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2009年4月

何事にも、ポイントになるところがある

  木曜日は、音楽専科の先生の指導にK小学校へ向かう。

 3年のクラスの授業を午前中見る。

 担任の学級経営の取り組み方が、音楽の授業に表れる。

 1つのクラスは、先週よりも格段に良くなっていた。

 反省会で、音楽専科の先生に言った。

「○組のクラスは、一週間でものすごく変わっていたでしょう。(私も、そう思いましたと同意)どうしてか分かりますか?」

と問いかけた。

 それから「縦糸と横糸」の話をした。

 3年のN先生は、「縦糸の張り方」が見事なのである。外目から見ていても、それはすぐに分かる。

 音楽の授業にも、何度も現れて、だらだらしている子供をピシッと注意する。

 音楽の授業が終わって、並んでいるときも一喝。

「いつまでおしゃべりをしているのだ。こんなことで時間をかけるな!」

 完全に、縦糸の張り方を意識して取り組んでいることが分かる。(N先生は、縦糸なんかは知らないのだが)

 クラスも、ぐんぐん良くなっていることがよく分かる。

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 そろそろ「3・7・30の法則」の「30」が終わってしまう。

 この1ヶ月をどのように過ごされたのだろうか。

 伝え聞いたことがあるが、この1ヶ月が終わると、それまでの取り組みを終えてしまう先生がいる。

 「どうしてだ?」と聞くと、「だって、野中先生の3・7・30の法則は、1ヶ月で終わりになると書かれてありますから」と言うこと。

 このように理解する先生もいる。

 1ヶ月でうまく習得できないことは、引き続き継続して取り組まねばならないのだ。

 特に、掃除と給食は、要注意。

 ★

 1年生の先生のクラスは、給食を食べ終わってから、子供達がウロウロすることに悩んでいた。

 そのことの反省で、その先生と話した。

「先生は、どうして男の子達が給食を食べ終えてからウロウロし始めているのか分かりますか?その原因はどこにあるのか、分かりますか?」

 その先生は分からなかった。

「問題は、食べ終えた後の食器の片付けかたですよ。今のように、食べ終えた子供から随時片付けていく方法は、うろうろしていくことを増長させていきます。そこを変えて行かなくては、毎回同じようなことが続いていくことになりますよ」

 給食のポイントは、片付けにあるのだ。ここを知っておかなくてはならない。

 低学年、中学年は特に「ごちそうさま」をするまでは、机から立ち上がるようにさせないことが肝心である。

 「ごちそうさま」をしてからは、班の中で片付けの分担を決めておき、それに従って片付けさせた方がいい。

 先生は、片付けるところに必ずいて、うまくできないところは、もう一度仕切り直しである。

 牛乳のストローやストローの袋が散乱しているクラスがある。

 1年のその先生のクラスも散乱している。

 この片付け方が問題なのである。

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 困っていることには、必ず原因がある。

 それを早く探すことだ。思い込みで、その事実を見てはならない。

 「なぜ、こうなるのだろう?」「どうしてこういう行動をとるのだろう?」「どうしたらいいだろう?」という問いかけを常にしていくこと。

 現場を生き抜くとは、こういう問いかけを始終続けることである。

 

 

 

 

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授業の「評価」と「省察」

   初任者の授業を一日中見る。さまざまな感想を持つ。一々が、気にかかる。

 しかし、その一々を全て指摘しても、絶対に初任者に届くことはないであろう。かえって、頷きながら、引いていってしまうであろう。

 それでは、何を、どのように伝えればいいのであろうか。

 そこではたと立ち止まってしまう。

 先日は、7分間だけ国語の音読の介入をした。今日は、体育で、20分間遊具の使い方で介入をした。

 これらの介入が、初任者にとって有効であるかどうか、それが問題である。

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 郷里へ帰る飛行機の中で、「教師花伝書」(佐藤学著 小学館)を読んだ。

 刺激的な本であった。

 私が、今まで壁に感じ、どうしても突破できなかったことに対して佐藤は、同じようにぶつかり、何とかそれを突破しようとしている。

 壁とは、次のようなことだ。

 学校の重点研究で、研究授業をする。

 授業後の研究会で、その先生の授業について検討する。

 この時、どうしても「良い授業」という観点から「評価」していく批評になっていく。

 その授業の良いところはどこで、まずいところはどこであるという指摘をしていく。ほとんどの批評が、そのように傾いていく。

 今までの授業研究は、ほとんどがそのようになっていたし、それで事足りてきたところがあった。

 だから、必然的に授業上手な人の指摘が重きがあり、授業下手の人は、黙っておく以外にない。

 こんな研究会を続けていけば、いつまでも一部の先生達が声高に発言する会を続けることになり、決して学校全体が高まっていく気運を盛り上げることはできない、と思い続けてきた。

