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内田 樹さんの結婚

  内田 樹さんが結婚した。「誰、それ?」と思っている人は、本を読んでいない人であろう。

 最近では、「街場の教育論」(ミシマ社)を出されている。

 池田修先生が、大学の講座で扱われている本である。

 59歳である。

 内田先生のブログを見ながら、その中で結婚を発表されていたので、びっくりしたものである。

 同じようにびっくりされた方があったのだろう。私が見たときには、カウントが、16000に跳ね上がっていた。

 友人の平川克美さんのブログも見ていたら、友人代表として祝辞を述べられていて、その祝辞が書かれてあった。(最近「経済成長という病」講談社現代新書という素晴らしい本を出されている。)

 とても心温かくなり、最近にないできばえである。

 私のブログを読んでいる皆さんにお裾分けをしようと思う。

結婚式も、宴会も、これぞオーソドックスというスタイルのものであった。

俺は友人代表ということで、「ひとこと」を述べる段取りになっていた。

結婚式は随分出席しているが、

ほとんどは、主賓であったり、会社上司という役回りなので

友人代表というのは、この年にしてはじめての経験であった。

オーソドックスな結婚式で、友人と云うのはどのような挨拶をするのであろうか。

おそらく、こういう場合友人は「お手紙」を読むものであると思い至り前日の晩に、ちょっとした作文をつくっておいたのである。

ぼくが内田くんと出会ったのは小学校五年生の二学期でした。かれは、転校生としてぼくの通う東京の南の外れにある場末の小学校にやってきました。大田区立東調布第三小学校です。

1961年、オリンピックの三年前の出来事でした。」

それから、何を書くべきか。こういう場合はエピソードをいれることになっている(はずである)ので、小学校時代のエピソードをひとくだり入れたのである。

そしてエンディング。

「はじめての出会いから数えると五十年近い付き合いということになります。自分の子供や、女房よりも長い付き合いです。こんなことがあるのだろうかとときどき考えることがあります。運命とか、友情なんていうことばは、ぼくたちには似合いません。悩みを打ち明けたり、喜びを分かち合ったりするような友人でもありません。

おそらくはお互いに、理想化された他者というものの重要性を感じており、それを丁寧に育ててきたということではないかと思っています。ときどき、ぼくは自分が内田くんの言葉で考えていることに気付いて驚くことがあります。いまでも、「内田くんならどう考えるだろうか」と良く思います。若い頃は複雑な気持もありましたが、いまではこのような友人がいるということを誇りに思い、僥倖だと思わずにはおれなくなりました。

うちだくん。ご結婚おめでとうございます。

ぼくたちは本当に運がいいと思います。」

結婚式というものは、ちょっとした批評の対象でもある。

しかし、この度の結婚式は俺が思い描く限りの理想的な、すがすがしくもおおらかなものであった。その証拠に、会がお開きになっても、多くの参列者が「まだ帰りたくないね。

もっと話をしていたいね」という顔で会場に残っていた。

結びの辞を述べられた鷲田清一阪大総長の、「ずっと居たい感じやね」という声が俺の耳に届いてきた。

ここぞと云うときはいつも正攻法。正面突破。これが、俺たちのやり方だったように思う。

内田くん、おめでとう。

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