野中先生だって、ぼくをしかるみぶんじゃないと思う
部屋の片付けをしていたら、昔の学級通信が出てきた。
といっても、1972.6.26発行であるから、教師になって2年目の通信である。
6年生の担任をしていた。5年生からの持ち上がりである。
表題が、「野中先生だって ぼくをしかるみぶんじゃないと思う」としてある。
「おおっ」と思い、早速読んでみた。
すっかり忘れていた。「あった、あった。こんなことがあったのだ」
今から38年前のできごとである。
クラスでの問題をこのようにあからさまに載せるなんて、今では考えられないことである。問題の子供も、実名である。
発端は、途中で私が授業を止めたことである。
授業中に、おしゃべりをする子供たちがいたために、「もうやめた!」と言って、教卓の椅子に座り込んだ。
その時のことをこのように書いている。
「ぼくは教卓のいすにすわり、黙ってみんなを眺めていました。みんなは、はじめシーンとして静まりかえりましたが、そのうちに社会科の教科書や資料を読むもの、こそこそと話し合うものと、それぞれが思い思いにごそごそとやり出しました。その時、2班のAが他の班の班長をよんで、廊下に出て何か話を始めたようです。多分、『かかる事態をいかに対処すべきか』という班長会議を始めたのでしょう」
班長会議が機能していたのである。
今では、授業を止めるなんて、とても考えられないことだが、当時私は、こういう手を使ったのである。
★
そこからが問題である。学級通信を続ける。
「『先生、よんでください』
とB君(実際には実名である)がノートをぼくにさし出したのです。それには次のように書いてありました。
『 学校でのこと
ある日、野中先生がじぎょうをやめた。もう2,3こういうことがある。ぼくは、こいうことがあるとなんとなくやなかんじだ。
ぼくにとって、野中先生はいい人だが、やっぱりけいけんがないのか、すぐ、じぎょうをやめる。先生だってぼくとおなじだと思う。ぼくがいつか、学校をとびだしたことがある。(注)野中先生だって、ぼくをしかるみぶんじゃないと思う。
先生におねがいがある。じぎょうをほうきするようなことをしないでくれ。ぼくもしないからたのむ。どうだやくそくしてくれるか』
注 B君は、修学旅行後、女の子のことでみんなからひやかされて、学校をとび出していったことがあります。その時、ぼくは「そんなことぐらいで、学校をとび出していくな」ということでしかったことがありました。」
「ああっ、あった、あった、汚い字でノートにこのように書き殴ってあった」
Bは、学校を飛び出していって、よく遊びに行く土管の中に隠れていたのであった。
私が探し出して、うんと叱ったのである。
同窓会の時、この土管事件は有名でみんなと笑いあったものである。
★
「いやいや、若かったな」と、今では冷や汗が出ることである。
この時代、「縦糸を張る」などということなんか、まったく考えることがなかった。
子供達から「頼むから、授業をしてくれ」という声があったからである。
★
このB君達は、もう50歳になる。最初に担任した子供達である。
私が教師生活30年になるときは、同窓会を開いてくれた。
B君は、卒業して農業を続けている。
今では、B君達が出資する野菜物を集めた店がオープンしていて、私もお客の一員である。
| 固定リンク
「日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事
- 「自己流」で身に付けた力量で対応できなくなっている!(2019.03.16)
- 『教師1年目の教科書』が重版になる!(2019.03.13)
- 再び横浜野口塾のお知らせです(2019.03.10)
- つれづれなるままに~飛行機ができてきた~(2019.03.09)
- 『教師1年目の教科書』(学陽書房)が発売される(2019.03.05)
コメント