 だから、そのような研究会を続けていくと、授業下手の人は、いつまでも授業下手であり、そこから抜け出る方策は、ほとんどないままに研究会は推移してきたのである。

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 佐藤学は、「そういう私も授業を『評価』する見方から脱却し、『省察』する見方を獲得するまでには、ずいぶんと年月を費やした」と書いている。

 佐藤に従えば、私が疑問に思い、壁に感じてきたことは、「授業を評価する見方」だと指摘している。

 なるほど、なるほど、指摘されるとおりである。

 では、佐藤の「省察」する見方とはどうすることであろう。

「若い教師の授業の欠点を指摘することは誰にも容易だが、その欠点と言われる事柄が生じた要因はもつれた糸のように複雑に絡み合っているし、『欠点を直せばよくなる』というほど授業実践は単純ではないし、教師の成長も単純ではない。ある欠点を指摘することが、その教師の長所をつぶしてしまうことにもなりかねない。

 一人ひとりの若い教師が直面している壁をもつれた糸をほぐすように解読し、その教師が授業を改善し自ら成長させるうえで最も有効な道筋を発見しなければならない。この経験が、授業を良し悪しで見るのではなく、事実として子細に見る見方、つまり自然観察において蟻の観察を行うように、教室の出来事を子細に観察し省察する見方へと私を導いてくれた」

 また、別のところで、佐藤は、次のようにも指摘している。

「私が校内研修において、『教師の教え方』を観察と批評の中心とするのではなく、『子供の学びの事実』(どこで学びが成立し、どこで学びがつまづいたのか)を観察と批評の中心に置くことを主張してきたのは、教師たちの研修を専門家らしい学びの場へと転換することを企図したからである」

 ★

 この「省察」については、私の引用は言葉足らずであろう。

 もう少し考えてみたいところである。

 この「省察」について、おやと思えるものを読んだ。

 「授業づくりネットワーク2009in東京」講師依頼をされたきた上條春夫先生の

文言のなかに、次のような言葉があった。

「今回のテーマは『技術と省察の教師力の探求』です。授業成立には『授業成立の基礎技術』とともに『自分の実践を振り返る・変化に対応する』(省察)を行える『教師力』が必要であると考えたからです。技術だけでもダメだし、省察するだけでも不十分。二つが必要だと考えました」

 これも「省察」である。

 8月11日、12日である。私も、講師を引き受けることになった。

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郷里へ帰っていました

  17日から19日まで、郷里の九州佐賀へ里帰りをしてきた。

 母のホームへの入居と今まで住んでいた家屋の片付けであった。骨折入院で、一人で住むことができなくなってしまった結果である。

 佐賀は、暑くてすでに初夏という感じであった。この調子で暑くなっていったら、本格的な7月や8月の夏は、どうなるのであろうかと心配する気候である。

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 横浜へ帰ってきたら、ひんやりとしていて、夜になったらこたつをいれる感じ。

 関東は、まだまだ4月の気候である。

 こちらへ帰ってきたら、早速仕事モードに入る。

 ブログ本の2回目のゲラが待っていた。

 1回目のゲラの時に、私の引用が問題になった。

 ブログの引用にさまざまな詩を使っていたのだが、これが引用ではなく、転載になってしまうということであった。

 無断で引用をしたならば、訴えられることになるらしい。

 急遽その部分だけ変更することにする。そのために、手間取ってしまう。

 ブログは、ほとんどそのままに提出する予定であったが、一部変更せざるをえなくなる。

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 今週から歓送迎会に2つ参加。そして、29日(水)の昭和の日には、駅伝である。まったく練習をしていないので、どうなるのやら。

 

 

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「明日の教室」からの出版である

  京都「明日の教室」から出版のお知らせである。

 編集をされた糸井登先生のブログに掲載されてあったものを転載する。

 私も、この出版に共著として参加している。

 今から思えば、暮れから正月にかけて冬休み全部を使って書き上げた原稿である。退職時に、資料をほとんど処分していたので、悪戦苦闘して書き上げたものである。

 ぜひ、みなさん、読んでください。

 

4月15日 いよいよ「明日の教室」発売です!

