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2009年11月

そのとき、そのときを楽しむ

   土日に、神奈川県湯河原の温泉宿へ行ってきた。

 4人の旅行仲間。忘年会を兼ねての旅行である。

 10年ばかり九州のあちらこちらを旅してきた。屋久島へ行き、沖縄の八重山諸島へ行き、佐賀のさまざまな場所(私が佐賀出身なので、甥が車を出してくれた)へ行き、長崎へ行き……という旅であった。

 職種もさまざまだ。事務職、技術員、教員、そして材木関係の仕事。

 話は、国際情勢から国内情勢、そして個人的なこまごまとした話になる。言いたい放題の話で、それぞれ勝手な話になる。

 気軽な旅であった。

 今年の3月、最後の一人が退職し、一応の締めくくりをした。

 それでも、一年に数回は、こうして集まる。

 ★

 湯河原は、紅葉が真っ盛りであった。

 見渡す山一帯が、紅葉に覆われていて、ため息が出るほどの絶景である。

 4人でうろうろと散策をし、再び宿に帰って、屋上の露天風呂から紅葉を眺めることができた。

「ああ、絶景かな、絶景かな!」

 なんとも贅沢なことである。

 ★

 今年、ちょっとショックなことがあった。

 いつもの散歩コースで、とりわけきれいな紅葉がある場所を見つけて、何度も足を運んだ。

 昨年まで、この道は歩いていたはずだったのだが、どうしてこのような紅葉を見つけることができなかったのか。

 きっとそんな風景など関係なく、考え込んで歩いていたのであろう。

 そのことが、ショックなことであった。

 自分の人生訓とは離れてしまっている。

 そのとき、そのときを楽しむ。そのとき、そのときの思いを大切にする。

 こんなシンプルな生き方をしようとしている自分とずいぶんかけ離れていたことになる。

 ★

 親しい旅行仲間の一人は、ときどきうつ的になり、どっとへたり込んでしまうことがある。

 私たちにも、あけすけにそのことを話してくれるので、何とか回復していく。

 うつ的になることは、誰にでもあるが、避けていく手法も身につけておく必要がある。

 アメリカのバーモンド州の山奥でナチュラルライフを満喫して、昨年亡くなったターシャ・テューダーは、きっちりと次のように言っている。

「家事をしている時、あるいは納屋で仕事をしている時、これまでの失敗や過ちを思い出すことがあります。そんな時は考えるのをやめて、スイレンの花を思い浮かべるの。スイレンはいつも沈んだ気持ちを明るくしてくれます。思い浮かべるのは、ガチョウのひなのことでもいいんだけど」

 うつ的になる時は、失敗や過去の過ちに苛まれる。

 これをどうして絶っていくかは、大きな課題だ。

 簡単なことではない。

 でも、ターシャは、こうして絶っていったのである。

 また最近、小宮一慶さんの「時間力養成講座」(ディスカヴァー)を読んでいたら、「輪ゴムを使った訓練」法を書いていた。

「左手の手首に輪ゴムをはめる。そして、『頭にきた!』とか、『こんなことになったらどうしよう』などとネガティブなことを思った瞬間、その輪ゴムを引っ張って、パチンとするのです。

 すると、はっとして、怒りや不安の感情が途切れる、というわけです。

 おそらく輪ゴムを引っ張ろうと思った瞬間、すでに『自分を客観的に見ている自分』というものが生まれ、その時点で、多くは解決しているのだと思いますが、さらにパチンとやることによって、すっきり断ち切ることができます」

 なるほど、なるほど。

 こうして失敗や過去の過ちを思ってしまう自分を絶っていくのである。

 過去に生きることも、過去に苛まれることも、そして、今のうつうつとした気分をも乗り越えて、今を楽しみ、今に生きていくことは大切である。

 そういう生き方をしてみましょうよ。

 

 

 

 

 

 

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悩みにお答えします

  授業づくりネットワークのメールマガジンに「お悩み相談コーナー」がある。

 私が、そのコーナーを担当している。

 いつから始めたのか覚えていないが、もうかなりである。

 たとえば、次のような相談に、次のような答えている。

 

 

 

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メールマガジン「授業成立プロジェクト(JSP)」
           第212号  2009年11月25日発行
                      (毎週水曜日発行)
HP http://www.jugyo.jp/js-pro/

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★目次★
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1 若手教師の悩み(その22)
          岡山県・小学校教諭・教師11年目
2 悩みにお答えします
                   横浜市立子安小学校(初任者担当)教諭
                                    野中 信行
3 「教育フォーラム 教師のチカラ in広島」のご案内
                      編集部
4 オススメDVD「みて、すぐわかる! 授業導入のアイディア集」
                      編集部
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
 
 お待たせしました!今号は、「若手教師の悩み」です。
 もちろん、大人気コーナー野中信行さんによる「お答え」つき。今回は、
教師と子どもの距離の取り方について「お答え」してくださっています。
 特に、自分が「友達のような先生」(友達先生)になってるかも?と思
う若手は必読です。
 今回の「お答え」は、少々厳しいですが、必ず若い先生方の勉強になり
ます。力になります。
 ぜひ、心して読んでください。          (中村 健一) 

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1 若手教師の悩み(その22)
          岡山県・小学校教諭・教師11年目
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子どもとの距離の取り方について

 教師になって11年目だが、新卒時代から悩んでいることがある。それ
が「子どもとの距離の取り方」だ。
 おそらく私は子どもとの距離が「近い」のだと思う。よく言えば親しみ
やすいのだろうが、近すぎると馴れ合いの関係になってしまい、それがマ
イナスに働くことが多々ある。教師と子どもの間の緊張感が薄れ、バカに
されたり、友達のように思われたりで、指導が入りにくくなる。特に男子
にその傾向が強い。

 たとえばやんちゃなMくん。休み時間は一緒に遊ぶことが多い。かわい
いので、ついあれこれ世話をやいたり、からかったりしてしまう。そうな
るとMくんのわがまま度が増してくる。きちんとはいていた靴下をはかな
いことが増えてきた。「靴下をはこうね」といっても「○○だからやだ」
と何かしら言い訳をしてはこうとしない。結局Mくんを叱ることになって
しまい、悪循環に陥ってしまう。結局、私の接し方が子どもをわがままに
したのではないかと思う。

 いろいろと自分なりに改善を試みている。まず、言葉づかいだ。授業中
はきちんとした言葉で丁寧に話すようにしている。始めは子どもと距離
ができるのではないかと心配したこともあったが、その方が子どももすん
なり聞き入れることが多い。
 また、よくない言動に反応しすぎないように気を付けている。子どもと
同じになって言い返したり、口やかましく言ったりしてしまうが、挑発に
のるからさらに子どもは面白がってエスカレートすることが多い。火に油
を注ぐようなものかもしれない。後で個別に話をすると、落ち着いて話が
できる。子どもはその子なりの表現で教師に何かサインを送っているので、
その思いを汲んで、大きく包み込んでやることで子どもは安心し、素直に
自分を出せるような気がする。子どもの反応は教師の鏡だと思う。教師が
丁寧に接すると子どもも丁寧になり、教師がからかうから子どももからか
うのだなと思う。

 私は子どもに近い教師でいたいと思う。いくつになっても外で子どもた
ちと遊びたいし、子どもの思いを大事にしたい。子どもとの距離が近いこ
とは決して悪いことではないと思う。もしかしたら、子どもとの間に「線」
を引くことが今の自分に必要なのかもしれないと感じている。
 ほどよい距離感を保ちつつ、温かくて誠意をもった接し方をしていきた
いと思う。

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2 悩みにお答えします
                   横浜市立子安小学校(初任者担当)教諭
                                    野中 信行
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 最近、「友達のような先生」(友達先生)をよく見かけるようになりま
した。
 楽しそうにじゃれ合っていて、とても賑やかに騒いでいます。横で眺め
ていると、どちらが先生なのか分からない感じがするときもあります。
 一見、先生と子供たちは、仲が良さそうで、ほほえましくも思います。
こんな感じで1年間を過ごしていけたら、どんなに理想的だろうと思った
りもします。

