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2009年5月

良い勉強をして成績が上がるのではない。成績があがるから、いい勉強ができるのです。

  初任者担当の仕事をしていると、さまざまなことが見えてくる。

 その学校の先生達が、どのように学級づくりをし、どのように授業をしているのかがよく見えてくる。

 私は、初任者の授業を見ているだけなのだが、不思議に見えてくるのである。

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 最近気になっているのが、テストのことである。

 評価のあり方が、相対評価から絶対評価に変わってから、もう何年になったのだろうか。

 この変わり方は画期的なものであった。

 ベテランの先生達は、体質として相対評価が染みついていたので、しばらくは変えることができなかったはずである。

 最近びっくりしたのは、単元が終わった後に行うテストが行われずに、学期末にまとめて行うという状況が、まだあるということについてである。

 単元の学習が終われば、きちんとテストをしていくというのは、ほとんど当たり前のこととして考えていたのが、実際にはそうなっていないクラスがあるのだという事実である。

 昔は(といっても30年前の頃)、<刈り入れ時>と言って、学期末になれば、一日に3教科も4教科もまとめてテストをしていくということを普通にしていく時代はあったのである。

 それは、通信票をつけるための処方箋であった。

 ところが、今でもこんなことをやっているクラスがずいぶんあるということを知って、実は驚いている。

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 テストというものが、子供にどのように機能しているのか、ほとんど分かっていない。

 見ていない、見ようとしていないと言っていいのだと思う。

 テストは、子供達にとって、その教科の勉強の好き嫌いを左右する大事なものであること。

 このことをはっきり知っておかなくてはならない。

 だから、学期末にまとめてテストをするなんていう行為は、子供達の勉強嫌いを増幅していくものである。

 子供達の大半は、もう忘れているのであるから。

 テストは、教師が教えたことがどれだけ分かっているのかを評価するために行う。公式にはそのように教えられたきたはずである。

 今でも大半の先生方は、そのように考えられているはずである。

 確かに、その機能はある。

 しかし、現場で子供とぶち当たってやっていると、そんな機能は、ほんの一部にとどめていく必要がある。

 テストへの考え方を大きく変えなくてはならないと、私はしみじみと思ったものである。

 だから、私の場合は、テストでも普通の授業の時と同じように教えていくと考えていた。

 漢字が読めない子供は、全部ふりがなをふってあげ、その問題がどのようなことを指示しているのかを教えてあげたりすることは当たり前に行った。

「そんなことをすると、評定するときに困るのではないですか」と言われたことがある。ほんとうは、20点ぐらいしか取れないのに、80点取れたりすることに対して、通信表への評定がおかしくなるのではないかと心配されたのである。

 この先生は、自分が行っている教育行為を勘違いしている。

 20点ぐらいしか取れていない子供が、何度も80点ぐらいを取り、もしかして「ぼく、算数の勉強が好きになってきた」と思って、算数の勉強にやる気を出していくとするなら、テストは、大きな機能を果たしたことになる。

 私たち教師は、そういうことを願い、さまざまな教育行為をしているのではないか。

 しかし、現実は、20点ぐらいしか取れない子供は、そのまま放置されている。

 ともすれば、そんな子供がいてくれた方が、通信票をつけるときには助かると思っている教師もいるはずである。

 教師失格である。

 もし、このブログを読んでおられる先生で、こういう発想を今までしていたのなら、即座に、その発想は、自分の教師としての哲学(価値観)のどこが、どのように間違っているのか、反芻できなければならない。

 現場教師として生き抜いていくとは、そのような反芻が始終できなければいけないのである。

 間違った発想をする場合もあり、失敗もいっぱいする。当たり前である。

 しかし、失敗から自分を立て直していくことは、きちんとできなくてはならない。

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 陰山英男先生が、「一日3時間以上、勉強するな!」(小学館)の「93 いい勉強をして成績が上がるのではない、成績が上がるからいい勉強ができるのです」で、次のように言っている。

 「テストというのは、子どもに教えたことがどれだけ定着したかを見るもの、と思っている教師がいますが、これは間違いです。小学校におけるテストは、その単元ができるようになったと子どもに自信をつけさせるものなのです。

 ですから、テストをする前には対策が必要です。まず類似問題をやらせてみる。そして、その子どもの弱点がわかったらそこを強化してやる。こうした準備段階があれば、子どもはテストでいい点をとることができて自信をつけるのです。

 抜き打ちテストをやって子どもの自信を失わせては、やる意味がありません。自信こそが勉強の原動力です。いい勉強をして、テストが上がるのではないのです。いい点を取るからこそ、自信が持てていい勉強ができるのです。ですから、私は抜き打ちテストはほとんどしませんでした。抜き打ちテストをされて、点が悪くても気にしないようにしましょう。むしろ教師には、テストは予告してからやってくださいと言いましょう。」 

 

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パズルを完成させるための大事なピース

   人生の途中で、気まぐれに過ごした時間や行為が、あとになったら自分に取って必要、必然だったということがある。

 その時は、ただただ自分の思いに突き動かされているだけである。

 突然、なぜこんなことを書いているかというと、ちょっと過去のことを振り返ったからである。

 私の場合、40歳からぴたり50歳までの10年間にマラソン練習に浸り、フルマラソンを10回走った経験を持っている。

 なぜ、こんなことを10年間にわたってしたのだろうか、なぜこんな10年間が私に必要だったのかと、今まで常に問い続けてきたことになる。

 私は運命論者だから、いつもその行為の必然を考えるのだ。

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 いつも楽しみにブログを見てる「スプリング」さんのブログがある。