編集者の方より、メールが届きました。
いよいよ、書籍版「明日の教室」が発売になります。
以下、編集者の方から届いたメールです。

(1)4月20日・第1巻完成予定です!
・とうとう第1巻から刊行が始まります。4月20日の予定です。
・以後,毎月20日前後に刊行するように進めていく予定です。
・20日までに本ができあがれば,その月のうちに書店に並ぶとのことです。第1巻はなんとかゴールデンウィーク直前には書店に並ぶことになります。
・値段は税込み1890円に押さえました。

(2)宣伝
・すでに小社のホームページに「予約受付中」として紹介しています。
http://www.gyosei.co.jp/home/books/book_detail.html?gc=3100501-01-000
・現在は刊行前なのでセット予約のかたちとなっていますが,発刊順に1冊ずつでも買えるようになります。
・このシリーズは,小社の販売重点図書になりました。「公立共済メンバーズカード」をお持ちの教師の方は,小社のWebサイトから申し込めばポイントが20倍アップするという特典付です。

最初に、編集者の方に、「学級経営の本をつくりたい」と相談したのが、二年前・・・。
紆余曲折しつつも、本当に良い本に仕上がったと思います。
みなさん、是非、お買い求め下さい。
びっくりするような豪華な執筆陣です・・・・。
絶対、損はしない内容ですので・・・。
 
 
 5月23日(土)に、この「明日の教室」のシリーズの出版を記念して、出版記念会を糸井先生や池田先生の方で企画されているようである。
 この日、私も講演をする予定である。
 ぜひとも、みなさん集まってください。

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怖い話の定番としての理科室

火曜日は、初任者担当の午前中出勤。職員室で事務仕事と教材研究の日となっている。

 1年生の教室をのぞいてみる。教室へ入ると、休憩時間になっていて、数人の子供達がとびついてくる。

「水曜日に来るって言っていたのに、どうして火曜日に来たの?」と思い思いに話しかけてくる。

 担任の先生に時間を確認して、お話の時間にしてやる。

「今から野中先生のお話の時間です。すぐ席に着きなさい。ちょっと怖い話をします」

と言って、話し始めた。1年生は、お話が大好きなのだ。

 最初は、盛んに笑わせて、一気に怖くなる。と言っても、低学年に怖い話は禁物である。熊が出てきて、1年生の男の子を食べそうで、食べられない話である。

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 37年間、ずっとお話を子供達にしてきた。

 娘が寝るときも、一緒に添い寝して、ずっとお話をしてやった。

 子供達を話の中に引き込むには、事件の舞台が思い浮かべられるように描いてあげることが必要だと分かるようになった。

 例えば、その学校へ行ったならば、怖い話の定番として理科室を取り上げる。

「この学校は、30年前管理人さんがいて、夜、この学校の見守りをしていました。

 夜9時、12時、朝の4時に学校中を見守るのです。その管理人さんは、86才になられているのですが、まだ元気に、あのゴルフ場のそばの畑を耕して、大根作りをしておられます。

 私の家は、あの近くですから、その管理人さんをよく知っています。その管理人さんがあるとき話をしてくれました。『先生、夜の学校は怖いよ。あの事件が起こってから、私はすぐに管理人を辞めてしまったよ。先生、この話は他の人には言わないでくれよ』と、その管理人さんは、私に話してくれました。

 今日は、特別にみんなにその話をしてあげます。他の人には絶対言ってはいけませんよ。」

 このように話を始める。全部、作り話である。

 しかし、まことしやかであろう。

 事件の舞台を固有名詞や数字、近くの場所など(30年前、管理人さん、86才、ゴルフ場のそばの畑、大根作り、9時・12時・4時)をまき散らして設定する。

 これで、子供達の頭の中の映像を生き生きと動かしていくのだ。

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 考えてみれば、人に話をするというのは、このように舞台設定をしていくことである。

 いつ、どこで、だれが、だれと、何をしたか。それは、どのような様子だったか。

 この基本的な話の中に、固有名詞や数字、その周辺の場所などを細かに加えていけばいい。

 低学年の懇談会で、保護者に子供達の様子を話すとき、この手法を用いて話してあげることである。

 そうすれば、懇談会がにぎやかになることは間違いない。

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「卒業記念特別授業」~「孤独の向こう」(川江美奈子)を題材として

