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未曾有の大きな授業崩壊が来るのではないか?

  初任者指導の仕事を始めてから、私の中で大きな変化があった。

 それは、大きくは授業を「する側」から「見る側」に位置を変えたというところからの変化である。

 それまでは、ひたすらに自分(自分たち)の授業をどのように作っていくかに視点があり、周りの先生達の授業への関心は、ほとんどなかったと言っていい。

 しかし、「見る側」に位置を変えたことで、驚くことがいくつかあった。

 初任者の普通の授業がよく了解できたし、その学校の他の先生達の授業の様子がよく見えるようになったと言っていい。

 これについては、このブログで何度も書いてきた。

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 驚いたことは、いくつかある。はっきり書こう。

 第一に、先生達の授業がへたくそになっていること。

 第二に、先生達の授業から「授業の基礎基本」がなくなっていること。

 第三に、先生達から元気がなくなり、子供達に向かって迫っていこうとする意気込みがなくなっている。その結果、授業が、与えられている時間を埋めているだけのものになりはてていること。

 「バイアスがかかった見方だ」と言われたら、それはかえってうれしいのだが…。

 どうだろうか。私のこのような偏見的な見方が、的を射ているのだろうか。

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 この現象を私は、それこそ勝手に20年間ぐらい続いた「新しい学力観」の考え方が引き起こしたものだ、と思い続けてきた。

 でも、必ずしも私は「新しい学力観」を完全否定してはいない。

 大事な問題提起はしてきている。

 ビジョンはあったが、方法論と、それを支えていく教師達の力量の無さが決定的であった。

 だが、今、「新しい学力観」の失敗がこのような現象として露呈しているのか、という思いである。

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 こんな時、「授業づくりネットワーク1月号」(2010年1月号)の「『ハイブリッド授業』が直面する困難」(石川晋)を読んだ。

 それと、石川晋先生の「自己研修通信 40号」を読んだ。

 いやいや、私とほとんど同じ土俵から、同じような問題を指摘されている。

 「当たり前のことだが、必要なことは教えなければならない。説明を中心とした授業、指示・発問型の授業構成の中で教えなくてはならないことは多い。こうした授業が安定的に行える授業技術は、たくさん積み上げられてきている、他方、考えを広げたり深めたり、自分の考えを表現したりする授業も当然必要になっている。こちらの授業技術はいまだ開発途上であり、精力的な開発が望まれる状況だ。

 ところが、こうした『旧来型の授業』との区別自体が十分になされていない。特に四十代前半以下の教師にこうした傾向が顕著であると、かなり断定的に言ってもよい。しっかり教えることと、じっくり協同で考えさせ表現させることと、この2つの使い分けの発想もない。そもそも、『旧来型授業』そのものへの無理解や無自覚があるのではないか」(授業づくりネットワーク1月号)

 また、「自己研修通信」には、このように書いてある。

「教育技術の法則化運動を向山洋一氏が立ち上げたとき、先鋭的な運動展開のやり方もあって、大きな摩擦をほうぼうに生みました。しかし、あの運動の中で、明らかになった授業を運営する技術は、法則化が好きか嫌いかといった感情的な問題にしてはいけないことばかりでした。

 たとえば、・・・。

『一つの時に、一つの活動を指示する【一時一事の法則】

 例

 机の上の教科書を片づけて、ノートを出して、グループになりなさい。×

 机の上の教科書を片付けなさい。(確認)ノートを出しなさい。(確認)グループになりなさい。○ 』

 これって、法則化運動が技術として抽出しただけで、それまで多くの先生方が普通に活用してきた技術だったものと思います。現に、授業の上手なベテランの先生の授業を拝見すると、法則化運動なんて全然知らなくても普通に行っていることでもあるわけです。

 しかし、こうしたことが、中堅層の授業者におしなべてできていない状況だと、よくわかりました。

 これは未曾有の大きな授業崩壊が来るのではないかと、背筋が冷たくなる思いです。」

 ★

 石川先生が把握する範囲は、私よりも何倍も広い。

 それで、こんな指摘なのだ。

 私は、深く考え込んでしまった。

 もはや棺桶に片足を突っ込んでいる私。残された時間何をしなければいけないのか。何ができるのか。

 そんなことを考える日々である。

 

 

 

 

 

 

 

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始めてメールします。下関の福山憲市と言います。法則化初期に法則化にかかわり、今、独自でミス退治運動を推進している者です。先生のブログからいつも多くのことを学び、多くの刺激を受けています。私も50歳近くになり、先生が書かれていることを感じています。強く感じています。そのために、どうするか。それもまた強く感じています。またいいろ学ばせてください。

投稿: 福山憲市 | 2009年12月17日 (木) 05時24分

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