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A先生の実践記録感想・その1

  実践記録の呼びかけに応じてくださったメールが、すごい。

 その対応に追われ、今も追われている。こういうのを、うれしい悲鳴(?)というのだろうか。

 とにかく、みなさんありがとうございます。今までこのような実践記録がなかなか出なかったのである。出せなかったというのが、まあ本音であろう。

 A先生には、快諾してもらったと書いたが、ほんとうはそうではなかった。A先生もずいぶん悩まれたのである。

 だが、公開に踏み切ってもらった。ありがたいものである。

 この記録からさまざまなものを読みとっていただきたいと思う。

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 縦糸・横糸理論の最初の提唱者である横藤先生より実践記録の感想をもらった。他の方からも、数多くの感想をもらっているが、ここはぜひとも横藤先生の感想だけは掲載していきたいと思う。

 横藤です。

 A先生の実践記録の感想を書いてみました。まず、3分の1くらいをお送りします。

 実に見事な実践です。子供たちの作文を読んで、目頭が何度も熱くなりました。この見事な実践と控えめな記録からは、見事な縦糸張り、豊かな横糸通しがあふれるように見えてきます。野中先生の分析と考察もお見事です。ほとんど同感です。野中先生と重ならないように、私の感想を述べてみたいと思います。

 まずA先生の児童理解が本物だということに、もっとも強く感じさせられました。縦糸が、本物の児童理解から出ているのです。

 荒れている学級のことを、A先生が語っています。

「子供たちがあそこまで荒れたのは、子供たちの悲鳴だと、信号だと思いました。子供たちに心を配って、気持ちをくみ取って、ちゃんと叱って、ちゃんと認めて、責任をもってどんといてくれる人が(いてくれようとしている人が)いないことへの寂しさ、不安…。クラスが荒れるという形の裏には、子供たちが流した心の涙や、痛みがあることを、担任はどこまで、全身で感じ取ろうとしてくれていたのか……。子供たちは、あんな形で、あんなことまでして、“見てくれ!!”と叫んでいるのに……。」

 まだ出合う前の子供たちの実態を、ここまで共感的に深く語っていることに感動させられます。よく「共感的な理解が大事だ」と言われます。それは確かにその通りですが、その理解の底の浅さが、問題の解決をますます困難にしてしまう例を多く目にします。本人は「共感」したつもりですが、実際は指導から手を引き、低い状態に甘んじさせ、ますます子供を甘やかしただけです。これは、「支援」などと言ったものでもよく見られる現象でした。そもそも教育、子供、人間といったものへの理解の底が浅いので、うまくいくはずなどないのです。そこでうまくいかないと、「やっぱりダメか。」と、今度は一気にゼロ・トレランスに傾く。こんな茶番が全国で繰り返されています。その底の浅さに子供も保護者もどんどん離れていく。悲しい風景です。

 A先生の児童理解も、名前をつけるなら「共感的な理解」でしょうが、その理解のレベルは、単に指導から手を引くものとは、まったく違います。スパイラルな階梯を何回りか上がったものです。このような本物の「共感的な理解」から出てくる縦糸だから、子供は安心して受け入れるし、「共感的な理解」が豊かだから、横糸も自然に、豊かに通るのですね。

 「まず縦糸を」ということで、徒に声を大きくした教師がいます。(まあ、それでもはっきりと教師の意図を伝えるだけでも、以前よりは少しは効果はあったということですが。)そうならないのです。1年を通じて揺るぎない縦糸を張るには、その出所が本物でなくてはならないのです。教師の都合のために、「子供を座らせる」ことを目的にして、声を大きくするのではなく、「この子たちにこれこれを是非伝えたい。だから、まず座ってほしい」というように、静かに縦糸を張り続けるのではなくては、子供はついてきません。A先生は、まずもってここがしっかりとしているのです。

 長くなりました。続きは、また。

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