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「3・7・30の法則」の由来とは?

   9日、10日は家にいて、アメリカの三育学院研修セミナーの資料作りと12日の成蹊大学で行われる授業づくりネットワーク講座の準備をする。

 ネットワークは、「『3・7・30の法則』とその由来」というテーマである。

 私が、「3・7・30の法則」をいかにして生み出したのか。

 それをさまざまな私の履歴を含めて聞き出そうという試みである。

 その対話者が、石川晋先生である。

 あまりぴんときていない私から、いろいろ聞き出してもらえるのだろうか。

 いやいや、ご苦労なことである。

 ★

 この課題は、私が「普通の教師」として教師生活を送ろうと思い決めたところから始まっているのだと思っている。

 「普通の教師」というと、おかしなことだと思われることであろう。

 「普通の教師」が、「3・7・30の法則」なんか提起するのだろうか。

 若い頃、向山洋一先生や大森修先生の授業を見た。すごい授業であった。

 「私もあんな授業をしてみたい」と少しは思ってはみたが、所詮無理だなと思った。

 野口芳宏先生にも、私のクラスで授業をしてもらった。名人と言われる人の高さを見た。

 このような名人になろうと思わなかった。思ってもなれなかったであろう。

 私は、「普通の教師」で十分であると思ってきたのである。

 授業の名人達は、学級経営にも長けていて、彼らは十分に自分なりの方法でクラスを思う存分に動かすことができるであろう。

 私は、「普通の教師」だからこそ、そこにはきちんとした方法論がなければならないと考えていた。しかも、その方法論は、ちょっと努力すれば獲得できるものでなければならない。

 これだけのことをきちんとやれば、学級は組織としてちゃんと成立していくのだという方法論である。

 ★

 小学校における「学級崩壊」が、大きく運命を変えていった。

 この事態は、これからの小学校教育の命運を変えていくものになるであろうと思われた。

 そして、その事態は、今もなおまったく変わっていない。

 どのように対処していくのか。それが試されたのである。

 一人だけ安逸に教師生活を終えていくことはできない。

 55歳での決断であった。

 今もなおその渦の中に巻き込まれている。

 こんな中での「3・7・30の法則」の提起であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

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