 しかし、このような教室は、崩れていきます。
 スタートして1ヶ月ほど過ぎた頃から教室ががやがやと賑やかになりま
す。2ヶ月も経つと、学級が崩れ始め、学習も成立しなくなります。あん
なに担任と子供たちが仲良く、友達のように付き合っていたのにと不思議
に思われる光景です。

 でも、崩れます。ここには、崩れるための「からくり」があります。
 友達のような先生になって、何でも気軽に話していけるということ。
 しかし、子供たちは、先生と気軽に話せることを第一に望んでいるわけ
ではありません。ここを誤解するのです。子供は、毅然として教室が安全
で、安心できる居場所にしてくれる教師を望んでいます。子供のことを真
剣に考え、そして問題や悩みを抱えたときに、きちんと対処の方向を示し
てくれる、そんな先生を望んでいます。「この先生なら大丈夫」という安
心感が生まれたとき、初めて子供は、教師を信頼します。

 気軽に話せることは、子供と教師の関係を保っていくためには大切なこ
とですが、気軽さが、子供の信頼を生むのではありません。ここを誤解し
ないようにすることが、教師と子供との関係づくりでは極めて大切なこと
です。

 だから、教師と子供たちとの間には、毅然とした一線を確保しておくこ
とは第一に考えなければいけないのです。私たちは、「縦糸を張る」とい
う表現を使っています。

 私の37年間の教師生活の経験から言いますと、「厳しい先生」という
のを決して子供たちは嫌っていないのです。それどころか、歓迎していま
す。子供は、厳しさと優しさの両面を兼ね備えた教師についていきます。
時には「冗談を言っておもしろく」、時には「厳しく毅然として怖い感じ」
の先生を子供たちは信頼します。

 今回相談されてる先生は言います。
「私は子供に近い教師でいたいと思う。いくつになっても外で子どもたち
 と遊びたいし、子どもの思いを大事にしたい。子どもとの距離が近いこ
 とは決して悪いことではないと思う。もしかしたら、子どもとの間に
 『線』を引くことが今の自分に必要なのかもしれないと感じている。ほ
 どよい距離感を保ちつつ、温かくて誠意をもった接し方をしていきたい
 と思う」
 この先生の気持ちはよく分かります。
 しかし、私は、この言葉に教師としての「甘さ」を感じてしまいます。
教師として第一に大切にしていくことは、「子どもの思いを大事にしたい」
「温かくて誠意をもった接し方」ではありません。

 教室を安心できる居場所にし、子どもの成長をきちんと見つめ、成長の
方向と方法を誰よりも的確に示していくこと。それが教師として第一にす
べきことです。子供たちも、そのことを本当は望んでいます。ベクトルの
方向を違えてはいけないのです。

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つれづれなるままに

 ちょっと元気がない日は、本多静六を読む。

 本多静六をご存じだろうか。

 1866年(慶応2)から1952年まで、85年の生涯を生きた豪傑である。

 著者紹介には、次のようにある。

「1892年、東京農科大学の助教授となり、『4分の1天引き貯金』と1日1頁の原稿執筆を開始。1900年には教授に昇任し、研究生活のかたわら植林・造園・産業振興など多方面で活躍するだけでなく、独自の蓄財投資法と生活哲学を実践して莫大な財産を築く。

 1927年の定年退官を期に、全財産を匿名で寄付。その後も『人生即努力、努力即幸福』のモットーのもと、戦中戦後を通じて働学併進の簡素生活を続け、370冊余りの著作を残した」

 明治生まれの豪傑である。

「今日一日を楽しくする工夫」のことで、本多は書く。

「私は、いっさいの悲観をやめて、常住座臥、絶えず快活に生きるため、毎朝目覚めれば、まず今日も生きていたなと感謝する。忙しければ忙しいほど、自分が働き得ることを感謝する。そしてもしも病めば、休息を与えられたなと感謝しつつ、充分に休養して癒った後の活動に準備し、貧すれば負担が軽くなったと感謝し、富めば思うままに有益な方面に金の使えるのを感謝するというふうに、あらゆる場合にその苦しい、嫌な暗い方面を捨てて、楽しい愉快な明るい方面にだけ心を振り向ける。

 したがって、本を読めば本が面白く、人が来れば人が面白く、海に行けば海が面白く、山に行けば山が面白く、いかなる場合、いかなる仕事にも、快く当たってベスト(最善)を尽くすことができる。そして難しいことほど、険阻な路ほど、心にかなうと信じる。それは苦難は快楽に到達する段階であって、快楽の程度は苦難の大きさに比例するという体験を持つからである」(「お金・仕事に満足し、人の信頼を得る方法」 わが処世の秘訣より 三笠書房)

 こんな人間を明治は生み出していたのである。

 ★

 そういえば、今週の日曜日からNHKの大河ドラマ「坂の上の雲」が始まる。

 司馬遼太郎は、執筆意図をこのように説明している。

「小さな。

 といえば、明治初年の日本ほど小さな国はなかったであろう。産業といえば農業しかなく、人材といえば三百年の読書階級であった旧士族しかなかった。この小さな、世界の片田舎のような国が、はじめてヨーロッパ文明と血みどろの対決をしたのが、日露戦争である。

 その対決に、辛うじて勝った。その勝った収穫を後生の日本人は食いちらしたことになるが、とにかくこの当時の日本人たちは精一杯の智恵と勇気と、そして幸運をすかさずつかんで操作する外交能力のかぎりをつくしてそこまで漕ぎつけた。いまからおもえば、ひやりとするほどの奇蹟といっていい」

 秋山兄弟、正岡子規という明治の巨人達が、登場する。

 明治は、こういう人たちを生み出していたのである。

 ★

 テレビは、ニュース以外はほとんど見ない。

 だが、最近、日曜日の直江兼続と、そして9時からの6チャンネル「ジン仁」を見ていた。

 「仁」は、おもしろい。現代の医者が、江戸時代にシフトしていくというドラマづくりである。

 漫画ですでに出ているらしい。

 坂本竜馬や、勝海舟などが出てくる。

 私も、江戸の町にはあこがれを持っている。ぜひ、江戸時代に生まれていたかったと思うほどである。

 ★

 最近、立て続けにおもしろい本に出会った。

「日本辺境論」(内田樹著 新潮新書)、「微差力」(斉藤一人 サンマーク出版)、「時間力』養成講座」(小宮一慶 デイスカヴァー)である。

「日本辺境論」は、日本人というものを改めて考え直させてくれた。自分の生き方も見直してしまった。

「微差力」は、いわゆる「一人流」の書き方だが、読んでう~~~と唸ってしまった。もう一度読んでみたい。

「時間力」は、小宮さんが、このシリーズの最後に出したとっておきの本であろう。このシリーズは、どの本もいいが、この本もう~~~~と唸ってしまった。

 ★

 うちのインコのぴーが亡くなって、5ヶ月以上経つ。

 今でも、ぴーと過ごした3年6ヶ月の日々が思い出される。

 「あの日々、なんと幸せな時間だっただろう」と、思ってしまう。

 隣の家に巣作りしていたすずめが、1ヶ月ほど前に庭にやってきて、そのうちの1羽が、何度も網戸にしがみついてきて、「ぴー、ぴー」と鳴きさけんだ。私が目の前にいるのもかまわずにだ。

 そういえば、ぴーがいるときは、いつも二階へ連れて行って、互いに「ぴー」「ぴー」と鳴き交わしていたことを思い出した。

 「あのぴーちゃんは、どこへ行ったの?」と訪ねたかったのだろうかと、私たちは考えたのである。

 その雀たちが、ちょくちょく庭にやってくるようになった。

 こちらから話しかけても、逃げなくなった。

 蜜柑を切って、木につけてあげれば、喜んで食べている。

 この冬、この雀たちと話ができるなと思うと、ちょっと幸せな気持ちになるのである。

 

