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知らないということは、恐ろしいことである

  どこかにあるはずであった本を探し出した。物置倉庫の中からである。

 大西忠治教育技術著作集10「指導言(発問・助言・説明・指示)」の理論、著作集11(発問・助言・説明・指示)の技術 の2冊である。

 若い頃に買ったままで、ずっとしまい込んでいたものだ。

 10の理論編の目次を見た。

 「6 授業において、一番大切なのは、発問ではなくて説明である」

 「えっ、大西先生がもはや言われているじゃないか!」

「しかし、『授業で一番大切なのは発問』だというのは正確ではない。

 授業にとって、教師の指導言として一番大切なのは『発問』ではなく『説明』である。

 その証拠に、『発問』なしでも授業はできるが、『説明』なしでは授業はできない。『発問のない授業』はどこにでもある。たとえば、大学の先生方の講義は、ほとんどそれである」(著作集10)

 この通りである。

「…そのために、もっとも基礎的である『説明』が見えにくくなり、『説明』に対する、研究や追究がおこなわれにくくなっている、このことについて私は警告したかったのである」(著作集10)

 「なあんだ。私がこのブログで言ってきたことはすでに大西先生が、言われているじゃないか!」

 ★

 知らないというのは恐ろしいことである。

 大西先生は、1980年代にすでにこのことを提起されている。

 <著作集10の目次>

  1.  発問づくりの基礎技術
  2.  すぐれた授業のすぐれた説明
  3.  「発問・説明・指示」をめぐる諸考察

 <著作集11の目次>

  1.  国語授業と発問
  2.  教材分析と指導言
  3.  指導案と指導言計画
  4.  指導言の分析

 私が問題にしたことが、この2冊にばっちりと書かれている。

 ★

 説明について、これから教師達はもっと研究をしていかなくてはならないと、書いてきた。

 大西先生は、説明について、「説明の3つの構成要素」という項目で書かれている。

「説明というものには、3つの主要な構成要素(性質)がある。ひらたくいえば、3つの大切なことがある。

 ①教材内容の提示…学ぶべきものは何かを示すということである。

 ②教材の理解方法の提示…どういう順序で、どういうふうに考えていけばわかるようになるか、わかり方を述べるのである。

 ③教師の判断の提示…つまり何が正しいかを教える側が到達した結論をさし示す。

 という3つである。

 簡単にいうと『問題提示』『方法提示』『判断提示』の3つの性質があるとわたしは考える」(著作集10)

 きちんと提示されている。

 知らないというのは、恐ろしいことである。

 ★

 私は、学生時代はずっと数学が苦手であった。

 ただ一度だけ好きになったことがある。成績も良かった。

 中2のときである。

 先生は、I先生。生徒指導の先生で、とても厳しい先生だった。(のちに、委員会の学校部長かになられたのではないかと記憶する。)

 だが、授業の最初はいつもお話で始まり、その話がおもしろく、私たちを笑わせて、笑いの渦に巻き込んだ。

 数学の授業を心待ちにするようになった。

 ただ、その時の数学の授業を思い出そうとしても、思い出せない。

 ただただ、笑っていたことだけが思い出される。

 かすかに記憶されるのは、授業が分かりやすかったということである。

 あれほど苦手だった数学を好きになったのであるから。

 今ならば、その時のI先生の授業は、「説明」が実に巧みであったということができる。

 大西先生は、次のようにも書かれている。

「わかりやすい『説明』は教師にとっては基礎的な技術であると同時に、教師という仕事を続けるかぎり、一生それをみがき続けなくてはならない技術でもある」(著作集10)

 

 

 

 

 

 

 

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