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2009年12月

どうぞ良いお年をお迎えください

  今年も、こうして暮れようとしている。

 1年がはやい。

 「老化現象ですよ」と言われるが、実感だ。

 初任者指導教諭として、2年目だった。

 3つの学校を見ることができた。

 授業を<する側>から<見る側>に位置を移して、違うものが見えてきた。

 新鮮な驚きとでも表現していいのか。

 初任者の授業だけではなく、現場の教師達の授業の現状や学級づくりの今が、さまざまに見えてきたのである。

 それは、ある意味では、呆然となることでもあった。

 ★

 これは正直に書いておきたいのだが、退職前の最後の学校である大池小学校では、気付かないことだったのだ。

 先生達から元気がなくなっている。

 その元気さとは、前に進んでいこうとする意気込みや、挑戦しようとする心意気が学級づくりにも、授業にも、見られなくなっていることだ。

 忙しさが、先生達を振り回していると思った。

 忙しさが、先生達を疲弊させている。

 学級づくりが、工夫されていない。

 授業が、下手になっている。

 石川晋先生は、「未曾有の授業崩壊がやってくるかもしれない」と書いている。

 ★

 私は、「味噌汁・ご飯」授業を提案した。

 このブログで、自分の考えをまとめるために途中経過をずいぶんかきなぐってきた。

 まだまだまとめきれていない。

 とにかく「土台としての日常授業」(味噌汁・ご飯)としての構想だ。

 その上に、「本格的な授業」(ごちそう)がのっかる。

 今必要なのは、「土台としての日常授業」をどのように作り上げるかなのだ。

 ★

 こうして今年も暮れていく。

 私の重大ニュースベスト10を考えた。

 1位…アメリカ・カリフォルニア(サンノゼ)日本人学校(補習校)での研修講師を勤める。

 2位…母の入院、ホームに入る。

 3位…サンノゼで、セスナ機に乗り、15分間ぐらい操縦する。

 4位…あこがれの霧のサンフランシスコを訪れる。

 5位…「野中信行のブログ教師塾」(学事出版)を出版する。

 6位…「明日の教室」(共著・ぎょうせい)を出版する。

 7位…「味噌汁・ご飯」授業の提案。

 8位…「明日の教室」の提案が、DVDになる。

 9位…パワーポイントを使えるようになる。

10位…英語を2ヶ月ぐらい独習したが、本番ではまったく使えず、無念。

 ★

 今年の冬休みは、久しぶりに何もない休みである。

 ゆっくりしたい。箱根に行って、ぼーっとしてこようと思う。

 みなさん、今年もこのブログに付き合っていただき、ありがとうございました。

 あとどのくらい続けられるか心許ないが、来年も、よろしくお願いします。

 どうぞ良いお年をお迎えください。

  

 

 

 

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クラスがうまく行っているかどうかの目安3つ

   24日に1時間ほど初任者指導でお世話になっている学校で「学級経営を成功させるポイント」の話をした。

 終わってから、「メンターチームで、先生が先ほど話された靴箱のことを話題にしたいので、どのような指導をクラスでなされたのか教えていただけませんか」という質問がきた。

 メンターチームとは、初任者を育てるために構成されるグループである。

 ★

 こんな話である。

 「今のクラスが順調に行っているかどうかを確かめる方法は、3つあります。

  この3つを見ていると、クラスの様子がよく分かります。何だと思いますか?」

 クラスづくりの話で、よく私はこの話題を持ち出す。

 今のクラスの状態を確認するのにもってこいの方法だからである。

 長い教師生活の中で、見つけてきた方法だ。

 ★

 結論から言うと、

 1つは、朝自習。2つめは、朝会。3つめは、靴箱。

 朝自習は、子供達が自分たちで、自主管理できているかどうかを確かめるもの。

 10分間の朝の時間。おしゃべりをしないで、静かに朝自習ができること。

 朝会は、クラスの状態が端的に出る。

 きちんと並んで、おしゃべりしないで、校長先生の話に耳を傾ける。

 クラスが荒れてくると、クラスの状態がそのまま朝会の並び方、話の聞き方に出てくる。

 靴箱は、子供達一人一人の生活の様子が出る。

 クラスが荒れてくると、靴箱がぐちゃぐちゃになる。

 私は、毎日靴箱を見て、教室に行くように仕組みづけていた。

 その子の生活が荒れてくると、すぐ靴の様子に出てくることが分かる。

 靴を踏みつけている。投げ入れている。…

 ★

 この3つは、4月の1ヶ月の間に「3・7・30の法則」できちんと指導していくことだ。

 先生達は、朝会には敏感だが、朝自習と靴箱には鈍感だ。

 1年間、靴箱にどのように靴が入れられているかなど、ほとんど確認をしていない先生など多いのではないだろうか。

 私は、荒れた中学校の靴箱を見たことがあるが、それはそれは戦場のような状態であった。(戦場を実際に見たことはないが…)

 ★

 何にでもそれを確かめる目安がある。

 自己満足にならないで、冷静に見つめる目を確保しておくことである。

  

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【吃音のある子どもたちへの指導」(青山新吾著 明治図書)を読んで

   青山新吾先生の「吃音のある子どもたちへの指導」(明治図書)を2回読んだ。

 メールでのやりとりは、何度でもある。お会いしたのは、一度だけ。

 でも、あの青山先生が書かれたのだと、すぐ分かる。そういう本である。

 ★

 吃音のある子供を担当したら、きっとこの吃音症状をどのように治していこうかと、身構えるはずである。

 でも、青山先生は、そういう身構えを最初から持っていない。

 拒否しているとも受け取れる。

 そういうことよりも何よりも、その子供とどのように付き合おうかと、心を砕いている青山先生がいる。

 私たちが言っている「横糸を張る」ことである。

 こちら側にいて、横糸を張るのではない。

 全てをなげうって関わっている。

 これは何だろう。

 「あえて、子どもたちの『吃音』を見ないということ。

  あえて、子どもたちの『吃音』を見るということ。

  あえて、子どもたちの『障害』を見ないということ。

  あえて、子どもたちの『障害』を見るということ。

  これらを意識的に使い分ける際のキーワードを、私は『向き合う』だと考えている」

 実は、このような言葉を持てるようになるには、多くの経験と時間が必要である。

 矛盾したことの片方を切り捨てないで、矛盾したままに自分の中で醸成する。

 きっと青山先生は、ここにずいぶん長く留まったのであろう。

 ★

 そして、次のように書かれる。

「その際、私は、子どもにかかわる側も、自分自身を見つめる、自分自身の内面にまなざしを向けることが重要だと考えてきた。それは、子どものことば、思いを捉えているのは、かかわる側の私たち自身であり、子どものことばの中にあるものをどのように感じとるのかは、私たちかかわる側の気持ちに大きく左右されると考えるからであった。

 自分自身を棚上げしない。

 自分を棚上げし、第三者的なまなざしで子どもを見つめない。

 常に、自分との関係の中で子どもを捉える。子どもをどのように見つめるかは、自分自身にどのように見えているかということであると考えれば、自分自身を振り返り、考えていくことが必要になる。

 具体的には、子どもの記録に、私自身の考え、思い、感じ等を記入することを課してきた。意図的な『主観的記録』の重視である。そして、それを冷静に考えていく作業を意識した。『内省的思考』の重視である」

 ここに青山先生の子どもに関わる方法論が、書かれていることになる。

 この方法論は、特別支援教育に関わる視点だけではない。

 教師が子どもと関わる方法論でもある。

 

 

 

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石川晋さん、音楽ベスト10

  今年も、最後に石川晋さんの「ベスト10」が発表された。

 音楽の話である。

 ここ数年、このベスト10の「ベスト3」は必ずアマゾンに注文するか、直接買いに行くかしている。

 昨年の「ベスト1」の川江美奈子の「letters」は、最高でしたね。

 今年も、ここで貼り付けておきたい。

 ○今年のアルバムベスト10

 22年目に突入した今年のアルバムベスト10です。
 これだけ、ちゃんと読んでくれる人も多い(笑)。

 気になったものから。

 松たか子"Time for music"。曽我部恵一バンド"ハピネス!"。植村
花菜"春の空"。椿屋四重奏"CARNIVAL"。いきものがかり"ハジマリノウ
タ"。種ともこ"カナリヤとおひさまとそれから"。原田知世"eyia"。湯
川潮音"Sweet children O'mine"。The Boom"四重奏"。鈴木祥子"Roman
ces sans paroles"。

 いずれもとてもステキでした。特に種さん、湯川さん、鈴木さんの
アルバムは素晴らしいです。ベストとか、カヴァーとか、サウンドト
ラックとか、そういう条件の中でのアルバムなので、ベスト10には
入れないけれど。特に鈴木祥子はもうKOされてしまいました。去年
のアルバムがひどく気が抜けていたのですが、これで帳尻が合った感
じです。

 AIR"Three Cheers For Goodbye~The Best Of AIR"
 AIRこと車谷浩司くんの最後のアルバム。ベストアルバムかぁ。BAK
U、スパイラル・ライフ…本当にごくろうさま。結局最後にオリジナ
ルアルバムを出すことなくシーンを静かに去って行った。メロディラ
インの美しさは最後まで飛びぬけていたと思います。

 コブクロ"CALLING"
 ぼくはコブクロの熱心なファンではないが、ライブはなかなか楽し
いものでした。このアルバムは、彼らのアルバムの中で飛びぬけて素
晴らしいというようなものではないけれど、彼ららしい等身大のメッ
セージ、親しみやすいソングライティングに裏付けられたよい出来栄
えです。