 

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業務連絡です

  ブログのコメント欄に、神奈川県相模原の野口塾のことについての問い合わせがあるので、野口塾ネットワークにあるお知らせをここに転載しておきたい。

 五十嵐先生、ご容赦ください。

 第76回 授業道場「野口塾」in 相模原

 国語授業の名人、野口芳宏先生をお迎えしての一日講座です。
 また、今回は学級経営の名人、野中信行先生もご登壇なさります。
 贅沢な一日になること間違いなしの相模原塾。
 みなさん奮ってご参加ください。ともに学びあいましょう。
 お待ちしております。


1 期日  平成22年1月16日(土) 9:50〜16:50

2 会場  JR橋本駅前ソレイユ相模原(サティ内)
       http://www.soleilsagami.jp/access/index.html

3 交通  JR横浜線・京王線 橋本駅北口駅前
       「国道16号線」より橋本駅方面

4 参加費 4000円(学生2000円) *当日支払い
        
5 定員  60名  

6 当日の内容 
 9:30〜 受付
 9:50〜10:50 第1講座 野口芳宏先生
          「国語学力はこのように形成する(1)」
          (教材『広い言葉、せまい言葉』)
11:00〜11:50 第2講座 野中信行先生
          「野中流『味噌汁、ご飯』の授業
          〜基礎基本10か条を身につけた授業〜」
12:50〜13:20 地元教師の実践発表(1)
          地元教師の実践発表(2)
13:20〜14:20 第3講座
         「国語学力はこのように形成する(2)」 
         (教材『あとかくしの雪』)
14:30〜15:10 第4講座 野中信行先生 
         「『縦糸・横糸』で織りなす学級経営術」    
15:20〜16:10 第5講座 野口芳宏先生 
         「児童・保護者への向き合い方」
16:10〜 交流会「今日の学びを振り返って」

◇時間、内容等は変更になる場合がございます。ご了承ください。
◇講座終了後、野口先生を囲んでの懇親会を予定しております。
 奮ってご参加ください。 (JR橋本駅周辺、4000円程度を予定)
◇昼食は各自ご用意ください。
 会場ビル内および駅周辺に飲食店は多数ございます。

○申込先(お問い合わせもどうぞ) 〆切:平成22年1月8日(金)
 Eメール naoyaismme.com (半角に換えて送信下さい)
 (野口塾相模原事務局  五十嵐 直也)
 
☆いずれも下記事項をご記入ください☆
-------------------------------------------------
件  名:野口塾in相模原
記入事項:1 お名前          
     2 勤務先or学校名
     3 Eメールアドレス     
     4 懇親会への参加・不参加

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野口塾で「味噌汁・ご飯」授業を提案することになった!

  「味噌汁・ご飯」授業の提案を1月16日(土)の神奈川県相模原での「野口塾」でさせてもらうことになった。

 題して「野中流『味噌汁・ご飯」の授業~基礎基本10か条を身につけた授業~」

である。

 先日の横浜の講座で提案したことを更に深めて、提案させてもらうことになる。

 しかし、野口塾で、こんな提案をしてもいいのであろうか?

 「野中先生、その提案はあまりにも軽すぎる!」と、野口芳宏先生から叱られることを覚悟して、提案することになる。(笑)

 そんなことを言っていたら、京都の糸井先生から、ぜひ京都の「明日の教室」

で提案をしてほしい、議論したいということになった。

 京都では、徹底した議論を巻き起こしたいと思っている。

 だから、4月に京都でも、提案する予定である。

 これはおもしろくなるぞ、とわくわくしている。

 ★

 いずれ、もっとくわしく「味噌汁・ご飯」授業を提案していくことになるが、これは、決して物珍しい授業ではない。

 普通の、極めて地味な授業である。

 「ごちそう」の授業ではない。

 ここで、ちょっとことわっておくが、私は「ごちそう」授業を批判しているのではないことである。

 ときどきは、「ごちそう」授業が必要である。

 目を輝かし、子供達が感動する「ごちそう」授業から、子供達が得るものははかりしれないものである。

 私だって、「ごちそう」授業を追求してきたことがある。

 絶対に必要である。

 私がここで提案しているのは、その授業とは、位相を違えている。

 現実的に、誰でもが普段日常的にやっている授業のことである。

 でも、その日常の授業は、あまりにも無惨ではないか。

 そこで、もっと日常に耐えられる授業をやろうよ」という提案である。

 ★

 しかし、ここで一つだけ言っておきたいのは、この「味噌汁・ご飯」授業をきちんと成立させていくには、その授業と同時進行で、クラスの子供達に「学習のしつけ」をしていかなくてはならない、ことについてである。

 「学習のしつけ」とは、きちんとした授業を成立させていくための基盤づくりである。

 これが分かっていない先生達が多い。

 もちろん、初任の先生達は分かっていない。

 若手の先生達も、分かっていない。

 ベテランの先生達も、いい加減にしている人たちはいっぱいいる。

 「『味噌汁・ご飯』授業を実践して、うまくいきませんでした」と言う先生達は、きまってこの「学習のしつけ」がうまくできていない。

 その授業だけをやって、そんなにうまくいくはずはないのである。

 これは、どんな授業でもそうだ。

 ★

 授業の名人先生、達人先生たちは、決まってこの「学習のしつけ」づくりが上手である。

 学期が始まって、4月、5月、6月の3ヶ月の間に、しっかりと「学習のしつけ」をされる。

 この場面は、目に付かない。企業秘密にしていることが多々ある。

 そうなのである。

 私は、もっとその場面を文字にして伝えてるべきだと思ってきたが、このしつけの場面は、できるならば目に付かない方がいいと思われるのではないかと思う。

 ベテランの先生達だって、(私でも)この「学習のしつけ」はしてきている。

 でも、名人の先生達と違うのは、厳しさとその徹底さである。

 私たちは、甘い。 

 我々が同じようにやれば、猛烈に子供達から反発を食らうだろう。

 そこがうまいのである。

 私たち普通の教師は、まねできない。

 だから、まねしないがいい。(笑)

 ★

 普通の教師達が行う「学習のしつけ」は、次のように考えればいい。(小学校の場合)

 1 学習に必要な持ち物管理のしつけ

  ①ふでばこ指導

  ②下敷き指導

  ③教科書、ノート指導

  ④道具箱指導           など

 2 学習中のしつけ

  ①話の聞き方

  ②発言の仕方

  ③ノートの書き方指導     など

 3 家庭にお願いするしつけ

  ①ふでばこ

  ②道具箱

  ③ノート      など

  

 

 

 

