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2009年7月

乙島東小学校は素晴らしい学校でした!

  新幹線で、新横浜の駅に着いたら、ふうっ~~~と熱風が押し寄せてきた。

 「うわあっ~~~~、暑い」。

 岡山の倉敷は、心地よい風が吹いていて、過ごしやすかったので、特別に関東の暑さを感じる。

 岡山を10時過ぎに出て、新横浜には、1時過ぎに着く。

 昔は、新幹線で大阪まで3時間だったのが、「のぞみ」ができて、岡山まで3時間で行けるようになった。

 2時には、家に着き、6時頃までこんこんと昼寝をする。

 昨夜は、懇親会で11時過ぎまで盛り上がった。

 岡山のF先生やO先生に、初めてお会いした。メールなどを交わしているが、会うのは初めてなのだ。そして、乙島東小のH先生にも、初めて会った。メールでは、やりとりしているのである。

 予想通りのステキな先生達だった。

 ★

 倉敷市立乙島東小学校から招かれて、「縦糸・横糸」論、「3・7・30の法則」の話を90分間する。30人ちょっとという人数であったのだろうか。

 乙島東小の先生達と周辺の先生方、県外からも2名の参加者がおられた。

 指導主事の先生も、参加されていた。

 その後、乙島東小の先生だけの会合で、1時間ほど話をする。

 乙島東小学校の研究経過で、一人ずつの先生が、7月までの成果と課題を上げられていた。それに対して、私がさまざまな指摘をしたわけである。

 乙島東小は、全校児童188名の小規模の学校である。

 学年は、1クラスで、なかよし級と2年生だけが、2クラス。

 数年前までは、荒れていた学校を校長先生を先頭に先生達が一丸になって、落ち着いた学校に変身させていっている途上という雰囲気であった。

 先生達の学んでいこうとする姿勢が素晴らしく、きっとこの学校は、素晴らしい学校に変わっていくに違いないという確信を持てた。

 ★

 乙島東小の先生達に、「学校を立て直していく処方」について話した。

 森信三先生の「三大原理」を話した。その原理をどのように具体的に学校づくりに生かしていくかを考えることなのだ。

 森信三先生の三大原理は、次の通り。

「時を守り 場を清め 礼を正す  これ現実界における再建の三大原理にして、いかなる時、処にも当てはまるべし」(一語千鈞)

 私が話したことは、4つのこと。

 ①学校の土台づくり  ②自慢づくり(子供達が自分たちの学校を自慢できる)

 ③学びづくり  ④先生達が働きやすい職場作り

 ★

 懇親会で知り合いになったN先生が話してくれてことには、びっくりした。

 N先生は、鹿児島出身の先生で、社会人を経験されて教員になられた先生である。

「今日、野中先生が『3・7・30の法則』で話されたことで、社会人のときのことをふっと思い出しました。

 お客様に製品を買ってもらったとき、3日目に『ありがとうございました』という手紙を出す。7日目に『製品を使っていただいて、具合はどうですか』という手紙を出す。そして、1ヶ月後に『今後ともよろしくお願いします』という手紙を出す。

 そうすると、その製品を買ってもらったお客さんは、会社のファンになってもらえるということでした」

 なるほど、この会社は、「3・7・30」という日にち設定をして手紙を出し、お客様との関係づくりをしている。

 いい話をN先生に聞いたものである。

 N先生、ありがとうございます。

  

 

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ベテラン教師が「変化球を覚える」ということ?

  授業づくりネットワーク8月号に、私のブログ本が「編集部に届いた本」のコーナーで紹介されている。

 多分、これは編集代表の上條先生が(?)書かれたのであろう。

 ベテラン教師が学級崩壊になる原因を野村克也の「野村ノート」で考察しているところを引用されている。

「原因は、野村が言う『変化球を覚える』ことを怠ってきたせいである。今まで通用してきた投球で通用すると思い込み、変化球を覚えることを怠ったのである。

 具体的に書こう。まず第一に、ベテランになればなるほど、授業は下手になる。えっと思われるかも知れないが、本当である。若い頃は勢いがあって見てくれる人もあるので、その勢いで授業ができる。でも、だんだん下手になっていく。よほどの努力をしないと保っていけない。その原因は、テンポではないかというのが最近の結論である。ベテランの先生たちの授業は軒並みにテンポが遅すぎる。私も、ついつい遅くなっている」

 これに続いて、次のように書かれる。

「目の覚めるような指摘です。『ベテランになればなるほど、授業が下手になる』。この問題の核心の1つを打ち抜いたなと感じます。

 ベテランの授業がいまの子どもと合わなくなったという指摘はよく聞きます。しかしベテラン教師の授業が下手になるという指摘はほぼ目にしたことがありません。極めて刺激的な問題提起です」

