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札幌 山の手南小学校を訪問して

 新千歳の上空を1時間以上旋回している。

 函館空港か、羽田空港に引き返すか、そのことも考えなければいけなかった。

 雪がひどく、除雪車だけではどうにもならない。

 12時55分(ほんとうなら10時35分には到着していたはずである)、やっと

「今から降下します」というアナウンスが入る。

 ★

 その日(2月19日)、北海道札幌山の手南小学校にお邪魔することになっていた。

 校長先生に無理矢理授業を見せてほしいとお願いして、実現したことだ。

 5,6時間目。全クラスの授業を見せてもらえるというのである。

 札幌へ行く電車の中で、昼食をとり、1時15分頃に学校に到着する。

 琴似駅まで車で迎えにきてもらった。

 もう少しで5時間目の授業が始まる。

 やっと間に合った。

 学級数17.生徒数514人の学校である。

 学校中が静まりかえっている。

 私は、今初任者指導の仕事を一緒にしている小島康親先生と一緒に横浜から参加している。

 このブログに、いつも登場している羊ヶ丘小の校長横藤雅人先生も参加されている。 

 名寄の方からもK先生が、参観にみえている。

 4人の参観。全クラスの授業を見せてもらえる。ぜいたくな話である。

 ★

 このブログでも紹介したように山の手南小は、重点研究のテーマに「確かな学力を育成する日常授業の改善」を掲げて登場した学校である。

 このテーマが、どれほどの衝撃力を持つのか。

 多分、これからの日本の校内研究を左右する画期的なテーマであると、私は一人思い込んでいたのである。

 それがどれほどのものであるのか、ぜひとも私の目で見なくてはならないと、学期末の忙しい時期に頼み込んだのである。

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 今までの学校は、次のようなテーマで校内研究を進めてきている。

 「ひびき合う子、自ら切り拓く子~一人一人の目が輝く場づくり~」

 「わかる、できる、ひびき合う授業」をめざして

 「豊かな心をもち21世紀を主体的に生きる生徒の育成~わかる授業の実践と、自ら学ぶ生徒の育成をめざし、学力の向上を図る~」

 全国津々浦々、ほとんどがこのようなテーマで推進している。

 それで研究成果は、どうなったか。

 まともな研究成果を見たことがない。

 ほとんどの研究成果は、「一生懸命に~~~~のことを取り組んだ」と書かれてある。

 「~~~ということを実現した」と書かれていない。

 つまり、掲げただけのテーマなのだ。見栄えのいいテーマなのだ。

 ★

 日本全国には、毎年公開の授業研究をしている有名な研究校がある。

 附属小などは、その典型である。

 多くの先生達が集まる。有名な先生のクラスは、人だかりがしている。

 私が言う「ごちそうの授業」を見られるからだ。

 あこがれの先生が、あこがれの授業をする。

 それを必死で見て、自分の授業に取り入れられないかと考える。

 私も若い頃、そうしてさまざまな有名な先生の授業を見て回った時があった。

 向山洋一先生の授業は三度見た。有田和正先生の授業も見た。大森修先生の授業も2日間に渡って見た。野口芳宏先生には、私のクラスで授業をしてもらった。

 どの先生の授業も、素晴らしかった。

 まさに名人教師の授業であった。

 ところが、私は、名人教師の道を目指そうと思わなかった。

 なろうと思わなかったというより、なれないと思った。

 普通の教師でいい。目の前の子供達にできるかぎりの教育ができていけば、それでいいと思った。

 私は授業者として、そのようにして教師生活を終えている。

 普通の教師達は、名人教師をめざすことはない。

 目の前の子供達に精一杯の教育ができればいいのである。

 ★

 「ごちそう授業」を否定しているのではない。

 一年に何回かの「ごちそう授業」を目指すことは必要である。

 一年中、「味噌汁・ご飯」だけでいいはずはない。

 どこの家でも、誕生日や正月、クリスマスには、ご馳走が出るではないか。

 「ごちそう授業」を作り上げる過程で、多大な授業技量を身につける。

 「ごちそう授業」は、子供達も揺り動かす。

 ただ、私が否定をしているのは、その1時間の「ごちそう授業」を作り上げるために「日常授業」がそのための「練習授業」になることだ。

 多くの研究校が、いまでもこのような「練習授業」を盛んに行っている。

 多くの人が唸るような、すごい「ごちそう授業」を作るために、日頃の授業は、そのための「練習」に明け暮れる。

 「学力は、塾に任せればいい」と言い放つ校長もいる。

 ★

 脱線している。

 山の手南小学校に戻りたい。

 どのクラスも落ち着いた授業が展開されていた。

 6年生の3クラス。

 30年ぶりに出会った子供達のように思えた。

 学びに向ける眼差し。ノートの素晴らしさ。

 この時期、ほとんどの6年生は浮き足立つ。

 ところが、まったくその様子が見られなかった。

 廊下に掲示されている6年生の絵の素晴らしさ。

 横浜では、もはやこんな小学生の絵を見ることはない。

 ★

 私が目にしたことで特に感じたことを4点あげる。

 1つめは、やはりノートが素晴らしいことだ。

 これは、学習規律の改善として、当校が全校一律の取り組んでいることである。

 どのクラスも、ノート指導に力を入れている。

 それは、全クラスを見て、すぐに分かる事実であった。

 当校の1年目の取り組みなのだ。

 私たちが考えている以上に、このノート指導の威力は、大きい。

 このノート指導が、日常授業の中心になることははっきり確認できた。

 2つめは、先生達の板書が素晴らしいことである。

 この板書も、全校で統一されているところがある。

 子供達は、先生達のあの板書を見て、きっとノートが変わっているのであろう。

 3つめは、やはりICT活用の威力である。

 この活用で、子供の全員が授業に参加できる条件を保障していく。

 ICT活用で、筆順の指導をされたり、原稿用紙指導をされたりされていた。

 4つめは、図書室のことをあげておきたい。

 私がお邪魔したときは、3人のボランティア(お母さん)がおられた。

 この3人のお母さんが中心になったボランティア活動で、図書室が運営されている。

 学校も、図書室の活用に力を入れている。

 この図書室に入って、驚いた。本の整頓の仕方。すぐに分かった。

 初めて見る光景だ。

 断言していいが、図書室がうまく機能していない学校は、何やってもだめだ。

 読書に力を入れないクラスは、やはり上滑りになる。

 お母さん達の助力により、こんなに図書室を充実している。

 これもまた、当校の大きな特徴であろう。

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 戦後(この言葉はすでに死語化しているが)64年。

 「ごちそう授業」づくりで授業研究を推進してきたベクトルが、大きく「日常授業」の改革という方向に動いていくのではないか。

 その姿を目にしているのではないか。

 私は静かな興奮に包まれていた。

 一緒に行った小島先生は、

「これからの教育の可能性を見られて、うれしかった!」

と言われていた。私も、同じ気持ちであった。

 ★

 江戸の儒学者佐藤一齋は、次の言葉を私たちに残している。

「一燈を提げて暗夜を行く。暗夜を憂うること勿れ。只だ一燈を頼め」

 その一燈を見られたのだと思う。

 

 

 

 

  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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