  北海道で、親しい校長先生の一人に 船山 純先生がおられる。

 先日、船山先生より「卒業記念特別授業」~「孤独の向こう」(川江美奈子)を題材として~を添付で送っていただいた。

 船山先生は、次のように書いておられる。

 「これまで、卒業式を間近に控えた3月上旬に校長として6年生の児童に対して卒業記念の授業を行ってきた。今年もその時期が近づきあれこれとプランを練っていた。
「辞書の授業」が最初のプランであった。主な内容は次のようなことを考えていた。
・ 辞書とは何か。
・ 辞書と辞典は何が違うのか。
・ 辞典と事典はどうちがうのか。
・ 辞書にはどんなものがあるのか。
・ 辞書の歴史はどうなっているか。
・ 辞書と日本語の関係はどうなっているか→cf.五十音の授業
・ 辞書の限界はあるか。
このような内容を構想はしていたが、落としどころをどうするかが見えなく悩んでいた。
そうした中、野中信行氏のブログで川江美奈子のLettersが良いと書いてあったことを思いだし、ネットで試聴してみた。川江美奈子もLettersも知らなかったので初めての出会いとなった。
ネットの試聴は1曲30秒ほどだが、聴いてみると聞きやすい曲ばかりであった。歌詞を考えながら何度か聴く中で、収録されている曲の中の「孤独の向こう」が授業に使えるなと思い、すぐにCDを注文した。収録曲の「ピアノ」も良かったが、卒業を控えている時期としては、メッセージ性の強い「孤独の向こうを」にした。どこまで子ども達がこの詩に迫ることができるか楽しみであった。」

 ★

 この川江美奈子のLettersは、石川晋先生が昨年のベスト3にあげてあった曲である。

 この曲を早速授業に組み立てていける船山先生の力量にも感服したが、この授業を受けた子供達の感想もまた、とても良かった。ちょっと感動した。

 私一人で、このように感動していてはまずいと思い、船山先生に、これをブログで紹介していいかとお願いした。快諾していただいた。

 船山先生は、最後に次のように書いておられる。

「校長であるため、めったに教室で授業をすることはなくなった。教師の授業力について語り、あれこれ注文をつけることはあっても自らが行う機会はほとんどない。それだけにこうした機会を得ての授業は貴重であり、今後も挑戦して参りたい」

 船山先生の校長としての姿勢、志が、よく分かるところである。

 ぜひ、このブログを読まれている方、船山先生に授業記録を申し込んでほしい。添付資料で送っていただけると思う。

 船山先生のEメールは、以下である。

 mnemosyne27@wind.email.ne.jp

 

 

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視線を鍛えるということ

  初任者指導教員として、派遣校への初出勤である。

 ちょうど、その学校は、離任式になっていたので、慌ただしい中で、先生達へ挨拶をした。

 週の中で、木曜日の一日だけその学校へ出勤をすることになっている。

 初任者は、音楽専科である。(笑)

 音楽を苦手としている私に、一体何が指導できるのだろうか。

 重い気持ちを引きずりながら、初任者の人に会った。

 ★

 今日の音楽の授業は、3年生と6年生であるということ。

 3時間目に、3年生の音楽を後ろで参観した。

 びっくりした。数年の臨任経験を持っていたというY先生の技量は、もはや初任者の域を越えて、とびぬけていた。

「おい、おい、これは初任者ではない。ベテランでも、ここの領域に達している音楽教師は、そんなにいないよ」

と思わせるものであった。

 要するに、次の点であった。

 1,授業のテンポがいい。空白の時間がない。

 2,笑顔と表情が良い。

 3,声を自在に変えて、子供に話しかける。

 4,的を射たほめ方をする。

 5,視線が鋭い。

 特に、5が良い。

 初任者は、子供達へ視線を向けることができない。ほとんどできない。漠然としか子供を見ることができない。

 ところが、このY先生は、見事に全部の子供達へ眼を向けている。

 ★

 反省会で、「あなたは、どこであの視線を鍛えたのですか」と聞いた。

 彼女の答えは、2つであった。

 1つは、一番最初に(臨任のとき)クラスを受け持ったとき、クラスが荒れたことがあった。その時、「あなたは、子供達を漠然としか見ていない」と指摘された。そのことで、それ以来、しっかりと子供達を見るようにした。

