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法則化運動は、<仕組み>の改変であった

  教育技術の法則化運動について、改めていくつかの書物を読んでみた。

 「ぶらっしゅあっぷ」という雑誌の第2号の原稿のためである。

 「ああっ、そうか!」という気づきがあった。

 それについて書いておきたい。

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 法則化運動は、「この運動は、20世紀教育技術・方法の集大成を目的とする。

『集める』『検討する』『追試する』『修正する』『広める』(以上まとめて法則化とよぶ)ための諸活動を行う」という目的で始められたものである。

 運動理念は、4つである。

  1.  教育技術はさまざまである。できるだけ多くの方法をとりあげる。(多様性の原則)
  2.  完成された教育技術は存在しない。常に検討・修正の対象とされる。(連続性の原則)
  3.  主張は教材・発問・指示・留意点・結果を明示した記録を根拠とする。(実証性の原則)
  4.  多くの技術から、自分の学級に適した方法を選択するのは教師自身である。(主体性の原則)

 今回、注目したのは、3の「実証性の原則」である。

 これは、授業の指導案も、記録も、発問・指示・説明などで行う手法として新しく登場したものであった。

 実際に、この手法は画期的なものであった。

 どんな授業なのかというのが、一目瞭然で分かった。追試ができるようにもなった。

 そんなことより何よりも、授業そのものを、発問・指示・説明を意識して行うようになったというのが、大きな変革であった。

 ★

 これは簡単なことではない。

 「20世紀教育技術・方法の集大成」という目的よりも、格段に大切なことだと私は考える。

 集大成されたものなどは、いずれ埃をかぶって隅に追いやれていく。

 しかし、「実証性の原則」という仕組みは、必ず生き続ける。

 実際に、法則化運動を踏まえた先生達は、自分の授業に、この仕組みを使っているはずである。

 私も、そうだ。

 初任者指導の仕事で、初任者に最初に教えるのは、このことである。

 ★

 法則化運動は、旧来の授業の仕組み、指導案の仕組み、授業記録の仕組みを大きく変えようとした運動だったのだ、ということに改めて気づいたのである。

 旧来の授業の仕組みは、教材によって成り立っていたものであった。

 どのような教材を用いるかということが、最優先で考えられた仕組みであった。

 だから、かけ声は、「教材研究、教材研究」であった。

 発問は、教材研究の果てにおのずと浮き出してくるものだと考えられていた。

 ★

 しかし、法則化は、この仕組みを変えた。

 教材研究と発問・指示・説明は、もちろん関連しているが、それぞれ独立して追求されるものであることを明らかにした。

 指示・説明が、授業の中の要素として取り出されたことは、初めてのことであった。

 指示・説明などの研究が行われていくことなんか、それまではとても考えられなかった。

 これは画期的なことであった。

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 変わるということは、こういうことなのである。

 どんなに表面的な華々しい変わり方をしても、それは一時的なものだ。

 ほんとうに変わるとは、<仕組み>(システム)が変わるということなのだ。

 たとえば、音楽関係の製造業。アナログレコード全盛期には、レコード針の会社が数多く存在し、製品開発や販売戦略でしのぎを削っていた。

 しかし、針を使わないCDが登場したことで、これらの会社はほぼ全て消滅してしまった。

 レコードからCDへの<仕組み>の転換は、大きな変革をもたらした。

 新しい仕組みが登場することによって、従来の仕組みは、一夜にして消えることは珍しくなくなっている。

 同様に、もし音楽配信サービスがさらに一般化になったら、CD用部品業界も苦戦することは必死である。

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 法則化運動は、どうなったのだろうか。

 旧来の授業の仕組みが、ほとんど現場に合わなくなっていたことは明白であった。

 それは、民教連の多くの組織が、年寄りだけの組織になって衰退していっていることだけからも明らかであった。

 若者達から見向きもされなくなっていた。

 それは、むずかしい授業理論と膨大な教材研究を要求されてくる授業づくりだったからである。(もちろん、否定することばかりはないのだが……。)

 しかし、法則化運動が、<仕組み>の改革を迫ったという認識は、どこにもなかったのだと思われる。

 おそらく、法則化運動を進めている人たちにもなかったのではないだろうか。

 そして、いま<歴史>になろうとしている。

 ★

 いま私たちに残されてくるのは、法則化が提起した授業の<仕組み>をどのように引き継いでいくのかであろう。

 旧来の仕組みは、もう破産してしまっているのだ。

 その破産した<仕組み>をまだ現場は、上澄みだけを模倣しながら綿々と続けている。

 いずれどうにもならなくなる。

 中学校の授業崩壊、小学校の学級崩壊は、その警告であった。

 企業は、物が売れなくなるという現実にさらされる。仕組みを変えざるをえない。

 しかし、学校は、クラスが荒れる、崩壊するという事態になっても、教師の問題、子供の問題など個人的な問題にしておけば事が済んでしまう。

 学校の仕組み、学級の仕組みの改変は、緊急であるはずである。

 さて、……。

  

  

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