 そこに、今回の私の本について評しておられるところがあった。

 全文引用させてもらう。

 現場を「走り」抜く

2009年05月26日 | 読書
 
 『野中信行のブログ教師塾~「現場」を生き抜くということ~』(学事出版)を著者の野中先生より送っていただいた。感激である。

 昨年3月までのブログファンとして(もちろん今も)、ほとんど目にした文章ではあるのだが、改めて今読み直してみて痛感することのなんと多いことか。
 そしてまた、自分の薄っぺらな読みで見逃していたことも結構あるなあ、とそんなことを感じた。

 「野中先生はやはりマラソンランナーだ」…そういう断定をしてみると、いろいろな言葉と辻褄があってくるなあと感じた。安易な比喩とは言えないだろう。

 「目標をもつこと」、そして営みに関して「勘所を逃さない」ことの大切さがまず強調されている。
 スタートしたら、とにかく「迷うことなく走りだす」こと。
 そして「一定の長さ(期間)を走りきる」ことが当面のねらいとなる。
 ただし「無理はしない」「気分転換を大切にする」ことが長続きさせるためのポイントといえよう。
 長い道のりの争いと見れば、「タイミングを逃さない」ということもとても大切になる。
 レース全体を俯瞰して「往路」と「復路」の意味づけをしっかり持っていなければならない。定めた目標に向かっての「往路」のスピードと歩幅は、「復路」のそれとは明らかに違うことも自覚しなくてはならない。

 もちろんマラソンを走りぬく心肺能力の高さや持久力は、手を抜かず誤魔化さずに努力した者しか得られないだろう。そう考えると私など本当に恥じ入るばかりである。
 現役にこだわる工藤公康投手のインタビュー記事が思い出された。
 「パズルを完成させるための大事なピース」…それに早く気づく投手は長続きするという。
 鍵をにぎるピースは何か、それをどこで身につけたか…野中先生の世代が持ち得た感覚、そして走ることを続けてきたことと無縁とはいえまい。

 常に「現場」にいて目の前の子どもに正対してきたからこその文章が満載だ。そして、絶えず「周囲」…それは自分の身の回りから国の動向まで含めてのことだ…と照らしあわせ考えを紡いできた跡がくっきりとわかる。

 力みなくバランスのとれたフォームで駆けている野中先生の姿がイメージできる、いい本だ。
 
 ★
 
 ああ、そうなのかと思ったものである。私が今まで気付かなかった何かが指摘されていた。
 
 
「野中先生はやはりマラソンランナーだ」…そういう断定をしてみると、いろいろな言葉と辻褄があってくるなあと感じた。
 
 そう指摘してあった。
 私は、50歳の時最後のフルマラソンを走り、それ以来ぴたりと走り続けることをやめている。やめてもう11年になる。
 
 今なお現役にこだわっている工藤公康の言葉が紹介されてあって、「パズルを完成させるための大事なピース」…それに早く気づく投手は長続きするという。
 
 なるほどなあと思い至る。
 あの10年間は、現場でこだわるためのものだったのだ。
 そんな必然が見えてくる。
 
 ★
 
 確かに今もなお私は走り続けていることになる。
 
 だが、どこを走っているのだろうか。
 村上春樹の最新刊「1Q84」( 新潮社)の二冊が発売された。
 
 同世代村上は、どこを走っているのだろうか。
 
 そんなことが気になって、早速読み始める。
  
 
 

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それでも「明日の教室」は開催されたのである

  22日に京都橘大学が、インフルエンザで休校になり、明日の教室の会場が使えなくなったということで、急遽大変なことになった。

 糸井先生や池田先生の苦労は、大変であった。

 中止・延期ができないということで、京都市内のホテルを会場にして開かれることになった。

 集まってこられる方への連絡など大変なことであっただろう。

 それでも75名の方が、参加してくださった。

 私の知り合いのN先生は、パソコンを開いていなかったということで、橘大学の方へいかれて、誰もいないという事態で、私の携帯に連絡してこられた。

 14:00には、京都の会場へ着かれて、かろうじて間に合われた。大変なことであった。

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 私の提案が始まる。テーマは、「学級経営における縦糸・横糸論」。

 私の基調提案を受けて、6人の先生達が提言をしてもらえるパネルディスカッションである。

 授業作りネットワークで有名な土作 彰先生と中村健一先生、特別支援教育では何冊もの本を出されている岡山教育委員会の青山先生、京都市教育委員会の沢田先生、橘大学理事長の梅本先生,そして事務局の池田先生という豪華なスタッフである。

 なぜこの人たちかというと、全員「明日の教室」の五冊の本の執筆者なのである。

 これが、全てDVDになって発売されることになっていて、なんとも緊張する時間であった。

 さまざまな先生方の意見もおもしろかった。

 縦糸・横糸論で今後考えていく提言をしてもらったのである。ありがたいことである。

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 それからが大変であった。

 「シリーズ明日の教室 学級経営・基礎の基礎」(現在2巻まで出ている)の出版記念会であった。

 池田先生のお薦めの日本酒、石川晋先生から送られてきた日本酒などが入って、ものすごい盛り上がりになった。

 明日の教室の懇親会は、その盛り上がり方は半端でない。そこに授業作りネットワークの宴会係である土作先生や中村先生がいるのである。

 さまざまな人と、さまざまな話をした。明日の教室では、親しい知り合いが、いっぱいいるのである。

 野口芳宏先生から言われたことがある。

 「研究会に出たら、その後の懇親会まで出なければいけない」と。

 そこで、さまざまな人と知り合いになる。

 その付き合いが、どれほど大切なことであるかである。

 二次会に行き、山科のホテルに帰り着いたのが何時だったのか、それが分からない。

  京都は、インフルエンザ騒ぎとは無縁に、街は若者達で溢れかえっていた。  

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「明日の教室」が、70名を越える勢いである

  「明日の教室」事務局の池田修先生から、23日(土)の申し込みが、18日の段階で61名になったという連絡を受ける。

 このままいけば、70名を越える勢いである。

 今回のテーマである「学級経営に関する『縦糸・横糸』論」に対する興味関心ととらえていいのであろうか。

 私は、今まで2回初任研で「縦糸・横糸」のことについて話しているが、本格的に提案するというのは、今回が初めてである。

 提案の文書には、私の提案を補助するために、横藤雅人先生の最初の提案文書(教育を『織物モデル』で語る)とブラッシュ・アップの連載原稿(織物モデルの教育論)も収めている。

