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凌いでいくということ

  忙しくて、今までなかなか会えなかった平塚のSさんと久しぶりに会う。

 年若き友人だ。

 3時間ぐらい、さまざまな話をしたのだが、ほんとうに楽しかった。

 海外青年協力隊の経験があり、いずれ日本での教師経験を生かして、また途上国の子供達のために自分の身を献げていこうという夢を聞いた。

 私が今まで出していた何冊もの本にびっしり線が入っていて、疑問に思ったこと、分からないことなどを10項目ぐらい質問された。

 ほとんど本を読まない若い先生達の中で、まさに異質な青年である。

 何ともうれしいことではないか。

 ★

 Sさんの友人の話である。

「私の友人が、うつ病になっていて、メールがきました。『子供が好きで教師になったのに、その子供によって教師を辞めなくてはならなくなっています』と書かれていました」

 その友人は、二度目の再発で、教師を辞めることになるだろうと…。

「私は、妻と言い交わしました。お互いにおかしなことになったと判断したら、

 早めに療休をとるような手続きをしようと……」

 Sさんは、そのように語っていた。

 鬱病になる教師がすごい数で膨れあがっている。

 精神的な病で倒れる教師達の数は、普通のサラリーマンの三倍の数であるというのが、新聞報道でなされている。

 私がメールで受け取ったり、友人と話したりする内容でも、確実にそのような話が混じってくる。

 原因は、はっきりしている。

 何度でも書いておくのだが、大変な子供たちと、大変な親たちと、忙しさと、職場の人間関係である。この4つの何かが、あるいはこの4つの全てが重なって起こっている。

 

 私は、37年間の教師生活で、精神的な病になるということはなかったが、これは運が良かっただけである。

 いろいろな話を聞いていると、偶然だったのだなと思ってしまう。

 もちろん、大変な子供にも悩まされてきたし、大変な親にも出会ったこともある。

 職場では、大変な人とさまざまな葛藤を繰り返したこともあったし、校長からはずされて窓際に追いやられたこともあった。

 その渦中にいたときは、大変だったことを,今でも思い出される。

 しかし、思い返してみると、その期間だけであった。

 思い出は、「6:3:1」だそうだ。

 6が楽しいこと、3は中立的なこと、1は嫌なこと。このような比率で、忘れないで思い出となっているということらしい。

 だから、ほんとうは、その時大変なことだったことも、今では忘れていることだってあるのだ。

 1つだけ、自分に身に付いていたことは、「大変な時を凌いでいく」方法だったのではないかと、今ならば言えると思う。

 「凌いでいくこと」。人生のなかで、何度か、あるはずである。

 辛いことや大変な事態が、ずっと続くことなんかあるはずはない。

 絶対にない。

 でも、そんなとき、「凌ぐのだ」。

 その先に、きっと希望が見えてくる。  

 

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