ベテラン教師が「変化球を覚える」ということ?
授業づくりネットワーク8月号に、私のブログ本が「編集部に届いた本」のコーナーで紹介されている。
多分、これは編集代表の上條先生が(?)書かれたのであろう。
ベテラン教師が学級崩壊になる原因を野村克也の「野村ノート」で考察しているところを引用されている。
「原因は、野村が言う『変化球を覚える』ことを怠ってきたせいである。今まで通用してきた投球で通用すると思い込み、変化球を覚えることを怠ったのである。
具体的に書こう。まず第一に、ベテランになればなるほど、授業は下手になる。えっと思われるかも知れないが、本当である。若い頃は勢いがあって見てくれる人もあるので、その勢いで授業ができる。でも、だんだん下手になっていく。よほどの努力をしないと保っていけない。その原因は、テンポではないかというのが最近の結論である。ベテランの先生たちの授業は軒並みにテンポが遅すぎる。私も、ついつい遅くなっている」
これに続いて、次のように書かれる。
「目の覚めるような指摘です。『ベテランになればなるほど、授業が下手になる』。この問題の核心の1つを打ち抜いたなと感じます。
ベテランの授業がいまの子どもと合わなくなったという指摘はよく聞きます。しかしベテラン教師の授業が下手になるという指摘はほぼ目にしたことがありません。極めて刺激的な問題提起です」
そして、つぎのように続けられる。
「ところで授業のテンポが落ちてきたときの変化球は何を覚えたらよいでしょう。
イメージは直球が一斉授業、変化球はペア・グループ学習のような気がします」
それに対して、私は、どう答えたのか。
「野村氏が言う『変化球を覚える』とは、教師の場合、『授業のテンポを早くしよう』『子どもたちとの関係づくりをする』『その日暮らし学級経営』を克服して、『見通しのある学級経営』をするということだ、と私は考える」
それについて次のように続けられる。
「なるほど!という思いと、これは直球じゃあないのという思いと微妙です」と、締めくくられている。
本当は、「これは直球だ」という指摘なのだと思う。
実は、私も改めて読んで、そのように思ってしまった。
「変化球を覚える」ことになっていない。
これは、「まともな直球の威力を取り戻したい」という願いだけである。
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事実、私がこの変化球を覚えられたかというと、そうはいかなかったと正直に言う以外にない。
私は、最後まで直球の威力にこだわったのである。
しかし、多分投げられていなかったと思う。
義理の母が、女房が教師になるときに、きちんと伝えた言葉がある。
「子どもの声がうるさく聞こえるようになったときには、もう教師をやめんばいかん」と。
教師の退職を「子どもの声がうるさく聞こえるかどうか」においた母の言葉は、
私にとって貴重な提言であった。
正直に書くが、最後の2年間は、この言葉との格闘であった。
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横浜の工藤公康が、46歳の今も尚現役でがんばっている。
11点差をつけられた7回から登板、2回を無失点に抑え、敗戦処理もこなした試合もある。
翌日、中日の落合監督に「あんな姿、見たくねえぞ」と言われたが、即座に「これが、いいんですよ」と元気に返した。
中継ぎは、連日、ブルペンで肩を作るなどハードポジション。肉体的にも辛い夏場にモチベーションを維持できるのはなぜか。
朝日新聞の「自由自在」というコラムに、副角元伸という記者が、この追求をしている。
ちょっとおもしろいので、書き抜いておく。
「『上ばかり見ていると、下が見えない。遠くばかり見ていると、足もとが見えない。先発で投げている時はリリーフの大変さが分からなかった。あっ、野球ってこういうところがあるんだって気がついた時に、オレのモチベーションは上がるんだよ』
前半戦、2軍で調整していた時期に発見もあった。『若い選手の悩みが多いこと』。助言して一緒に解決したり、出来なかったりしても『勉強になる』。『横浜に来てから野村さん(楽天監督)の本を片っ端から読んだ。オレにも足りないことがあると思ってね』。野球を知り、学びたい姿勢は強まったという。
『ここまで来られたのは運がよかった。今は何が起こっても潔くしなきゃ。ただ、スタイルとしては、自分でああだこうだは言わない。使いにくい選手と思われたら終わり。必要とされれば、2軍でもどこへでも行くよ』。ハマのおじさんの探求心は衰えを知らない」
私なら、「工藤は、野球選手としての『帰路』をこうして歩いているのだよ」と言うだろう。野球選手としての「往路」では、とても経験できなかったことをここで工藤は味わっている。
工藤は、ピッチャーとして投げることの「楽しさ」を存分に味わっていると言えるのではないか。
それは、勝つとか負けるとか、打たれるとか押さえ込むとかという野球本来の土俵とは別の世界、ただ投げることの「楽しさ」を味わうという世界を見つけたのだと思われる。
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ベテラン教師が「変化球を覚える」とは何か。
私なら「授業の楽しさを味わう」ことだと言ってみようと思う。工藤が、今なお現役にこだわっていることの意味は、そういうことだと思うからである。
かつて、社会科の有田和正さんが筑波大付属でまだ教師をされている頃(50歳をすぎておられた)、講演で言われていたことがある。
「50歳を過ぎてから、はじめて授業の楽しさというものが分かるようになってきた」と。
これも、同じことを言われていたのだと思う。
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