« A先生の実践記録感想・その1 | トップページ | A先生の実践記録感想・その2 »

暗夜を憂うること勿れ 只だ一燈を頼め

  多くの方から実践記録送付のメールがあり、その対応に追われた1週間であった。

 数多くの反応も送られてきているが、返事が出せない状態である。ごめんなさい。

 私たちの教育現場が、いかに学級崩壊に追い詰められているかという状況が、さまざまな方々のメールによって確認することができる。

 メールの中には、何人もの方が、現在学級が崩壊している、崩壊に近い状態だと語らえているものがあった。

 あと30数日の期間である。凌いでほしいとメールを送ったものである。

 人生の途上には、何度かの危機がある。

 その時には、凌いでいく以外にない。凌いで、凌いでいるうちに何かが生まれる。

 何も生まれなくても、凌いだということではないか。それでいいと思う。

 ★

 私は、40代の10年間に10回のフルマラソンを走った。

 11月下旬に1年に1回のフルマラソンを走った。11月に走るためには、9月、10月にそれぞれ300kmから400kmを走らなければいけない。1日に10キロ以上の距離を走るのである。そうしないと、3時間前半で走ることはできない。マラソンは、その人がどのくらい距離を走ったかが正直にタイムに出てくる。誤魔化しようがない。

 そのくらい距離を走っていると、フルマラソンでは、30kmぐらいまではなんとか走っていけるのである。たいしたことがない。

 だが、35kmからゴールまでの7kmあまりは、七転八倒する。止める理由を考えたり、あとどのくらいかを何度も何度も見たりしたりして、なんとか走り続ける。

 その苦しみは、日常では経験できないものである。

 こんな苦しいことをどうして好んでやっているのだろうと、いつもいつも思っていたものだ。

 そんなときに、F・フィックスの「奇跡のランニング」を読んだ。

 そこにフィックスがビル・ロジャースと一緒に走ったところがある。

 ビル・ロジャースは、フランク・ショーターとともに、アメリカを代表するマラソンランナーであった。

 フリーライターのフィックスに、ショーターは、語る。

「マラソンをやるとき“これから42キロ走らないといけないんだ”なんて絶対に考えないことにしている。その場その場で全神経を集中する。先のことは頭のすみに置いておく程度にする。…略…

 絶対にいけないのは“あと1キロも走らないといけないんだ”などと考えること。これは絶対よくない。ただ、そのときそのときのことを考えればいいんだ。僕がマラソンをやるときは、初めはゆっくり走り、中頃でペースを上げてしばらくハードに走り、他のランナーにゆさぶりをかけておいてから最終ラウンドへ持って行く。途中、相当ハードに走るわけだが、それができるのもあまり先のことを心配しないからだと思う」

 ここを読んでいて、分かったと思った。

 「そうなのだ、そのときそのときを考えればいいんだ。あと何kmとかは絶対に考えてはいけないのだ」と。

 苦しいときには、特に大切だ、と。

 このことは、相当に大切な言葉だと思っている。

 ★

 学級崩壊などに陥っている人に、私がするアドバイスは、この時に学んだことである。

 「先のことを考えない。その日その日にできることをする。無理をしない」

 そうして、その日その日を凌いでいくのである。

 先のことを考えるから、絶望的になるし、追い詰められる。

 吹っ切れるのだ。楽にはならないが、そうして生きていくことが、きっと人生には何度かある。

 ★

 親しい年若き友人から寒中お見舞いのはがきをもらった。

 その最後に、佐藤一齋の言葉が書いてあった。

 一燈を堤げて暗夜を行く 暗夜を憂うること勿れ 只だ一燈を頼め

 

 

 

|
|

« A先生の実践記録感想・その1 | トップページ | A先生の実践記録感想・その2 »

日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

コメント

教師という仕事は、本当に雑務が多々あります。補習校でさえそうですから、全日校の先生方もなおさらではないでしょうか。今日の野中先生のマラソンのたとえと、先日いただいた実践記録が私に伝えてくれたことの一つが、「とにかく言い訳をせず、子供を見つめろ!」ということでした。学級が思うようにいかないとき、どうしても、「情けない担任=自分」という思考が浮かんでしまい、子供を前にしていても、自分という学級経営者(あるいは授業提供者)に目がとまりがちです。でもその最中でも子供たちは生きていて、悩んでいて、信号を発信している。「先生、今、自分のことで忙しいから」とは言わないまでも、自分に目が向いててしまっている姿を子供たちは鋭く見極めてしまうんだろうなあと気がつきました。
 授業準備も、いかに「良い授業=教師の自己満足の授業」をするためにあrのではなく、子供たちの心を聴くためにあることを忘れてはならないなあと思います。
授業準備をしているときに、鈴木君や佐藤さんの顔が浮かぶかというのがバロメーターでしょうか。
 特に若い新任の先生方は「自分が教師に向いているだろうか」とご自分のことが気になることでしょうが、そこはちょっと目線をずらす勇気が必要だと思います。
 私が、「自分に目がいってしまう」傾向にあるときには、あえて教室の後ろから授業をすることがあります。パワーポイントを使った授業をするときなどは、子供たちが前を向いているときにあえて子供たちの背中に回って説明をすると、不思議と子供たちの呼吸が分かることがあります。

 野中先生、まだ実践記録の感想を書いておりません。あまりにも学ぶことが多く、ひょっとしたらば書けずに終わるかもしれません。でもとても大きな宝をいただいたと感謝しております。

投稿:  前川英樹 | 2009年2月 8日 (日) 00時02分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/520860/43971425

この記事へのトラックバック一覧です: 暗夜を憂うること勿れ 只だ一燈を頼め:

« A先生の実践記録感想・その1 | トップページ | A先生の実践記録感想・その2 »