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教員養成6年制に思う

  朝日新聞11/21の夕刊に「教員養成『6年』の波紋」という見出しで、トップに掲載されていた。

 教師の新たな質向上策として、文部科学省の政務三役が導入を表明した「教員養成6年制」である。

 多くの現場関係者からは、疑問の声が上がっている。

 私も、とんでもない制度だと思う。

 鈴木寛副大臣には、期待する気持ちがあったが、これは期待はずれである。

 教員の質を向上させるのに、あと2年の修士の年数がどうして必要なのであろうか。

 今、初任者がどこで、どのように問題を抱えているか、分かっていない。

 ★

 現在の初任者が、最も大変なのは、小学校では直接担任を持たされるということである。

 学級経営の方法をほとんど知らないままに投げ出されているので、まさに博打を打っているみたいなものである。

 なんとかなるか、ダメになるか。

 もちろん、学校には、初任者担当の教師がいる。また、週1回の初任者指導教員もいる。

 しかし、関わりは限定される。

 とにかく、初任者に任されていく部面は多い。

 こういう博打みたいな仕事をしているところは、他にあるのだろうか。

 必ずベテランがついて仕事を教え、なんとか仕事ができると判断したところで、その人に仕事が任されているということになっているはずである。

 しかし、教員は、そうなっていない。

 ★

 朝日によれば、「6年制導入」の理由を2つ上げている。

 1つは、世の中が複雑になって学校運営も子供への対処も難しくなり、4年間では教育期間が足りないという見方。

 もう1つは、大学院修了という肩書きが、保護者や子供への尊敬を受ける箔付けになるということ。

 1つめの理由は確かにその通りである。しかし、あと2年間で、それに対処できる力量がつくのであろうか。

 2つめの理由は、ほとんど現場を知らないものの考えである。

 保護者が、初任者を迷惑だと考えるのは、うまくクラスを運営していくことができないことに対する不安である。

 ほとんどの保護者は、初任者を育てていこうなどという発想を持っていない。

 我が子に対して、うまくやってくれるかどうかだけが問題である。

 だから、大学院を出ているかどうかが問題ではなく、うちの子とうまくやってくれるかどうかが問題なのだ。

 ★

 現在のシステムでさえ、教員になろうとする学生が減っている。

 6年制になったら、希望者が激減することは目に見えている。

 そこまで予測できて、さてうまくいくのであろうか。

 私なら、今まで通りで採用して、副担任として1年間を過ごさせていくようにしていくことが一番のベターな案だと思っている。

 とにかく、現場の風に慣らせて方が一番いいはずである。

 2年間大学院なんかにいくより、一番いい方法である。

 そのくらいの財源は、絶対に生み出せるはずだと思う。

 どうだろうか?

 

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「味噌汁・ご飯」授業を提起した2つの意図

   「味噌汁・ご飯」授業を提起した意図は、1つは日常に耐えられる授業を作りだそうという意味を込めていた。

 2つ目は、授業の基礎的・基本的な力量をつけるためには、どのような技術を身につけていかなくてはならないのか、その筋道をまとめることにあった。

 2つ目については、ほとんど書いていない。

 これについては、もう少し整理する必要にかられたからだ。

 ★

 かつて向山洋一先生が、プロ教師への上達法を明らかにした。

 「授業がうまくなるためには、教師修行をするほかはない。

  名人・達人には誰でもなれるわけではないが、プロの域=黒帯=初段程度には、教師修行をすれば誰でもなれる。

(授業の名人の目安を一つ言うとすれば、研究授業・公開授業を500回以上経験した教師である)

 黒帯になるための方法、つまり『上達論』は今までの教育界にはなかった。

 教育技術法則化運動が、初めて『上達論』『上達法』を教育界にもたらしたのである」

 そして、「黒帯六条件」を提示した。

 1 すぐれた技術・方法を100学べ

 2 すぐれた授業の追試を100せよ

 3 研究授業を100回せよ

 4 研究会に100回出席せよ

 5 法則化応募論文を100本書け

 6 身銭を切って学べ     (授業上達論ー黒帯六条件 明治図書)

 ★

 これに挑戦した法則化のメンバーは、いたはずである。

 しかし、どの程度の教師だったのだろうか。

 教師修行をすれば、誰でもなれるということだが、こんな修行を誰でもできるはずはない。

 途方もないことである。

 こんなことができるのは、ほんの一握りの教師達だけであったろう。

 今、この上達論がどのようになっているか分からないが、こんな提示をされたら、もはや近づきもできないということになるのではないだろうか。

 生活の全てを教師修行につぎ込んでいくなどという発想を今の若い先生達が持つとはとても思えない。

 私なら、そう思うべきではないと断定する。

 ★

 法則化運動は、多くの貴重な財産を教育界に残してくれたが、この「上達論」は、多くの教師達を巻き込んでいくものとはならなかったと思う。

 挫折感、徒労感などを多く残したのではないだろうか。

 私は、教師の仕事を教師修行などとは考えなかった。

 確かに修練することはある。一人前になるには、どんな仕事にも、そのような修練はある。

 教師として一人前になるには、修練するための、そんなに多くの課題と時間が必要なわけではない。

 私が言う一人前とは、黒帯になるということではなく、きちんと学級経営ができ、日常に耐えうる授業をこなし、校務をきちんとはたしていける力量をつけることである。

 それ以上に、普通の教師は、何の力量を身につける必要があるというのだろうか。

 私は、そんな生き方をしてきた。

 だから、子育ても女房と分け合ってできたし、女房が遅く帰るようになったときには、夕食作りは私の仕事とすることができた。

 40代の10年間は、フルマラソンを10回走ることもできた。

 そんな時代、教務主任を5年間やったし、初任者指導教員、重点研推進委員長なども進んで行った。

 ★

 私のそういう立場から、教師として一人前になる力量は、これは身につけておこうという提案である。

 そういう道筋が提案できたら、多くの初任者、学級崩壊であえいでいる教師達、子育てで忙しいママさん先生たちなどに、希望の方途をあげることになると思う。

 いずれ(というより近々)、その提案をまとめて行いたいと思っている。

 

 

 

 

 

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授業は、発問なのだろうか?

   北海道の中学国語教師の堀裕嗣先生が、4月のブログに次のように書かれたことがあった。大切なことなので、ちょっと長いが引用したい。

 

あたりまえのこと

世の中には、あたりまえのことがあたりまえのこととして認知されていない事例がたくさんある。ご多分に漏れず、教育界もそういうことだらけである。大学時代の刷り込みがいまだに影響を与え続けているなんていう例もあれば、あまりに思い入れが強すぎるために他の可能性に考えが及ばないなんていう例もある。いずれにしても、ちょっと考えればド素人でもわかるようなことに、なかなか気がつかない。いや、むしろド素人だからこそ気がつくということさえ、世の中には多いものだ。

授業の名人、教育の名人、最近は教育の鉄人などと自称している者もいるが、こうした著名な実践家が言っていることが意外に単純な、シンプルなことである、という場合も多い。「セミプロ」、もっといえば「えせプロ」が思い込みや思い入れ故に気がつかないことに、彼らは本質だけを見極めようとしているが故に気がつくことができるだろう。ド素人でも気づく「あたりまえのこと」に気がつくにも、ある才能が必要なのかもしれない。

今日、ある若手教師として話をしていて、こんな思いを強くした。

その若手教師が私の授業を参観したあとに言うには、「堀先生はどうしてあんな発問が思いつけるんですか?」とのこと。

おいおい。

私は今日の1時間で、ただ一つの発問も子どもたちに投げかけていない。ただの一つもである。それなのに、この若手教師(仮にAさんとしよう)は、私の発問に感銘を受けたというのである。Aさん、私は発問なんて一つもしてないよ。今日の私の授業は、「説明」と「指示」だけで構成されていたじゃないか……と言いかけて、合点がいった。

ははあ、Aさんの中では「発問」と「指示」と「説明」が未分化なのだ……。

言うまでもないことだが、教師の指導言には三種類ある。「発問」と「指示」と「説明」である。

戦後、授業研究は良質な発問をつくることに心血を注いできた。良質な発問が良質な授業をつくる、と。大学の教育専門科目の先生方は、みんなが口をそろえてそう言い続けてきた。その結果、「教師の指導言=発問」という暗黙の了解といおうか、暗黙の慣習と言おうか、教師百万人の共同幻想的勘違いとでも言おうか、そんな状況が生まれた。

しかし、この状況はよくない。まったくもって良くない。

教師の指導言には「発問」「指示」「説明」の三種類が厳として存在するのである。この三つは分けて捉えた方がいい。その方が教師の力量形成にとって、圧倒的に便利である。

教師の指導言には「発問」と「指示」と「説明」がある。この三つの中で最も重要なのはどれか。こう問えば、きっとAさんは「発問」と応えるに違いない。しかし、それは違う。全く違う。この世の中に「発問」のない授業はごまんとある。たとえば、今日の私の授業のように。

授業にとって絶対に必要なもの、必要不可欠なもの、それは「説明」である。

「発問」のない授業はごまんとある。「指示」のない授業も少なくない。しかし、「説明」のない授業はこの世の中にはあり得ない。だって、子どもたちに伝えようとする内容を説明することなく、授業することが可能だろうか。教えない教育と銘打って、子どもたちに話し合わせ、学び合わせる授業を展開したとしても、その話し合いの仕方、学び合いの仕方を説明しなくてはならない。子どもたちに伝えたい内容が「意味」であろうと「方法」であろうと、子どもたちに伝えようとする限りにおいて、そこに絶対的に必要なのは「説明」なのである。