 そして、つぎのように続けられる。

「ところで授業のテンポが落ちてきたときの変化球は何を覚えたらよいでしょう。

 イメージは直球が一斉授業、変化球はペア・グループ学習のような気がします」

 それに対して、私は、どう答えたのか。

「野村氏が言う『変化球を覚える』とは、教師の場合、『授業のテンポを早くしよう』『子どもたちとの関係づくりをする』『その日暮らし学級経営』を克服して、『見通しのある学級経営』をするということだ、と私は考える」

 それについて次のように続けられる。

「なるほど!という思いと、これは直球じゃあないのという思いと微妙です」と、締めくくられている。

 本当は、「これは直球だ」という指摘なのだと思う。

 実は、私も改めて読んで、そのように思ってしまった。

「変化球を覚える」ことになっていない。

 これは、「まともな直球の威力を取り戻したい」という願いだけである。

 ★

 事実、私がこの変化球を覚えられたかというと、そうはいかなかったと正直に言う以外にない。

 私は、最後まで直球の威力にこだわったのである。

 しかし、多分投げられていなかったと思う。

 義理の母が、女房が教師になるときに、きちんと伝えた言葉がある。

「子どもの声がうるさく聞こえるようになったときには、もう教師をやめんばいかん」と。

 教師の退職を「子どもの声がうるさく聞こえるかどうか」においた母の言葉は、

私にとって貴重な提言であった。

 正直に書くが、最後の2年間は、この言葉との格闘であった。

 ★

 横浜の工藤公康が、46歳の今も尚現役でがんばっている。

 11点差をつけられた7回から登板、2回を無失点に抑え、敗戦処理もこなした試合もある。

 翌日、中日の落合監督に「あんな姿、見たくねえぞ」と言われたが、即座に「これが、いいんですよ」と元気に返した。

 中継ぎは、連日、ブルペンで肩を作るなどハードポジション。肉体的にも辛い夏場にモチベーションを維持できるのはなぜか。

 朝日新聞の「自由自在」というコラムに、副角元伸という記者が、この追求をしている。

 ちょっとおもしろいので、書き抜いておく。

「『上ばかり見ていると、下が見えない。遠くばかり見ていると、足もとが見えない。先発で投げている時はリリーフの大変さが分からなかった。あっ、野球ってこういうところがあるんだって気がついた時に、オレのモチベーションは上がるんだよ』

 前半戦、2軍で調整していた時期に発見もあった。『若い選手の悩みが多いこと』。助言して一緒に解決したり、出来なかったりしても『勉強になる』。『横浜に来てから野村さん(楽天監督)の本を片っ端から読んだ。オレにも足りないことがあると思ってね』。野球を知り、学びたい姿勢は強まったという。

 『ここまで来られたのは運がよかった。今は何が起こっても潔くしなきゃ。ただ、スタイルとしては、自分でああだこうだは言わない。使いにくい選手と思われたら終わり。必要とされれば、2軍でもどこへでも行くよ』。ハマのおじさんの探求心は衰えを知らない」

 私なら、「工藤は、野球選手としての『帰路』をこうして歩いているのだよ」と言うだろう。野球選手としての「往路」では、とても経験できなかったことをここで工藤は味わっている。

 工藤は、ピッチャーとして投げることの「楽しさ」を存分に味わっていると言えるのではないか。

 それは、勝つとか負けるとか、打たれるとか押さえ込むとかという野球本来の土俵とは別の世界、ただ投げることの「楽しさ」を味わうという世界を見つけたのだと思われる。

 ★

 ベテラン教師が「変化球を覚える」とは何か。

 私なら「授業の楽しさを味わう」ことだと言ってみようと思う。工藤が、今なお現役にこだわっていることの意味は、そういうことだと思うからである。

 かつて、社会科の有田和正さんが筑波大付属でまだ教師をされている頃(50歳をすぎておられた)、講演で言われていたことがある。

「50歳を過ぎてから、はじめて授業の楽しさというものが分かるようになってきた」と。

 これも、同じことを言われていたのだと思う。

 

 

 

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はじめての信念を、そのまま信じるな

   ある学校へ赴任したときに、私の大学時代の先輩、同僚と一緒になったことがある。

 1つのところへ地方の大学の知り合いが一緒になったのである。

 これだけでも珍しいことだが、その人達はみな学生運動の経験者で、お互いによく知り合っていた人たちであった。

 こんなこともあるのである。それこそ何十年ぶりの出会いといってよかった。

 その学校は、荒れていた。職員たちもバラバラであった。

 よくよく見ていると、私の先輩の先生が、反校長の急先鋒で、学校をバラバラにしている大本であった。

 学校での要職を避け、楽な仕事に逃げていた。

 2年目に私に教務主任という仕事が回ってきて、私と、その先輩はさまざまなところで対立することになる。

 その先輩は、私に対して学生時代から転向したと受け取ったのであろう。

 ある日、突然「私たちは労働者でしょう?」とその先輩からなじられたことがあった。私が、労働者という立場を離れて、教務主任という立場で管理職と一緒に学校の仕事をしていることに我慢ならなかったのであろう。

