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出る月を待つべし。散る花を追うことなかれ

  歴史学者の磯田道史さんの、「この人、その言葉」を読む。(この人は、まったく知らない人だが、朝日新聞の片隅に掲載されてあった)

 とても印象に残った。

 出る月を待つべし。散る花を追うことなかれ。 中里 東里(1694~1765)

 中根東里は徳川時代に存在したあらゆる学者のなかで、もっとも清貧に生きた人。驚くべき思想の高みに達しながら、世に知られず、今日まで埋もれている不思議な人物である。

 その文章は卓絶。まず高名な儒学者荻生そ徠が彼を激賞した。江戸中に名声がひろがり、博士たちはみな「慶元(慶長元和=徳川創始時代)以来、希有絶無」と驚嘆、その文才をうらやんだ。だから幕府や大藩の儒者となり高禄を喰むものだと思われていた。ところが、彼は学問で禄をもらおうとしなかった。長屋にこもり、食のあるときは書を読み、食が尽きれば履物を作って市で売り小銭をえた。人々は彼を「皮履先生」とよんだ。同じ長屋に病人が出て、貧しくて薬がないと知ると、大切にしていた書物をことごとく売って与えたといわれる。

 そんな風だから貧しさはどこまでも彼を追いかけた。52歳の時、栃木の佐野で村塾をひらいていた彼のもとに弟がきた。「難産で妻が死に、育てられない」と3歳の幼女を置いて去った。東里は独り身。人生50年の時代、老い先も短い。自分が死ねば、この子はどうなるか。幼女を膝に抱き、彼は遠くをみつめた。そして筆をとって書いたのが冒頭の言葉。彼の塾の壁書のなかの一つ(「日本倫理彙編」巻之二)

 この言葉は人生のすべてにあてはまる。人生において歓喜の瞬間は短い。大切な人との別れもくる。しかし、桜は散っても、月は必ず出てくる。それを待つ時間をどのように大切に生きるか。母を失ったあどけない幼女を抱きしめ、この清貧な村儒者は、そのことを言い聞かせようとしていた。

 

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