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やはり音読はどうしても必要である

  初任者指導の一日では、授業が終わったあとに必ず話し合いの時間を設ける。

 今日は、初任者の先生は、音読について次のように話されていた。

「音読を授業に毎回組み込んでいくことによって、子供達の声が変わりました。

 今日の「くじらぐも」の劇活動でも、みんな元気に声が出ていて、ずいぶんよく声が出てくるようになったんだなと思いました」

 4,5月の頃には考えられないことである。

 国語の毎時間の最初に、音読の時間を入れていく試みの成果であることは間違いない。

 昨年の1年生の初任の先生も、国語の授業に音読を入れられて、大きく子供達の声を変えられていた。

 これは、何なのだろう。

 ★

 国語の教師でなくても、音読の必要は誰でもが納得している。

 でも、音読を毎時間のように、ある時間を確保して授業に取り入れているという教師はどのくらいいるのだろうか。

 ほとんどいないと思う。

 ほんの少数になるに違いない。

 私が知っている先生では、中学校の国語教師堀裕嗣先生、立命館小学校の岩下修先生など限られた先生である。

 そうそう、私が退職した大池小学校は、学校ぐるみで音読を5分間国語の授業の最初に設ける取り組みをしていた。3年間行った。(今はどうなっているか分からない)

 必要性は分かっていて、取り入れられないのは、結局どのように取り入れていっていいか分からないからだと思っている。

 ★

 私は、高学年で、この音読を毎時間国語の授業に取り入れていた。

「野球では、必ず練習の前に2人でキャッチボールから始めるだろう。サッカーだって、そういう練習から始めるはずである。

 なにごとにも、まず体の準備が必要だ。国語の勉強の準備運動は、音読です。

 これを5分間行って、本番の勉強に入っていきましょう」

と、子供達には言っていた。

 それでも続けていくと、飽きてくる。

 二人組を組ませて、お互いに顔を見合って、その人に声を届けるようにしようと、取り組んだこともあった。

 ほとんどが教師の追い読みで行うことが多いのだが、段落ごとに子供達に割り振って、その子供の追い読みで行うこともあった。

 試行錯誤であった。

 私は、よくは知らないが、このような研究をしたところはあるのだろうか。

 音読についての書物は、たくさん出されていることは知っているが、授業のなかに毎時間取り入れて、それを1年間続けていく研究をされた学校は(大池小学校以外に)あるのだろうか。

 私は、大池小学校で3年間音読を続けながら、さまざまな課題を感じた。

 ★

 1つは、さきほど上げた飽きてくる事に対してどのような手立てがあるのかということになる。野球のキャッチボールみたいに子供に定着させていくようにするにはどうしたらいいか。

 2つ目は、取り上げていく詩などの作品をどのように考えていくか。私は、高学年でも、発声練習や言葉遊びなどを多く取り入れていったが、低学年などに論語を入れたりしていく(ほとんど意味が分からないもの)ことなどにはあまり賛成ではなかった。では、百人一首はどうするのだと言われそうだが、あれは、ゲームの一首として日本語のリズムをつかむものと考えればいいと思う。

 3つ目は、音読を取り入れるとこのように良く変化していくということが子供達にも分かるようなこととして明確にならなければいけないと思う。教師側だけが納得しているのでは、やはり続かないのではないだろうか。

 4つ目は、教室で取り上げる音読の方法は、さまざまな方法が明らかになっているが、やはりどこかではっきり取り上げていくべきである。多くの教師達のものにはなっていない。

 

 

 

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