では、残りの「発問」と「指示」とでは、どちらが重要か。

これはもう、圧倒的に指示である。「発問」を投げかけずに、「説明」して「指示」する授業はあり得る。しかし、一切の「指示」をせずに、「説明」して「発問」を投げかけるだけの授業はあり得ない。必ず、その発問に対して、どのように活動し、どのように思考し、どのように解決するかという「説明」と「指示」とが不可欠なのである。

ここまでをまとめてみよう。

①「説明」だけの授業はあり得るが、「指示」だけの授業とか、「発問」だけの授業はあり得ない。

②「説明」と「指示」だけの授業もあり得るが、「説明」と「発問」だけの授業はあり得ない。

③「発問」を中核に構成する授業は、必ず「説明」と「指示」とを伴う。

何も授業のことなど考えなくてもよい。人間の日常的なコミュニケーションを考えてみれば、明らかなことである。1対多の相互コミュニケーションにおいて、「指示」だけとか「質問」だけとかでコミュニケーションが成立するだろうか。こんな単純でシンプルなことに、「セミプロ」や「えせプロ」はなかなか気がつかない。私が「ド素人の方がわかる」というのは、こういう例である。

ついでなので、中学校教師として力量形成を図りたいと思う、若い教師たちに伝えたい。

若手教師は、自分が国語なら先輩教師の国語の授業を参観しようとする。自分が数学なら数学の授業を参観しようとする。自分が美術なら美術の授業を参観しようとする。

もちろん、これは悪いことではない。自分の教科の授業は確かにたくさん見た方がいい。

しかし、「発問」「指示」「説明」を分けて考えてみると、見るべきものが変わってくるのだ。

まずは「説明」。「説明力」を見るなら、数学のベテラン教師と社会のベテラン教師の授業を参観することをお勧めする。数学は抽象的なことを抽象的なままに子どもたちに落とすということを学べる。図示したり、既習事項と同一の原理を導き出したり、こういったことをしながら数学の授業は進んでいく。具体例をいくつも挙げながら、それらの共通点を導き出して「ほ~ら、こういうことでしょう?」という説明をするのは社会科教師である。一つの社会事象、社会原理を説明する上で、彼らはいくつも具体例を挙げて説明する。それも、子どもたちにも理解できるような具体例を次々に出す。社会科とはそういう教科なのだ。何も、研究をしっかりとやっている、いわゆる「研究屋」の授業である必要などまったくない。何十年も数学教師や社会科教師をやっていれば、子どもたちを惹きつけながら授業を進めていく、血肉となった「授業の知恵」レベルのものを見るほうが勉強になる。彼らにとって「授業の知恵」は、もはや「生活の知恵」レベルにまで血肉化している。その呼吸をこそ見るのである。

「指示」の勉強なら、何を措いても音楽教師である。特に合唱指導だ。彼女たちは「○○を目的とする場合には□□といえばよい」ということを知っている。あの手この手、手を替え品を替えた「指示」の連続によって、音楽の授業は進んでいく。しかも彼女たちのすごいところは、言葉巧みに音楽室の空気を支配し、子どもたちをノセていく技術が身についていることだ。20年以上も音楽教師を続けているという者は、まず例外なくこの呼吸を身につけている。だってこれを会得しないことには、音楽の授業自体が成立しないのだから。更には、いつ、どこで、どんなふうに短時間の休憩をもって集中力を持続させるか、そんなタイミングまで心得ている。これを学ばない手はない。

「作業指示」なら技術・家庭や美術である。彼らは危険を回避し安全性を確保するということに最大限の配慮をしている。つまり、まずは安全確保、その上で型はめ、更に欲張れば創意工夫、彼らの「指示」にはこうした優先順位の思想がしっかりと根付いている。ただし、技術・家庭、美術の教師は、ベテランならだれでもいいというわけにはいかない。だれにも下手な「指示」を指摘されることなく、なんとなく創造力の高い生徒に助けられていつのまにかベテランと呼ばれる年齢になってしまった、そういう教師が少なからず存在する。子どもたちに人気があって、職員室でも信用がある、そういう教師を選ぶ必要があるのがこの2教科である。

理科の実験にも同じような「作業指示」があるが、理科教師は技術・家庭や美術に比べて「作業指示」の経験が少ない(つまり、実験の授業が少ない)ため、技術・家庭や美術の教師ほどにはこなれていない場合が多い。体育教師も同様である。「指示」が明確でなくても子どもたちが喜んで活動するため、ちゃんと考えて授業をしている教師と考えずに授業をしている教師とで、真っ二つに分かれるのが体育教師だ。国語も同様である。考えている者と考えていない者との差がものすごく大きいのが国語である。ただし、「発問」づくりを勉強しようと思えば、やはり一に国語、二に社会である。

英語にも「作業指示」や「活動指示」が多いが、現在、英語教育は文法中心の英語教育からコミュニケーション中心の英語教育へという過渡期にあるため、なかなか良質な「指示」を与える英語教師には出会えない、という現実がある。

教師の指導言には「発問」「指示」「説明」がある。この「あたりまえのこと」に気がつけば、職員室がこんなふうにさえ見えてくる。「ド素人でさえ気がつく」ような「あたりまえのこと」に、我々も意識して気づきたいものである。

 ★

 私の先日の講座でも、基礎基本の技術を身につけることとして、この「発問・指示・説明」の区別を問題にしておいた。

 まだ、多くの教師達が、この区別をつけないままに授業をしている。

 堀先生も、このブログで強調しているように、「説明」や「指示」が授業の中では、重要であることは当たり前である。

 しかし、「発問」が、格段に重要なものとして考えられてきた。

 「授業は、発問だ」というわけである。

 それは何故だろうか?

 「ごちそう」の授業づくり優位の研究がそうさせたのではないかと、私は思ってしまう。

 「ごちそう」というのは、私が最近提起している「味噌汁・ご飯」授業に対比して用いている言葉である。

 「ごちそう」づくりでは、確かに「発問」がエースになっていくであろう。

 どんな発問を準備していくかが、まず大きな教材研究の課題になっていく。(私も、そのような研究をしてきた)