 その先輩は、ほとんど学生時代から変わることなく、ずっと同じような考えで過ごしてきたのであろう。

 ★

 冒頭から昔の話を書いている。

 夏の授業づくりネットワーク大会で、今回「ライフヒストリーから学ぶ学級作り」のテーマに講師として参加している。

 「学級づくりに役立つ『3・7・30の法則』とその由来」である。

 私が提唱した「3・7・30の法則」を対象化してもらえるのである。

 北海道の石川晋先生が、私の対話相手でもある。

 このテーマのために、私もまた昔のことを思い出している。

 その昔のことと一緒に、ある学校での昔の先輩のことが思い出されたのである。

 その先輩は、学生運動時代の昔の考えをずっと持ち続けて、今の時代も生き抜いていくことにずっと誇りを感じられていたのであろう。

 「野中は、昔の考えを放り投げて、管理職になびき、権力の思うままに生きようとしている」と腹立たしく思われたのであろうか。

 ★

 この先輩だけではない。日本全国で、管理職にならず、職員会議では、常に反対に回り、会議をいつまでも長引かせ、それでいて、学校の重職からはいつも逃げ回り、5時頃にはさっさと帰ってしまう、そういう団塊の世代は多かったに違いない。(私も若い頃には会議を長引かせていたので、えらそうに言えないのだが…)

 そういう人たちが、今退職で総退陣している。

 学校は静かになっていくであろう。職員会議で、余計な時間を潰すこともなくなっていく。

 しかし、そう否定的なことばかりもなかったであろう。どこか憎めないところもあったのではないだろうか。(笑)

 私は、何を書きたいのか。

 私の先輩のことである。

 先輩は、ずっと若い頃の考えを持ち続けていることを誇りに思っていたはずである。

 ここを問題にするためである。

 これは、誇りでもなんでもない。怠惰なことだよと言いたいためである。

 考え続けることを放棄しているのである。

 昔の若い頃の考えが、今の時代にそのまま通用するはずがないではないか。

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 「中学生からの哲学『超』入門」(竹田青嗣 ちくまプリマー新書)を読んでいたら、次のようなところにぶつかった。

「ふつうの人は誰でも、だいたい高校までは、自分の家族、学校、友人などから自然に受け取ったはじめの『世界像』を育て、これをまわりの人間と共有している。これが一枚目の世界像です。ところが、大学などに入ると(もちろん大学だけとはかぎらない)、言葉の力がたまってきて、本とか耳学問で、突然新しい世界像が開かれることがある。世界と人間についてのまったく新しい観念、考え方です(宗教の形をとることもある)。

 これが二枚目の世界像で、これが入ってくると、なかなか強い力を発揮する。というのは、二枚目の世界像は、これまで自分が持っていた考えはみな間違ったもので、ここにこそ『ほんとうの世界』の姿がある、といった一種の世界発見の魅力をもって現れるからです。ちょうど、恋をすると、相手の美質について結晶作用が起こると同じく、世界についてのロマン的な結晶作用が起こるのです。

 ほんとうは、この二枚目の世界像がさらに相対化されて三枚目の世界像を得たとき、われわれは、世界経験というものの全体像をはじめてつかむのだけれど、そのためには、この二枚目の世界像が何らかの仕方で挫折する必要があるんです」

 これは、私の考えを見事に言い得ていると思った。

 要するに、先輩は、二枚目の世界像で止まってしまったのだ。

 別のところで、竹田は、次のようにも言っている。

「…この経験は、以後私に、人間が若いころどういう考えを『正しい考え』として持つかは、はじめてのたまたまの入り口に大きく左右されるものだ、という感じを強く与えました。つまり、はじめの『信念』をそのまま信じるな、です。一枚目の信念は、たまたま取りついたレッテルなので、必ずいちど検証し直さないといけない」

 竹田は、一枚目の信念を二枚目の世界像と考えている。

 私は、二枚目の世界像を三枚目の世界像に切り替えるまでに多くの時間を費やしてしまっている。

 はじめの信念をそのまま信じるな、ということが分かっていたなら、もっと早くその世界像から抜け出していたのにと、……。

 私は、これからその三枚目の世界像と格闘しなければいけない。

 

 

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「明日の教室」第4巻が発売される

 「明日の教室」第4巻が発売された。「子どもに接する・語る」というテーマである。

 私も、少しだけ「子どもにうける話・ネタ」で書かせてもらっている。

 執筆者は次の人たちである。

 青山新吾(岡山県教育庁指導主事)

 赤坂真二(上越教育大学准教授)

 北川達夫(日本教育大学院大学客員教授)

 中村健一(山口県岩国市立平田小学校教諭)

 野中信行(横浜市立子安小学校教諭)

 平田オリザ(劇作家・演出家/大阪大学大学院教授)

 藤田恵子(埼玉県所沢市立和田小学校教諭)