 川江美奈子"LIFE375"
 昨年の"Piano"は素晴らしいアルバムでした。今作も、スタン
ダードになりうるような名曲が目白押しなのに、ぼくの心には届かな
い。彼女の最初のアルバム"時の肖像"を聞いた時と同じ感覚を持つ…。
川江の姿が出来栄えのよい曲達のずうっと後ろに潜んでしまっている
感じです。

 では、いよいよ。

 次点は2枚。
 GRAPEVINE"TWANGS"
 グレイプバインに期待する音はこういう、エレクトロなものではな
い。でも、自虐的で意味深長な歌詞は健在です。バインもライブで聴
くべきバンドなんだろうな。

 BINNIE PINK"ONE"
 ボニー・ピンクは際立った声があるわけでも歌唱力があるわけでも
ないのですが…。でもいつも一人のリスナーとしての貪欲さと、表現
者としての挑戦とが同居していて、ぼくをうならせます。今作も、そ
の辺の女性アーティストでは足もとにも及ばぬクオリティ。

10位 くるり"魂のゆくえ"
 前作があまりにもひどかったので、今作はあまり期待していなかっ
たけれど、原点回帰を感じさせる歌詞とサウンドで、くるりに期待す
るものはとりあえず揃っていました。

9位 柴田淳"ゴーストライター"
 しばじゅんの天使の歌声を堪能できるアルバム。いや、その声のは
かなげな魅力だけなら前作の方がより鮮明だったわけですが、今作は
楽曲の出来栄えが圧倒的によくて、ようやくしばじゅんがアーティス
トとして独り立ちできるレベルに到達したという感じです。

8位 石野田奈津代"60億の涙"
 何かが新しいわけではないのですが…。でも、この声とこの歌詞と
この曲とでなければならない切実な表現があって、耳が向かってしま
います。結局捨てられず、ここまで順位を上げた一枚です。

7位 ニルギリス"アールジービー"
 ついに岩田アッチュだけが残ったニルギリス。でも、彼らが日本の
ポップシーンに取りこんだ「マッシュアップ」の手法は健在です。今
作はそれに岩田のポップ感覚が際立っていて、今までで一番聞きやす
いかな。歌詞も時に稚拙だけれど、ストレートでいい。今年よく聞い
たアルバムの一つ。でも売れないらしい、悲しいほど。エウレカセブ
ンの主題歌だった"sakura"が人気的には頂点だったということになる
のかな。

6位 高野寛"Rainbow Magic"
 高野のデビュー20周年記念アルバム。ソロとしては8年ぶり? 
かつての天才青年は、最先端ではなくなったけれど、でも見事なポッ
プチューンの連続で、大人の存在感を示しています。一曲目からはず
れなし。でも、最後にあの大名曲"虹の都へ"のセルフカヴァーがあっ
て、これが余計な感じで残念でした。

5位 RADWIMPS"アルトコロニーの定理"
 文学系ロックバンドと何かの宣伝にあったけれど、まあ、そうかな。
アルトコロニーという架空の世界を想定して展開した楽曲群。その試
みはやや中途半端で成功しているとは言い切れないけど…歌詞も青い
けど…でも特別に意欲的。Bump of chickenにはまだ全然及ばないけれ
ど、でも可能性を感じます。"オーダーメイド"は好き嫌いが分かれる
けど、やはり名曲ですね。
 「今 想い出が光る前に僕を見て/震えていたのは そう 僕の手
のほうだよ」(タユタ)

4位 Chatmonchy"告白"
 チャットモンチーは、日本のガールズロックの歴史を一身に背負っ
た、まさに今、極北に立つバンドと思います。今作も素晴らしい出来
でした。今年一番聞いたかも知れないアルバム。
 「月を見て綺麗だねと言ったけど/あなたしか見えてなかった/あ
の光はね 私たちの闇を照らすため/マクロの画用紙に開けた穴」
(8cmのピンヒール)

3位 相対性理論"ハイファイ新書"
 メディアに一切出ない相対性理論。テクノポップが持つ諧謔さと自
虐、そして、グロテスクを、全て内包して、なおひょうひょうとして
いるすごさ。まあ、"地獄先生"にしても"学級崩壊"にしても、「好き
です、聞いてます」と、言うにはためらわれるものばかり(笑)。し
かし、すごいバンドです。ロックンロールというのは、こういうもん
だ、こういう破壊的で不道徳なものだ。
 「先生 知らないこと知りたいの/見えないものが見たいの 教え
て おしえておしえて/ねえ先生 最近寝つきわるいの 金縛りはげ
しいの/どうして? どうして先生」(地獄先生)

2位 100S"世界のフラワーロード"
 中村一義とその仲間たちが創り上げた傑作。彼らの歌う小さな小さ
な世界がとても愛おしく思える。そして、その小さな世界を切り口に
して、ディズニー的にもっと広いずうっと向こうの世界まで見えてい
く、そういう感じがたまらないアルバムです。中村が生まれ育った場
所は、小岩。ぼく自身が今年何度かあるいた小岩のフラワーロードが
アルバムのベースになっていることも、胸を揺さぶられる理由だな。
中村の声が嫌いな人も、取りすましたようでしかも珍妙さと哲学的な
言葉が同居しているような歌詞が嫌いな人も、たくさんいるのはわか
るけれど。
「そりゃそうだ、はしる。/そりゃ、そうだ、はしる。/「よっこら
しょ」か?/いらねぇな、もう、晴れていく。/そりゃ、そうだ、は
しる。/そりゃ、そうだ、はしるぞ、心。/そうか? 意味ねぇか?
/そう…愛していたいからね。」(そりゃそうだ)

1位 ソウル・フラワー・ユニオン"エグザイル・オン・メイン・ビ
ーチ"
 ライブアルバム。彼らの真骨頂がライブにこそあることを知らしめ
る8年ぶりのライブアルバム。どの曲もアルバムを通して聞き知って
いるのだが、ライブ音源で聞き直すとまるで違う曲のように生き生き
としてきます。彼らが、日本最高のロックバンドの一つであり、おそ
らく世界有数のミクスチャーバンドであることが、改めてよくわかり
ます。ライブにいかなきゃ。それにしても、すごいボーカル。そして、
絶対曲がらない信念の歌詞。
「バグダッドで うたは自由をめざす/ノス・コリアで うたは自由
をめざす/沖縄から うたは自由をめざす/東京から うたは自由を
めざす」(うたは自由をめざす!)

 ということで、今年のベスト10でした。
 今年は、実際は、ほぼ女性が音楽シーンを席捲しました。
 嵐など、ジャニーズだけが健闘。嵐はシングルだけ聞いていて、ア
ルバムを未聴なのでランクには入っていませんが、シングルの出来か
らするとアルバムもクオリティの高いものだっただろうと思います。
 では、みなさんよいお年を。

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 ショスタコーヴィチ"室内交響曲集"
 ルドルフ・バルシャイ&ミラノ・ジュゼッペ・ウ゛ェルディ管を聴きながら

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副島教育長の退任

  愛知小牧市の教育長副島先生が、12月24日をもって退任された。

 8年9か月の在任であった。

 副島先生が果たされてこられた仕事の重さを私は十分に承知している。

 あるブログ(「三楽の仕事日記」)で、このことが話題になっている。

 
DiaryINDEXpast


2009年12月24日(木) 副島教育長退任日

 今日は小牧市教育長・副島先生の任期満了日。8年9か月、教育長の任にあられ、ご指導いただいた。退任されるとは思ってもいなかったので、その報を聞いた時にはとても驚いた。

 副島教育長が就任されてから、有機的な結び付きを持つように意図された学校教育への様々な施策で、学校は大きく変化した。学校力を高めた。校長職や教頭職を拝命していた時には、教育長(市教委)が学校を下支えしていただている、さらに上へと高めていただいていると実感することが多々あった。小牧の文化も同様に様々な面で大きく向上した。地域の方々からも教育長がとられた施策を賞賛する声を何度か聞いた。
 副島教育長は多くは語られないが、一言が時間が経つにつれてじわり、じわりと体に効いてくる(自分の反応が鈍いということもあるが)。しばらく経って冷や汗が流れたり、次の一歩を踏み出す勇気をいただいたりしたことが何度もある。長い間のご指導に感謝するばかりである。最後の「教育委員だより」で次のように書いてみえることが、小牧にとってとても幸いなこと。

 明日からは、勤労学生から普通の大学院生になります。授業研究を基本とした学校づくり、なかでも研究協議会での教師の学びをテーマとしています。どこかの教室で授業を見ていたり、授業後の研究協議会に参加していたりする姿を見かけるかもしれません。不審者などと思わず声をかけてください。

 ★

 教育長時代から名古屋大学の大学院に通われていたらしい。

 他の人と同じように、普通の試験を受けての合格だったらしいから、いかにも副島先生らしい。

 テーマが「授業研究を基本とした学校づくり」。

 すごいテーマである。

 ★

 森信三先生は、次のように書かれた。(「一語千鈞」致知出版社)

「人は退職後の生き方こそ、その人の真価だといってよい。

 退職後は、在職中の三倍ないし五倍の緊張をもって、晩年の人生と取り組まねばならない」

 厳しい言葉だ。

 でも、副島先生は、このような仕方で、晩年の人生と向き合おうとされている。

 

 

 