 この文書で、きっと「縦糸・横糸」理論の概要はつかんでもらえると思っている。

 この提案に、土作先生や中村先生や青山先生や池田先生などが意見を言ってもらえるという幸運は、貴重なものだ。

 まだまだ理論としては未熟である。さまざまな先生のさまざまな意見を聞きながら、補足していくことはかなりあると思っている。

 果たして、この理論が、現場の先生達に有効であると考えてもらえるかどうか、それは「明日の教室」に来た人たちに判断してもらえる。

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 私には、一つの望みがある。

 学級経営や学級作りが、きちんと教育学として位置づけられていく方向を確立することである。

 医学には、基礎医学と臨床医学がきちんとある。

 しかし、教育学には、基礎医学的なものはあるが、臨床の教育学はまだ確立されていない。

 おかしなことだと、考えてきた。

 臨床の教育学は、現在あまりにも軽視されている。

 学級経営や学級作りも、社会科学的なアプローチをしていかなくてはならないはずである。

 社会科学が目的としているものは、何か。

 経営学者の野中郁次郎さんらが書いた「戦略の本質」(日本経済新聞出版社)という本には、次の趣旨のことが書かれてある。

「社会科学とは多くの人が幸せになるためのあるべき規範をつくりだすことだ」

と。

 まさにこの通りではないだろうか。

 学級経営や学級作りは、今までほとんど経験主義的なことによって済まされてきた。

 私は、この経験主義を社会科学的なアプローチで変えていけないものかと思い描いている。はかない望みであろうか。

 

  

 

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ブログ本が出版されました

  学事出版より献本として三冊の本が送られてきた。

 「『野中信行のブログ教師塾』~『現場』を生き抜くということ」である。

 236ページ。定価は、1800円というから高価な本になった。

 表紙は、義姉のハガキ絵が散りばめられてある。

 書名とそのハガキ絵は、ちょっと不釣り合いだが、素人ぽくて新鮮でとてもいい。十分満足するできばえである。

 こんな形で、私の教師生活をまとめることができたこと。

 何よりもうれしいできごとである。

 来週あたりからアマゾンでも買えるようになるのだと思う。

 ぜひよろしくお願いいたします。

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 新型インフルエンザが、いよいよ本格的な感染を見せ始めた。

 兵庫から大阪である。もう100人から200人規模で感染は広がり始めているらしい。

 空港の水際でチェックできるのは、1%未満の確率だったというから、単なる時間稼ぎだったに過ぎない。

 23日(土)は、京都での「明日の教室」である。

 もちろん、もう挙行する以外にないのであろうが、これない先生達もいるに違いない。

 集まり方は、普通よりすごく多いと池田先生より聞いていたが、どうなるのであろうか。心配である。

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 先日のブログに8月の下旬にカリフォルニアに行くことを書いた。

 サンフランシスコになる。1週間ほどの日程である。

 日本人学校補習校の先生達に、私の思い・実践を伝えに行くのである。

 航空券などの手配は、もう済ませてもらった。

 実は、私は海外渡航は初めてになる。11時間ぐらいのフライト。

 困ったことに英語がからっきしダメなことである。話すことは、もちろんだめだが、最もダメなのがヒアリングである。何を言っているか、まったくつかめない。

 これでは困る。そう思って、行くまでにヒアリングだけでも何とかならないものかと、密かにユーキャンを始めた。(ここに書けば密かでもなんでもないのだが<笑>)

 すぐどさっとCDが送られてきた。

 これだけでは困るなと思い、すぐに「ポータブルCDプレーヤー」を買ってきた。

 これをかけながら、散歩をするのである。

 聞くだけでいいのかと思っていたら、「一緒に言いましょう」「質問に答えましょう」と言う。

 話さなければいけないのである。

 まいったなあと思いつつ、散歩中にぶつぶつ言いながら通り過ぎる。

 振り返る人がいる。きっと笑っているに違いない。

 しかし、しばらくすると、このCDにのめり込んでいった。

 いやいや、よくできている教材だ。

 繰り返し、繰り返し、丁寧に教えていく。

 これなら私でもヒヤリングができると思ってきた。

 この教材のすぐれているところは、細分化と繰り返しの徹底である。

 なるほど、なるほど。

 このように進めていけば、算数などの教材も子供達にうまく理解させられるだろうと思う。

 ①、②と進んでいって、③に入るとちょっと難しくなる。ちょっとずつ難しくしていく。

 これにも納得する。

 問題は、私がついていけるかどうかである。

 初めて英語に本格的に挑戦していることになる。こんな機会がなかったら、とても取り組めなかったことである。

  

 

 

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演じればいいのだ

   ふとNHKの生活ほっとモーニングを見ると、山際寿一さんと平田オリザさんとの対談があっていた。

 「ゴリラに学ぶ家族のいい関係」というのが、テーマである。

 久しぶりにおもしろい対談だった。

 平田さんは、「演ずるというのは、マイナスイメージで受け取られているが、それぞれが自分の役割を演じていかなくてはならない」と強調されていた。

 私も、造語である「生徒する」「教師する」という言葉は、ともすればマイナスイメージで受け取られてしまうが、これは大切なことである。学校では、それぞれがきちんと演じなければいけないことなのだ。

