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低学年は、その場主義者なのだから

  担当している1年生担任の初任者の先生が、漢字練習帳を開かせたまま集めていた。

 15分の練習の後に、集めたものだ。

 反省会で、先生に言った。

「先生、あの練習帳は集めないで、15分の中で早くできた子どもから持ってくるようにした方がいいですよ。

 どんどんその練習帳に記号で評定していく。子どもたちと約束しておけばいいのですよ。三十丸花丸…すばらしい 三十丸…いい 二重丸…もうすこし などと決めておけば、いい。そこで今書いたばかりの練習帳に、『これはすばらしい』などと言いながら評定していくのですから、絶対に子どものやる気を盛り上げますよ」

と助言しておいた。

 子ども一人一人と対面で、評定していくことの大切さは、低学年を担任した先生なら分かるはずのものである。

 ところが、ほとんどの先生達は、その場で、そのような評定しないで、集めて、放課後丸付けをしている。

 その場で丸付けした方が、放課後の時間を他の時間に回せるのにそうしない。

 子どもたちに返却されるのは、この次の国語の時間である。

 1年生の子どもたちは、ほとんど何を書いたか忘れてしまっている。

 対面で評定される緊迫感と比べれば、雲泥の差である。

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 どうしてそうしないのだろうと、私はいつも疑問に思っていた。

 私は、1年生は4回担任した。2年生は、5回担任した。

 その過程の中で、そういう方法を会得した。

 私は、初任の1年間を除けば、放課後職員室でテスト、ドリル、スキルなどの採点をすることはなかった。

 仕事術の1つでもあったのだが、子どもたちを伸ばしていくためには最適な方法であった。

 とくに、低学年は、「その場主義者」だから、その場でホットな展開をしてあげることは必須の条件である。

 どうしてそうしないのだろうか。

 放課後、テスト採点などをしないなら、する仕事がなくなってしまうからであろうか。(笑)まさかそうではないだろう。

 考えられることは2つである。

 1つは、授業の中に、丸付けまでを想定していないこと。そういう時間がないというより、(いや、取ろうと思えば十分あるのだ)授業の中に、そういう丸付けの時間を組み込むことの発想がないのであろう。

 もう1つは、放課後職員室で、テストの丸付けや練習帳、ドリルの丸付けなどをすることが教師の仕事として深くイメージ付けられてしまっていて、ほとんどの教師はそれを追認する形で、意識的にも無意識的にも、教師としての満足を得ているからではないか。

 「いや、あんまりそんなこと考えていませんでした」と、言われそうである。

 ★

 低学年は、「その場、おもしろ、理想主義者」であると、元来主張してきた。

 その3つを満足させてあげれば、低学年のクラスが荒れるはずはない。これは、断言できる主張である。

 

 

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