« 石川晋さん、音楽ベスト10 | トップページ | クラスがうまく行っているかどうかの目安3つ »

【吃音のある子どもたちへの指導」(青山新吾著 明治図書)を読んで

   青山新吾先生の「吃音のある子どもたちへの指導」(明治図書)を2回読んだ。

 メールでのやりとりは、何度でもある。お会いしたのは、一度だけ。

 でも、あの青山先生が書かれたのだと、すぐ分かる。そういう本である。

 ★

 吃音のある子供を担当したら、きっとこの吃音症状をどのように治していこうかと、身構えるはずである。

 でも、青山先生は、そういう身構えを最初から持っていない。

 拒否しているとも受け取れる。

 そういうことよりも何よりも、その子供とどのように付き合おうかと、心を砕いている青山先生がいる。

 私たちが言っている「横糸を張る」ことである。

 こちら側にいて、横糸を張るのではない。

 全てをなげうって関わっている。

 これは何だろう。

 「あえて、子どもたちの『吃音』を見ないということ。

  あえて、子どもたちの『吃音』を見るということ。

  あえて、子どもたちの『障害』を見ないということ。

  あえて、子どもたちの『障害』を見るということ。

  これらを意識的に使い分ける際のキーワードを、私は『向き合う』だと考えている」

 実は、このような言葉を持てるようになるには、多くの経験と時間が必要である。

 矛盾したことの片方を切り捨てないで、矛盾したままに自分の中で醸成する。

 きっと青山先生は、ここにずいぶん長く留まったのであろう。

 ★

 そして、次のように書かれる。

「その際、私は、子どもにかかわる側も、自分自身を見つめる、自分自身の内面にまなざしを向けることが重要だと考えてきた。それは、子どものことば、思いを捉えているのは、かかわる側の私たち自身であり、子どものことばの中にあるものをどのように感じとるのかは、私たちかかわる側の気持ちに大きく左右されると考えるからであった。

 自分自身を棚上げしない。

 自分を棚上げし、第三者的なまなざしで子どもを見つめない。

 常に、自分との関係の中で子どもを捉える。子どもをどのように見つめるかは、自分自身にどのように見えているかということであると考えれば、自分自身を振り返り、考えていくことが必要になる。

 具体的には、子どもの記録に、私自身の考え、思い、感じ等を記入することを課してきた。意図的な『主観的記録』の重視である。そして、それを冷静に考えていく作業を意識した。『内省的思考』の重視である」

 ここに青山先生の子どもに関わる方法論が、書かれていることになる。

 この方法論は、特別支援教育に関わる視点だけではない。

 教師が子どもと関わる方法論でもある。

 

 

 

|
|

« 石川晋さん、音楽ベスト10 | トップページ | クラスがうまく行っているかどうかの目安3つ »

日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/520860/47136936

この記事へのトラックバック一覧です: 【吃音のある子どもたちへの指導」(青山新吾著 明治図書)を読んで:

« 石川晋さん、音楽ベスト10 | トップページ | クラスがうまく行っているかどうかの目安3つ »