思い煩ふな
月曜日、いつものように帷子川の遊歩道を歩く。
からりとした暑さ。空の青さ。あのカリフォルニアの空を思い出す。
歩きながら、ふとドングリが落ちていることに気づく。
もうそんな季節である。
思い立って、しばしドングリを拾い、ポケットに詰め込む。
このドングリには、子供の頃の思い出がつまっている。
樫山と名付けた小高い遊び場所では、秋の一時期、ドングリが一斉に雨のように降るときがあった。そう、雨のように、だ。
子供達は、その時期をしっかりと覚えていて、楽しみに待っていた。
★
部屋へ帰り、気に入っている小さな絵皿にドングリを入れ、テーブルに飾る。
ただ、それだけのことだが、妙にウキウキする。
久しぶりに長田弘の「記憶のつくり方」(晶文社)を開く。
あとにのこるのは、或る時の、或る状景の、ある一場面だけだ。
こころにそこだけあざやかにのこっている或る一場面があって、そ
の一場面をとおして、そのときの日々の記憶が確かなものとしての
こっている。そこだけこころに明るくのこっているものだけが手が
かりというしかたでしか、過ぎさったものはのこらない。日々が流
れさるもののかなたでなく、日々にとどまるもののうえに、自分の
時間としての人生というものの秘密はさりげなく顕れると思う。
木下杢太郎の、とどまる色としての青についての詩を思いだす。
ただ自分の本当の楽しみの為に本を読め、
生きろ、恨むな、悲しむな。
空(くう)のうえに空(くう)を建てるな。
思い煩ふな。
かの昔の青い陶の器の
地の底に埋もれながら青い色で居るー
楽しめ、その陶の器の
青い「無名」、青い「沈黙」。
(「それが一体何になる」)
★
一年の中で、過ごしやすい最高の時間をこうして楽しむ。
三週間まえに過ごしたサン・ノゼの、あの青い空を思い出している。
ホテルに持って行った目覚ましは、まだそのままにサン・ノゼの時間を刻んでいる。
今頃、先生達は、子供達にどんな勉強をさせているのだろうか。
あの広い運動場で、子供達と汗を流して遊び回っているのだろうか。
一人一人の先生達の顔が思い出される。
太平洋の向こうの、あの地で、人はずっと暮らし続ける。
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