 2つ目は、いつも放課後に、「今日、この子と何を話したのだろうか」とチェックすることにした。そのことが生きているのだと思う。

 そうなのだ。このような修練をすることなくして、視線を鍛えることはできないのである。

 

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人生の「帰路」を歩み始めて……

   北海道の石川晋先生が、新しい学校(K中学校)で自己研修通信1号を出している。

 職場を変わるたびに、職員向けの「自己研修通信」を配布してきたということで、今年も管理職の許可を得て、第1号を配布している。

 3校に渡って、通巻335号というから大変な号になっている。

 その1号の中に、私のことが書かれている。

 教師としての往路と復路を考える

 ぼくの尊敬する教師に横浜の小学校教師野中信行さんがいます。『学級経営力を高める3730の法則』(学事出版)、『新卒教師時代を生き抜く心得術60―やんちゃを味方にする日々の戦略』(明治図書)などの著作で知られる方です。その野中さんは、(現在は引き続き横浜市内の初任者教師担当としてご活躍です)、教師人生をマラソンコースに例えて、「往路と復路」ということばで説明されます。

 22歳で教師になったぼくは、昨年ちょうど20年目を終えました。野中さんの言葉を借りれば、上士幌での生活が、長い教師人生の「復路」のスタートになります。

 野中さんは、管理職を目指さない教師の走り方を、明確に示された数少ない実践家の一人です。同じく管理職を目指さない教師人生と決めているぼくにとっては、暗夜を照らす灯台のようです。復路(野中さんは「帰路」と呼びますが)は、以前に一度走ってきた道です。行きは懸命に走っていて気がつかなった美しい風景や沿道の景色に目をやりながら、走る。行きよりはもう少し上手に走れるように走る。最後にはなにも残さず走りきる。向かい側の道を汗をかきながら走ってくる後発のランナーたちに励ましの声をかける・・・それが、復路の走り方です。上士幌で、そういう「復路」の一歩を刻めたらいいなあと思っています。「帰路」と言うには、まだ少し恥ずかしさがあるわけですが。

 ちょっと面映ゆい感じになる。

 晋さんは、これからの教師生活を「復路」と位置づけて、新しい学校での生活を始めている。

 なるほど、こういう「復路」の考え方もあるのかと思われるものである。

 ★

 私は、もう人生の「帰路」を歩み始めなくてはならない。

 5月に出す予定の教師生活のまとめの本(ブログ本)の最後をこのように書いている。

37年間、ずっとクラス担任で過ごしてきた。

 ある歳になったら管理職へなっていくという、ほとんど人が自然に目指していく道を私は選ばなかった。誘いもあったし、友人たちからの薦めもあった。しかし、その道へ行くことはなかった。それは、私にとってとても自然な生き方のように思えたからである。

その自然なままに、無理をせず、できることを細々と続けてきたのである。

 その結果が、今である。

 人は、本を何冊も出し、講演などにしばしばでかけていく、今の生活をとても自然な普通の教師の生活とは見ないであろう。私も、そう思う。

 思えば遠くまで歩いてきたものである。

 この道のりをこれから再び戻らなくてならない。

 ゆっくり歩いていこう。

 季節の花々を見ながら、大好きな木々に挨拶をして、そして、たまにはスキップをしながら……。 

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新しいところへ歩を進めている

  朝日新聞の天声人語氏は、次のように幸田文の随筆を紹介していた。

「随筆家の幸田文が『身の納まり』ということについて書いている。出入りの畳職人があるとき、腕は良くても老後に身の納まりがつかない者は良い職人とはいえない、と口にしたそうだ◆『若い者に、自分の安らかな余生を示して安心を与え、良い技術を受け継いでもらわなくてはいけない』と。つまり寒々しい老後を見せれば、若い者はこの仕事を続けていいものか不安になる。それでは失格、というわけだ。見事な人生哲学だが、難しいからこその自戒だったのかも知れない」

 この随筆から半世紀が過ぎているが、こういう「身の納まり」を意識している人たちは、もうほとんどいないのではないだろうか。

 あるとき、野口芳宏先生が、電車の待ち時間にふっと言われた。

「私の同年代の地位や名誉のあった人たちは、ほとんどもう何にもしてないよ。私の歳で今でもこうしてみなさんに呼ばれているのは、有田さんと私ぐらいなんだよね」

 野口先生や有田先生は、安らかな余生というものではないが、自分の「身の納まり」を意識されているのであろう。

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 4月3日のブログで、「明日の教室」の糸井登先生が、次のように書いていた。