 山口裕也(東京都杉並区立済美教育センター主任分析官/経営支援スーパ ーバイザー)

 山田雅彦(東京学芸大学准教授)

 中でも平田オリザさんが執筆者に加わっているのは特筆ものである。

 劇作家としては、「世界の平田オリザ」と言われている人である。

 よく「明日の教室」は、こういう人を呼んできて、講演させたりしているものである。

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 先日、昨年の初任者指導をしていた学校へ音楽の授業を見にいった話は、ブログに書いた。

 合唱に来ている女の子達数人から声をかけられたのである。

「先生、あの怖い話の続きは終わっていないんですが……」と。

 1年前の話なのである。このように「怖い話」は覚えられている。

 子供達は、教師が語りかける「怖い話」「教師の失敗話」が大好きである。

 必ずうける。

 そこで、この本では、怖い話を作るノウハウを明らかにしている。(笑)

 ぜひ、読んでほしいものである。

 

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でも、私ができるところから始めます

 ココログのパスワードがいつも通りに入らなくなり、すったもんだしてやって開くことができた。機械音痴は、こういう時に大変だ。

 ずいぶんブログの更新をしていない状態である。

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 16日(木)に昨年まで初任者指導をしていた学校を訪ねた。

 私は、いま音楽専科の初任者の先生を指導している。内容の指導は、まったくできない。

 だから、授業の進め方についての指導しかできない。これはなかなかに難しい。

 そこで、昨年度いた学校のすぐれた音楽教師の授業を見せてもらいに一緒にでかけたのである。

 音楽教師のMさんは、合唱指導では有名な人で、いつもNHKの音楽合唱コンクールの常連校に名を連ねている。一昨年は、全体で3位の銅賞に入賞した実績がある。

 5時間目の授業であった。全校では、大掃除になっていたが、特別に5年生の1つのクラスの授業体制を組んでくれていた。

「野中先生が来られるというので、特別に5年生のクラスを選んでおきました」と、M先生は話してくれた。

 授業が始まると、私が4年生の時に担当していた少人数学級(実際は初任者の人が担当していたのだが)の子供達が、大勢いた。

 その中に、4人のやんちゃたちが混じっていた。

 4年生の時には、担任の先生を困らせ、初任者の先生を困らせていたやんちゃたちである。

 学習には、まともに参加しなくて、始終おしゃべりをしたり、うろうろしたり、(私が参加する木曜日だけはいくらか真面目にしていた)担任を悩ませていたのである。

 そのやんちゃたちが、音楽の授業に参加している。

 というより、合唱を引っ張っているのである。

 あいかわらず、にぎやかに振る舞ってはいたが、話を聞くとき、歌を歌うとき、

人の演奏を聴くとき、きちんと区別をつけていた。

 私は、涙が出そうなほど感激した。

 5年生の担任の先生の努力を思った。

 4ヶ月で、このやんちゃたちをこのように変身させている。

 それだけではなく、このクラスの合唱のレベルの高さもすごかった。

 一緒に行った音楽専科の先生も、驚いていた。1つのクラスで、このようなレベルを4ヶ月ほどで作ってしまうというのは、どのような指導をしているのであろうか。

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 すぐれた指導者と言われている人たちには、必ず共通するうまさがある。

 それは、個別指導のうまさと言っていい。

 個々の子供に投げかける個別の言葉かけ、ほめ方、励まし方などが特段にすぐれているのである。

 この音楽のM先生も、この個別指導が格段にすぐれている。

 5時間目の授業を見ながら、個々に投げかけていく言葉がうまいなあと感心する。

 ありきたりな教師言葉(「みんなうまいねえ」「みんな上手だね」…)で誉めていくのではない。

 M先生の個性がくっくりと出ているような誉め言葉が出る。

 でも、決しておもねった言葉かけはしない。

 それが格段にうまい。

 ★

 その5時間目の授業のあとに、合唱指導の、その具体的な指導場面を見せてもらった。

 音楽専科の先生は、度肝を抜かれたのではないだろうか。

 帰りがけにちょっと話した。

 「あそこまで行くには、遠い道ですか?」

 「ええ、でも私ができるところから始めます」

 

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夏の研修会の始まりである

  梅雨明けで、すっかり夏の暑さ、本番である。

 もうあと2日間で、ほとんどの学校は、(東北、北陸、北海道などを除いて)夏休みに入るのであろう。

 先生たち、ほんとにお疲れ様でした。

 夏休みも、さまざまな研修や学校行事が詰まっているのであろうが、ゆっくり休養する時間は必ず取る必要がある。

 私は、早速夏の研修会へ突入する。

 今までの夏休みの中で、一番忙しい日々を過ごすことになる。

 こんな夏休みは、もう二度とないであろうから、がんばって取り組むつもりである。

 ★

 7月29日(水)には、岡山県倉敷市立乙島東(おとしまひがし)小学校を訪問する。

 この学校は、学校全体で「縦糸・横糸」論についての重点研究をされている。

 そこで、私が呼ばれている。

 13:00~14:30  講座「縦糸・横糸論」

 5月の京都「明日の教室」で提案した内容をもう少し整理、再構成して、提案することにしている。

 京都では、45分の提案時間だったが、今度はたっぷり時間がある。

 実は、7月までの「縦糸張り・横糸張り」についての点検内容を考え出した。

 それぞれ100点満点でつける。

 初任の先生は、とても50点以上にはならないだろうというものである。

 倉敷の玉島地区の学校にも案内が配布されているようである。

 もし、お近くの方、興味がありましたら、どうぞ。(電話して、申し込んでほしいということでした。ホームページで探せば電話番号は載っています)