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野口塾で、横藤先生が、講座を持たれます

   北海道の羊ヶ丘小学校の校長をされている横藤雅人先生が、相模原の野口塾に申し込まれた。そのようにメールが私に来た。

 横藤先生は、「縦糸・横糸」(織物モデルの教育論)の提唱者である。

 「縦糸・横糸を野口先生がどのように評されるのか、ぜひとも聞いてみたい」

ということ。

 実は、野口塾で私がその提案をすることになっていたのである。

 そういうことならば、ぜひとも提唱者に、提案してもらった方がいい。

 事務局の方と話し合い、また、横藤先生にも承諾してもらい、横藤先生が提案することになった。

 そこで、相模原の野口塾は、野口先生と横藤先生と私(「味噌汁・ご飯」授業の提案)の3人が提案することになった。

 実におもしろくなったのである。

 近くの方はぜひとも参加いただきたい。

 概要については、もう一度貼り付けをしておきたい。

 

第76回野口塾in相模原 [2009年11月20日(金) ]




 ~~~ ~~~

第76回 授業道場「野口塾」in 相模原

 国語授業の名人、野口芳宏先生をお迎えしての一日講座です。

 みなさん奮ってご参加ください。ともに学びあいましょう。
 お待ちしております。


1 期日  平成22年1月16日(土) 9:50〜16:50

2 会場  JR橋本駅前ソレイユ相模原(サティ内)
       http://www.soleilsagami.jp/access/index.html

3 交通  JR横浜線・京王線 橋本駅北口駅前
       「国道16号線」より橋本駅方面

4 参加費 4000円(学生2000円) *当日支払い
        
5 定員  60名  

6 当日の内容 
 9:30〜 受付
 9:50〜10:50 第1講座 野口芳宏先生
          「国語学力はこのように形成する(1)」
          (教材『広い言葉、せまい言葉』)
11:00〜11:50 第2講座 野中信行先生
          「野中流『味噌汁、ご飯』の授業
          〜基礎基本10か条を身につけた授業〜」
12:50〜13:20 地元教師の実践発表(1)
          地元教師の実践発表(2)
13:20〜14:20 第3講座
         「国語学力はこのように形成する(2)」 
         (教材『あとかくしの雪』)
14:30〜15:10 第4講座 横藤雅人先生 
         「『縦糸・横糸』で織りなす学級経営術」    
15:20〜16:10 第5講座 野口芳宏先生 
         「児童・保護者への向き合い方」
16:10〜 交流会「今日の学びを振り返って」

◇時間、内容等は変更になる場合がございます。ご了承ください。
◇講座終了後、野口先生を囲んでの懇親会を予定しております。
 奮ってご参加ください。 (JR橋本駅周辺、4000円程度を予定)
◇昼食は各自ご用意ください。
 会場ビル内および駅周辺に飲食店は多数ございます。

○申込先(お問い合わせもどうぞ) 〆切:平成22年1月8日(金)
 Eメール naoyaismme.com (半角に換えて送信下さい)
 (野口塾相模原事務局  五十嵐 直也)
 
☆いずれも下記事項をご記入ください☆
-------------------------------------------------
件  名:野口塾in相模原
記入事項:1 お名前          
     2 勤務先or学校名
     3 Eメールアドレス     
     4 懇親会への参加・不参加
-------------------------------------------------
※横藤先生の提案時間は、10分程度延びる予定である。
 明治図書から出している「新卒教師時代を生き抜く心得術60」が、8版になった。
 うれしいことである。
 愛知の一宮市や小牧市では、新卒教師全員に、この本を配布しているということらしい。
 ありがたいことである。感謝したい。
  ★
 24日のクリスマスイブの日。
 今年最後の勤務日。
 派遣校であるK校で、研修として私が講師を務めた。頼まれたものである。
 テーマは、「学級経営を成功させるポイント」。
 「縦糸・横糸」「3・7・30の法則」の話をする。
 「クリスマスイブの日に、浮き足立っている先生もおられる中で、ちょっと暗い話をするのは気が引けますが……」と…。
 熱心に聞いてもらえた。
 校長先生を中心に、見事な連携が取れている、素晴らしい学校である。
 あと3ヶ月。
 少しでもお役に立ちたいと願っている。
 
 

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教材研究の仕方が分かっていないのではないか

  初任者指導の仕事をしている。

 月一回教文センターに集まって、打合会がある。

 グループに分かれて、さまざまな話し合いをすることになる。

 その中で、先生達から出されてくる言葉に、次のような言葉が多く混ざる。

「…もっと教材研究の時間を取ってくれるといいのだが…」「学校の仕事に追われて、なかなか自分の教材研究がおろそかになるのよ」……。

 必ずと言っていいほど、「教材研究、教材研究」という言葉が出る。

 とにかく、初任者指導の先生達は、初任者に教材研究をしてほしいのである。

 もちろん、異論はない。

 ただ、複雑な思いになる。

 「教材研究と言っても、初任者は、果たしてどういうようにしていくのか、分かっていないんじゃないかな?」と……。

 ★

 教材研究をどのようにしていくのか、大学で教えてくれるのだろうか。

 一部の先生を除いては、多分教えないのだと思う。

 教えられないのだ。

 だから、教材研究というのは、せいぜい指導書を読むぐらいにしか考えないのではないだろうか。そして、さまざまに出ている実践記録を集めるぐらいだろう。

 ★

 教材研究について、今までまとまって明らかにしてくれたのは、野口芳宏先生である。

 それを紹介しておこう。

 野口先生は、教材研究を三段階に分けるとされている。(「国語教室第23集」)

 素材研究、教材研究、指導法研究である。

 素材研究は、例えば「花さき山」という作品を一人の大人として力いっぱい読んで、自分自身でこの作品を味わい楽しみ、感じとることである。

 教師面をしたり指導意識を持ったりする以前の自分自身のぎりぎりの読みとりをすること。

 教材研究は、子供に教える教師の立場に立って、単なる素材ではなく、教材としての研究をすることである。

 それは、理想的状態と子供の現実との落差、距離、懸隔をとらえることである。

 理想的な状態に接近させるためには何を指導しなければならないかという指導内容、指導事項を明らかにすること。

 指導事項というのは、本来的には到達させるべき水準と子供との実態とのずれから導かれるものでなければならない。

 したがって、指導内容、指導事項というのは、それぞれのクラスや教師の望んでいる水準の高さによって異なってくるのが本来である。

 指導法研究は、どのように指導したら効果的であるかということの考察をすることである。

 いかに問い、いかに考えさせ、だれを指名し、何を話し合わせるかというような工夫をすること。

 ★

 野口先生は、その3つの具体的な技法もまた明らかにされている。

 これは、あくまでも国語の教材研究である。

 だから、当然各教科によって、教材研究の方法はちがってこよう。

 しかし、原則的な教材研究は、そんなに違わないと思われる。

 ★

 こういう教材研究を繰り返すことによって、教師としての力量をつけていくものだと、野口先生は主張されている。

 今回、「味噌汁・ご飯」授業を考えながら、さまざまな課題に気付いてくる。

 1つは、この教材研究は、「こうしていくのだ」という方法があっていいと思うようになった。

 もちろん、こうすべきだと規定するものではないが、モデル的なものがなさ過ぎる。

 現場では、教材研究の方法論はなきに等しいと言っていい。

 

 

 

 

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つれづれなるままに(3)

   あと1週間で、学校は終わりである。冬休みに入る。

 辛い二学期を過ごしてきた先生達は、ほっと一息付ける。

 学校から離れて、冬休みの日々を楽しみたいものだ。

 ★

 長い人生を生きてきて、(といってもたいしたことがないが)「そうだよなあ」と思うことがある。

 このブログでも、さまざまに書いてきたことだ。

 人が躓いたり、挫折したり、くじけたりするのは、大きなことからの失敗やトラブルからではない。

 日々を過ごす、その過ごし方に大きな要因がある。

 この過ごし方をいい加減にしては絶対だめだな、と思っている。

 ★

 押切もえ「モデル失格」(小学館)の中に、「心を満たす食べ方」の章がある。

 食べ始めに「いただきます」と口にするのは、「食べるモード」に切り替わる合図になる。一人で食べるときでも、コンビニやスーパーの惣菜でも、きちんと器に盛ってセッティグする。食べ終わったら、「ごちそうさま」を忘れずに。

 そして、「一人ご飯のときは、かわいらしい食器を使ったり、お花を飾ったり、楽しめる雰囲気をつくって。心安らぐ音楽を聴きながら、というのも素敵です」

 日常の生活で、ささやかな、きちんとした礼儀。

 それをもえさんは、ごく自然に語っている。

 トップモデルの生活をしながら、日常の生活も大切にしようという心意気が伝わってくる。

 ★

 朝、職員室の机で、買ってきたパンをかじっている。

 昨日は、夕方インスタントラーメンを啜っていたのではないか。

 あとは、ひたすらパソコンにしがみついている。

 きっと家へ帰るのは、夜の9時、10時になるにちがいない。

 学校の仕事はよくやる。

 クラスも、まあまあ何とかなっている。

 だが、きっと日常は荒れているにちがいない。

 非日常を頭いっぱいにし、日常の豊かさを踏みつぶしていく。

 そんな若い人たちをよく目にしてきた。

 若さとは、遠くを見て、足もとを耕さなくてはならないのに。

 ★

 最近、2つのものを身につけている。

 1つは、歩数計。もう1つは、腕に巻いた輪ゴム。