 平田さんは、最後に言われた。

「今、子供の中には、『良い子を演じるのに疲れた』と言うようにギブアップする子供がいるが、こんなことに疲れない子供を育てて行かなくてはならない。ほんとうの自分なんてないんだから、自分というのはそれぞれ関係の産物でしかないのだから…」

 私は、ここのところが最も大切なところだと受け取れた。

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 一時「ほんとうの自分探し」をしようということが流行ったことがあった。

 今でも、多くの若者がそのように思っているのではないかと想像する。

 私たちも、誤解しているところがある。

 「あの子は、学校ではあのように良い子に見せているけど、ほんとうはすごくわがままで、自分勝手なところがあるらしいの。家では、すごいらしいよ」と言い交わすことがある。

 学校で見せる顔は、仮の顔で、ほんとうの顔は、隠したままであるというように。

 誰も気づかない、ほんとうの自分がある。それが、当たり前のように考えられている。

 私は、違うなあといつも思っていた。

 人間を理解する方法を逃してしまうよと、思い続けてきた。

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 11日の月曜日に、思い立って東京の町田に「ターシャ・テューダー展」を見にいった。

 アメリカバーモンド州の山中で、ほとんど自給自足の生活を営みながら、花を育て絵を描き、現代人にとっては夢のような生活を実現させて、世界中の人たちのあこがれの的であった。また、彼女の描いた絵本は、世界中の大人から子供までを楽しませている。

 92歳まで生き、昨年亡くなった。

 月曜日だというのに、多くの人たちで溢れかえっていた。

 やはり、ターシャは、みなさんのあこがれの的であるのだ。そう思いつつ、展示品を見ていった。

 私は、彼女の言葉にずいぶん励まされた。

 それは、普通の日常をどのように生きればいいかを簡単な言葉で明らかにしてくれたからである。

 しかし、ターシャ自身は、みなさんが憧れるとは反対に、「自分は、意地悪で頑固、横柄で執念深い」と公言していた。

 また、マーク・トウェーンの言葉を引用しながら「みんな月と同じように、だれにも見せない影の部分をもっている」とも言っている。

 正直な人だなと思った。そういうことをきちんと公言しているだけでも、ターシャをすごい人だと思ってきた。

 「みんな月と同じように、だれにも見せない影の部分をもっている」なんて、当たり前じゃないか。

 しかし、それは、ターシャの一つの顔であって、ほんとうの顔なんかではない。

 そう思っていた。

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 人は3つの顔を基本的に持っている。

 1つは、みんなの前で見せる顔、2つめは、家族の中で見せる顔、3つめは、一人の時の顔。

 それぞれが違う。それぞれの関係の中で見せる顔であり、これがほんとうのその人の顔であるということは言えない。

 大切なのは、それぞれの顔をきちんと演じればいいのだ。

 「私は、ほんとうはそんな顔じゃない」なんて言わないで、それも私の顔だと思って演じればいいのである。

 その顔を拡大することも縮小することもしないで、等身大で演じればいいのである。

 きっと平田さんも、そう言いたいのだと思った。 

 

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再び「群れ」を「集団」化していく手立てについて

  先日のブログで、若い先生達のクラスで、ほとんどクラスの「群れ」の状態を「集団」化していく手立てがとられていないことを書いた。

 さまざまな反応があった。

 コメントにも次のようなコメントが載っていた。

 「初コメントさせていただきます。
今年大学を卒業し、今兵庫県の4年生担任をしています。こちらの日記を読みハッとさせられました。

私のクラスは比較的落ち着いたクラスなんですが、どこか活気に欠け、私任せな部分があるな…と最近感じていました。そんな中こちらのサイトを見て『私のクラスはまだ群れだ…』と実感しました。
明日から集団となるよう取り組みたいと思います。ありがとうございます。」

 初任の先生のコメントである。(ありがとうございます)

「明日から集団となるよう取り組みたいと思います」と書かれてあるが、この手立ては、そんなに簡単にできることではない。

 このことについて、もう少しまとまった考えを載せておく必要があろう。

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 持ち上がりのクラスでない限りは、最初に受け持つクラスは、寄せ集めの「群れ」である。

 これを「集団」化させていく。これが学級づくり(もちろん授業づくりにも関係があるが)の中心課題である。

 「集団」になるということは、私は2つのことを考えている。

 1つは、学級でのルールがきちんと機能していて、自分たちで守っていくことができること。

 2つめは、教師の手助けなくして、自分たちで学級での活動を進めていくことができること。

 キーワードは、「自分たちで」ということである。

 この「自分たちで」進めていくには、3つの条件が必要になると思う。

 1つは、グループを仕切っていくリーダーがいる。

 2つめは、さまざまな会(お楽しみ会や集会など)で進行役に協力していこうとする子供達がいる。

 3つめは、子供達は、このクラスにいることを誇り(自慢)に思っていて、クラスを良くしていこうとすることに進んで取り組もうとする。

 もちろん、この3つの条件はかなり厳しい条件である。しかし、この条件ができてこなければ思うような「集団」はできない。

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 さて、集団を育成していくためには、どのような手立てが必要か。

 原田隆史さんは、「カリスマ教師の心づくり塾」(日経プレミアシリーズ)で、次のように指摘してある。

「集団の育成には法則性があります。集団は、『帰属』→『自己主張』→『協力』

へと段階的に進みます。人の教育、組織づくりは、まず帰属させることから始まります」

 ここで指摘されている帰属意識は、「このクラスになれてよかった」「このクラスのことを誇りに思う」という意識のことである。

 私なら、A「帰属」→B「経験」→C「協力」というように考える。そのように実践してきたのだと思う。

 A帰属→「このクラスになれて良かったなあ」という意識は、まず担任への信頼感や共感から生まれていくと思う。そして、クラスがきちんとしてルールと規範で動いていく組織にならなくてはならない。