 「味噌汁・ご飯」授業は、「指示・説明」がとりわけ大切になる。

 「発問」は、ポイントになる<考えさせたいところ、つまづきそうなところ>に絞るように提起している。

 ★

 教育界で「説明」のことについて研究した本があるのだろうかと、アマゾンで調べてみた。

 2冊ぐらい。それも「指示・説明」と一緒である。

 「指示」については、法則化運動時代に出された岩下修先生の「指示の明確化で授業はよくなる」(明治図書)がある。しかし、今は絶版である。

 「発問」研究については、すごい数の本がある。

 教育界がどこに力を入れてきたかがよく分かる。

 私は、「説明」の研究をもっとしなければいけないと思う。

 私たち教師は、この「説明」のとき、「ただしゃべっている」のである。

 子供達からそっぽをむかれている。

 ★

 最適な本が出ている。

 「話す力」(イノベーションクラブ著 ダイヤモンド社)である。

 このイノベーションクラブの主宰者は、白潟敏朗である。

 もちろん、この本は、企業研修で使われた物が本になっている。しかし、ここで提起されている内容は、子供達への説明としてもおおいに有効である。

 こういう本を参考にしながら、子供達への「説明」を磨かなければいけない。 

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 あまりにもひどい授業

  ある先生からこんなメールをいただいた。

 その先生の奥様のことである。

 数年前から、奥様は、特別の補助教員として、学校現場に入ることになったそうである。

 その奥様は、結婚するまでは数年講師として小学校の現場を経験しているということ。

 その奥様が、再度今回学校現場に入るようになって、衝撃を受けたというのである。

 ………あまりの授業のひどさにである。

 その先生が、「そんなこと分かっている」と言うと、

 奥様は、「あなたが見ているのは、研究授業とか、そういう準備された授業でしょ。私が見ているのは、普段の授業。もう、信じられない有様よ」と。

 そして、「特別支援が必要なのは、先生たちかもしれない。その先生がかわれば、特別支援対象の子供の多くは普通の教室にいられる」と。

 ★

 私は、奥様の言われることが的を射た発言であると思っている。

 先日のブログでも書いたが、新学力観が提唱された20年前から「支援、支援」と声高に叫ばれて、まともに教えない風潮が、小学校を中心に蔓延した。

 この時代は、授業の基礎基本をほとんど学ばないで、「グループ活動だ、発表会だ、紙芝居に、ぺープサート、……」と、活動、活動と叫ばれた。

 そして、その時代が終わった。

 普通の授業に戻ってきた。

 そうしたら、「あまりにもひどい授業」になっていた。

 そういうことではないか。

 ★

 「味噌汁・ご飯」授業の提案が終わった。

 次のような感想をメールでいただいた。

 昨日は刺激的なお話しをありがとうございました。

味噌汁・ご飯…

 非常にスッキリしていて分かりやすかったです。特に、指導案の形で提案され
たのが良かったです。

 本時目標は行動目標化するというのは本当にその通りだと思いました。元々法
律として運用されている要領の言葉を指導案にそっくりそのまま盛り込むことが
おかしいことだと改めて感じました。自分の言葉で語らなくてはいけませんね。
具体的案をお示し下さってありがとうございます。

 また、ポイント(つまずきやすいところ)は今まで「抽出児」とか「評価規準
に達しない児童への手だて」など色々な視点で語られてきましたが、どれもこれ
も面倒で手間ばかりかかりました。これはそのものズバリ、1行で示せるという
のが強みだと思います。というか、本来そうあるべきなのになぜそうなってこな
かったのでしょう。コロンブスの卵です。

 これらは大池や横浜では当然の指導案なのでしょうか。だとすると県下とは全
然違いますね。


 飲み会も楽しかったです。


 あまりに刺激的で、色々考えていたら興奮しすぎて日曜日なのに眠れなくなり
ました。月曜日、学校へいこう週間初日、いきなり眠くてボンヤリですが、立派
な子どもたちに助けられました。。。

 いやはや、すごいご提案でした。未だに興奮していますよ。。。なんとか現場
に還元していきたいと思っています。重ねてありがとうございました。

 提起した指導案は、大池小や横浜で使っていた指導案ではない。

 独自に、今回作り出したものだ。

 私は、このような授業を積み重ねていって、「あまりにもひどい」授業を克服していく方向を提起しなくてはならないのだと、改めて思った次第である。

 

 



 

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希望降格で、179人。

  昨日の講座のあとは、質問タイムであった。

 参会者の方に、第3講座までの間に質問を出してもらっておいて、その質問にどんどんその場で答えていくコーナーである。

 これは厳しい。

 即座に答えられないものもある。

 その中で、なかなかうまく答えられなかった質問に次のようなものがあった。

「研究部で進めようとしている研究内容に、校長がなかなか賛成してくれないので困っている。何かいい方法はないものか?」

というものであった。

 ちょっとだけ答えたのは、「校長の賛成がないものは、なかなか進めていくことは難しい」ということだったと思う。

 70年代までは、反校長としての組合派の人たちが、校長と対立して盛んに論争を繰り返したものであった。

 そして、どうなったのか。結局、校長と対立してうまく行ったことなどほとんどなかったはずである。消耗なことばかりであったはずだ。

 ★

 はっきり言うが、校長の支持がなければ、研究活動などは進まない。

 完全な支持でなくていい。(完全な支持があった方がいいが)消極的支持(「まあ、仕方ないか!)でいい。

 校長を包み込んでいかなければ進まないことははっきりしている。

 だから、徹底的に校長と話し合わなくてはならない。

 校長を無視して、重要なことが進んでいくことはない。

 ★

 このブロブを見ている校長さんは、かなりおられる。

 11月5日(木)の読売新聞を読まれただろうか。

 「先生 『希望降格』」最多179人」という見出しであった。

 2008年度、本人の希望で管理職から外れる「希望降任制度」で、校長などから外れた公立小中高など教員が、179人。

 その中には、副校長から27人、教頭から55人、校長から3人、一般教員になったという。

 今、管理職は楽な仕事ではない。激務である。

 仕事は、一般教員の比ではない。

 だから、こういうことになる。

 私は、管理職にならなかった。

 でも、他の人にも、「管理職は辛いから、ならない方がいいよ」というつもりはまったくない。

 学校を変えたい。今ある状態を変えていきたい。そう思う人たちは、管理職にならなくてはならない。

 教育長になれるならば、もっといい。

 しかし、「名誉職だから」程度の理由で管理職になろうとするならば、「これから辛いぞ」と言っておきたい。(笑)

 管理職(校長)は、学校を変えられる。(悪く変えようと思ったら、すぐにできる)

 ただし、ビジョンだけ持っていては変えられない。

 ろくでもないビジョン(要するに、自分がそのようにしたいだけ)で、トップダウンをしようとするのはいるのである。

 そういうろくでもない校長に、私も今まで2人ほど遭遇したことがある。

 私は、さっさと転任した。

 私は気軽であったので、「はい、さようなら」であった。見限らなければいけない。

 管理職は、学校を変えるためには、ビジョンと方法論をもっていなくてはならない。

 方法論なくして、絶対に変えることはできない。

 方法論というのは、変えていくための<仕組み>論である。

 ★

 今までの学校を成立させている<仕組み>をきちんと調べ上げなくてはならない。

 たとえば、そのために過去5年間ぐらいの間に職員会議でどのようなことが話し合われ、どのようなことが決議されたのか、職員会議録をじっくりとしらべあげなくてはならない。

 そして、その今までの<仕組み>を変えていくための新しい<仕組み>を想定しなくてならない。

 それから、副校長、教務主任、企画会メンバーを中心に熱く「こうしていきたい」「この学校は、こうしていかなくては良くならない」と語らなくてはならない。

 一緒に<仕組み>作りをしてくれるスタッフを集めるのである。

 少なくとも共にやってくれるスタッフが副校長(教頭)以外に3人はいなくてはならない。

 管理職は、学校をまず教職員がすごしやすい職場に変えていくことである。

 教職員第一、子供第二である。(これは、公言することはできないが…(笑))

 校長は、できるならば教室で授業をしたほうがいい。

 これだけでも、教職員は見る目が違ってくる。

 そして、教職員が困っている事態に徹底的に関わっていく。包み込んでいく。

 ★

 こういうことが、現場で、管理職を見ながら考えてきたことである。

 現在、多くの友人達が、管理職になり、奮闘している。

 私の簡単な管理職論で、エールを送りたい。

 

 

 

 

 

 

 

 