 その後、その学校の先生達と「2学期からの学級経営」について語り合う。

 私が、37年間に培った内容を先生達に伝えられることを願っている。

 

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サンタクララ校の先生達にお会いする

  三育サンタクララ校(補習校)の吉田校長先生と前川先生とお会いした。

 10日(金)の12時である。

 2人の先生達は、東京で開催される同窓会に出席されるために、アメリカのサンノゼからこちらへ来られていた。

 私が、この夏にサンタクララ校へ行くことになっているので、その打ち合わせで横浜駅でお会いしたのである。

 一度だけ以前、前川先生にはお会いしている。

 横浜で、私が講演をしたとき、たまたまこちらへ研修会で来られていたときに、

時間を合わせて駆けつけてこられたことがあったのである。

 その前川先生の縁で、サンタクララ校にお邪魔することになった。

 吉田校長先生は、40歳ちょっと(?)ぐらいの先生だろうか、精悍な感じで、さまざまなスポーツを経験されてきたということでがっしりされた方であった。

 風貌からすると、とても校長先生という感じではない。

 ところが、話はおもしろかった。初めて聞く話が多かった。

 校長先生の話の中には、一時に一事の原則、「Aさせたいなら、Bと言え」という教育技術の話も盛り込まれた。ものすごく勉強を積み重ねておられる。

 あっという間に時間が過ぎ、4時間以上語り合った。

 最近、このようなおもしろい語り合いをしたことがなかったので、私は興奮していたのだと思う。

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 サンタクララ校は、アメリカ西海岸のサンフランシスコの近くのサン・ノゼにある。シリコンバレーのちょうど真ん中にある学校である。

 幼稚部年少3歳児から中学3年生まであわせて420名が通う学校である。

 教職員が13名、教育アシスタント7名という構成で、週2回月水または火木にそれぞれ登校してくる2つのクラスを担任して、基本的に日本に帰国する子女の教育をいう目的で学校が開かれている。

 キリスト教会の運営するミッションスクールである。だから、小中では、聖書、国語、算数、(生活科)理科、社会を日本と同じように学習し、基礎基本の定着を目指して指導しておられる。

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 サンタクララ校へ行って、奮闘されている先生方に、一体私が何を話すことができるのであろうか。

 私が今まで身につけてきた経験は、とてもサンタクララの先生達には、通用しないのではないかという心配があった。

 8月21日、22日。

 午前、午後、それぞれ3時間。それも2日間の研修時間。

 私が、その任に耐えられるのだろうか。

 私が二度と経験できない夏が始まるなあと思った一日であった。

 

 

 

 

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今日は、雪かき仕事である

  「野中信行のブログ教師塾」(学事出版)が、2版になった。

 みなさんのおかげです。周りの先生に勧めていただいているおかげです。

 ありがとうございました。

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 初任者指導をしている学校へ行く。音楽専科の先生の指導だが、この日は授業がなく、3,4時間目は、1年生の公園見学の付き添いを頼まれた。

 一緒に公園へ行き、子供達の遊んでいる様子を見ていると、男の子がベンチで一人で座っている。

「どうしたのだろう?遊ぶ友達がいないのだろうか?」と近づく。

 「君は、名前はなんて言うの?」

 「Y……」

 1年生と仲良しになるには、聞いた名前とは違う、へんてこりんな名前を言えばいい。そして、あだ名をつければいい。私が指導している今の1年生のクラスの子供達のほとんどは、あだなをつけて、そう呼んでいる。 

