視線を鍛えるということ
初任者指導教員として、派遣校への初出勤である。
ちょうど、その学校は、離任式になっていたので、慌ただしい中で、先生達へ挨拶をした。
週の中で、木曜日の一日だけその学校へ出勤をすることになっている。
初任者は、音楽専科である。(笑)
音楽を苦手としている私に、一体何が指導できるのだろうか。
重い気持ちを引きずりながら、初任者の人に会った。
★
今日の音楽の授業は、3年生と6年生であるということ。
3時間目に、3年生の音楽を後ろで参観した。
びっくりした。数年の臨任経験を持っていたというY先生の技量は、もはや初任者の域を越えて、とびぬけていた。
「おい、おい、これは初任者ではない。ベテランでも、ここの領域に達している音楽教師は、そんなにいないよ」
と思わせるものであった。
要するに、次の点であった。
1,授業のテンポがいい。空白の時間がない。
2,笑顔と表情が良い。
3,声を自在に変えて、子供に話しかける。
4,的を射たほめ方をする。
5,視線が鋭い。
特に、5が良い。
初任者は、子供達へ視線を向けることができない。ほとんどできない。漠然としか子供を見ることができない。
ところが、このY先生は、見事に全部の子供達へ眼を向けている。
★
反省会で、「あなたは、どこであの視線を鍛えたのですか」と聞いた。
彼女の答えは、2つであった。
1つは、一番最初に(臨任のとき)クラスを受け持ったとき、クラスが荒れたことがあった。その時、「あなたは、子供達を漠然としか見ていない」と指摘された。そのことで、それ以来、しっかりと子供達を見るようにした。
2つ目は、いつも放課後に、「今日、この子と何を話したのだろうか」とチェックすることにした。そのことが生きているのだと思う。
そうなのだ。このような修練をすることなくして、視線を鍛えることはできないのである。
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コメント
興味深く読みました。
一つのことばで変われる先生と変われない先生がいます。
その境目はなんだろう?
そう思いながら読みました。
それと、でも、野中先生が切り込めるポイントがたくさんあって、それは少しずつ明らかになるのだろうと思って読んでいました。楽しみです。
5月のブログ本も楽しみです。
投稿: まるしん | 2009年4月10日 (金) 00時50分