、次に控えているのが1学期の関門だ。

 6月頃に中だるみ状態がやってくる。

 ここをどのように突破していくのか。

 それを考えることである。

 私は、目標達成法を指南する。(くわしくは、「学級経営力を高める3・7・30の法則」<学事出版>)

 これは、クラスの最初の<群れ>の状態を<集団>にのし上げていく方法として提起したものである。

 私は、達成の期間を2週間にしたが、そんなに長く設定することはない。

 低学年は、1~2日。中学年は、2~3日。高学年は、5日。

 この位を目安にすればいい。

 もう一つは、みんなが取り組めるイベントを設定すればいいと思う。

 5月から6月にかけて運動会をおこなう学校が多くなっている。

 問題は、それが終わってからである。

 

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

« 2010年4月 | トップページ | 2010年6月 »