「えっ、○○○○なの?」(笑)「ちがう、ちがう、Yなの!」

「担任の先生の名前は?」「知らない」「えっ、まだ知らないの!それとも転校してきたばかりなのかな?」……

 結局、その男の子は、転校してきたばかりで、シンガポールに両親とも住んでいて、夏休みを利用して体験入学という形で、こちらの学校へきたばかりであることが分かる。

 1年生で、日本の学校に慣れていないのである。少し引っ込み思案のところがあるのだろうか、自分から仲間に入ることができないのである。

 こんな場合は、教師がその役割を果たさなくてはならない。

 今日は、この子への「雪かき仕事」をしよう。

 村上春樹が言うところの「雪かき仕事」である。誰も、求めない、求められない仕事であり、やったからといって、誰も何も感じない、感謝されることも何もない仕事である。

 ★

 私は、本にも書いたことがあるが、小学2年生の時、隣の附属小学校で学校代表で歌のコンクールに出たことがある。

 朝の待ち時間に、やはり子供を連れてやってきたのだろう男の先生が、私たちが遊んでいるところへやってきて、

「私は、山の方の学校から子供を連れてきたのだけど、町の子供達がどんな遊びをしているか教えてくれないかな。一緒に遊びに入れてくれないかな!}

と切り出した。

 15分ぐらいの遊びだっただろうか。

 私は、その時の、その男の先生の印象がずっと心に残った。

 「なんと、柔らかく、優しい先生なんだろう!」と。

 今でも、その場面と、その先生の仕草を思い浮かべることができる。

 ずっと私の心に残り続けたのである。

 誰でもが、小さい頃のそのような思い出を抱え込んでいる。

 ある場合、その思い出が、その人を決定的に変えていく転機を与えることもあるのである。

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 Y君を連れて、みんなが遊んでいる場所に行った。

 見ていると、すばしっこくて、運動能力抜群である。体を思いっきり動かしたいのである。

 そのうちに、Y君は笑顔が溢れ、元気になっていった。

 学校へ戻ってきて、「野中先生にお礼の挨拶をしましょう」という場面で、みんなの前に、Y君を連れて行って、紹介をした。

「夏休みまでしかY君はいないけど、みんな、Y君を見たら声をかけてあげてね」

 これで、今日の雪かき仕事は終わりである。

 夏休みまでには、もう1回しかその学校へ行かないので、再びY君に会うことはない。

 Y君、さようなら。シンガポールでの健闘を祈る。

 

 

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再び「健全な家庭人であれ」

   「健全な家庭人であれ」というブログを書いた。

 すぐさま、西川純先生からコメントをいただいた。ありがたいことだ。

 (いつもコメントをいただくことに返信していません。申し訳ありません)

 このブログへの反響は、大きかった。

 私の親しい若き友人は、涙したと伝えてきた。

 やはり、現場が忙しさに追われている状況を表している証なのであろう。

 そして、遅くまで仕事をしたり、寝食を忘れて仕事に没頭するのを美徳とする風潮が確かにあるのである。

 また、他の知り合いは、次のようなメールを送ってくれた。

 以前、ある授業力アップのセミナーに参加したときに、
同じように感じたことがありました。セミナーには、
授業力の非常に高い先生が、遠方から講師としておいでになっていました。
事実、その話しぶりなどから、生徒からの信頼は厚いだろうと想像できました。
ところが、お子様が生まれたばかりで、まだ顔も見ていない、
週末はこうして、あちこち講師として飛びまわっているというお話に
びっくりし、たいへん違和感を覚えました。
1時間でも早く、お子さんの顔を見にいってあげてください、
奥様にねぎらいの言葉をかけてあげてください、ついそんな気持ちになりました。

そのとき感じた違和感は、野中先生の「健全な家庭人」かどうかという
ところなのだと、腑に落ちました。

私は非常勤講師として勤めるようになって6年になります。
1年目は、正規の先生に劣らないようにと肩に力が入っていましたが、
2年目くらいから、講師は、外の風を学校に入れることのできる存在だと
思うようになりました。私は私らしい先生であればいいのだと。
自分の子どものこと、家族のこと、学校以外の生活のこと、
先生以外の仕事のこと、子どもたちにも同僚の先生方にも話します。
こんな先生もいるんだ、こんな生き方もあるんだという例として、
子どもたちに何かを伝わればいいなと思っています。

最近は「ワークライフバランス」という言葉もよく使われますが、
このような言葉が使われるようになる前から、このことは常に意識していました。
私にとっての心地よいバランスは「健全な家庭人である」ことが大前提、
その先に仕事がある、というバランスなのだと再確認しました。

ずっと小さくもやもやしていたことが、野中先生のブログで解消した気分です。
ありがとうございます。

 ★

 「私にとっての心地よいバランスは『健全な家庭人である』ことが大前提、その先に仕事がある、というバランスなのだと再確認しました」という視点は、とても大事なことである。

 しかし、現場は、そのようになっていないかもしれない。

 特に、困難な問題を抱えている現場は、そのようにはいかないことを承知の上で、それでも「健全な家庭人であれ」と言っておきたい。

  