 このために、「縦糸・横糸」理論、「3・7・30の法則」を提起している。

 B経験→子供達がコミュニケーションを交わして、相互に高めていく経験をいっぱい準備しなくてはならない。

 そのための手立てとして、「ちょこちょこ学級会」や「会社活動」そしてさまざまなお楽しみ会、パーティー、集会などを子供達を通して準備させる。これが経験だ。この経験を通して、先述した3つの条件が、生まれてくる。(くわしくは、「学級経営力を高める3・7・30の法則」(学事出版)を読んでほしい)

 生まれるように教師は仕組んでいく。

 その結果、「協力」関係ができていくのである。

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 こういう過程を経て、目指すべき「集団」が作り上げられていく。

 私は手始めに、まず「目標達成法」を紹介しておいたが、それだけで目指すべき「集団」が作られるわけではない。

 さまざまな手立てが必要である。

 

  

 

 

 

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ここでのがんばりが、40代を支えていく

  先日の初任者研修で、私の話を聞いた方からのメールが届く。

 中学校の美術の先生である。次のような内容であった。

「…特に効果的だったのは、『一時に一事の指示をせよ』です。これを心がけると、スムーズに授業が行えました。ついつい前職の会社員時代のくせで、いろいろと同時に指示をした方が、効率的かと思っていましたが、まったく逆なので驚きです」

と書かれたあった。その先生は、その驚きから他の資料もないかという連絡であった。

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 「一時に一事の原則」が、中学校の美術の授業でも効果的である。

 こういう指示の原則を、現場の教師たちが使い切れてないことは何度もこのブログで指摘してきたことである。

 使い切れていないというより、こういう原則があることを知らないのである。

 例えば、「個別評定」がある。

 これは教師の価値観で使う、使わないが分かれるものであるが、使い切れたら抜群に子供達の力は向上する。

 昨年指導していた1年生の先生は、これを使って子供達の音読の力を飛躍的に向上させていた。

 子供達には、何が良くて、何が良くないのかをはっきりと教えてやることが必要なのだ。

 でも、この「個別評定」のコツをやはり知らないのである。

 こういう基礎的な技術を知っているか、知らないかは、大きくその教師の授業や学級経営を左右させていくことははっきりしている。

 でも、いまの若い先生達は、どこでこのような基礎的な技術を身につけるのか。

 委員会が行う初任者研修で教えてくれるのか。学校でベテランの先生が教えてくれるのか。学校の学年研で教えてくれるのか。学校の重点研で教えてくれるのか。

 ほとんどあり得ないことである。

 私にメールをしてきた先生は、運良く私の講座で知ることができたのだ。

 ほとんどの先生は、このような基礎的な技術を知らないままに、教師の歳を重ねていく。

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 教師としての力量をつける時間がある。

 教師として1年目を乗り切ったら、次は3年目に挑戦しなくてはならない。

 この3年で、基礎的な技術を身につける必要がある。まだ使いこなすということにはならないが、基礎的な技術は知っておく必要がある。

 次は、6年目から10年目だ。

 この年代では、学校の仕事が多く回されてくる。パソコンに巧みであればあるほど学校の仕事が回されてくる。

 学校の仕事を多くやっていると、教師としての力量をつけていると錯覚しやすくなる。

 この年代の第一の課題は、学級経営や授業の技量を高めることである。

 ここを勘違いしないことだ。このことを後回しにしない志をきちんと持っておくことである。

 めちゃくちゃに本を読み、さまざまな実践に挑戦する。技量を高めていくことだ。

 ここでのがんばりが、40代を支えていく。

 

 

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出る月を待つべし。散る花を追うことなかれ

  歴史学者の磯田道史さんの、「この人、その言葉」を読む。(この人は、まったく知らない人だが、朝日新聞の片隅に掲載されてあった)

 とても印象に残った。

 出る月を待つべし。散る花を追うことなかれ。 中里 東里(1694~1765)

 中根東里は徳川時代に存在したあらゆる学者のなかで、もっとも清貧に生きた人。驚くべき思想の高みに達しながら、世に知られず、今日まで埋もれている不思議な人物である。

 その文章は卓絶。まず高名な儒学者荻生そ徠が彼を激賞した。江戸中に名声がひろがり、博士たちはみな「慶元(慶長元和=徳川創始時代)以来、希有絶無」と驚嘆、その文才をうらやんだ。だから幕府や大藩の儒者となり高禄を喰むものだと思われていた。ところが、彼は学問で禄をもらおうとしなかった。長屋にこもり、食のあるときは書を読み、食が尽きれば履物を作って市で売り小銭をえた。人々は彼を「皮履先生」とよんだ。同じ長屋に病人が出て、貧しくて薬がないと知ると、大切にしていた書物をことごとく売って与えたといわれる。

 そんな風だから貧しさはどこまでも彼を追いかけた。52歳の時、栃木の佐野で村塾をひらいていた彼のもとに弟がきた。「難産で妻が死に、育てられない」と3歳の幼女を置いて去った。東里は独り身。人生50年の時代、老い先も短い。自分が死ねば、この子はどうなるか。幼女を膝に抱き、彼は遠くをみつめた。そして筆をとって書いたのが冒頭の言葉。彼の塾の壁書のなかの一つ(「日本倫理彙編」巻之二)

 この言葉は人生のすべてにあてはまる。人生において歓喜の瞬間は短い。大切な人との別れもくる。しかし、桜は散っても、月は必ず出てくる。それを待つ時間をどのように大切に生きるか。母を失ったあどけない幼女を抱きしめ、この清貧な村儒者は、そのことを言い聞かせようとしていた。

