« 出る月を待つべし。散る花を追うことなかれ | トップページ | 再び「群れ」を「集団」化していく手立てについて »

ここでのがんばりが、40代を支えていく

  先日の初任者研修で、私の話を聞いた方からのメールが届く。

 中学校の美術の先生である。次のような内容であった。

「…特に効果的だったのは、『一時に一事の指示をせよ』です。これを心がけると、スムーズに授業が行えました。ついつい前職の会社員時代のくせで、いろいろと同時に指示をした方が、効率的かと思っていましたが、まったく逆なので驚きです」

と書かれたあった。その先生は、その驚きから他の資料もないかという連絡であった。

 ★

 「一時に一事の原則」が、中学校の美術の授業でも効果的である。

 こういう指示の原則を、現場の教師たちが使い切れてないことは何度もこのブログで指摘してきたことである。

 使い切れていないというより、こういう原則があることを知らないのである。

 例えば、「個別評定」がある。

 これは教師の価値観で使う、使わないが分かれるものであるが、使い切れたら抜群に子供達の力は向上する。

 昨年指導していた1年生の先生は、これを使って子供達の音読の力を飛躍的に向上させていた。

 子供達には、何が良くて、何が良くないのかをはっきりと教えてやることが必要なのだ。

 でも、この「個別評定」のコツをやはり知らないのである。

 こういう基礎的な技術を知っているか、知らないかは、大きくその教師の授業や学級経営を左右させていくことははっきりしている。

 でも、いまの若い先生達は、どこでこのような基礎的な技術を身につけるのか。

 委員会が行う初任者研修で教えてくれるのか。学校でベテランの先生が教えてくれるのか。学校の学年研で教えてくれるのか。学校の重点研で教えてくれるのか。

 ほとんどあり得ないことである。

 私にメールをしてきた先生は、運良く私の講座で知ることができたのだ。

 ほとんどの先生は、このような基礎的な技術を知らないままに、教師の歳を重ねていく。

 ★

 教師としての力量をつける時間がある。

 教師として1年目を乗り切ったら、次は3年目に挑戦しなくてはならない。

 この3年で、基礎的な技術を身につける必要がある。まだ使いこなすということにはならないが、基礎的な技術は知っておく必要がある。

 次は、6年目から10年目だ。

 この年代では、学校の仕事が多く回されてくる。パソコンに巧みであればあるほど学校の仕事が回されてくる。

 学校の仕事を多くやっていると、教師としての力量をつけていると錯覚しやすくなる。

 この年代の第一の課題は、学級経営や授業の技量を高めることである。

 ここを勘違いしないことだ。このことを後回しにしない志をきちんと持っておくことである。

 めちゃくちゃに本を読み、さまざまな実践に挑戦する。技量を高めていくことだ。

 ここでのがんばりが、40代を支えていく。

 

 

|
|

« 出る月を待つべし。散る花を追うことなかれ | トップページ | 再び「群れ」を「集団」化していく手立てについて »

日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

コメント

どきっとしました。
私は教師になって7年目になるのですが、
あまり大きくない職場に勤めているせいか、
近年、私には負担が大きすぎると思うような仕事が
いっぱい回ってきます。
若い先生もたくさん入ってきていて、
中堅、というような立場になっているのだと思います。
自分では、まだそこまでの力はないのに、と思いながらも
そうせざるを得ない職場の状況もあるので、
日々仕事に追われています。
頼りにされるのも、仕事をまかせてもらえるのも苦にはならないし、
仕事が忙しいのも平気なのですが、
その分、自分のクラスのことにかける時間は減ってきています。
あぁ、これじゃだめだなぁ、と思いながら、
どうすることもできないまま、
数少ない今までの経験でなんとかやりくりしてしまっている私。
学級経営も、教材研究も
この記事を読んで、
やっぱり今のままじゃいけない、と気持ちを改めることができました。
ありがとうございます。

よし!!やってやるぞ!!

投稿: tomonkey | 2009年5月16日 (土) 11時47分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/520860/44991786

この記事へのトラックバック一覧です: ここでのがんばりが、40代を支えていく:

« 出る月を待つべし。散る花を追うことなかれ | トップページ | 再び「群れ」を「集団」化していく手立てについて »