 毎日、1万5千歩を目指す。休みの日は、2万歩。2万歩とは、3時間歩かなければいけない。

 とにかく歩く。

 もう1つ、右腕に巻き付けた輪ゴム。

 小宮一慶さんに学んだもの。頭の中に、ネガティブな思い(考えてもどうしようもないこと)が浮かんできたとき、そのゴムをぱちんとやって「はい、そこまで」と区切りをつける。

 これはいい。

 ★

 詩人長田弘は、「一日の終わりの詩集」(みすず書房)のあとがきで書く。

 「人生ということばが、切実なことばとして感受されるようになって思い知ったことは、瞬間でもない、永劫でもない、過去でもない、一日がひとの人生をきざむもっとも大切な時の単位だ、ということだった」

 

 

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続編 未曾有の授業崩壊

   前回のブログで、石川晋先生が書かれていることについて引用しておいた。

 それについて、自身のブログで、反応されている。

 

未曾有の授業崩壊

 野中信行先生が、ぼくが授業づくりネットワークに書いた原稿(この前の記事で雑誌を紹介しています)と、校内向けに発行し、何人かにだけ読んでいただいている自己研修通信から引用して下さっている。



 そう、未曾有の授業崩壊が目前まできていると、ぼくは感じている。
 問題は、多分、単純な先祖がえりだけでは太刀打ちできず、かといって、新しい授業技術だけでも当然対応できないということだ。

 しかし、これは、視界を広げて外の世界を見ると、音楽や美術、文学の世界においては、既に起こってきたことだ、とも思える。
 つまり、これら芸術の世界では、以前から使われてきた手法は使えて当然の手法であり、さらに新しい手法の開拓を余儀なくされていったのである。その結果、ごく一部の人しか行うことができず、ごく一部の人にしか理解されないものになっていったわけだ。現代美術、現代音楽、実験小説、みんなクライアント顧客を失っていった。

 その解決策はなんだったかというと、きちんと聴衆や観衆、読者に理解してもらえること。つまりクライアント顧客からスタートするということだったと、ぼくは考えている。もっともそのために20世紀という時間が使いつくされる結果になった。

 いずれにしても、この辺りにヒントがあるんじゃないかとぼくは思う。教育の世界も、最終的に学習者スタートの重要性に、みんなが気がつくという結末になればいいなあと思っている。しかし、おそらくそれまで長い混迷の時間が続くのだろうという気がする。

 ぼくらに何ができるのだろう、最近、ずうっと考えている。
 ★
 法則化運動で活躍された福山憲市先生も、コメントで私たちが持っている危機感を感じられている趣旨のことを書かれている。
 これは私だけが感じた問題ではないのである。
 日本全国の先生達が、同じような危機感を持っておられるのかもしれない。
 ★
 私は、この時期に「味噌汁・ご飯」授業を提案している。
 学校で「ごちそう」授業(研究授業など)に向けられている眼を「日常授業」の方に振り向けていかなくてはならないという提起である。
 学校の日常授業は、高学年になれば1000時間を超えていく。
 その1000時間のうちの2,3時間の研究授業(それはそれで意味があるのだが)に精力的な力を振り向けていくことは、もうやめなくてはならない。
 そういう思いを持っていた。
 そこへ札幌市の山手南小学校の「確かな学力を育成する日常授業の改善」というテーマが現れた。
 これは、すばらしい試みである。
 「日常授業」を問題対象にしたいということだ。
 私がブログに書いたら、南小の校長先生から「研究概要・指導案集」が送られてきた。
 画期的だ。
 いずれ私も、この学校へ授業を見に行きたいと願っている。
 ★
 学校の中で「日常授業」が問題対象にされてきたら、これは大きく変わるであろう。ここにこれからのヒントがあると、私は思っている。
 今まで学校の中で進められてきたものが揺り動かされる。
 そういう問題提起をこれから始めなくてはならないと思う。
  
 
 
 
 
 

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未曾有の大きな授業崩壊が来るのではないか?

  初任者指導の仕事を始めてから、私の中で大きな変化があった。

 それは、大きくは授業を「する側」から「見る側」に位置を変えたというところからの変化である。

 それまでは、ひたすらに自分(自分たち)の授業をどのように作っていくかに視点があり、周りの先生達の授業への関心は、ほとんどなかったと言っていい。

 しかし、「見る側」に位置を変えたことで、驚くことがいくつかあった。

 初任者の普通の授業がよく了解できたし、その学校の他の先生達の授業の様子がよく見えるようになったと言っていい。

 これについては、このブログで何度も書いてきた。

 ★

 驚いたことは、いくつかある。はっきり書こう。

 第一に、先生達の授業がへたくそになっていること。

 第二に、先生達の授業から「授業の基礎基本」がなくなっていること。

 第三に、先生達から元気がなくなり、子供達に向かって迫っていこうとする意気込みがなくなっている。その結果、授業が、与えられている時間を埋めているだけのものになりはてていること。

 「バイアスがかかった見方だ」と言われたら、それはかえってうれしいのだが…。

 どうだろうか。私のこのような偏見的な見方が、的を射ているのだろうか。

 ★

 この現象を私は、それこそ勝手に20年間ぐらい続いた「新しい学力観」の考え方が引き起こしたものだ、と思い続けてきた。

 でも、必ずしも私は「新しい学力観」を完全否定してはいない。

 大事な問題提起はしてきている。

 ビジョンはあったが、方法論と、それを支えていく教師達の力量の無さが決定的であった。

 だが、今、「新しい学力観」の失敗がこのような現象として露呈しているのか、という思いである。

 ★

 こんな時、「授業づくりネットワーク1月号」(2010年1月号)の「『ハイブリッド授業』が直面する困難」(石川晋)を読んだ。

 それと、石川晋先生の「自己研修通信 40号」を読んだ。

 いやいや、私とほとんど同じ土俵から、同じような問題を指摘されている。

 「当たり前のことだが、必要なことは教えなければならない。説明を中心とした授業、指示・発問型の授業構成の中で教えなくてはならないことは多い。こうした授業が安定的に行える授業技術は、たくさん積み上げられてきている、他方、考えを広げたり深めたり、自分の考えを表現したりする授業も当然必要になっている。こちらの授業技術はいまだ開発途上であり、精力的な開発が望まれる状況だ。

 ところが、こうした『旧来型の授業』との区別自体が十分になされていない。特に四十代前半以下の教師にこうした傾向が顕著であると、かなり断定的に言ってもよい。しっかり教えることと、じっくり協同で考えさせ表現させることと、この2つの使い分けの発想もない。そもそも、『旧来型授業』そのものへの無理解や無自覚があるのではないか」(授業づくりネットワーク1月号)

 また、「自己研修通信」には、このように書いてある。

「教育技術の法則化運動を向山洋一氏が立ち上げたとき、先鋭的な運動展開のやり方もあって、大きな摩擦をほうぼうに生みました。しかし、あの運動の中で、明らかになった授業を運営する技術は、法則化が好きか嫌いかといった感情的な問題にしてはいけないことばかりでした。

 たとえば、・・・。

『一つの時に、一つの活動を指示する【一時一事の法則】

 例

 机の上の教科書を片づけて、ノートを出して、グループになりなさい。×

 机の上の教科書を片付けなさい。(確認)ノートを出しなさい。(確認)グループになりなさい。○ 』

 これって、法則化運動が技術として抽出しただけで、それまで多くの先生方が普通に活用してきた技術だったものと思います。現に、授業の上手なベテランの先生の授業を拝見すると、法則化運動なんて全然知らなくても普通に行っていることでもあるわけです。

 しかし、こうしたことが、中堅層の授業者におしなべてできていない状況だと、よくわかりました。

 これは未曾有の大きな授業崩壊が来るのではないかと、背筋が冷たくなる思いです。」

 ★

 石川先生が把握する範囲は、私よりも何倍も広い。

 それで、こんな指摘なのだ。

 私は、深く考え込んでしまった。

 もはや棺桶に片足を突っ込んでいる私。残された時間何をしなければいけないのか。何ができるのか。

 そんなことを考える日々である。

 

 

 

 

 

 

 

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「なぜ、こういう生活ができたか?」

  兵庫県のM市に、講演のために行った。

 テーマは、「多忙化を乗り切る仕事術を考える」である。

 こんな時期に行くこと自体が、多忙化に拍車をかけるのではないかと危惧しながら伺った。

 2つの小学校の先生達が集合されていた。

 ★

 私が最も忙しかった時のことからテーマに入っていった。

 40代のときである。

 教務主任を5年間務めた。主に、高学年の担任をしながら、初任者担当の仕事も兼ねていたので、めちゃくちゃに忙しかった。

 ところが、この時期、女房も教師をしていたので、帰りがどうしても7時、8時になることがあり、「それじゃあ、私が夕食作りをやりましょう」ということで、毎日夕食作りに勤しむことになった。

 ところが、ところが、この時期、趣味でフルマラソンを走っていたので、暇さえあれば走っていた。

 9月、10月は、一月に300キロから400キロを走ることになる。

 だから、土日は、40キロから50キロの距離を走っていたことになる。

 こんな生活をしながら、女房から「お父さんは、どうしてそんなに暇なの?」と言われていたのである。

 ★

 一日の生活は、通勤ラン(リックを背負って走って学校の往復をする)か自転車で始まり、6時前には退出していた。教務主任が、6時前に帰るなどというのは、普通の学校では考えられないものだが、買い物があり、夕食作りも待っていた。(それがまずいならば、いつでも教務主任を替わりますと校長に言っておいた)

 それでも、水曜日には週案は書き上げたし、学級通信も1週間に何号か書き上げていた。

 通信票(あゆみ)も、締め切りの2週間前か遅くとも1週間前には終えていた。

 夜は、11時前には休むようにいていたし、土日は趣味の時間であった。

 ★

 なぜ、こんな生活ができたか。