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横浜の講座が終わった

  横浜の講座が終わった。

 遠く石川から飛行機で駆けつけてくださったり、長野、埼玉、名古屋、東京などからも駆けつけてくださったりした。

 ありがとうございます。

 3つの提案であった。

 第1講座 学級経営を成功させる教師と子供との関係づくりのコツ

 第2講座 学級づくりを豊かにする4つのコツ

 第3講座 授業は、この基礎技術を身につけよ

 第3講座で、「味噌汁・ご飯」の授業を提起した。

 大旨好評で、ありがたいことであった。

 もう少し考えて、次にも提案を考えたいと思う。

 ★

 現在初任者担当をしている音楽専科の先生や、先日示範授業をしたクラスの先生も見えていた。

 示範授業をしたのは、2年生国語「おおきくなあれ」という光村の上の詩である。

 以前、すでに勉強している。

 今回、担任の先生の要望で、この詩をもう一度扱った。

 本時の目標は、繰り返しの音読を通して、暗唱をするというものだ。

 追い読み、交代読み、タケノコ読み、一人読み、起立読みをテンポ良く行った。

 そして、黒板に貼り付けた拡大紙を半分に折った。起立して読ませた。

 それから、もう少し折って、一字だけを見えるようして読ませた。

 暗唱までもう少しだ。

 一人読みは、個別評定を取り入れた。

 評定基準は、1つだけ。

 「教室のみんなに聞こえる声を出すこと」

 全員合格だった。大合格の子供も何人もいた。

 担任の先生に言わせれば、「なかなか教室のみんなに聞こえない声の子もいました」ということだった。

 ところが、全員合格だ。

 これは、個別評定を入れた結果である。

 もちろん、明日になれば元に戻るけれども、繰り返しこうして個別評定を入れていくことによって、きちんとした声になっていくわけである。

 私は、昨日の講座では、何度も個別評定を授業に取り入れていくことを強調した。

 ★

 低学年で学級崩壊をしていく先生の場合、活動や作業を多くやらせているが、ほとんどがやりっぱなしや機械的な丸つけに終わっている場合が多くある。

 このブログで、何度も書いたことであるが、低学年は、「その場主義者」だから活動や作業は、その場で勝負しなければいけない。

 その場で、「これは素晴らしいね」「ここは天才的!」…というような言葉を付け加えながら、丸付けをしたり、合格の印を押したりすることによって、子供の心にぐっと入っていくのである。

 ところが、多くの先生達が、放課後の時間に丸付けをし、3日後や1週間後に子供に配布するということをされている。

 これでは、子供の心に入らない。

 通過していくだけだ。

 しかし、「授業中に丸付けをしたり、合格にしたり、というのは忙しくて無理ですね」と言われる。

 それは、丸付けの時間を授業の中に組み込んでいないためである。

 最初から、授業の外で処理するように決めているからできないのである。

 授業の仕組みが、そのようになっていないわけだ。

 ということになる。

 それではいつまで経っても、変わらない。

 

 

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少し遠くが見えること

  長瀬拓也先生から本が送られてきた。

 「教師のための時間術」(黎明書房)である。

 すぐに読んだ。驚く発想である。

 長瀬先生は、28歳。若手のばりばりの実践家である。

 つい最近も、「若い教師のための読書術」(ひまわり社)を発刊したばかりなのだ。

 もうすでに二十代で時間術の発想を持っていることに驚いた。

 多くの二十代は、時間術は持っていない。有り余る時間をそれこそ無駄に使っている。(笑)

 横浜で3年間勤め、その後故郷の岐阜に帰っている。

 横浜は、貴重な人材を失ったものである。

 私は、時間術を四十代になってしか持つことができなかった。

 その意味で、二十代での発想はすごいことである。

 ★

 天地人の直江兼続は、訪ねてきた毛利輝元に「少し遠くが見えるようになった」と語っていた。

 日曜日のNHKのドラマでのことである。

 少し遠くが見えること。

 それは、自分のこれからの仕事なのか、それとも自分の人生上の行き先なのか……。

 これが私たちには、できなくなっているのかもしれない。

 私は、長瀬先生に少し遠くを見て、仕事を積み重ねてほしいと願っている。

 ★

 このブログを見られている若手の先生方、28歳の青年(これは死語かな?)が

書いた時間術をぜひとも手に入れられて、自分の仕事と比べてもらいたいと思っている。 

 

 

  

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学級づくり・4つのコツ

  全ての「ものごと」がそうだが、何かの大きな変化が起ころうとするとき、その予兆が示される。

 80年代の冒頭で起こった中学校の校内暴力は、その後の教育に大きな影を落とした。

 教育関係者やマスコミは、この事態を捉え間違い、反学校、反教師のキャンペーンを張り続けた。

 そして、今がどうなったか,言うまでもないことである。

 90年代末から顕在化した学級崩壊(それまでもあったのである。徐々に増えていた)もまた、小学校にこれから起ころうとする大きな変化の予兆であった。

 今、学級崩壊は、都市部から地方へと広がっている。

 ★

 学級崩壊のクラスというのは、氷山の一角である。

 その裾野には、崩壊まで行っていないが、ほとんど崩れてしまっている学級が膨れあがっている。

 崩れているというのは、ただ「群れ」の状態であるということだ。

 いじめ、もめごと、けんかなどしょっちゅう起こり、収拾がつかなくなっている。

 ただ、かろうじて授業だけは進んでいくという状態である。

 また、崩れているとほとんど意識していない担任もいたりする。

 ★

 私は、教師達が日常進めている「その日暮らし学級経営」では、もうやっていけなくなると警告を発した。

 「その日暮らし学級経営」というのは、年度当初に、簡単に係・当番などを決め、あとは1年間の行事予定と授業で進めていく方式である。

 この方式は、それこそ戦後ずっと多くの教師が進めてきた学級経営の仕組みであった。

 学級経営案は、ほとんど校長へ提出するためのものである。

 しまい込まれた作文である。

 まだ、この現状は、続いている。

 崩れていった教師達は、何が問題であるかが分かっていないのであろう。

 ★

 このブログで何度も書いていることであるが、学級経営に、「学級づくり」という視点を入れていかなくては、もうだめである。

 今回の11/15(日)の講座では、今まで提起してきた学級づくりのコツを含みこんで、4つのコツを提起するつもりである。

 1,「縦糸・横糸」張りで関係づくり

 2,学級の「仕組み」化

 3,子供たちの「集団」化

 4、活動の「見える」化

 参加される方には、自分のクラスづくりと比較して考えてほしいと思っている。

 

 

 

  

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いよいよ「味噌汁、ご飯」授業の提案がまとまった

 「味噌汁、ご飯」授業の提案が、何とかまとまった。

 11月15日(日)の横浜講座(参加されたい方は、masaichi@r3.dion.ne.jp 井上)

で提案する予定である。

 この授業には、3つの条件が必要である。

 これは、京都橘大学の池田修先生の提言である。

 1 日常的である

 2 飽きることがない

 3 栄養価が安定している

 この授業は、「縦の課題」と「横の課題」との融合として考えた。

 「縦の課題」とは、教師側として何を取り組んだらいいかということ。

 「横の課題」とは、子供側として「飽きがない」状態をできるだけ授業に取り入れていくこと。

 ★

 「縦の課題」を考えていくとき、どうしても基礎基本の技術が必要になる。

 これを身につけないと、なかなか上にあげた3つの条件をクリアできない。

 それを基礎基本10か条として提案している。

 この基礎基本も、すぐにできるようにはならない。

 たとえば、基礎基本3か条「一時に一事の指示を徹底せよ」としている。

 しかし、これは理解しても、すぐに使えるようにはならない。

 ベテランの教師達でも、この原則をきちんと使えている授業をあまり見たことがない。

 意識して使っていかなくては、とても身に付かない。

 ★

 「横の課題」を考えていくとき、子供の発達段階を考えた。

 吉本隆明さんは、「家族のゆくえ」(光文社)で、小学校の時期を学童期ではなく、<少年少女期>という提案をしている。

 この時期は、「遊びが生活の全てである」と規定している。

 私たちは、子供の発達段階をあまり想定していない。

 「子供達の学力を保障していくためにはどうしたらいいか?」「きちんと授業を成立させていくにはどうしたらいいか?」という発想から、授業を構想している。

 そうではなく、小学校の時期は、「遊びが生活の全てである」という段階を想定しなくてはならないと思ってきた。

 だから、子供達に教科の好き嫌いを調べるとき、ほとんどが体育を一番にあげると思う。算数や国語が、一番好きということにはなかなかならない。

 体育が、子供達の遊びの要素を一番満足させてくれるからである。

 理想的には、小学校の授業が遊びみたいな感覚になっていったらいいのである。

 なかなかそうはいかないが……。

 考えられることは、授業の中に、子供達の作業や活動をできるだけ入れていくことである。

 ★

 「味噌汁、ご飯」授業は、あるべき授業を求めていくものではない。

 すでに、すべての教師達が日常的に行っている授業を、日常に耐えられる授業にせり上げていく試みである。

 「ごちそう」授業づくりではない。

 唸るような、感動的な授業を作ろうとしているのではない。

 発想も、授業づくりの仕組みも、まったく違う。

 

