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運命を分ける要素は、何だろうか

  「味噌汁、ご飯」授業について書いた。

 その中で、赤坂先生や池田先生に「どうですか?」とつい振ってしまったら、2人からコメントがついた。

 東奔西走している2人には、申し訳ないことである。

 赤坂先生からは、「まだ、構想段階ですが、『味噌汁、ご飯』の授業ができる教員を育てるプログラムが、来年度の授業から始まりそうです」ということ。

 池田先生からは、授業を成立させるための要素としての「声」と「文字」、どうしてもこれだけは教えたいというものを持っているのかどうか、という指摘がなされている。

 ★

 「味噌汁、ご飯」授業という発想は、ナマクラ流ズボラ派家庭料理研究家の奥薗壽子さんからの影響である。

 奥薗さんの「ズボラ人間の料理術」(サンマーク出版)からの著書紹介には次のようにある。

「小学校1年生のとき、料理嫌いの母親からある日突然、台所をまかされ、料理を作りはじめる羽目に。包丁の使い方、野菜の切り方もわからないまま試行錯誤を重ねるうち、料理を作るおもしろさに開眼、今日に至る。

 2002年5月、テレビの人気番組「TVチャンピオン」(テレビ東京系)で行われた「3分料理人選手権」でみごとに優勝。一躍、時の人となる。

 イイカゲン、テキトーに作っても間違いなくおいしくてヘルシーなものが作れる奥薗流ズボラ料理を広めるべく、雑誌、テレビ、講演会、料理教室などで、全国を飛び回っている。

 「正しいズボラの7か条」が信条。

 1 面倒くさいと思う気持ちに素直になること。

 2 手を抜くことで、おいしくなること。

 3 使う道具は限りなく一つであること。

 4 その日のうちにすべてを使い切ること。

 5 限りなくヘルシーであること。

 6 料理の既成概念を捨てること。

 7 実験精神旺盛で、遊び心があること。

 ご飯とみそ汁のある食卓をこよなく愛する一男一女の母でもある。」

 奥薗さんの料理は、見てくれの料理ではない。早く、日常に耐えられるように考えられた料理である。

 そこがいい。

 ★

 私も、6,7年女房より早く家に帰り着くということで、夕食はほとんど毎日作ったことがある。

 そこで出会ったのが、奥薗さんの本だった。

 この人の肉じゃがは、私にとっては革命的であった。

 それまでは、水を入れすぎたりしてよく失敗した。

 ところが、奥薗さんが教える、煮汁の量を少なくする、落としぶたをするなどの工夫で、まったく失敗することなく、おいしく作り上げられるようになった。(「ズボラ人間の料理術 超入門」 サンマーク出版)

 奥薗さんは、書いている。

 家庭料理は、テキストを見ながら作るものではないはずだから、イイカゲン・テキトー、いきあたりばったり、でいいはず。

 作ってみると、とんでもないものができあがる。

 テキストと比べてみて、いったいどこが違っているのか調べてみる。

 「そんなことを毎日やっていてわかったことは一つ。イイカゲンに作ったやり方と、テキストのやり方って、そんなに大きな違いはないってこと。ということは、成功と失敗、おいしいとまずい、運命を分ける要素は、ほんの些細なポイントだということ。たとえば肉じゃがだったら、煮汁の量が思ったより少なくていいとか。落としぶたをしたほうが味がまんべんなくしみ込むとか。

 なあんだ、そんなことでよかったんだ、と思える程度のことだったのです。」

 ★

 学ぶことがいっぱいである。

 料理も授業も、発想は同じである。

 「味噌汁、ご飯」授業を発想するとき、大切なことは、奥薗さん流に言うと、「授業の既成概念を捨てること」ではないかと思っている。

 でも、ポイントを外したら、授業にならない。

 「とんでもない授業」と「味噌汁、ご飯の授業」を分けていくのは、ほんの些細なポイントではないか。

 それは何だろう、と考えてみる。

 

 

 

 

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