 それは、自分なりの仕事術を確立していたからだ。

 忙しかったからこそ、どうしても仕事術が必要だったのである。

 仕事術は、2つの発想をもっていなくてはならない。

 1つは、いかにして「時間を生み出していこうか」という発想。

 2つめは、いかにして「仕事を能率的に処理できるか」という発想。

 1つめの時間を生み出す発想は、手帳がその決め手になる。

 「学級経営力を高める3・7・30の法則」(学事出版)に、その手帳術については書いているので参考にしてほしい。

 2つめの「能率的な処理」には、「仕組み」化の考え方が決定的に大切なことは、このブログでも繰り返し説いている。

 決め手は、「仕組み」化である。

 ★

 私が「仕組み」化に気付いていったことは、これも何度も書いているのだが、「朝のけもの道」の発見からだ。

 ものすごい発見をしたようだが、考えてみれば、当然のことなのである。

 若い頃、出勤印を押したり、押さなかったりで、事務の先生から注意を何度も受けた。

 何とか忘れないで、毎日押す方法はないものかと、考えた方法が「朝のけもの道」であった。

 朝、必ず玄関から自分の机まで歩く道を一本道にすること。

 その途中に、出勤札があり、出勤印を押すところがあり、……というように一本道を必ず通るのである。

 ★

 この発見は、私の仕事に革命的な変革をもたらした。

 要するに、仕事は、一連のシステムで構成していけば忘れることもなく、きちんと成立していくことになるのだ。

 それが「仕組み」化である。

 それ以来、「困ったこと」「めんどうなこと」「うまくいかないこと」などは、どのように仕組めばいいのかと発想するようになったのである。

 ★

 こういう話をした。

 しかし、先生達には、残された通信票のことで頭がいっぱいで入らなかったかもしれない。

  

 

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感心した「学級通信」

  京都の「明日の教室」でお会いした先生。

 今年、大学を卒業して、臨任で少人数学級の担当であった。2学期から、産休の先生の代わりに2年生の担任をすることになった。

 あれは、11月の頃であったか、初めてのクラス懇談会でどのように進めたらいいのか、相談を受けた。

 私は、こんなプログラムで行えばいいと連絡し、そのポイントを教えたのだと記憶する。

 その先生から、懇談会はうまくいったという連絡を受けていた。

 昨日、その懇談会の様子を学級通信にしたものを送ってもらった。

 それを読みながら、感心してしまった。

 担任経験がまったくない、9月から担任を持ったばかりの先生が、このようなことを書けるとはたいしたものである。

 校長からは、褒められたらしい。

 その先生に断って、その通信をここに掲載することにした。

 このブログを読んでいる若い先生方にとても参考になるのだと思う。

 ★

 

小さなことから

 コツコツと。

            

            学級懇談会を終えて

早いもので,もう12月です。1年の締めくくりの月となりました。

遅くなりましたが11月の学級懇談会にお忙しい中お越しいただきありがとうございました。懇談会は,以下のような流れで進めていきました。内容を紹介させていただきます。

1,自己紹介

○担任・・ この春○○大学教育学部を卒業しました。1学期の間は,○○小学校で少人数指導等を担当させていただいていました。私が2-1の担任と聞いた時は,心臓がとびでるほど驚き,嬉しく思いました。そして,1学期とは違う担任としての責任と仕事の量にまた心臓がとびでるかと思う毎日を過ごしています。しかし,子ども達と過ごす日々は,とても楽しく充実しています。素直でかわいい2-1の子ども達の担任をさせていただき,本当に幸せです。私にとって,担任としての初めての子ども達です。この先,何百人の子ども達と過ごすことになりますが,今年1年が私の教師生活の軸となり,そして,生涯で忘れられない1年になると思います。力が及ばず,ご迷惑をおかけすることも多いと思いますが,一生懸命頑張りますので,どうぞよろしくお願いします。

○保護者の皆様・・お子さんのよいところを3つ入れて,自己紹介をしていただきました。その後,子ども達が書いた自分のよいところとメッセージをお渡ししました。さすが,お母様方!子ども達の意見とピッタリでした。子ども達全員分のメッセージを用意しています。個人懇談の際にお渡ししたいと思います。

2,今のクラスの状態~子ども達と3ヶ月を過ごして~

 2-1のよいところを3つ紹介します。1つ目は,大きな声で,元気よく歌を歌うところです。VTRを用意していますので,○○日(土)のPTA行事の際にお見せできればなと思います。2つ目は,授業の開始時刻を守るところです。9・10月は,タイム当番のAくん,Bくん,Cくんがタイマーをセットしてくれていました。11月からは,タイマーを使わず,タイム当番の人たちが,自分達で時間を見て「時間になります。席につきましょう。」と呼びかけてくれます。そのおかげで,授業の開始がとてもスムーズになりました。3学期は,全員が,自分達で時間を見て行動できるようにしていきたいです。3つ目は,掃除を一生懸命頑張るところです。2-1の子ども達は,教室の入り口や廊下のかべ,階段の細部まで掃除を一生懸命しています。Dくんが,細部の汚れに気づき掃除しはじめてくれたおかげで,今ではみんなが頑張ってくれています。

3,学級経営方針について

 ○指導で大切にしていること・・「教師の言葉を必ず聞かせる」ことです。たとえば,子ども達の前で話をする時,「話をします。こちらを見ましょう。」と言います。そう言ったからには,必ず全員が教師の方を向くようにさせます。中には,友だちとおしゃべりをしていて話を聞いていない子もいます。そういう時は,注意して全員に徹底させることを意識しています。もし,ここで放っておいたら,子どもに「先生の言うことを聞かなくてもいいのだ。」ということを教えてしまうことになります。なので,言ったからには,全員に徹底させることを常に意識しています。最近では,子ども達同士で教え合えるようになり,私が注意する回数がぐんと減りました。

○授業で大切にしていること・・算数では,ノートを広々と使うこと,ものさしを使って線を引くことを徹底しています。漢字の学習では,「指書き→空書き→なぞり書き」をしています。この様子も12日に,VTRをお見せできればと思います。2-1は,とても丁寧に漢字を書くこと子が多いです。私よりも,整った形を書く子が多いです。なので,私も漢字ドリルを見ながら練習する日々です・・・。

4,ご家庭でお願いしたいこと

 1つ目は,学習のお手伝いです。算数で「かけ算九九」の学習をしています。すぐに覚えられる子もいますが,どうしても覚えることに時間がかかる子もいます。授業でも一生懸命教えていますが,ご家庭でも「九九カード」を使いながら,覚えるためのお手伝いをしていただけるとありがたく思います。2つ目は,ものさしの確認です。授業ではものさしを使って線を引くことを指導しています。多くの子がものさしを持ってきていますが,忘れてくる子もいます。教室でもものさしを用意していますが,子ども達は自分のものさしが使いやすくてよいと思います。もう一度,ものさしの確認をしていただけるとありがたく思います。

 

5,今後の行事予定について

 12月には個人懇談,2月には二中校区学校一日公開日,3月には6年生を送る会が予定されています。1日1日を大切にして,子ども達と過ごしていきたいと思います。

6,質疑・応答等

 ここでは,お子さんの家での様子などで盛り上がりました。

「教師になって5年間は・・・」

学生の頃,お世話になっていた先生から,「教師になって5年間は借金生活だぞ。」と言われました。私がその言葉に不思議そうにしていると,その先生は「まだまだ力が足りない5年間は,子どもに申し訳ないという気持ちを持つことが大切だ。これから出会う子ども達が君の先生だ。」と教えてくれました。1年目の私にとって,すべてが初めてのことばかりです。そのような私に,2-1の子ども達は,いろいろなことを教えてくれます。子ども達に気付かされたこと,教えてもらったことを,これから出会う何百人の子ども達に必ず,返していきたいと思います。親にしかできないこと,教師にしかできないことがあります。立場は違いますが,子ども達のために協力し合っていきたいたいと思います。今後ともどうぞよろしくお願いします。

どうであろうか。

保護者へ伝えることが適切に書かれていることが分かるであろう。

来年の採用試験には、ぜひとも合格し、先生の道を突き進んでほしいと願っている。

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結婚は、してもしなくてもいい 70%

  内閣府が5日付で「男女共同参画社会に関する世論調査」の結果を発表した。

 「子供を持つ必要がない」という回答は、男性が38.7%、女性が46.5%と半数近くにのぼった。

 また、「結婚は個人の自由だから、してもしなくてもどちらでもよい」との回答は、前回より4.9ポイント増えて、70.0%。

 こういう結果に、マスコミはあまり騒いでいない。

 私たちも、「そんなものか」「まあ、そんなものだろうなあ」という感じで過ぎていこうとしている。

 しかし、冷静に考えてみると、これは大変なことだと思う。

 ★

 たまたま、大前研一のニュースの視点を読んでいたら、次のような記事に目にした。大前も、深刻に捉えているのだ。

 5日、内閣府が発表した世論調査の結果によると、「結婚は個人の
 自由だから結婚してもしなくてもどちらでもいい」と答える人が
 70%にのぼることが分かりました。

 また、「結婚しても必ずしも子供を持つ必要がない」との問いには
 42.8%が賛成と答え、平成4年の調査開始以来、過去最高となりま
 した。

 一般の新聞紙面上でも取り上げられていたニュースですが、その
 論調は少し能天気過ぎると私は感じました。

 これまでも出生率の低下に関連するニュースは度々報道されていま
 したが、「結婚はしてもしなくてもいい」という回答が70%を占め
 るという今回の結果は衝撃的です。

 私は世界の様々な国を見てきましたが、こんな国は見たことがあり
 ません。「価値観の多様化」というような表現で片付けられる問題で
 はないと思います。

 これは、親・学校を通じた日本の教育の結果です。家族・人類を
