考え違いをしていないか?
拠点校指導教員として1ヶ月に一度、教文センターで集まりを持っていた。全体の指導教員が集まるのである。
今日は、その最後の日。最後に、小学校から一人、中学校から一人、実践報告である。
小学校からは、私の親しい知り合いであるK先生の報告。(K先生は、校長を退職され、この仕事をされて2年目である)
20分ほどの短い時間だったが、的確な報告であった。
「始まりのときに、こういう話を聞いておきたかった」という話があちこちで聞かれた。
その報告の中で、私が注目したのは、「言葉の持つ意味の解釈を誤らないように」と書かれてあるところである。
・子どもの側に立つ・・・迎合することではない。立場、心情を理解することである。
・個を大切に…学習中問題を起こした児童にかかりきり、多くの児童がそのままに(3分間ルールを適用)
・指導言…「~してください。~お願いします。」ではない。
「~しなさい。~します」と言う。
・子どもの自主性を尊重…「好きな者同士~」禁句である。好きの反対は嫌い、学級作りの核となる仲間同士に教師自らが差別選別を持ち込むことになる。
・誉めることが大事だ…やたらに誉めない。誉めるには、根拠がなければならない。誉めるためには、児童の小さな変化を見逃さない眼力が必要。いつも見ていないと発見できない。根拠なく、誉め言葉を使うと、何に対して誉めているのか分からず、信頼をなくしてしまう。
・怒ってはいけない、叱ることが大事だ…怒ることも大事である。人として許せない行動や、生命に拘わることに関しては、体全体を震わせて怒ってよい。いつも優しい先生がこれほど血相を変えて怒っているのはただ事ではないと子どもが身震いするぐらいの迫力で怒ること。ただし、年に1~2回が限度。
この中で、最近私も気になることが指摘してあった。
泣いている子どもや問題のある子どもに、先生がずっと付き添って問題解決に当たっていることである。
これは、当たり前のことであるが、その時間である。かなりの時間をかけて対応している。
廊下で、ずっと指導していることもある。
その間、他の子供たちは置き去りになっていて、しゃべったり、うろうろしていたりする。
多分、「個を大切に」ということであろう。
考え違いをしていると私も思う。
私は、泣いている子供には、理由を聞いて分からないようだったら、「休み時間にちゃんと聞くからね」と言って、そのまま授業を進めてしまう。
K先生は、ラーメンができるぐらいの3分間をその時間にあてればいい。そして、休み時間にきちんと聞くからねと伝えると言われる。
全体のこどもたちに空白の時間を作らないことが、とても大切なことなのである。
廊下へとび出していく子を追いかけていく先生もいるが、それをやってはだめだ。全体の子は、空白の時間になってしまう。
これを毎回毎回やって、クラスを崩壊させていった先生がいる。
「個を大切にする」という考え方が、とんでもない考え違いに結びついているのだと、思っている。
K先生は、最後に「共に学んできて楽しかった」とお互いに言える関係で終わりたいと結んであった。
初任者の2人の先生は、素晴らしい先生に担当してもらったのである。
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