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立松和平が亡くなった

  立松和平が亡くなった。62歳であった。私と同い年であった。

 驚いた。しぶとく生き抜いていく人だと思っていた。

 いい読者ではなかった。

 だが、同世代で、どこへ歩んでいこうとしていたのか、よく分かった。

 最後の書が、良寬である。

 ホームページの日記は、12月30日で途切れている。

 最後の発言も、良寬で終わっている。

 引用して良いかどうか分からないが、印象に残ったので、貼り付けておきたい。


 

私を支えたくれたこの言葉
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 たくほどは風がもてくる落葉かな
 良寛の俳句である。
 人々の間に伝わる口伝によれば、ある時良寛が自分の暮らす国上山の中の五合庵に帰ろうとすると、村人がたくさん集まって山道の掃除をしている。道端の草むしりをしたり、頭上にかかる枝などを払っているのだ。
 庭の草もきれいに抜かれている。その様子を見て、良寛は溜息とともにいった。
「ゆうべはたくさんの虫がいい声で鳴いていて、それは楽しませてもらったのじゃ。こんなに草を抜かれては、あの虫たちは逃げてしまい、今夜から鳴いてはくれまい」
 村人は良寛の嘆きを理解しなかった。一間きりない五合庵も、村人たちが寄ってたかって塵ひとつ落ちていないよう、ていねいに掃除がすんでいた。
 こんなにも一生懸命に掃除する理由がわからず良寛が尋ねると、長岡藩主牧野忠精公が、何事にとらわれず自由自在な良寛の生き方を慕い、藩内を巡視の最中に国上山まで寄り道して、良寛に会いにくるというお達しがあったのだという。村人とすれば、藩主がくるという一大事のために、全員が出てあわてて掃除をしているのであった。
 藩主ともなれば、何も用事がなくてくるわけはない。藩主の用件とは、長岡城下にある名刹の住職に良寛になってもらいたいということだ。自分の村に住む良寛にそんな名誉なことがあるとは、自分たちにとっても名誉なことだと、村人は張り切って掃除をしていたのであった。
 やがて藩主は大勢のお供を引き連れてやってきた。良寛は五合庵で坐禅でもして迎えたのであろうか。藩主は良寛の耳に声が届くところまで近寄り、和尚を城下の立派な寺の住職に迎えたいと礼儀を失わずにいった。藩主も良寛を尊敬していたのだ。良寛は僧としての階位にはまったくこだわらず、住職になる資格でもある印可を備中玉島の円通寺で師より受けていたのだが、もとより寺にさえはいっていない。借りた小さな庵で、一衣一鉢の乞食僧の暮らしをしていたのだ。それが良寛の生き方であった。世俗の出世や富などに、良寛は興味を持っていなかった。禅僧としてのそんな生き方に、名君といわれた牧野忠精も感じるものがあったのだろう。
 良寛がせっかく訪ねてきた藩主を無視するような態度をとったので、その場に緊張が走った。藩主もその沈黙の時間に耐えていた。やがて良寛は黙って筆をとり、紙に書いた字を藩主に示した。
 たくほどは風がもてくる落葉かな
 そんなに自分の分を越えたほど求めなくても、焚き火にするのに必要な落葉は風がひとりでに吹き寄せてくるというのだ。自分はこの暮らしの中に真実があると思っていて、この貧しい庵の暮らしに満足している。今さら世間の功利功名などを得たところで、それがなにになるのでしょうか。良寛は俳句でこう語ったのであった。
 聡明な君主は良寛の深い心を理解し、良寛の身を厚くいたわって、その場を去っていったという。良寛はもちろん立派だが、藩主牧野忠精も立派であったと思う。他人の立場を理解し、尊重することは大切だ。
 自分の中に欲のようなものを感じた時、私はいつしか良寛のこの言葉を心に思い浮かべるようになった。だが欲を消してしまうことは難しい。私にとっても良寛は遠い憧れである。
PHPほんとうの時代 2010年1月号

 

 

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