  

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私はテレビじゃない

   昨日のブログで、「先生がテレビになっている」ことを書いたら、横藤先生から10年前の実践「私はテレビじゃない」が送られてきた。引用したい。

 私はテレビじゃない
  【全学年・学級経営・話の聞き方】

教師が話し始めます。それに集中できずに,よそ見をする子がいま
す。すかさず「○○君,私は聞いて欲しくて話しているんだよ。私
はテレビじゃない。生きた人間なんだ。そして,あなたたちに聞い
て欲しくて話をしているんだ。見ても見なくても,聞いても聞かな
くてもどっちでもよいというのでは,ないのだよ。」と訴えます。
こういう訴えに,子供たちはハッとします。ハッとしたらしめたも
の。にっこりと笑って,「そう。そうやって心を向けて聞いて欲し
い。分かってくれますか?」と問いかけます。落ち着いた「ハイ」
が返ってきます。○○君からも「ハイ」を引き出します。
すぐに切り替えて,またごく当たり前に話を続けます。そして,そ
の話の締めくくりに子供たちを見渡して「ありがとう」を添えます。

こうしたことを年度初めにしておくことで,年間を通じて学習の効
率はグンとアップします。
保護者が参観する授業でも臆することなくこの一言を言います。保
護者にも,子供にも「この先生は本気だ」と知らせる絶好の機会だ
からです。

話をきちんと聞くようにしつけることは,学校経営の基本です。教
師に対する構えができないと,友達の発言に対する構えもできませ
ん。

 こういう指導をするのも、「縦糸を張ること」の一つだと考えているという連絡である。

 ★

 保護者の授業参観での態度も、まさにこの通りだなと思う。

 どのクラスでも、保護者のおしゃべりにうんざりしているではないだろうか。

 わざわざきた授業参観で、しかも我が子が活躍している(?)授業で、うるさくしゃべってしまう神経は、いかがなものかと思われている先生は多いのではないか。

 その態度を理解できないのである。

 私のクラスは、静かであった。子どもに発問して、手を挙げさせるとき、保護者にも手を挙げさせるのである。

 授業を聞いておかなくてはならない。しゃべる時間はない。

 しかし、しかし、それに耐えられない保護者は、教室に入ってこなくて廊下でしゃべっていた。(笑)

 保護者もまた、教師をテレビと見ているのである。

 悪気はない。

 BGM感覚で、我が子が発表するときだけ静かにするのである。

 あとは、教師はテレビと同じであり、隣の人としゃべっている。

 年々、この傾向が強まってきたことは憂うべきことなのである。

 

 

 

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先生の話をBGM感覚で受け取っているようだ

   「これって、BGM感覚ではないのだろうか?」

 というのが、途中からの感想である。

 3年生の音楽の授業を見た。初任者の先生の授業だ。

 ざわざわしている。

 大きく崩れる感じではないが、とにかく落ち着きがない。

 先生に注意されるとやめる。

 でも、しばらくすると、またざわざわする。

 そのざわざわする子供達は悪気はあまり感じられない。

 リコーダーのときは、一応ちゃんとふいている。歌だって、歌っている。

 しかし、先生の説明の話になると、ざわざわする。

 この光景は、なにかの光景に似ているなあと思っていた。

 それは何なのだろうか。

 ★

 そうそう、これはテレビをつけっぱなしで、こちらで何かをしている光景と同じだ。

 テレビの人たちは、何かを話している。でも、こちら側では、家族が話していたり、テレビゲームをしたりしている。

 興味があるときだけ、テレビに目を向ける。

 先生の話が、テレビ化している。

 先生の話がBGM感覚で受け取られているのではないだろうか。

 ざわざわしている子どもをうるさく注意しても、しばらくするとまた同じことを繰り返すのは、子供達の体そのものが無意識にそのように反応するようになっているからではないか。

 先生の話を聞かなくてはいけないと、思ってはいるのだ。

 でも、体がそのように反応してしまうのである。

 ★

 「先生の話がBGMのように受け取られている感じがしたよ」

 「えっ、ほんとですか?」

 「だって、リコーダーの時でも、歌の時でも、ちゃんとやるでしょう。でも、先生の説明の時になると、きまってざわざわが始まるよ」

 「どうしたらいいんでしょうか?」

 「説明を手短に切り上げる。作業を多く取り入れる。そして活動を多くすることだね。」

 「そのように、授業を切り替えていくしかないですかね」

 「そうだね、そうするしかないね」

 こんな反省をちょっとした。

 

 

 

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野中先生だって、ぼくをしかるみぶんじゃないと思う

   部屋の片付けをしていたら、昔の学級通信が出てきた。

 といっても、1972.6.26発行であるから、教師になって2年目の通信である。

 6年生の担任をしていた。5年生からの持ち上がりである。

 表題が、「野中先生だって ぼくをしかるみぶんじゃないと思う」としてある。

 「おおっ」と思い、早速読んでみた。

 すっかり忘れていた。「あった、あった。こんなことがあったのだ」

 今から38年前のできごとである。

 クラスでの問題をこのようにあからさまに載せるなんて、今では考えられないことである。問題の子供も、実名である。

 発端は、途中で私が授業を止めたことである。

 授業中に、おしゃべりをする子供たちがいたために、「もうやめた!」と言って、教卓の椅子に座り込んだ。

 その時のことをこのように書いている。

「ぼくは教卓のいすにすわり、黙ってみんなを眺めていました。みんなは、はじめシーンとして静まりかえりましたが、そのうちに社会科の教科書や資料を読むもの、こそこそと話し合うものと、それぞれが思い思いにごそごそとやり出しました。その時、2班のAが他の班の班長をよんで、廊下に出て何か話を始めたようです。多分、『かかる事態をいかに対処すべきか』という班長会議を始めたのでしょう」

 班長会議が機能していたのである。

 今では、授業を止めるなんて、とても考えられないことだが、当時私は、こういう手を使ったのである。

 ★

 そこからが問題である。学級通信を続ける。

「『先生、よんでください』

 とB君(実際には実名である)がノートをぼくにさし出したのです。それには次のように書いてありました。

 『 学校でのこと

  ある日、野中先生がじぎょうをやめた。もう2,3こういうことがある。ぼくは、こいうことがあるとなんとなくやなかんじだ。

  ぼくにとって、野中先生はいい人だが、やっぱりけいけんがないのか、すぐ、じぎょうをやめる。先生だってぼくとおなじだと思う。ぼくがいつか、学校をとびだしたことがある。(注)野中先生だって、ぼくをしかるみぶんじゃないと思う。

  先生におねがいがある。じぎょうをほうきするようなことをしないでくれ。ぼくもしないからたのむ。どうだやくそくしてくれるか』

 注 B君は、修学旅行後、女の子のことでみんなからひやかされて、学校をとび出していったことがあります。その時、ぼくは「そんなことぐらいで、学校をとび出していくな」ということでしかったことがありました。」

 「ああっ、あった、あった、汚い字でノートにこのように書き殴ってあった」

 Bは、学校を飛び出していって、よく遊びに行く土管の中に隠れていたのであった。

 私が探し出して、うんと叱ったのである。

 同窓会の時、この土管事件は有名でみんなと笑いあったものである。

 ★

 「いやいや、若かったな」と、今では冷や汗が出ることである。

 この時代、「縦糸を張る」などということなんか、まったく考えることがなかった。

 子供達から「頼むから、授業をしてくれ」という声があったからである。

 ★

 このB君達は、もう50歳になる。最初に担任した子供達である。

 私が教師生活30年になるときは、同窓会を開いてくれた。

 B君は、卒業して農業を続けている。

 今では、B君達が出資する野菜物を集めた店がオープンしていて、私もお客の一員である。

 

 

 

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