 維持していくためにはどういうことが必要なのか、家族の愛情は
 どれほど重要なものなのか、という「価値観」について日本は教育
 できていないということだと思います。

 このままでは、日本は「国家」を形成できなくなる危険性すら感じ
 ます。

 かつて魯迅は日本を訪れた際の感想として、「中国人は砂のように
 サラサラしているのに対して、日本人は米のようだ」という趣旨の
 ことを記録として残しています。

 当時の日本人という民族は、「非常に人と人の結びつきが強かった」
 ということでしょうが、残念ながら今の日本人にその面影はありま
 せん。

 おそらく世界の国で同じような調査を行ったとしても、この日本の
 数字の半分にも届かない結果になると私は想像します。唯一、日本
 に近い結果が出る可能性があるのは韓国ですが、それでも日本には
 遠く及ばないでしょう。

 今回の結果は常識では考えられないレベルの数字であり、国家は
 将来についての危険性を真剣に感じ取るべきだと思います。

 ★

 この認識が、さまざまな国の現状を見てきている大前の認識だ。

 私たちが危機意識を持てない現状が、それこそが大きな危機だと思う。

「これは、親・学校を通じた日本の教育の結果です。家族・人類を維持していくためにはどういうことが必要なのか、家族の愛情はどれほど重要なものなのか、という『価値観』について日本は教育できていないということだと思います」

 確かに、大前が言う「価値観」を子供達に持たせることに失敗している。

 だが、この現状を未来へ向けてどうしていけばいいか、と考えたとき、呆然となるのは私だけであろうか。

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またまた、「説明」についてです

 授業の「説明」について、さまざまなところで話題になっている。

 それに堀先生が、トラックバックをつけてくれた。

 大事なことなので、ここで全文を貼り付ける。

 

説明を研究するという覚悟

野中さんと晋ちゃんが、「発問」や「指示」が教育界で長く話題になってきたにもかかわらず、「説明」がほとんど研究されていないことを問題視している。言いたいことはわかる。基本的に、ぼくも「説明」が授業において最も大切な指導言であることを様々な場で発言してきている。

しかし、「説明」が「発問」や「指示」に比べて研究対象とならなかったことは、当然だと思っている。それは端的に言えば、「発問」や「指示」が行動を喚起する指導言であるのに対し、「説明」が認知を広げ、深めるための指導言だからである。

「発問」や「指示」は必ずその後に児童生徒の行動が起こることを前提として発せられる指導言である。児童生徒に何らかの行動があらわれるということは、その「発問」や「指示」の有効性を評価しやすいということであもある。評価しやすいということはすなわち研究しやすいことを意味する。

ところが、「説明」は違う。「説明」は行動ではなく、頭で理解することを第一義とする指導言である。もちろん、行動の仕方を「説明」することもあるし、「発問」の意図を説明することもあるにはある。しかし、授業において、多くの「説明」は認知・認識を広め深めることを意図したものであり、児童生徒が少なくとも黙って聞いている姿勢を示した場合、その「説明」が適切であったか否かを評価することは困難である。ここに「説明」が「発問」「指示」に比べて研究対象になりづらかった第一義的要因がある。

おまけにやっかいなのは、「説明」する側が自分の説明をよかれと思って説明しており、「発問」や「指示」のように児童生徒の言動によってすぐに評価がフィードバックされるという特質をもちづらいことある。さらに、テストの出来が悪かったとか、後日行事の本番になってまったく取り組めなかったという現実にあたって、初めて「わかっていなかったのだなあ…」と認識するに至る……という、いわば時間差評価に陥る可能性がきわめて高いという傾向も災いしている。

更に更にやっかいなのは、「説明」というものは、「発問」や「指示」に比べてコンテクストの影響を受けやすい性質をもつということである。学校と言うところは基本的に、子供たちが少なくとも1年間は同じ教員の指導を受け続けることが多い。その場合、教師の指導言(指導言に限らず指導全般、もっといえば言動のすべてにおいていえることだが)が多少下手でも、子供たちがその下手な指導言になれ、教師の意をくんでくれるという現象が起きる。早い話、教師の指導言が下手くそでも、夏くらいにはほとんど以心伝心で通じるようになるという傾向が強いわけだ。そしてこの傾向は、「発問」より「指示」、「指示」より「説明」に顕著な傾向なのである。

野中さんも晋ちゃんも、「説明」の研究が必要だという。ぼくももちろん、反対ではない。しかし、実は、「説明」の研究こそ、「発問」の研究や「指示」の研究よりも難しいのである。それは、「説明」というものが、「発問」や「指示」に比べて、その「説明」を発する教師の人格・人間性と親和性が高いからである。ただ「わかりやすい説明を」という程度であればいくらでもできるけれど、もう一歩踏み込もうと考えたときに、ぼくらは間違いなく膨大な難問に次々に突き当たっていく。

「説明」の研究には、こうした覚悟が必要である。

 ★

 なるほど、なるほど。その通りである。

 私は、この「説明」の問題を初任研の仕事をするようになってはじめて気にするようになった。

 授業の中で、この説明の時に、子供達は飽きがくる。

 ほとんど聞いていない。聞いたふりをしている。

 その様子がよく分かるのだ。

 私が担任をしている時には、無意識に発していた。

 「ただ、しゃべっていた」だけである。

 だから、きっと子供達は、「長すぎる」「くどい」……などと思っていたに違いない。

 ベテラン教師になるほど、話が長くなる。

 まわりはいらいらする。本人は気付かない。老化現象なのだ。

 私も、やっていたに違いない。

 ★

 しかし、私が問題にし、石川晋先生がつっこみ、堀先生が問題をまとめてくれることによって、「説明」というものが、ずいぶん明確になってきたことだけはあきらかである。

 このブログを見てくれている人たちにとっても、「説明」が問題視されたのだと思う。

 私がこれからイメージしていることは、ずっとプラグマティックなことで、「子供達に食い込んでいく説明の仕方」「聞かせる説明をするコツ」……ということになっていく。

 こういうことさえも今までほとんど問題にされてこなかった。(それは堀先生がまとめてくれている)

 もう少し突っ込んでいきたい課題である。

 

  

  

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「受け売り屋」が必要だ

  内田樹さんの「日本辺境論」(新潮新書)を読みながら、ちょっと笑ってしまったのは、次のようなこと。

「…日本の周縁性や辺境性や後進性によって日本文化の特殊性を語られた方はこれまでにたくさんおられました。ですから、最初にお断りしておきますけれど、本書のコンテンツにはあまり(というかほとんど)新味がありません。(「辺境人の性格論」は丸山眞男からの、「辺境人の時間論」は澤庵禅師からの、「辺境人の言語論」は養老孟司先生からの受け売りです。この場を借りて、先賢に謝意を表しておきます)」

と書き、ブログでは、「受け売り屋」と自ら自認している。

 ★

 ここを読みながら、「受け売り」としてやっていかなくてはならないものは、教育界にもいっぱいあるよなあ、と思った次第である。

 驚くことがいっぱいあるのだが、「法則化運動」が終わってもう10年にもなろうとしているが、その財産が、教育現場にはまったく残されていないことについてである。

 先生達は、自分の授業を基礎基本を用いて推し進めていない。

 まったくない。無惨としかいいようがない。

 何にもない。

 私は、「新しい学力観」で推し進められた「支援、支援」の授業観が、このような状況を作り上げてきた大きな原因の一つだと、このブログで繰り返し主張してきた。

 ★

 たとえば、すぐにでもいくらも思いつくが、次のような課題は、今の現場ではぜひとも必要な課題である。

 この課題は、今まで何冊もの実践記録が発表されてきている。

 だから、改めて主張するとなれば、さまざまな実践の集積、選択、抽出になる。

 でも、それをしなければ、現場は相変わらず「教科書をそのまま読んで終わり」程度の実践をしている現状を乗り越えることはできない。

 私が思いつく課題は、次のようなものだ。(たとえば、国語の場合)

 1,国語の授業に取り入れる音読の手立てをどのように図るか。

 2,作文が書けない子供達をどのように指導していくか。

 3,小学校国語教育で指導すべき各学年の詩の授業をどのように体系化するか。

 4,各学年の作文指導をどのようにしていくか。

 5,子供達が、すらすら文作り(10分間で400字程度)ができる手立てをどのようにとるか。

 また、学級づくりでは、次のような課題を思いつく。

 1,「群れ」を「集団」化していく手立てをできるだけ多く考える。

 2,子供達同士が、コミュニケーションをうまく取れるような手立てを考える。

 3,活性化する会社活動を考える。

 4,「見える」化が図れる学級掲示をどのようにしていくか。

 また、ささやかだけれど重要な課題を考える。

 1,クラスにいる「繰り上がり」「繰り下がり」「かけ算九九」がうまくできない子供にどう対応していくか。

 2,クラスにいる「すらすら読み」ができない子供にどう対応していくか。

 3,視写をどのように授業で取り入れていくか。

 4,きちんとしたノート指導をどのようにさせるか。

 ★

 「そんな課題はもうすでになされている」と言うことは、簡単だ。

 でも、現場にはほとんど何にも残っていない。

 「受け売り屋」として、現場的な課題を集積、選択、抽出していく必要は、充分あるのである。

 

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「説明」が、このように問題にされてきた!

  初任者の今日の作文を書かせる授業。

 作文で注意することの3点をきちんと板書して作文開始。

 しかし、注意点の第一点目(作文の最初の文は、一マスあけて書くこと)は、なかなか子供達に伝わっていなくて、一マス目から書く子供が続出。

 反省会で、私は次のように言った。