 

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「明日の教室」は、パワーポイントで提案する

  今日は、母の日。久しぶりに、私が夕食作りをする。

 もたもたする。手際よさがすっかりなくなっている。

 毎日夕食作りを6、7年続けたときがあったのである。

 ところが、女房が教師を辞めて4年目。ほとんど食事作りをすることがなくなった。

 手際よく作っていたあの感覚が、まったくなくなっている。

 今日は、棒棒鶏、中華丼、もやしの中華サラダというメニューである。

 もたもたしながら、やっと作り上げる。

 味は、なんとかなっている。良かった。

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 プリンタが壊れた。急ぎ電気店へ行く。

 いろいろ見ていると、驚く。こんなに変わっているのである。

 プリンタだけでなく、コピー(しかもカラーでもとれる)、スキャナー、写真などの複合機である。

 今までのコピー機も壊れているので、どうしようと思っていたところである。

 全部できる。しかも三万円もしないのである。

 いかに私が世の中の流れを知らなかったかを思い知らされる。

 「それください」と、とにかく半信半疑で買ってかえる。早速、本当だろうかと試してみたが、(笑)本当である。

 完全に、世の中の進み具合に遅れてしまっている。

 ★

 そんな私が、5月23日の京都「明日の教室」では、パワーポイントで提案しようと思っている。

 というのは、群馬の知り合いであるK先生から、「縦糸・横糸」理論と「3・7・30の法則」をパワーポイントのファイルにしてもらったのである。

 「カッコ良くなくていいですので、スライドみたいにしてください」と頼み込んで全部やってもらった。(笑)

 提案の時間は、45分しかないのである。

 余計なことを言っていたら、すぐに終わってしまう。

 先日も初任研で、ドジを踏んでしまった。私はいつもの感じで、黒板にはりだす四つ切りの画用紙や板書の準備をしていったのである。

 ところが、会場は、大会議場。160人の参加である。一番後ろにいる人は、板書した字が見えない。貼りだしたものが見えない。

 困り果てた。

 それでも何とか終わったのであるが、この時、これからは絶対にパワーポイントのようなものを使わなくてはやってはいけないなと思ったものである。

 そんなとき、偶然運命の女神K先生から、パワーポイントのファイルが添付で送られてきたのである。

 よくよく私の本や資料を読まれていて、実に的確にファイルにしてもらっている。

 「よし、これでいこう」と決意したところである。「明日の教室」は、池田先生もいるのである。何とかなるはずだ。

 今回をいい教訓に、私も早速パワーポイントを買うことにした。

 いずれ、機械に強い私の姿をお見せできる日がくるはずである。

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「その日暮らし学級経営」を乗り越えていくための手立てとは?

  初任者担当の仕事を始めて二年目になった。

 クラス担任をしているときと大きく違うことが1つだけある。

 さまざまなクラスの様子がよく分かることである。

 そのことで愕然としたこともある。

 「ほとんどの先生達が、まだまだ『その日暮らし学級経営』をしているんだ!」

という事実。

 「その日暮らし学級経営」とは、私が名付けたものである。

 それは、4月の最初に学級の係を決め、あとは行事と授業でその日を送っていく学級経営の方法である。

 このような学級経営法では、学級崩壊を絶対乗り切ることはできないと警告を発してきた。

 ★

 都市部では、多くの若い先生達が、学校に入っている。

 横浜は、もう学校教職員の半数以上が、5年以下の先生達で構成されようとしている。

 この若い先生達も、「その日暮らし学級経営」をしている。

 私は、もっと期待していたところがある。何らかの工夫をしているのではないか、と。

 そうではないだろうか。

 これだけ学級崩壊は広がり、「明日は我が身」となることはもうすぐそこまで来ているはずだから。

 若い先生たちのクラスは、4月、5月あたりが一番良い状態である。

 だんだん悪くなる。

 クラスが終わろうとする三学期(1月、2月、3月)には、さまざまなクラスの問題が噴き出てきて、「ちょっと困ったな」という状態になる。

 落ち着いている学校での、普通のクラスの状態である。

 「学級崩壊にはなっていないからいいか」と、考えられる。

 でも、こんなことが続くはずはない。

 ★

 何がだめか。

 「その日暮らし学級経営」をしているクラスは、クラスの高まりがない。「群れ」のままに過ごし、「群れ」のままに終える。

 「集団」になることがない。

 「集団」になるとは、私の場合、子供達が自分たちでクラスを動かしていくことができる状態を考えている。

 自然に「集団」になるはずはない。担任が、「群れ」を「集団」にする手立てを講じなければいけない。

 それをやっていない。いや、正確には、そういう「手立て」を持っていないのである。

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 「学級経営力を高める3・7・30の法則」(学事出版)が3版になった。

 今でも読んでもらっていることは、ありがたいことである。

 これを書きあげた時には、まだ「縦糸・横糸」理論はなかった。

 だから、今ではもう少し違う書き方になるであろう。

 ここで学級経営に必要な5つのコツを提起している。やろうとすれば、誰でもができるコツである。

 ①学級の仕組みづくりのコツ(3・7・30の法則)→縦糸を張ること

 ②学級を「集団」として高めるコツ(目標達成法)