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健全な家庭人であれ

 「明日の教室」3巻を読む。「2 授業観のとらえ方」の西川 純先生に賛同する。

 学び合いを提唱されている上越教育大学の西川先生である。

 西川先生は、「健全な家庭人であれ」で、「残念ながら現在の社会は教師に聖職であることを望み、スーパーマンであることを期待している」と書き出されている。

 うん、うん、と頷く。

 そして、最後にこのように書かれてある。

「最後に。『ごく普通の自分が、自分の家庭を犠牲にせず、最後まで勤め上げられうる授業』が、教師が形成するべき授業観である」とまとめられている。

 その通りだ、と私も賛同する。

 ★

 私は、「新卒教師時代を生き抜く心得術60」(明治図書)の中で、次のように書いたことがある。

「私たちが若い頃、仕事さえ片がつけば、早く学校から離れたいという思いが強かった。教師としての仕事から離れて、<自分の時間>を持つことを求めた。

 本を読むこと。友だちと会って話すこと。映画へ行くこと。音楽を聴くこと。妻と2人だけで出かけること。絵を見に行くこと。……

 一人の社会人としての生活を求めることを強く求めた。

 結婚すれば、夫婦として時間を大切にしなくてはならない。

 子供が生まれれば、父親、母親としての時間を大切にしなくてはならない。

 地域の中に住んで、その生活もあるはずである。

 こうした生活を、バランスよく自分の中で組み立てていく必要がある。

 考え違いをしてはだめである。

 教師だからという思い上がりで、その仕事だけに専念しておけば、事足りるという昔の聖職意識は、もう時代錯誤である。

 学校へ遅くまで残って仕事をしておけば、何か<いい先生>になったような感覚があるとするならば、思い上がりも甚だしい」

 おそらく、西川先生と私は、同じ地平から発言している。

 ★

 授業では、飛び抜けた力を持っているある先生の本を読んでいた。

 その途中で、次のようなことが書かれてあって、愕然とした。

 その先生は、布団に休まれることがない。パソコンをうちながら、その場所にうつぶせになって眠られるという。そういう日常が綴られていた。

 普通こんなことはやっていても本に書くことはない。

 それを書かれたというのは、「私は、こんな努力をしているから、すぐれた授業技術を身につけたのだ」と言うつもり(?)だったのかもしれない。

 このような努力をして、私に続けと叱咤激励のつもりで書かれたのであろうか。

 寝食を忘れて、物事に突っ込んでいく志を説かれたのであろうか。

 私は、寒々とした気持ちになった。

 この先生は、考え違いをしていると思った。

 ★

 ここから先は、その人の思想(価値観、倫理観など)や生きる哲学が問われるのであろうか。

 私はしばしばこのブログで書いてきたことがある。

 人は、24時間内の課題をきちんと消化した上で、はじめて25時間目の課題が出てくるはずだ、と。

 ほんとうなら25時間目などないのだ。人の生活は、24時間内で成り立っている。

 その24時間の中で、人は、さまざまな苦しみを克服しながら、幸せを求めて生きているのである。

 もしその24時間の中で、解決できない課題が出てきたとき、ある人は25時間目の課題を設定し、その追求をしていく。

 それは、24時間目の課題を克服するためにのみ設けられるはずである。

 そこには、その人の必然性が込められているはずである。

 人は、24時間の中で生きることがもっとも価値ある生き方である、と私は考えてきた。

 上にあげた授業上手の先生は、25時間目の課題を追究することが、もっとも価値ある生き方だと思っているようである。

 まさに、私と真反対の生き方だ。

 しかし、これだけははっきり言えるのだが、24時間内の課題を無視した思想が生き延びることはないという歴史的教訓である。

 

 

 

 

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日常を変えられるのは、非日常の言葉だけである

  初任者指導教員の仕事をするまで、ほんとうに分からないということがあった。

 それは、低学年(1年から3年生まで)を受け持つ若手の先生たちが、クラスにいる数人のやんちゃたちに引っかき回されて学級崩壊になっていく事態である。

 そのやんちゃの中に、発達障害のある子供がいたら、事態はかなり変わってくるのであるが、そうでもない。

 やんちゃ数人にいいようにかき回されて、ギブアップ状態になることが、私には理解できなかった。

 教師としての力量がない、として片付ければもはやそれまでである。

 具体的にどんな力量がないから崩壊状態になっていくのか、ということが明確にならなければ、具体的な手立てがはっきりしてこないわけである。

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 初任者指導の仕事をするようになって、その正体をつかまえたぞいう思いになっている。

 多分、現役の頃には、つかまえきれなかっただろうと、今でも思う。

 私は、今一日中一人の初任者(といっても臨任経験者であるが)の授業を見ているわけである。昨年も、そうであった。

 こんなことは、37年間の教師生活ではなかったことである。

 現役時代、他の先生の授業は、いくらでも見た。

 しかし、それはあくまでも研究授業という形の授業であった。ほとんどがそうであった。

 でも、今は、それこそまったく構えていない、そのままの授業を見ているのである。

 これは貴重な経験だ。

 今まで気付かなかった問題が、さまざまに見えてくる。

「ああ、そうだったのか!」「なんだ、問題はここにあったのか!」…というように分かってきたことがさまざまにある。(今までも、このブログでいくらかは書いてきたところである)

 ★

 さて、低学年の学級崩壊についてである。

 私は、低学年の場合、(それは3年生までであるが)つぎの2つのことができていれば、数人のやんちゃたちにかき回されることはないと思ってきた。

 それはどんなことだろう?

