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「味噌汁・ご飯」授業を提起した2つの意図

   「味噌汁・ご飯」授業を提起した意図は、1つは日常に耐えられる授業を作りだそうという意味を込めていた。

 2つ目は、授業の基礎的・基本的な力量をつけるためには、どのような技術を身につけていかなくてはならないのか、その筋道をまとめることにあった。

 2つ目については、ほとんど書いていない。

 これについては、もう少し整理する必要にかられたからだ。

 ★

 かつて向山洋一先生が、プロ教師への上達法を明らかにした。

 「授業がうまくなるためには、教師修行をするほかはない。

  名人・達人には誰でもなれるわけではないが、プロの域=黒帯=初段程度には、教師修行をすれば誰でもなれる。

(授業の名人の目安を一つ言うとすれば、研究授業・公開授業を500回以上経験した教師である)

 黒帯になるための方法、つまり『上達論』は今までの教育界にはなかった。

 教育技術法則化運動が、初めて『上達論』『上達法』を教育界にもたらしたのである」

 そして、「黒帯六条件」を提示した。

 1 すぐれた技術・方法を100学べ

 2 すぐれた授業の追試を100せよ

 3 研究授業を100回せよ

 4 研究会に100回出席せよ

 5 法則化応募論文を100本書け

 6 身銭を切って学べ     (授業上達論ー黒帯六条件 明治図書)

 ★

 これに挑戦した法則化のメンバーは、いたはずである。

 しかし、どの程度の教師だったのだろうか。

 教師修行をすれば、誰でもなれるということだが、こんな修行を誰でもできるはずはない。

 途方もないことである。

 こんなことができるのは、ほんの一握りの教師達だけであったろう。

 今、この上達論がどのようになっているか分からないが、こんな提示をされたら、もはや近づきもできないということになるのではないだろうか。

 生活の全てを教師修行につぎ込んでいくなどという発想を今の若い先生達が持つとはとても思えない。

 私なら、そう思うべきではないと断定する。

 ★

 法則化運動は、多くの貴重な財産を教育界に残してくれたが、この「上達論」は、多くの教師達を巻き込んでいくものとはならなかったと思う。

 挫折感、徒労感などを多く残したのではないだろうか。

 私は、教師の仕事を教師修行などとは考えなかった。

 確かに修練することはある。一人前になるには、どんな仕事にも、そのような修練はある。

 教師として一人前になるには、修練するための、そんなに多くの課題と時間が必要なわけではない。

 私が言う一人前とは、黒帯になるということではなく、きちんと学級経営ができ、日常に耐えうる授業をこなし、校務をきちんとはたしていける力量をつけることである。

 それ以上に、普通の教師は、何の力量を身につける必要があるというのだろうか。

 私は、そんな生き方をしてきた。

 だから、子育ても女房と分け合ってできたし、女房が遅く帰るようになったときには、夕食作りは私の仕事とすることができた。

 40代の10年間は、フルマラソンを10回走ることもできた。

 そんな時代、教務主任を5年間やったし、初任者指導教員、重点研推進委員長なども進んで行った。

 ★

 私のそういう立場から、教師として一人前になる力量は、これは身につけておこうという提案である。

 そういう道筋が提案できたら、多くの初任者、学級崩壊であえいでいる教師達、子育てで忙しいママさん先生たちなどに、希望の方途をあげることになると思う。

 いずれ(というより近々)、その提案をまとめて行いたいと思っている。

 

 

 

 

 

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コメント

発問は、説明、指示に対して、生徒のアテンションを向けさせる、誘い水のようなものではないでしょうか。そして、説明が不十分だったとき、生徒が発問を通してそれに気づかせてくれる。「あ そうか。説明が不十分だったね。」とか「こっちから説明したら分からなかったか。じゃあ別の角度から説明したら分かるかな?」というものだと思います。説明の組み立てには十分配慮が必要です。子供の顔を浮かばせながら、「きっとこれでは○●ちゃんは分からないかなあ。」「この順番だったら△▲君なら分かってくれるかもしれないなあ。」そうやって毎年組み立ててゆくと、ある程度の(ある程度に過ぎませんが)子供たちの理解パターンが見えてくる。実は発問上手な先生というのは、説明へのうまい促しとして、発問という道具を使っておられるのではないでしょうか。 補習校では、生徒たちの日本語力が全く人によって違います。だから、「○●ちゃん」や「△▲君」の顔が浮かびやすいのかもしれません。おそらく30人以上クラスにいる場合は、そんなことはできないのかもしれませんが。

投稿: 前川英樹 | 2009年11月24日 (火) 23時53分

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