「先生が板書されたことは、とても分かりやすく的確でしたよ。でも、先生の説明を聞いていない子供がかなりいたことになります。

 私なら、あの説明は、次のように言います。

 『今からこれから書く作文でとても大切なことを3つ言います。指を折って聞きますよ。

 まず第1に、……。次に、第2です。……。最後に第3です。……。』」

 これなら、多くの子供を集中させられたかもしれない。

 このように、「説明」についてかなり敏感になっている。

 ★

 今日の「授業づくりネットワーク」のメールマガジンで、石川晋先生が、貴重な本を紹介しながら、私が問題にした「説明」について書いてある。紹介をしておこう。

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メールマガジン「授業成立プロジェクト(JSP)」
            第214号  2009年12月9日発行
                      (毎週水曜日発行)
HP http://www.jugyo.jp/js-pro/

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★目次★
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
1 連載「”授業成立”で眠れないあなたのための読書ノート」
  第5回 海保博之『説明を授業に生かす先生』
         北海道・上士幌町立上士幌中学校  石川 晋
         http://homepage1.nifty.com/maru-shin
2 「第14回東北青年塾」のご案内
                          編集部
3 「第7回新米教師研修会」のご案内
                          編集部
4 オススメDVD「みて、すぐわかる! 授業導入のアイディア集」
                          編集部
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

 石川晋さんの連載です。今号では、「説明」の大切さについて語ってく
ださっています。
 確かに、教師は「説明」をよくします。それなのに、「説明」を無自覚
に行っている自分に気づかされました。私も、野中信行さんのおっしゃる
通り、「ただしゃべっている」状態ですね。
 まずは、「説明」している自分を自覚することが第一歩かも知れません。
明日から意識して「説明」したいです。       (中村 健一) 

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1 連載「”授業成立”で眠れないあなたのための読書ノート」
  第5回 海保博之『説明を授業に生かす先生』
         北海道・上士幌町立上士幌中学校  石川 晋
         http://homepage1.nifty.com/maru-shin
------------------------------------------------------------------

 本連載では、基本的に二冊ずつ紹介することで、授業成立に必要な視点
をできるだけ重層的に論じようという目論見がある。授業成立のための
「ハイブリッド」発想を持って書くということと言い換えてもよい。
 しかし、今回は、初回に続いて久しぶりに一冊だけの紹介となる。その
本は、海保博之(かいほひろゆき)『説明を授業に生かす先生』(図書文
化)である。
 なぜ一冊だけなのか。
 理由は簡単である。
 これまで、教育書の中に、「説明」に特化して書かれた本がほとんどな
いからだ。類書がないのである。
 例えば本MMでおなじみの野中信行氏が、過日ご自分のblogの中で「授
業は、発問なのだろうか」と題して、次のように書いておられる。

   http://nonobu.way-nifty.com/blog/2009/11/post-bfaa.html

  教育界で「説明」のことについて研究した本があるのだろうかと、ア
 マゾンで調べてみた。
  2冊ぐらい。それも「指示・説明」と一緒である。
  「指示」については、法則化運動時代に出された岩下修先生の「指示の
 明確化で授業はよくなる」(明治図書)がある。しかし、今は絶版である。
  「発問」研究については、すごい数の本がある。
  教育界がどこに力を入れてきたかがよく分かる。
  私は、「説明」の研究をもっとしなければいけないと思う。
  私たち教師は、この「説明」のとき、「ただしゃべっている」のである。
  子供達からそっぽをむかれている。

 大西忠治氏以降、多くの実践家、研究者が、授業の主要な構成要素が
「発問・指示・説明」であることを指摘している。しかし、「発問」と「指
示」について、特に「発問」についての書籍はたくさんあっても、「説明」
について焦点化したものはほとんどないのである。

 さて、そういうわけで、『説明を授業に生かす先生』は、大変重要な指
摘や整理を含んでいる一冊である。
 海保氏は「授業で先生がしていることのほとんどは、生徒に説明するこ
とです」と冒頭でいきなり述べる。そして、さらに次のように続ける。
「説明があまり上手でなければ、子どもにとっては悲劇です。」…。

 この本は、前段が「理屈編」後段が「実践編」。
 前段の「理屈編」は、認知心理学の成果をベースとして、説明の原理を
明らかにしていく。平明な言葉で書かれており、はじめて出会う認知心理
学といった趣もあり、おもしろい。しかし、授業成立ということで言えば、
即効性があるのは、後段の「実践編」ということになろうか。

 「実践編」で、海保氏は説明の方法として「話術」「板書」「実演」の
三つをあげている。そしてそれぞれに具体的な項目を立てて解説している。
例えば「実演」なら、「まねさせる」「やって見せる」「やらせてみる」
といったことが取り上げられている。
 詳しくは本書を手にしてほしいが、いずれも、具体的に説得する手法、
あるいは具体的なものや事例で説得する方法と置き換えられるように思
う。つまり、「説明」では「具体」が重要であり、子どもたちが教師の説
明に納得するかどうかは、極論すれば「具体」の有無によって決まるわけ
である。
 極めて重要な指摘である。

 前回の連載でも少し述べたが、今秋は、たくさんの若手中堅の教師の授
業を拝見させていただく機会がある。また各種の講座などで、そうした教
師の悩みをうかがうことも多い。そうした中で、話題に登る中心の一つが、
発問づくりである。どのように発問を作るかに教師の多くが悩んでいるの
だ。また指示の曖昧さに気をつけて授業しなければいけませんよね、と語
る若手も少なからずいる。
 しかし、そうした先生方の授業を実際に見せていただくと、教師の悩み
の中心と、授業の実際上の問題点とのマーキングがずれていることに気づ
かされる。一番うまくいっていないのは、指示でも発問でもないのだ。
 そう。授業が混乱をきたしたり、うまく進まなかったりする最も大きな
原因は、教師の説明が、冗漫さも含めて、説得的に機能していないことな
のだ。しかし、当の授業者である教師は、そこの重要性にほとんど気付い
ていないのである。
 これは、極めて深刻な問題であると、私は考え始めている。

 いい本を紹介してもらったものである。

 大西忠治先生にも著作があることをコメント欄で紹介してもらっている。この本は運良く私は持っていたのである。

 教師の説明をどうしていくかは、今までほとんど問題にされなくてきた、大きな課題だと私は思っている。

 ところが、前回の研究要覧で紹介した「山の手南小学校」は、問題意識の中に、「教師は的確に説明しているのか」と書いてある。

 この学校も、「説明」を問題意識として上げているのだ。

 何度も繰り返しているが、「ごちそう」授業は、中心が発問になる。

 しかし、日常の「味噌汁・ご飯」授業は、中心が指示・説明になる。(もちろん、考えさせたいところやつまづきやすいところは、発問になるが)

 特に、「説明」は、これから徹底的に研究をしていきたいものである。

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「日常授業の改善」を学校ぐるみで行っている学校があった

   金曜日に横藤先生たちと川崎で会った。

 横藤先生から、札幌市立山の手南小学校の研究要覧をもらった。

 家へ帰って、よくよく見てみると、びっくり。

 私が提唱している「味噌汁・ご飯」授業を学校ぐるみで実践されているではないか。(もちろん、その名前ではないが)

 こんな学校が出てくるとは、予想をしていなかったので、ちょっと感激した。

 研究要覧のテーマは、「確かな学力を育成する日常授業の改善」。

 

 【これまで本校の教師がかかえていた問題意識】

 ●教師の思い込みで教えていないか?

 ●結局、同じ子ばかりが発表していないか?

 ●子供に変容は起きているのか?

 ●教師は的確に説明しているのか?

 ●ノートに書く量は不足していないか?

 ●子供を笑わせれば楽しい授業なのか?

                           ……etc

  この問題意識を見ただけでも、他の学校の研究要覧と違う。

 この学校には、したたかに、冷静な眼で、教師達の問題を見つめる先生がいる。

 これらの問題を束ねたのは、学校長の新保元康先生であろう。

 さらに、次のように研究要覧は、続く。

 

 ……本校は、これまでもたくさんの研究授業を実践し、討議し、研究財産を蓄積してきました。しかし、どんなに素晴らしい授業を見ても自分の日常授業に生かせなかったり、授業づくりに深夜まで時間が膨大にかかってしまったり、発表や討論する姿ばかりを求め過ぎ、確かな学力が向上しなかったりと、納得のいく授業ができずにいました。

 そこで、本研究では、【日常授業の改善】に焦点を当て、知識・技能を確実に習得し、活用することを目指しました。日常授業の質を上げることにより、子供達に確かな学力が身につくと考え、わかる授業に焦点を当てることにしました。

 

 私が提唱する「味噌汁・ご飯」授業の条件は、次の3つである。

 1 日常的であること

 2 飽きがないこと

 3 安定した栄養素が保障されていること

 山の手南小学校が追求する<日常授業の改善>とは、「味噌汁・ご飯」授業と同じような質を持っているのだと考える。

 そこで、次のような改善の柱を設定されている。

 