 1つは、まず集団活動の基礎(集団行動や学習のしつけの習慣)を作ることである。

 例をあげれば次のようなことである。

 ①勉強の始め、終わりをきちんとし、時間を守っている。

 ②勉強時間での空白の時間(何をやっていいか分からないという状態、給食の待ち時間に当番以外の子供をうろうろさせないことなど)を作らないようにしている。

 ③さまざまなところへの集団行動(体育館への移動、保健室への移動など)の時、きちんと並べて行動している。特に、「整列させること」を重視している。

 ④教室は、きちんと整頓され、机の中、ロッカーの中などはいつも整頓するようにしつけている。

 そして、もう1つは、子供への「事実を誉めていく」働きかけである。

 ここまで書けば、1つ目は、「縦糸張り」だな、2つ目は、「横糸張り」だなと考えられるであろう。

 この2つを意識して、あとは授業をやっておけば、低学年は十分だと私は考えてきた。

 やんちゃたちは、いつのまにか、この渦の中に巻き込まれているはずだし、事実そうなるはずである。

 ★

 若い先生達は、叱ること(あるいは怒ること)が苦手で、崩壊状態を作り上げるのではないかと思ってきた。

 しかし、そうでもないなというのが、初任者指導の指導をするようになってからの感想である。

 結構、叱っている。というより、小言をしょっちゅう連発している。現実的には、叱責ばかり、注意ばかりしているという状況がある。

「だって、先生。悪いことばかりするので、注意しておかなければ先に進まないのです」

ということ。

 でも、やんちゃたちにとっては、その叱責は屁でもない。(ごめんなさい、品がなくて)

 家庭では、もっとひどく連発して叱責させられているのだ。

 こんな日常を続けている。

 ここに、一つは大きな問題点があることに気づいた。

 やんちゃたちは、叱責や注意ばかりされて、ますます行動をエスカレートさせていく。

 学校では、叱責と注意だけだ。そんなの屁でもないのである。

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 この「日常」を変えられるのは、「非日常」の言葉だけである。

 この非日常の言葉とは、「事実を誉めていく」ことである。事実を認め、みんなの前で披露し、「すごい!」「えらい!」「素晴らしい!」「天才!」「高学年のようだ!」…と誉め称えていくことである。

 そう言うと、やたらと誉めまくる先生がいる。

 そういう事実がないのに、ほとんど見ていないのに、「誉め言葉」だけを連発するというのは、もっとも虚しい行為である。

 子供達は、すぐにその空虚さに気づいていく。

 事実を見なければいけない。事実をつかまえること。その事実は、かすかにしか見えないのだから。

 「だって、先生。そんなことを言われても誉めるところなんて一つもないのです。悪いことばかり繰り返して、その注意だけで精一杯なんです」

と言われる。

 「だって、だって」の底なし沼に落ちこんでいる。

 狭い視野の中で、ただただ「やんちゃな子の悪たれ行動」だけが見えている。

 やんちゃな子供のそばで、きちんと教科書を出し、ノートに丁寧に書いている目立たない子供の姿は、もはや全然視野に入っていない。

 ★

 一緒に初任者指導をしている先生から聞いた。

「野中先生、指導している先生で、叱るときにうまいなあと思ったことがありましたよ。その先生、いつもはそんなに叱ることがないのだが、叱るときには、その子供を呼んで、『なぜ、先生があなたを叱っているか、言ってみなさい』と、言わせているんだよね。感心したよ。叱られたことを子供の言葉で言わせているっていうのは、すごい力量だね」

 そうなのだ。ほとんど先生が叱っていることは、自分のまずさからそうなっているのだが、その先生は、自分の感情だけで叱ろうとはしていないところがいい。(私は、感情を思い切りぶつけて怒ることの必要性もあることを承知の上で、このように言っている)

 教師でいるということは、ある種の覚悟が必要だ。

 その覚悟とは、演技ができる、演じられる余裕とでも言えばいいのか。

 たとえば、廊下に並べるときに、わいわいおしゃべりをして並んだとき、「もう一度やり直し」のかけ声をかけるであろう。

 そして、もう一度の並び直しで、静かにきちんと並んだとき、どうするだろうか。

 大袈裟な演技が必要だ。

「すばらしい。さすがに3組の子供です。すぐにこのようにやり直しができるのです。私は、ますますこの3組が好きになりました!」

 こういう「誉め言葉」が必要だ。

 こういう「誉め言葉」を集団にも、個人にも、しばしば投げかけ続けることである。

 こういう言葉を出せるということが、ほんとうは「教師の力量」なのである。

 低学年で、学級崩壊をする先生には、この「誉め言葉」がない。

 思いつかない。使えない。誉めるべき事実が見えない。

 そういうことだ。

 そんなことが、見えてきたのである。

  

 

 

 

 

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