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先生の話をBGM感覚で受け取っているようだ

   「これって、BGM感覚ではないのだろうか?」

 というのが、途中からの感想である。

 3年生の音楽の授業を見た。初任者の先生の授業だ。

 ざわざわしている。

 大きく崩れる感じではないが、とにかく落ち着きがない。

 先生に注意されるとやめる。

 でも、しばらくすると、またざわざわする。

 そのざわざわする子供達は悪気はあまり感じられない。

 リコーダーのときは、一応ちゃんとふいている。歌だって、歌っている。

 しかし、先生の説明の話になると、ざわざわする。

 この光景は、なにかの光景に似ているなあと思っていた。

 それは何なのだろうか。

 ★

 そうそう、これはテレビをつけっぱなしで、こちらで何かをしている光景と同じだ。

 テレビの人たちは、何かを話している。でも、こちら側では、家族が話していたり、テレビゲームをしたりしている。

 興味があるときだけ、テレビに目を向ける。

 先生の話が、テレビ化している。

 先生の話がBGM感覚で受け取られているのではないだろうか。

 ざわざわしている子どもをうるさく注意しても、しばらくするとまた同じことを繰り返すのは、子供達の体そのものが無意識にそのように反応するようになっているからではないか。

 先生の話を聞かなくてはいけないと、思ってはいるのだ。

 でも、体がそのように反応してしまうのである。

 ★

 「先生の話がBGMのように受け取られている感じがしたよ」

 「えっ、ほんとですか?」

 「だって、リコーダーの時でも、歌の時でも、ちゃんとやるでしょう。でも、先生の説明の時になると、きまってざわざわが始まるよ」

 「どうしたらいいんでしょうか?」

 「説明を手短に切り上げる。作業を多く取り入れる。そして活動を多くすることだね。」

 「そのように、授業を切り替えていくしかないですかね」

 「そうだね、そうするしかないね」

 こんな反省をちょっとした。

 

 

 

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