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「説明」が、このように問題にされてきた!

  初任者の今日の作文を書かせる授業。

 作文で注意することの3点をきちんと板書して作文開始。

 しかし、注意点の第一点目(作文の最初の文は、一マスあけて書くこと)は、なかなか子供達に伝わっていなくて、一マス目から書く子供が続出。

 反省会で、私は次のように言った。

「先生が板書されたことは、とても分かりやすく的確でしたよ。でも、先生の説明を聞いていない子供がかなりいたことになります。

 私なら、あの説明は、次のように言います。

 『今からこれから書く作文でとても大切なことを3つ言います。指を折って聞きますよ。

 まず第1に、……。次に、第2です。……。最後に第3です。……。』」

 これなら、多くの子供を集中させられたかもしれない。

 このように、「説明」についてかなり敏感になっている。

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 今日の「授業づくりネットワーク」のメールマガジンで、石川晋先生が、貴重な本を紹介しながら、私が問題にした「説明」について書いてある。紹介をしておこう。

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メールマガジン「授業成立プロジェクト(JSP)」
            第214号  2009年12月9日発行
                      (毎週水曜日発行)
HP http://www.jugyo.jp/js-pro/

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★目次★
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1 連載「”授業成立”で眠れないあなたのための読書ノート」
  第5回 海保博之『説明を授業に生かす先生』
         北海道・上士幌町立上士幌中学校  石川 晋
         http://homepage1.nifty.com/maru-shin
2 「第14回東北青年塾」のご案内
                          編集部
3 「第7回新米教師研修会」のご案内
                          編集部
4 オススメDVD「みて、すぐわかる! 授業導入のアイディア集」
                          編集部
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

 石川晋さんの連載です。今号では、「説明」の大切さについて語ってく
ださっています。
 確かに、教師は「説明」をよくします。それなのに、「説明」を無自覚
に行っている自分に気づかされました。私も、野中信行さんのおっしゃる
通り、「ただしゃべっている」状態ですね。
 まずは、「説明」している自分を自覚することが第一歩かも知れません。
明日から意識して「説明」したいです。       (中村 健一) 

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1 連載「”授業成立”で眠れないあなたのための読書ノート」
  第5回 海保博之『説明を授業に生かす先生』
         北海道・上士幌町立上士幌中学校  石川 晋
         http://homepage1.nifty.com/maru-shin
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 本連載では、基本的に二冊ずつ紹介することで、授業成立に必要な視点
をできるだけ重層的に論じようという目論見がある。授業成立のための
「ハイブリッド」発想を持って書くということと言い換えてもよい。
 しかし、今回は、初回に続いて久しぶりに一冊だけの紹介となる。その
本は、海保博之(かいほひろゆき)『説明を授業に生かす先生』(図書文
化)である。
 なぜ一冊だけなのか。
 理由は簡単である。
 これまで、教育書の中に、「説明」に特化して書かれた本がほとんどな
いからだ。類書がないのである。
 例えば本MMでおなじみの野中信行氏が、過日ご自分のblogの中で「授
業は、発問なのだろうか」と題して、次のように書いておられる。

   http://nonobu.way-nifty.com/blog/2009/11/post-bfaa.html

  教育界で「説明」のことについて研究した本があるのだろうかと、ア
 マゾンで調べてみた。
  2冊ぐらい。それも「指示・説明」と一緒である。
  「指示」については、法則化運動時代に出された岩下修先生の「指示の
 明確化で授業はよくなる」(明治図書)がある。しかし、今は絶版である。
  「発問」研究については、すごい数の本がある。
  教育界がどこに力を入れてきたかがよく分かる。
  私は、「説明」の研究をもっとしなければいけないと思う。
  私たち教師は、この「説明」のとき、「ただしゃべっている」のである。
  子供達からそっぽをむかれている。

 大西忠治氏以降、多くの実践家、研究者が、授業の主要な構成要素が
「発問・指示・説明」であることを指摘している。しかし、「発問」と「指
示」について、特に「発問」についての書籍はたくさんあっても、「説明」
について焦点化したものはほとんどないのである。

 さて、そういうわけで、『説明を授業に生かす先生』は、大変重要な指
摘や整理を含んでいる一冊である。
 海保氏は「授業で先生がしていることのほとんどは、生徒に説明するこ
とです」と冒頭でいきなり述べる。そして、さらに次のように続ける。
「説明があまり上手でなければ、子どもにとっては悲劇です。」…。

 この本は、前段が「理屈編」後段が「実践編」。
 前段の「理屈編」は、認知心理学の成果をベースとして、説明の原理を
明らかにしていく。平明な言葉で書かれており、はじめて出会う認知心理
学といった趣もあり、おもしろい。しかし、授業成立ということで言えば、
即効性があるのは、後段の「実践編」ということになろうか。

 「実践編」で、海保氏は説明の方法として「話術」「板書」「実演」の
三つをあげている。そしてそれぞれに具体的な項目を立てて解説している。
例えば「実演」なら、「まねさせる」「やって見せる」「やらせてみる」
といったことが取り上げられている。
 詳しくは本書を手にしてほしいが、いずれも、具体的に説得する手法、
あるいは具体的なものや事例で説得する方法と置き換えられるように思
う。つまり、「説明」では「具体」が重要であり、子どもたちが教師の説
明に納得するかどうかは、極論すれば「具体」の有無によって決まるわけ
である。
 極めて重要な指摘である。

 前回の連載でも少し述べたが、今秋は、たくさんの若手中堅の教師の授
業を拝見させていただく機会がある。また各種の講座などで、そうした教
師の悩みをうかがうことも多い。そうした中で、話題に登る中心の一つが、
発問づくりである。どのように発問を作るかに教師の多くが悩んでいるの
だ。また指示の曖昧さに気をつけて授業しなければいけませんよね、と語
る若手も少なからずいる。
 しかし、そうした先生方の授業を実際に見せていただくと、教師の悩み
の中心と、授業の実際上の問題点とのマーキングがずれていることに気づ
かされる。一番うまくいっていないのは、指示でも発問でもないのだ。
 そう。授業が混乱をきたしたり、うまく進まなかったりする最も大きな
原因は、教師の説明が、冗漫さも含めて、説得的に機能していないことな
のだ。しかし、当の授業者である教師は、そこの重要性にほとんど気付い
ていないのである。
 これは、極めて深刻な問題であると、私は考え始めている。

 いい本を紹介してもらったものである。

 大西忠治先生にも著作があることをコメント欄で紹介してもらっている。この本は運良く私は持っていたのである。

 教師の説明をどうしていくかは、今までほとんど問題にされなくてきた、大きな課題だと私は思っている。

 ところが、前回の研究要覧で紹介した「山の手南小学校」は、問題意識の中に、「教師は的確に説明しているのか」と書いてある。

 この学校も、「説明」を問題意識として上げているのだ。

 何度も繰り返しているが、「ごちそう」授業は、中心が発問になる。

 しかし、日常の「味噌汁・ご飯」授業は、中心が指示・説明になる。(もちろん、考えさせたいところやつまづきやすいところは、発問になるが)

 特に、「説明」は、これから徹底的に研究をしていきたいものである。

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