希望を処方するということ
精神科医 中井久夫氏の著作を折りに触れ読んできた。
今まで名前だけは知っていたが、本を読んだことがなかった。
5月の「縦糸・横糸論」の基調提案のとき、パネラーだった橘大学の理事長の梅本先生からの一言があった。
確か、つぎのような発言だったと思う。
「中井先生は、自分の患者のことを自宅へ帰ってまで思い出すようなことがあれば、それはもう他の先生に交代をしなくてはならないときなのだと言われています」と。
仕事と自分の時間とは、明確に区別せよということだと私は受け取った。
私が今まで考えてきたことと同じだったので、「よし、中井先生の著作を読んでみよう」と思い、読み進んできたのである。
★
「精神科治療の覚書」(日本評論社)を読みながら、ドキッとした一節があった。
「医師が万能であるとみえればみえるほど、患者は小さく卑小で無能になる」
私は、次のように読み替えている。
「教師が万能であるとみえればみえるほど、子供は小さく卑小で無能になる」
そのあとに、追い打ちをかけるように、次の一節がくる。
「治療は、どんなよい治療でもどこか患者を弱くする」
これもあえて言い換えてみる。
「教育は、どんなよい教育でもどこか子供を弱くする」
しかし、中井氏のこの言葉をこのように言い換えたとき、この言葉はじつはとても危うくなる。
教師の権力性を批判するイデオロギーと、子供は無限に可能性があるとする子供信仰のイデオロギーの間で、挟み撃ちにあう。
このどちらかに振れてしまう。
教師の権力性も、子供の可能性も、確かにその側面はある。
しかし、これが現場でふりかざされたとき、教育の営みは教条化し、形骸化すする。
私は、今まで何度もその場面を見てきたし、体験もしてきた。
子供との関わりは、イデオロギーなどよりもはるかに複雑で、混沌としていて、ときには矛盾に満ちている。
中井氏は、ぎりぎりのところでこの言葉を発している。
いわば、この言葉は、誰かに、ある目的で向けられたものではなく、自己省察、あるいは自戒の言葉としてであろう。
★
中井先生の愛弟子(?)であろうか、滝川一廣氏の言葉を先日のブログで書いた。
「精神治療の成否は、こちらが『なに』をなすかではなく、相手が『なに』をどう体験するかの方にかかっている」
私たち教師が、現場で今まで議論してきたものは、ほとんどが教師の側からみた「なに」に終始していた。
本時のねらいはなにか、教師の働きかけはなにか、発問・指示・説明はなにか、どんな教材を準備するか、……すべてが教師の側からの「なに」であった。
私は、今もそれを繰り返している。
大切なのは、「子供がどんな体験として受けとめているか」なのであった。
この内省を欠いたとき、教師は気づかないうちに、万能になり、大きくなる。
教育的な働きかけとは、あくまでも相互的な作用なはずなのに、いつのまにか、一方的な働きかけになる。
そのようにしてなされる教育は、どこか子供を弱くする。
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このように考えてくると、中井氏の言葉の真意が見えてくるように思う。
つまり、氏の言葉は、治療者としての自己省察が、患者の側にとっての「なに」と一体になっている。
相手がどのような「なに」として受け止めているか、どんな体験となっているか、その絶え間ないふりかえりを中井氏はしている。
その的確さや深さが、著作のさまざまなところから滲み出てくる。
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「こんなとき私はどうしてきたか」(医学書院)の最初は、このように始められている。
「みなさんは、患者さんがいちばん必要としている情報は何だと思われますか」
中井氏は次のように答えている。
「なによりも大切なのは『希望を処方する』ということ」だといい、「患者さんというのは、こういうときの言葉の一語一語を何年たっても覚えています。患者さんにとっては本当に人生ののるかそるかのときですから、切迫感があるんです。/第一日目はとても大事です。たとえみかけはまったく聞く耳をもたないようにみえても、患者さんはしっかり聞いています。何十年たっても覚えている。親しい人との生別死別と同じくらい、あるいはそれ以上にせつないのです」
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精神科医の仕事は、「希望を処方する」ことだと。
私たち教師が失いかけている言葉を中井氏は、リアリティ溢れる言葉ですくいとっている。
そうなのだ。私たち教師の仕事もまた、「子供達の未来に賭ける処方」だったのである。
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