「仕組み化」ということ
前回の糸井登先生のブログを繰り返し読んでいると、さまざまなことが読み取れる。
有名な実践家というのは、こんなことをやっているのだということが分かる。
糸井先生は、まず普段の授業の中でやっていることは、次の4つであると言っていっている。
1、子どもたちへの躾(学校内でやるべきこと)の徹底
2,子どもたちへのノート指導
3,教室掲示などを含めた教室環境の意識化
4,子どもたちへの発表指導
「こういう基本的なことを授業で徹底していく。まず、それが、私の『普段着の授業』である」と言われている。
多分、4月、5月、6月は、この基本的な指導を徹底されるのであろう。
有名な実践家として名を馳せた名古屋安東小学校の築地久子先生もまた、4月、5月、6月は、何度も何度も口酸っぱくして指導を繰り返すとどこかで書いておられたことがある。
この築地先生の実践は、誰もマネができないものであった。
糸井先生には、ぜひともマネができるように、その具体的な仕組み化を明らかにしてもらいたいものである。
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私が、最近ちょっと凝っているのが、この「仕組み化」である。
法則化運動を再検討していく中で、この運動の重要な問題提起は、この「仕組み化」であったと気づいたからである。
それから仕組み化についての本を読んでいる。
ブロガーで有名な小飼弾の「小飼弾の仕組み進化論」(日本実業出版社)、「仕組み仕事術」(泉正人著 ディスカヴァー)を読んだ。
おもしろかった。
泉正人さんは、仕組みというのをこのように定義している。
「誰が、いつ、何度やっても、同じ成果が出せるシステム」
<ケース1>で、2軒のレストランの例をあげている。
「『ビッグ』(はんばーぐで有名なレストラン)は、せっかく腕のいい達人シェフがいたにもかかわらず、その技術は結局、達人シェフだけのもので終わりました。彼がいなくなったら、店の売り上げはたちまち落ち込んでしまいました。
他方、『キッチンスマート』(家族向けのファミリーレストラン)では、達人シェフのハンバーグを、学生アルバイトでも味を再現できるような簡単レシピに落とし込みました。そうすることで、『シェフの味』を『店の味』にすることができたわけです。これこそが『仕組み化』です」
と紹介している。
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この「仕組み化」(システム)は、私がずっと主張してきたことでもある。
学級づくりでも、おおいにこの仕組み化を応用してきた。
しかし、問題もある。
ハンバーグは、物作りである。
だからこそ、仕組み化ができる。
だが、教師の仕事は、子ども相手の交互作用によって成り立つものであり、そんな仕組み化とは相容れないものがある。
とまあ、そのように反対される。確かに、そのようなことも言える。
誰が、いつ、何度やっても、同じ成果がだせない場合もある。
これも事実である。
このような反対で、仕組み化はなかなか教育界には、適用されていかない。
その結果、ずっと今でも経験主義の家内工業的なことがまかり通っている。
教師の学級経営もそうであるし、仕事の仕方もそうである。
授業の中身も、システムも、ほとんど変わりがない。
私が、教師になった37年前から比べて変わったことは、何か。
1,ガリ版がパソコンになった。これは大きな変化。
2,授業では、テレビが導入され、パソコンでの授業もできるようになった。
要するに、機械が便利になり、教師も、その便利な機械を使えるようになったことだけは確かである。
他にあるだろうか。
授業の内容が変わり、教師の技量が格段に進歩し、教師の仕事も早く終えられるようになり、教師に余裕が出てきたのか。
それはまったくない。
授業の内容は相変わらずだし、教師の技量の進歩は見えないし、仕事は遅くなり、忙しくなり、教師の余裕はますます無くなってきたのである。
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愚痴、不満、文句を言っても始まらない。
この現実に私たちは生きているのである。
私は、「仕組み化」を提案してきた。
「3・7・30の法則」は、学級の仕組み化をするためのものであった。
学級づくりで、仕組み化できるものはしていこうとする立場であった。
普通の教師達が、ちょっと努力すれば、そこそこの学級経営ができるようになるという仕組みを作り出すこと。
そんなことを考えてきた。
まだ、道半ばである。
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