 <改善の柱> ICTの効果的活用

 研究の柱①指導法の改善

 研究の柱②研究方法の改善

 研究の柱③学習規律の改善

 

 ICTの活用が、授業改善の大きな柱になっている。

 その中で私が注目したのは、「学習規律の改善」である。

 

 本年度より、これまで個々の担任に任されていた学習規律を全校で統一。

 ノートの使い方や用意する文房具を揃えました。目標使用数は年間一教科4冊です。さらにこれまで個々に任されていた筆記用具の扱いについて、指導の共通理解を図りました。 

 

 私は、「味噌汁・ご飯」授業を実践していくときには、それと同時進行として「学習のしつけ」を行っていかなくては、その授業は効果的でないことを言ってきた。

 その「学習のしつけ」が、山の手南小では、「学習の規律」として全校で統一されている。すごいことである。

 私がいた大池小は、指導法の改善や研究方法の改善は、全校統一で行うことができたが、「学習規律の改善」まで全校で行うことができなかった。

 だから、これだけでもすごいことだと思ってしまう。

 ここまでいかなくてはほんとうには、子供達を変容させていくことはできない。

 ★

 「日常授業」の改善にターゲットを絞らなければ、その学校は変わらない。

 そのことを札幌市立山の手南小学校が行っている。

 とりわけ、そのことに私はおおいに注目したいのである。

  

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小学校の現状をしっかりと把握する

 12月に入って、にわかに師走の感じが一気に迫ってきた。

 あっというまに、正月が来てしまう。

 このブログで、しばしば登場願っている北海道の堀裕嗣先生のブログにも、

「師走~2009年を振り返る」が載っている。

 http://kotonoha1966.cocolog-nifty.com/blog/2009/12/2009-4aa6.html

 たとえば、「師走~2009年を振り返る・4」では、次のように書かれてある。

 野中信行先生の「3・7・30の法則」を下敷きにしながら、それを中学校の現実に機能するように作り替えたもの。平成20年度に上篠路中学校で担任した1年1組の学級システムをベースにしながら、次に学級経営をするならこういうシステムを敷くだろう、という提案。

「学級システム」をつくることによって学級を動かすと学級経営が非常に楽になり、無理せず安定的な学級ができる。ぼくにとっては当然のことだったのだが、こういう視点を参加者の多くがもっていなかったようで、驚嘆とともに受け取られたことが印象的だった。今年度の「中学校・学級セミナー」のコンテンツは、基本的にこの提案を細化してつくっていった感じである。参加者にはまったく別のものに見えているだろうが、ぼくの中ではそういう意識である。

 私の「3・7・30の法則」を中学校の現実に合わせて作り替えられている。

 学級経営・学年経営に焦点を合わせて展開されている試みは、おそらく中学校教育の最先端のものであると、私は考える。

 いずれ全貌が、本になっていくであろうが、注目してほしい。

 ★

 堀先生の11月のブログでは、長文の「一人で抱えるな、みんなでやろう」が載っている。

 その最後に、次のように書かれる。

 私のメッセージはたったひとつだ。「一人で抱えるな、みんなでやろう」である。

新たな世代に成長モデルを提示しながら、一段一段、階段を昇らせる。叱りつけるのでもなく、突き放すのでもない、チームの一員として機能させることによって成長を促していく。学校現場の現実に鑑みると、いま考えられる手立てはこれしかない。特に、いまだに「担任任せ」のはびこる小学校には、こうした発想の転換が急務である。

 

 ここで指摘されている通りである。

 小学校では、「担任任せ」が大きなアキレス腱になることは明確である。

 中学校は、80年代冒頭の校内暴力の反省から、チームで考える発想を身につけてきている。

 私の最後の学校になった大池小に、副校長になってこられたM先生がいた。

 中学校から来られた先生であった。

 校内暴力を初任で体験された先生である。

 問題事態や問題児童に対する手立ては、今までの方法とはまったく違っていた。

 個別に対処するのではない。

 まず、関係者を集めて、チームで対処する。

 これが徹底していた。

 生徒指導の方法を私は、おおいに学んだものである。

 ★

 小学校は、学級崩壊からほとんど学んでいない。

 中学校の校内暴力と、それから小学校に、20年後に顕在化した学級崩壊。

 中学校は、きちんと学んだ。

 小学校は、今のところまったく学んでいない。

 結果は、教師達を疲弊させている。

 教師達を病休や、精神的な病に陥らせている。

 あるいは、学級崩壊どころではなく、学校崩壊現象を招いているところもある。

 もはや、「担任任せ」は限界である。

 なんとか手立てを考えて行かなくてはならない。

 小学校の現状は、そういうところにあるのだ、ということを私たちは自覚しなくてはならないと、思っている。

 

 

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つれづれなるままに(2)

  明日(金曜日)、横藤雅人先生と会う。

 ネット研のオフ会である。全部で、8人。久しぶりの大人数で会う。

 私は、「味噌汁・ご飯」授業のまとめを持っていきたいと思っている。

 オフ会の後に、横藤先生と「縦糸・横糸」についての打ち合わせがある。

 もっと広く訴えていくことになるであろう。

 ★

 月曜日(7日)は、兵庫県のM市へ行く。

 M市の教育センターのK指導主事から仕事術についての講演依頼である。

 M市では「多忙を克服する仕事術」をテーマとした重点研究をしている学校がいくつかあるということで、それについて語ってほしいという依頼である。

 新幹線で2時間半かかる。

 また、その日に帰ってくるので、かなりの強行軍である。

 次の日は、出勤なのだ。

 テーマは、おもしろい。

 私にとって、もってこいのテーマではないか。

 ★

 びっくりした。

 「おい、おい、そんなあ」と、つい呟いてしまった。

 愛知県の小牧市の副島教育長が12月24日をもって辞められることを表明されている。

 新聞には、載ったらしい。

 http://www.komaki-aic.ed.jp/kyouikuiindayori/H21/iindayori257.htm

 私は、このホームページで書かれる教育長の文章の愛読者であった。

 時には、びっくりする情報をもらえることがあった。

 ここで紹介される本は、ほとんどアマゾンで頼んで読んだ。

 忙しい身なのに、どうしてそんなに早く本を読まれるのか、一度尋ねたこともあった。

 小牧市の教育を確実に大きく変えられた。

 大分で教職員賄賂事件が起きたとき、読売の取材に答えたことがある。

「地位を上にあげていくことは、名誉心や金儲けのためではない。現実を変えるためである。彼らはこのことを誤解している」

 そのことは、記事にはならなかったが、そのとき、私が思い浮かべていたのは副島教育長のことであった。

 これから続編が書かれる。

 どんなことが書かれるのか、ぜひとも注目していきたい。

 私は、来年の3月29日に、小牧市の初任者研究会に出かけることに決まっている。

 また、教育長と会えるのを楽しみにしていたのである。

 今年いっぱいで教育長の文章を読めなくなるというのは、なんとも寂しいことである。

 

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小中高生の暴力 6万件 過去最高

  朝日の一面トップに「小中高生の暴力 6万件 ~前年度比7千件増」が載った。

 地元の神奈川新聞は、「4年連続で全国最多」の見出しである。

 神奈川新聞は、横浜市立の小中生は、神奈川全体の40%近くを占めることを告げている。

「おいおい、そうすると、横浜が全国の中で一番小中生の暴力事件が多いということになるじゃないか!」と驚く。

 これは何としたことか。

 ★

 早速、文科省のホームページで具体的な実態を調べる。

 一体全体、全国的にはどうなっているのか。

 それによると、次のような実態が分かる。

  1.  暴力行為の発生件数は約6万件と3年連続で増加しており、小中学校においては、調査開始以来、過去最高の件数を更新した。
  2. 暴力行為の発生件数は、小学校6484件(前年度より1270件増加)、中学校42754件(前年度より5951件増加)、高等学校10380件(前年度より359件減少)の合計59618件(前年度より6862件増加)
  3. 対教師暴力は、8120件(前年度より1161件増加)
  4. 生徒間暴力は、32445件(前年度より4049件増加)
  5. 対人暴力は、1724件(前年度より41件増加)
  6. 器物破損は、17329件(前年度より1611件増加)

 都道府県別暴力行為の発生件数(国公私立小・中・高等学校)

 <1000人あたりの発生件数>

 1位 神奈川県      10.2

 2位 奈良県        10.1

 3位 香川県        9.9

 4位 京都府        9.2

 5位 高知県        7.8

 6位 大阪府        7.7

 7位 岡山県        7.6

 8位 兵庫県        6.2

 9位 山口県        5.8

10位 岐阜県        5.7

 ということになる。

 北海道、東北、北陸、九州は、ほとんどが1から3ぐらいにおさまっている。

 これらの都府県は、多分学級崩壊、授業崩壊が多発しているところと見ていいのだろうと思う。

 反対に、北海道、東北、北陸、九州は、まだまだ地域的にしっかりしていて、学級崩壊、授業崩壊は、たいしたことがないと思われる。

 神奈川県を除けば、四国、近畿、中国地方に集中している。

 これは何なのだろうか。

 また、神奈川の隣の東京は、2.2で少ない。

 この数字も、どのように見ればいいのだろうか。

 ★

 今のところ、この増加傾向は、まだ膨れあがっていくであろう。

 それを押しとどめていく政策も、手立ても、期待できない。

 

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