「自分一人で、できることは限られている。でも、だからといって、『もういいねん』ではなくて、自分の後に教師として生きていく人達が、何かその続きをやれるような、そんなモノを残していきたい、と」

 今は私も、こういう意識は強く持っている。

 しかし、50才までこのようなことは意識することはなかった。周りの状況は、学級崩壊などで不穏な事態であったが、自分のクラスは、うまくいっているじゃないか。60才までなんとかうまく過ごして、老後に備えていこうと考えていた。自分一人の人生、どうにでもなるのだと……。

 そう考えていた自分は、10年後まったく違う場所に歩を進めている。ほとんど予定しない人生である。

 未来は分からないものである。

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 北海道の親しい友人達が、新しいところへ歩を進めている。

 横藤先生が、校長へ昇任している。うれしいことである。

 堀先生や石川先生や山本先生が、新しい学校へ異動している。

 石川晋先生は、今度の新しい学校から「復路」だと宣言している。

 「往路」は、がんばりと勢いなどが必要だが、「復路」(私は、「帰路」と言っているが)は、そんなものとは無縁の世界である。

 自分が「往路」で蓄えたものを折りたたみ、折りたたんで、漠とした「現実」に挑まなければいけない。

 

 

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大鳥小学校での講座について

  4月1日。新しい初任者担当の学校へ行く。横浜市神奈川区のK小学校である。

 大規模校である。その学校には、初任者が3人(といっても、みんな臨任の経験者ばかり)いて、そのうちの1人を指導することになる。また、もう一校の初任者(この人も臨任の経験者)も、私が見ることになる。

 だから、1週間のうちに、2つの学校へそれぞれ一日ずつ行くことになる。

 しかも、もう一校の一人は、音楽専科である。

 校長先生に「私は、音楽の指導はできませんが……」と言ったが、「将来、クラスを持つことにもなるので、いろいろ教えてください」ということになった。

 バスに乗り、電車に乗り、また電車に乗り換えて、K小学校へ行く。1時間ちょっと。

 こういう通勤は、長い教師生活の中でもなかったことである。バスも、電車も、満員。慣れるまでは、大変であるが、仕方がない。こんな生活をしている人は、いっぱいいるのであるから。

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 辞令交付式が終わって、初任者が、学校へ戻ってくるまで待っているはずであったが、時間が迫っていた。

 2時30分を待って、学校からとび出る。ちょうど靴箱のところで、私が担当することになる初任者に出会う。

「3日の日に来ますから、その時に打ち合わせをしましょう」

と、急ぎ次の学校へ向かう。

 3時30分より大鳥小学校で,学級経営について話をすることになっているのだ。10分前に学校へ飛び込む。

 今年は2回目である。4月1日に、私の話を聞いて、1年間の学級作りの方向を模索しようということである。

 テーマは、「『学級をつくる』ための心得術」である。

 こういうことを企画していける校長の英断に感じ入って、ささやかにその「みこし」を担いでいる。

 学校は、めちゃくちゃに忙しい時間になっている。新年度の行事の準備と、会議が押し寄せてきて、こういう話を聞く時間をとることだけでも、大変である。

 そこが校長の覚悟である。何が大切かを、はっきり明示されている。

 この学校の職員集団は、若い先生方を中心に活気があり、個性がある。きっとこの活気が、子供達に伝わっているはずである。

 5時までびっしり。言いたいこと、伝えたいことを思うように伝えられたのだろうか。

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 その後の懇親会も、盛り上がった。

 初任の1人の人が、「野中先生が出された冊子をこうして持っているのです」と見せられた。「4年4組物語」と名付けた冊子である。友人達に配布した私の実践記録であった。15年前ぐらいの実践記録である。私の実践の原型が、この実践記録には載せてあった。

 その初任の人は、私の友人の1人からもらったということである。よくよく取ってあったものである。

 その学校の先生のアンケートの中に、次のようなことがあった。

「昨年、お話をうかがって実践してみました。とてもうまくいきました。学級のシステムがしっかりすることで、小さなトラブルが減り、教師も子供もクリエイティブなことに時間を費やせるようになりました」

 うれしいことである。現場を生きてきた教師が、現場を生きようとする教師達にこのように具体的に伝えることができる喜びである。

   

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