« つれづれなるままに(3) | トップページ | 野口塾で、横藤先生が、講座を持たれます »

教材研究の仕方が分かっていないのではないか

  初任者指導の仕事をしている。

 月一回教文センターに集まって、打合会がある。

 グループに分かれて、さまざまな話し合いをすることになる。

 その中で、先生達から出されてくる言葉に、次のような言葉が多く混ざる。

「…もっと教材研究の時間を取ってくれるといいのだが…」「学校の仕事に追われて、なかなか自分の教材研究がおろそかになるのよ」……。

 必ずと言っていいほど、「教材研究、教材研究」という言葉が出る。

 とにかく、初任者指導の先生達は、初任者に教材研究をしてほしいのである。

 もちろん、異論はない。

 ただ、複雑な思いになる。

 「教材研究と言っても、初任者は、果たしてどういうようにしていくのか、分かっていないんじゃないかな?」と……。

 ★

 教材研究をどのようにしていくのか、大学で教えてくれるのだろうか。

 一部の先生を除いては、多分教えないのだと思う。

 教えられないのだ。

 だから、教材研究というのは、せいぜい指導書を読むぐらいにしか考えないのではないだろうか。そして、さまざまに出ている実践記録を集めるぐらいだろう。

 ★

 教材研究について、今までまとまって明らかにしてくれたのは、野口芳宏先生である。

 それを紹介しておこう。

 野口先生は、教材研究を三段階に分けるとされている。(「国語教室第23集」)

 素材研究、教材研究、指導法研究である。

 素材研究は、例えば「花さき山」という作品を一人の大人として力いっぱい読んで、自分自身でこの作品を味わい楽しみ、感じとることである。

 教師面をしたり指導意識を持ったりする以前の自分自身のぎりぎりの読みとりをすること。

 教材研究は、子供に教える教師の立場に立って、単なる素材ではなく、教材としての研究をすることである。

 それは、理想的状態と子供の現実との落差、距離、懸隔をとらえることである。

 理想的な状態に接近させるためには何を指導しなければならないかという指導内容、指導事項を明らかにすること。

 指導事項というのは、本来的には到達させるべき水準と子供との実態とのずれから導かれるものでなければならない。

 したがって、指導内容、指導事項というのは、それぞれのクラスや教師の望んでいる水準の高さによって異なってくるのが本来である。

 指導法研究は、どのように指導したら効果的であるかということの考察をすることである。

 いかに問い、いかに考えさせ、だれを指名し、何を話し合わせるかというような工夫をすること。

 ★

 野口先生は、その3つの具体的な技法もまた明らかにされている。

 これは、あくまでも国語の教材研究である。

 だから、当然各教科によって、教材研究の方法はちがってこよう。

 しかし、原則的な教材研究は、そんなに違わないと思われる。

 ★

 こういう教材研究を繰り返すことによって、教師としての力量をつけていくものだと、野口先生は主張されている。

 今回、「味噌汁・ご飯」授業を考えながら、さまざまな課題に気付いてくる。

 1つは、この教材研究は、「こうしていくのだ」という方法があっていいと思うようになった。

 もちろん、こうすべきだと規定するものではないが、モデル的なものがなさ過ぎる。

 現場では、教材研究の方法論はなきに等しいと言っていい。

 

 

 

 

|

« つれづれなるままに(3) | トップページ | 野口塾で、横藤先生が、講座を持たれます »

日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 教材研究の仕方が分かっていないのではないか:

« つれづれなるままに(3) | トップページ | 野口塾で、横藤先生が、講座を持たれます »