 ③個別対応を意図的に行うコツ→横糸を張ること

 ④交流活動を組織するコツ(会社活動)→横糸を張ること、「集団」化すること

 ⑤秩序ある教室づくりのコツ

 ②と④が、とりわけ私が提起した「集団」化への手立てであった。

 ★

 指導している1年生の先生に、「目標達成法」を教えた。その先生は、10月から始めた。

 最後は、11個の達成であった。クラスも、見事な状態になった。1年生としては申し分のない状態である。

 「目標達成法」だけで、その状態を作り上げたわけではないが、しかし、関与したことだけははっきりしている。

 たとえば、目標は、次のようなものであった。

「ぎゅうにゅうをじぶんでかたづけよう」

「たつときやすわるときにおしゃべりをがまんしよう」

「げたばこでは、上のだんにうわばきをいれよう」

「かかとをおらずに上ばきをはこう」

「きゅうしょくのかたづけははんできょうりょくしよう」

 クラスで問題あることを先生が目標化して、一度に2つの目標を掲げて取り組ませたものである。

 目標は、具体的であることが必要である。確認ができるもの。

「ことばづかいに気をつけよう」「時間にきをつけよう」などという抽象的な目標は良くない。

 どこで、何を、どうすればいいかが明確なものを作り上げることである。

 確認は、終わりの会。全員、顔を伏せさせて、「今日、目標を達成できたかどうか」に手を挙げさせるのである。

 顔を伏せさせるのは、「できていない」と手を挙げるための方策である。(全員が見ている前では、「できていない」と手を挙げにくいためである)

 40人のうちで、37人以上達成できれば、「目標達成」としていた。全員達成という完璧主義はとらない方がいい。

 低学年は、こういうことでいいと思う。

 中学年になったら、2日間連続としたらどうだろう。

 高学年なら3日間連続か5日間連続ということでどうだろう。

 私のクラスは、2週間であった。

 多くの「目標達成」がそれこそ目標であるから、「ほとんどみんなができた」という状態を多く作り上げていくことである。

 5つ目標が達成できたら、「席替えをしよう」とか、10個目標を達成したら、「目標達成パーティをしよう」とかのご褒美を設けることも必要である。 

 この目標達成法は、多くのクラスで取り組んでいただいた。とても効果的な方法だという連絡を受けている。

 ★

 組織には、目標が必ずある。それも、実現をする目標である。

 掲げてあるだけの目標は、何の意味もない。

 その目標を達成することで、「群れ」の状態のクラスを「集団」にしていくのである。

 このように「群れ」を「集団」にしていく手立てをいくつも持っておくことが、とりわけいま担任に求められていることだと、私は考えている。 

 

 

 

 

 

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小さな意志決定にこそ徹底的にこだわること

  朝の<けもの道>という、私の命名は、最近ずいぶん知られるようになった。

 「システム化した行動を身につけること」の中で、ちょっと書いたことである。(「困難な現場を生き抜く教師の仕事術」)

 この本は、絶版になっているので、引用してみよう。

 (4)システム化した行動を身につけること
 システムというのは、必ずしも好ましいものばかりとは限らない。
 いつのまにか自分の中で悪いシステムを身につけてしまっていることはあるものだ。
 例えば、卑近な例で悪いが、簡単なことから始めてみよう。
 朝、どこの学校でも出勤印を押すことになっているはずである。
 いっぱい印なしをため込んで注意を受ける教師は、どこの学校でもいる。
 その教師を見ていると、印を押す日があったり、押さなかったりまちまちである。
 そういう気まぐれなシステムが身についてしまっている。
 なかなか注意しても直ることはない。
 そうすることがその教師の習慣になってしまっているからである。
 私は、朝のシステムは決まっている。
 まず、職員室に入ったら、出勤札を返し、自分の机からハンコを持ち出して出勤印を押す。 そして、本日のチャイムの確認をして(教務でチャイム係
をしている)、出席簿を取り、自分のポストに入れてあるプリント類を確認する。  
  最後にコーヒーメーカーに入れてあるコーヒーを一杯もらう。
  決まった〈けもの道〉を歩くように毎日その筋道を通る。
 だから、私は、出勤印を忘れることはない。
 子どもの出席簿にも、毎日、昨日の欠席分をつける。
 卑近な例で笑われてしまうかもしれないが、こんな小さなことにもシステム化した行動を意識している。 
 このような小さなシステム化の積み重ねが、仕事を早くすませていくことにつながる。
  こんな方法で、私は「通信票『あゆみ』をはやく仕上げていくシステム」を作り上げたし、「指導要録をはやく仕上げていくシステム」、「来週の週案を15分で作ってしまうシステム」………を作り上げた

 「なあんだ」と思われるようなものだが、こんなことを意識している教師たちは、少ない。

 ここで使っている言葉が、朝の<けもの道>である。

 37年間の教師生活では、こんな小さなことに徹底的にこだわってきた。もっとはやく仕事を終えていく方法はないものかといつもこだわってきた。

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 なぜ、こんなことを思い出したかと言うと、「A あたりまえのことを Bバカになって Cちゃんとやる」(小宮一慶著 サンマーク出版)を読みながら、小宮さんが、次のように書いているところに頷いたからである。

 

「 小さな意志決定にこそ徹底的にこだわりなさい  

 振り返りに関していうと、私は日記以外にも、たとえば電車に乗ると必ず、この乗車位置がベストだったのかという小さな振り返りをしています。

 何も考えずに電車に乗って、何も考えずに下車しても、人生に何の不便もありません。でも私は、必ずベストポジションに乗ったかどうかを振り返ります。あるいは何時何分の電車に乗るのがベストだったのかいつも考えます。

 なぜそんなバカなことをやっているのか。

 それはディシジョン・メイキング、すなわち決断力をつける訓練になるからです。人生はすべて小さな決断の連続といっても言いすぎではありません。道を歩くときでさえ、どの道を選択するのかという決断があります。ところが、自分が決断したという意識もなく、日々を過ごしているいる人がいかに多いことか。ほんとうは、あらゆる行動は自分の責任で意志決定したことなのです。」

 

 

