今日は、雪かき仕事である
「野中信行のブログ教師塾」(学事出版)が、2版になった。
みなさんのおかげです。周りの先生に勧めていただいているおかげです。
ありがとうございました。
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初任者指導をしている学校へ行く。音楽専科の先生の指導だが、この日は授業がなく、3,4時間目は、1年生の公園見学の付き添いを頼まれた。
一緒に公園へ行き、子供達の遊んでいる様子を見ていると、男の子がベンチで一人で座っている。
「どうしたのだろう?遊ぶ友達がいないのだろうか?」と近づく。
「君は、名前はなんて言うの?」
「Y……」
1年生と仲良しになるには、聞いた名前とは違う、へんてこりんな名前を言えばいい。そして、あだ名をつければいい。私が指導している今の1年生のクラスの子供達のほとんどは、あだなをつけて、そう呼んでいる。
「えっ、○○○○なの?」(笑)「ちがう、ちがう、Yなの!」
「担任の先生の名前は?」「知らない」「えっ、まだ知らないの!それとも転校してきたばかりなのかな?」……
結局、その男の子は、転校してきたばかりで、シンガポールに両親とも住んでいて、夏休みを利用して体験入学という形で、こちらの学校へきたばかりであることが分かる。
1年生で、日本の学校に慣れていないのである。少し引っ込み思案のところがあるのだろうか、自分から仲間に入ることができないのである。
こんな場合は、教師がその役割を果たさなくてはならない。
今日は、この子への「雪かき仕事」をしよう。
村上春樹が言うところの「雪かき仕事」である。誰も、求めない、求められない仕事であり、やったからといって、誰も何も感じない、感謝されることも何もない仕事である。
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私は、本にも書いたことがあるが、小学2年生の時、隣の附属小学校で学校代表で歌のコンクールに出たことがある。
朝の待ち時間に、やはり子供を連れてやってきたのだろう男の先生が、私たちが遊んでいるところへやってきて、
「私は、山の方の学校から子供を連れてきたのだけど、町の子供達がどんな遊びをしているか教えてくれないかな。一緒に遊びに入れてくれないかな!}
と切り出した。
15分ぐらいの遊びだっただろうか。
私は、その時の、その男の先生の印象がずっと心に残った。
「なんと、柔らかく、優しい先生なんだろう!」と。
今でも、その場面と、その先生の仕草を思い浮かべることができる。
ずっと私の心に残り続けたのである。
誰でもが、小さい頃のそのような思い出を抱え込んでいる。
ある場合、その思い出が、その人を決定的に変えていく転機を与えることもあるのである。
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Y君を連れて、みんなが遊んでいる場所に行った。
見ていると、すばしっこくて、運動能力抜群である。体を思いっきり動かしたいのである。
そのうちに、Y君は笑顔が溢れ、元気になっていった。
学校へ戻ってきて、「野中先生にお礼の挨拶をしましょう」という場面で、みんなの前に、Y君を連れて行って、紹介をした。
「夏休みまでしかY君はいないけど、みんな、Y君を見たら声をかけてあげてね」
これで、今日の雪かき仕事は終わりである。
夏休みまでには、もう1回しかその学校へ行かないので、再びY君に会うことはない。
Y君、さようなら。シンガポールでの健闘を祈る。
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