歯医者へ行った。
3年ぶり。健康チェックをしてもらうためである。
予約時間の11:30ぴたりに始まった。
「野中さん、お久しぶりですね」と、先生から言われた。
「ご無沙汰しております」と、恐縮して答えた。
確認をしてもらい、「虫歯がなく、とてもきれいに磨けています」と褒められた。
「今日は、ちょっとだけ裏の歯に茶渋がついているのを取ることにしましょう」と、
歯をカメラで撮って、茶渋のついているところを3枚見せられた。
「ここの茶渋を今から取っていくことにしますから」
手際よく、さっさと作業を済ませ、
最後に、また写真を撮って、
「茶渋の付いていたところが、このようにきれいになりました」
と、結果を見せられた。
そして、最後に、看護士さんから「虫歯もなく、素晴らしい磨き方です。続けて磨いてください」と褒めてもらった。
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3年前と、対応も、処置も、ずいぶん変わった。驚くばかり。
- 予約時間ぴたりに始まる…時間に厳格になった。
- きちんと名前を呼んで、対応してくれた。
- 磨き方を褒めてくれた。
- 写真で、茶渋がついているところを見せてくれた。
- 処置をした後の結果も、きちんと見せてくれた。
- 最後にまた、褒めてくれて終わりになった。
すべてよく患者の気持ちに寄り添って対応をしてくれていることになる。
気持ちが良い。
「今度からは、半年に1回は来るようにしよう」という気持ちになった。
サービスのあり方が大きく変わっているのである。
学校のことについて考えた。
もちろん、学校は、サービス業ではない。
しかし、このような変わり方に対して、学校だけが今までのままでいいはずはないなと思う。
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私は、初任者指導教員の仕事を始めて、学校についてのさまざまなことが見えてくるようになった。
その過程の中で、教師も大きく変わってこなければいけないな、と思ったことがある。
1つは、保護者や子供への対応の仕方についてである。
2つめは、教室環境のあり方についてである。
キーワードは、「見える」化だ。
1つめは、子供達の学力をきちんと「向上的変容」の形で、保護者にも、子供にも「見える」形で示していく必要があることについてである。
これについては、すでに現役の頃、取り組んでいたことがある。
私は、5月はじめの家庭訪問で、それぞれの家庭に子供達の学習の様子をプリントにして持って行くことにしていた。
4月いっぱいに、それぞれの基礎学習テストを繰り返して、結果を出していたのである。
それを持って行って説明した。どこが優れているのか、どこが課題なのかをきちんと説明したのである。
これが学習の「見える」化の始まり。(第1次の「見える」化)
次に、7月の親子一緒の個人懇談会である。
ここで、3ヶ月間の間に、どうなったのかを示すのである。
第2次の「見える」化である。
私は、この3ヶ月の間に、特に進歩が見えやすいものに意識して取り組んだ。
・発言をするようになる
・音読がうまくなる
・漢字が書けるようになる
・計算がうまくなる
大池小では、これらは授業でも重点研として取り組んでいたので、効果的であった。
懇談会では、親子の前で、
「発言が4月から比べてできるようになりました。よく手が挙がります。また、漢字がよく書けるようになりましたね。がんばって練習したからだと思います。
お母さん、○○さんを褒めてあげてください。よくがんばっています」
というように話すのである。
語るだけではだめだ。事実として、その結果を数字等で示していく。
「見える」化である。
褒められた子供もまた気持ちいいものである。また、これからもがんばっていこうという気持ちを強める。
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私は、家庭への連絡の仕組みを次のように実践していた。(横浜は2学期制)
家庭訪問ー7月親子個人面談ー10月の前期通知表(あゆみ)ー12月個人面談ー3月の後期通知表(あゆみ)
この一連の仕組みの中で、子供の向上的変容を伝えていくわけである。
通知表(あゆみ)は、このような仕組みの中に位置づけないと、その効力を発揮することはない。
この仕組みが、「見える」化になっているかどうかがキーワードなのである。
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2つめの「見える」化は、学級環境づくりである。
先生達は、手を抜いている分野だ。
私も、現役の頃は手を抜いていた分野であった。
初任者指導の仕事をするようになって、各先生方の教室を回っていると、先生方が、手を抜いているのが「学級環境づくり」であることがよく分かる。
絵を貼ったり、習字を貼ったりするのは、ただ空間を埋めているにすぎない。
問題は、学級の1年間の歴史や取り組みの今がどのように学級環境として「見える」化になっているかどうかなのである。
これからこの分野の研究は進んで行かなくてはならないと思う。
教室は、子供達が生活する場なのである。
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