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「味噌汁、ご飯」授業の提案をしたい

  場当たり的な示範授業をやっている。先日のブログにも、そのことを書いた。

 その日の朝に、「じゃあ、私が授業をやりましょう」と言って、即座に授業をしていくのである。

 教科と勉強するところを聞くだけである。

 「そんなことで示範授業になるのですか?」

 一応、なる。なんとかなる。授業を見てくれる人が、そのクラスの初任者だからということもある。

 だが、このような授業をしながら、ふと気づいたことがあった。

 ★

 示範授業というのは、きちんと教材研究をして行うものである。

 今までそのように言われてきたし、初任者指導の先生達は、全員がそのように考えておられるであろう。

 研究授業も、そうであった。

 最高の教材研究を行い、より良い授業をどのように提供するかを考えてきた。

 少なくともほとんどの先生方は、そのように考えてきたであろう。

 いや、日本の中で行われている公開の研究会も、重点研究会も、すべてがこのような形で追求されてきている。

 ★

 でも、考えてみてほしい。

 日常の授業は、そんな教材研究なんかしていない。

 二日酔いの朝は、ほとんど教材研究なんかしないままに授業をしなくてならない。

 「今日は、何ページからだったかな?」というような授業だって、教師は日常的にやっているんじゃないだろうか。

 授業は、豊富な教材研究に支えられて行うものであると言われる。

 誰も反対が出来ないお題目だが、あまりにも日常から離れすぎている。

 ★

 そんなかっこいい授業でなくていい。

 みんなを感動させる授業でなくていい。

 日常に耐えられる授業でいい。

 「味噌汁、ご飯」授業とでも名付けたい。(笑)

 たまには、ご馳走の授業を出すことは必要だが、日頃は、「味噌汁、ご飯」授業で十分ではないか。

 それで充分日常に耐えられるし、子供達の学力もそこそこに保障していける。

 そんな授業でいいではないか。

 ★

 今まで私たちは(私も)ご馳走の授業をどのように作ったらいいかばかりを研究してきた。

 ご馳走は、お客様が来たり、正月、新年会、忘年会、誕生会などには必要だ。

 こんな非日常の時に、「味噌汁、ご飯」でもてなす家はいない。(多分)

 でも、普通の日常は、「味噌汁、ご飯」で過ごしているはずである。

 だったら、この日常に耐えられる「味噌汁、ご飯」授業をどのように成立させていくか、そんな研究をしてもいいはずではないか。

 ★

 とまあ、こんなへんなことを考えてしまった。

 私の場当たり的な示範授業も、充分「味噌汁、ご飯」授業にはなっているのじゃないかと思った。

 そうすると、「味噌汁、ご飯」授業を成り立たせていくためには、何が必要だろうか。そのように問題が立てられる。

 ★

 「とにかく45分の授業をやればいいでしょう」

 まったく違う。

 かつて、私は、ある中学校の授業を見たことがある。一斉に行われている授業だ。

 とにかくひどかった。ただ先生はしゃべっているだけ。生徒は、ほとんど聞いていない。しゃべっているか。他のことをしているか。聞いたふりをしているか。…

 これは、授業ではない。

 授業は、教師と生徒の交互作用がなければ成り立たない。

 ★

 このような発想から「味噌汁、ご飯」授業を考えたい。

 どんな条件が必要か。

 それが明らかになれば、初任者には、「とりあえずこの条件を身につけなさい」と助言することができる。

 難しい条件はだめだ。でも、授業は成立していかなくてはならない。

 大学を卒業して、即座に教員になる学生に、こんな条件だけでもきちんと教えるということは必要ではないか。

 池田修先生、赤坂真二先生、どうですか?

 ★

 11月15日(日)に横浜で、私の3回目の講座がもたれる。(詳細は、本決まりになってお知らせします。)

 最後に勤めた大池小の先生達が中心になって企画してくれる会である。

 この1つの講座で、私が考えた「味噌汁、ご飯」授業の提案をしたい。

 

 

 

 

 

 

 

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日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

コメント

 先生、ご無沙汰しています。私のチームでも、このブログは大人気です。「味噌汁、ご飯」の授業の喪失、賛成です。「味噌汁、ご飯」の学級づくりも消えてきています。ジャンクフードが増えて来ています。でも、先生方はすすでジャンクにしているのであはなく、ジャンクにならざるを得ない状況にあります。まだ、構想段階ですが、「味噌汁、ご飯」の授業ができる教員を育てるプログラムが、来年度の授業から始まりそうです。また、ご指導を願うと思いますのでよろしくお願いいたします。

投稿: 赤坂真二 | 2009年10月 8日 (木) 09時43分

私が国語の教師だからでしょうか。授業そのものよりも授業を成立させるための要素としての「声」と「文字」が気になります。

家本芳郎先生は、教師に必要な力として、管理の力をその一つに上げ、屋根の無い校庭なら300人、屋根のある体育館なら500人の子どもを前にして、マイクを使うこと無く一声で子どもの動きを止められるぐらいの声の大きさが必要だと述べられていました。

災害時に子どもの命を守るためには、それが必要だと。ここも踏まえた上で、自分の思いや考えを適切に伝えることのできる「声」を持っているかどうかが一つ目です。

今ひとつは、読みやすい字を書けるかどうかです。美しい字ではなく、読みやすい字です。美しい字は美しすぎて読めないことがあります。これでは意味がありません。読みやすい字とは「濃く、太く、大きい」字です。この字を、ノートと板書と両方で使いこなせるという力量です。これが二つ目です。

野中先生の例えに倣って言えば、みそ汁の出汁のとり方であり、ご飯の研ぎ方、炊き方ではないかと思うのですが。

そして、これらを活用して授業を行う際、どうしてもこれだけは子どもたちに教えたいというものを持っているかどうか。それらが関係し合って、「味噌汁、ご飯」授業になっていくのかなあと、今大学で指導していることを振り返ったとき、直感ですがこのように思いました。

以下余談です。

大学に移る前は、ざっくり言うと自分の学級と学年、ま、行事の時は学校全体を見ながら実践をして行けば良かったので、限られた部分で考えて行けば良かったわけですが、大学に移ってからはそれはあり得ないので、もっと大きなエリアをストライクゾーンとして考えています。教育学や教育哲学の本を読み直したり読みあさったり、経営論の本やなんやらも読んでいます。とても面白いです。

そんなところに、こうして先生に話題をふっていただけることで、またあれこれ考えられます。ありがとうございます。アウトプットとしての大学の授業でどこまで迫れるか、挑戦してみます。ありがとうございました。

投稿: 池田修 | 2009年10月 8日 (木) 18時05分

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