でも、私ができるところから始めます
ココログのパスワードがいつも通りに入らなくなり、すったもんだしてやって開くことができた。機械音痴は、こういう時に大変だ。
ずいぶんブログの更新をしていない状態である。
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16日(木)に昨年まで初任者指導をしていた学校を訪ねた。
私は、いま音楽専科の初任者の先生を指導している。内容の指導は、まったくできない。
だから、授業の進め方についての指導しかできない。これはなかなかに難しい。
そこで、昨年度いた学校のすぐれた音楽教師の授業を見せてもらいに一緒にでかけたのである。
音楽教師のMさんは、合唱指導では有名な人で、いつもNHKの音楽合唱コンクールの常連校に名を連ねている。一昨年は、全体で3位の銅賞に入賞した実績がある。
5時間目の授業であった。全校では、大掃除になっていたが、特別に5年生の1つのクラスの授業体制を組んでくれていた。
「野中先生が来られるというので、特別に5年生のクラスを選んでおきました」と、M先生は話してくれた。
授業が始まると、私が4年生の時に担当していた少人数学級(実際は初任者の人が担当していたのだが)の子供達が、大勢いた。
その中に、4人のやんちゃたちが混じっていた。
4年生の時には、担任の先生を困らせ、初任者の先生を困らせていたやんちゃたちである。
学習には、まともに参加しなくて、始終おしゃべりをしたり、うろうろしたり、(私が参加する木曜日だけはいくらか真面目にしていた)担任を悩ませていたのである。
そのやんちゃたちが、音楽の授業に参加している。
というより、合唱を引っ張っているのである。
あいかわらず、にぎやかに振る舞ってはいたが、話を聞くとき、歌を歌うとき、
人の演奏を聴くとき、きちんと区別をつけていた。
私は、涙が出そうなほど感激した。
5年生の担任の先生の努力を思った。
4ヶ月で、このやんちゃたちをこのように変身させている。
それだけではなく、このクラスの合唱のレベルの高さもすごかった。
一緒に行った音楽専科の先生も、驚いていた。1つのクラスで、このようなレベルを4ヶ月ほどで作ってしまうというのは、どのような指導をしているのであろうか。
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すぐれた指導者と言われている人たちには、必ず共通するうまさがある。
それは、個別指導のうまさと言っていい。
個々の子供に投げかける個別の言葉かけ、ほめ方、励まし方などが特段にすぐれているのである。
この音楽のM先生も、この個別指導が格段にすぐれている。
5時間目の授業を見ながら、個々に投げかけていく言葉がうまいなあと感心する。
ありきたりな教師言葉(「みんなうまいねえ」「みんな上手だね」…)で誉めていくのではない。
M先生の個性がくっくりと出ているような誉め言葉が出る。
でも、決しておもねった言葉かけはしない。
それが格段にうまい。
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その5時間目の授業のあとに、合唱指導の、その具体的な指導場面を見せてもらった。
音楽専科の先生は、度肝を抜かれたのではないだろうか。
帰りがけにちょっと話した。
「あそこまで行くには、遠い道ですか?」
「ええ、でも私ができるところから始めます」
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