 私も、小宮さんと同じように振り返り、決断してきたことになる。

 小宮さんは、続けてこのように結論づけている。

 

 「小さな意志決定を間違える人が、大きな意志決定を正しくできるでしょうか。

 私からすれば、小さな意志決定を間違える人に、大きな意志決定をまかせたいとは思いません。小さな意志決定をどれだけ積み重ね、精度を高めてきたか。それが意志決定力となり、ここぞという大きな意志決定の場で発揮されるのです

 小さな意志決定ができない人は大きな意志決定もできない。だから、私は小さな意志決定を正しくすることに、とてもこだわるのです。」

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 業務連絡です

 家に帰り着いて、ブログを見ていたら、池田先生や糸井先生のブログに、5月23日(土)の「明日の教室」が明示されていた。私も、貼り付けをしておきたい。

 

 

5月23日 第23回 明日の教室 野中信行先生

 第23回のご案内をいたします。今回は学級づくりと授業づくりの両分野で、若手教師に力強いメッセージを発信されている野中信行先生を講師にお招きします。今回で3回目です。

今回は、野中先生の持論の一つである「学級経営に関する縦糸・横糸論」について基調提案を頂きます。まとまった形でお話しいただけるのは、日本中で今回が初めてのことになると思います。

これを受けて、明日の教室で講師をされた先生方にパネラーとなっていただき、パネルディスカッション、さらには会場からの質疑を受け付けるという豪華な構成になっております。

また、野中信行先生がご自身のブログに執筆されたエントリーを元にした本が完成します。「野中信行のブログ教師塾~『現場』を生き抜くということ~」。この御著書も日本一早くお手元に届けることができるかと思います。

ご期待ください。

            ◆

日時:5月23日(土)  13:30~17:00

会場:京都橘大学児優館 C201又はC502教室
http://www.tachibana-u.ac.jp/official/information/access.html

講師:野中信行さん@元横浜市立大池小学校教諭 横浜市初任者指導教員

内容:「学級経営に関する縦糸・横糸論」 以下のようなスタイルで実施する予定です。

第一部  野中先生による「学級経営に関する縦糸・横糸論」の基調提案 
      13:40~14:25(45分)
第二部  基調提案を受けてのパネルディスカッション
      パネラー  土作先生、池田先生、中村先生、野中先生
      司会進行  糸井
      14:30~16:00(90分)
第三部  参加者も交えてのディスカッション
      16:10~16:50(40分)

会費:一般3000円、学生1500円

なお、会の後、『明日の教室』本の出版記念パーティを、京都橘大学の新しい食堂「クリスタルカフェ」にて行います。

こちらの参加費は、一律2500円となっております。参加人数によって料理が変わりますので、事前に申し込みをお願いします。

昼食:当日は、大学の生協食堂が開いております。少し早めにきていただければ、開始時刻に十分間に合います。安くて美味しい本学の生協の食堂をご利用ください。

申し込み:http://www.formzu.net/fgen.ex?ID=P2213754 *1

上記のメールフォームの「メッセージ」欄に

・出版記念パーティに【参加します・しません】のどちらかをご記入ください。   

            ◆

講師略歴  

講師 野中信行さん@元横浜市立大池小学校教諭 横浜市初任者指導教員
著書には、「困難な現場を生き抜く教師の仕事術」「学級経営力を高める3・7・30の法則」「新卒教師時代を生き抜く心得術60・やんちゃを味方にする日々の戦略」があります。新任教師のバイブル的な三冊です。

学級経営に力を注ぎ、数多くのクラスを鍛えてきたベテラン教師、いや、スーパーベテラン教師です。定年最後の運動会でも小学校6年生に100m走で負けませんでした。

野中先生のブログです。http://nonobu.way-nifty.com/blog/

*1 申し込みはすべて、http://www.formzu.net/fgen.ex?ID=P2213754から。なお、グーグルで、「池田修」と検索して頂ければ「国語科・学級経営のページ」というHPが出ます。そこを開いて頂ければ「メールはこちらへ」とあります。そこのことです。

            ◆

お待ちしております。

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「野中信行のブログ教師塾~『現場』を生き抜くということ~」

  5月中旬に出す予定であったブログ本が、やっと印刷に入る段階になった。

 書名は、「野中信行のブログ教師塾 ~「現場」を生き抜くということ~」と決まった。

 学事出版から出版する。

 私の名前が冒頭に出てくるということに、いささかのためらいがあり、他の名前を考えたのだが、なかなかうまい具合にいかず、最終的にこの書名になった。

 もう一つ挑戦したのは、義姉のハガキ絵を表紙に使えないかということであった。

 これは、編集の方からの提案でもあった。

 ブログの中に、義姉から毎月月初めに送られてくるハガキ絵のことを話題に出しておいた。

 これを表紙に使えないかの挑戦である。

 書名とあまりにも釣り合わないので、装丁の方は苦労されたのではないかと思う。

 それでも何とか3枚のハガキ絵を表に使い、裏に1枚使うことになった。

 とてもうれしいことだ。

 ★

 新インフルエンザ旋風である。

 横浜市は、4月30日時点で児童全員への通達と教職員の海外への渡航自粛が通達された。

 そうしているうちに、横浜の高校生が、新インフルエンザに感染しているのではないかということで大騒ぎである。

 実際に感染していることになったら、どういう事態になるのであろうか。

 女房がマスクを買いに行ったが、もう売り切れでどこにもないそうである。

 どこまで新インフルエンザは広がるのであろうか。

 心配なのは、今年の夏にカリフォルニアの日本人学校から講演で呼ばれていることである。

 一週間ぐらいの日程で、実際に企画が立てられているが、このままの状態では渡航できなくなる恐れも出てくるので、それが心配である。

 

 

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