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授業の最初と最後の挨拶を考える

  現代教育科学3月号の向山洋一先生の連載で、もう一つ気になるところがあった。

 次のところだ。

「授業の最初の15秒で、子どもたちをつかまなければならない。

 一番いいのは『明確な発問』と『指示』をシンプルに示すことである。

 『指示』だけでもかまわない。

 『全員起立』『かけ算九九の五の段を言ったらすわりなさい』

 このぐらいのシンプルさで指示を出せば、クラスは一気に授業に突入する。

 ところが、多くのクラスは『これから三時間目の授業を始めます。気をつけ、礼』などということから始める。

 これを毎時間やるのである。

 子どもたちは、『いいかげん』にやるようになる。それを日直が大声で注意する。このような状態が何分か続く。

 教室は、最初から混乱に突入する。

 全国、多くの教室で見られる現象だ」

 ★

 確かにどこのクラスも、授業の最初と最後の挨拶は、向山先生が指摘されるようにやっている。

 挨拶を何度も言い直しているクラスも、ずいぶんある。

 何分も、それに時間をかけてもいる。

 姿勢がきちんとなっていなくては、始めないのだ。

 2分も3分も、この挨拶にかけている。

 それだけのこだわりをもっと授業内容にこめればいいのだが、それはない。

 ★

 私は現役の頃、どうしていたか。

 私の「始めます」の合図で、すぐ授業に入っていた。時間がもったいない。

 子どもたちには、「授業の最初と最後のあいさつは、私の『始めます』『終わります』にします。授業は、6時間あるので、一々挨拶はしません。時間がもったいないです。その替わり、朝の会の挨拶と終わりの会の挨拶は、きちんとやります。ただ、専科の授業での先生とは、挨拶はしておりませんので、きちんと日直が号令をかけます」と伝えていた。

 何の問題もなかった。

 ★

 しかし、私は、授業の最初と最後に、日直が号令をかけることは否定しない。

 向山先生は、形式的なことは廃止すべきだとどこかで言われていた記憶がある。

 私は、確かに形式だが、学校の規範の1つとしてあっていいと思っている。

 給食でも、最初と最後に「いただきます」「ごちそうさま」をするはずである。

 それと同じだ。

 私は、この形式は使わなかったが、初任者などが、この挨拶をなくしていくことは難しいと思う。

 授業を見にくる管理職や初任者指導に、「なぜ挨拶をしないのか」と問われて、その返答に困るのだ思う。

 ★

 ただ、問題は、この挨拶に2分も3分も使っていることである。

 これはおおいに問題である。

 「これから4時間目の授業を始めます。礼」と日直が合図をしたら、教師は、すぐ授業を始めなくてはならない。

 絶対に、この挨拶に時間をかけてはならない。

 単なる合図なのだ。これでしつけをするのではない。

 おしゃべりをしている子供がいる。手いたずらしている子供がいる。……

 それでもとにかく始めるのだ。

 授業を始めて、そういう子供は、授業に引き込んでいけばいい。

 ★

 私は、このように思っていたが、実態はそうではない。

 なんとも、この最初と最後の挨拶にこだわるのだ。

 そして、授業をぐじゃぐじゃにしている。

 こんなことをどこで身につけてきたのだろうか。

 

 

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コメント

先日は「初任者・1週間のシナリオ」ありがとうございました。
しっかりと読み込み、役立てたいと思います。

授業の挨拶・・・。
日直やそれを助ける子の、
「静かにしてくださーい!」という言葉から、
一騒ぎになりがちです。。


投稿: imai | 2010年2月28日 (日) 17時45分

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