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再び『説明」の問題について

 札幌の山の手南小学校で、授業が終わったあと、45分ほど先生達に話をする時間を作ってもらった。

 このとき、先生達に「説明」の問題を強調した。

 今、さまざまな先生の授業を見ていて、その授業の最大の問題点は、教師が繰り出す「発問」ではない。

 実は、私もこの仕事をするまでは、その問題に気付いていなかった。

 学校の校内研の全体反省会で問題視されることは、せいぜい「発問」である。

 「あの場面での発問で、先生は『~~~~ですか?』と聞かれていましたが、私はその発問ではなく、『~~~~ですか?』と聞くべきだった思います」というような発言をよくした。

 しかし、現実は、まったく発問を問題にする段階ではない。

 もっと初歩的な、子供達に話す内容(説明)が最大の問題である。

 くどい。意味不明。だらだら。

 だが、研究授業は、なかなかその問題が見えない。

 一応、考えて作られている授業だからである。

 「日常授業」は、そうではない。

 研究授業と日常授業の落差は、私たちが考えていたよりもずっと大きいのだ。

 ★

 実は、一度だけ現役の時に「日常授業」に接したことがある。

 「家庭科専科のTTについてほしい」と、お願いされたことがある。

 その学校に赴任して、5年生の担任を受け持ったときである。

 家庭科だけTTでお願いしたいというのである。高学年の教師達は、全員がそういう要請であった。

 よく聞いてみると、その専科の先生は、前年度クラスが学級崩壊になっていて、今年は、家庭科専科になってもらっているが、心配なので、TTでついていてほしいという要請である。

 授業に参加した。

 日頃からおしゃべりが得意な先生なのだ。

 ちょっと早口で、ぺらぺら話される。

 1つの指示が出される。子供達が考えていると、途中でぺらぺらと話される。

 まだ、考えているのに、次の指示が出される。次から次へと…。

 1時間で、ぐったりと私が疲れる。

 真面目に聞いている子供達もまた、疲れるだろうなあと思った。

 学級が壊れるのは、これなのだ。

 子供達をいらいらさせる。ゆっくり考える時間を与えない。

 その後、先生は転勤されて、次の学校でも学級が崩壊して、退職されたと聞いた。

 要するに、「説明」の仕方と指示の出し方が間違っているのである。

 ★

 学級が崩壊するという深刻な事態がどこの学校でも進んでいる。

 さまざまな原因が考えられる。

 私は、最近その教師が、子供たちにどのような話し方をしているのだろうということに注目している。

 子供達への説明の仕方、話し方が意外と大きな問題になっているのではないかと思っているのである。 

 

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コメント

指導言における説明の課題、考えさせられました。このあたりには自分も課題意識があるところです。日常の授業では、指示します、説明します、と枕詞を置いてから話すようにしてますが…。
簡潔明瞭で的確な言葉遣いというのやはり難しいものだと日々思っております(^_^;

投稿: Spitfire Mk.24 | 2010年2月23日 (火) 06時43分

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