« 2008年12月 | トップページ | 2009年2月 »

2009年1月

神は、いつも細部に宿り給う

   1年生の教室へ出かける日である。担任の先生より早く教室へ行く。

 少し遅れて担任はやってきて、すぐ朝の会が始まる。いつもの光景であろう。

 2時間目が体育の時間だったので、子どもたちは全員体操服に着替えていた。

初めてのできごとであったらしい。今までは、何度も先生が「体育が2時間目にあるときには朝来たら体操服に着替えているのですよ」と言っても忘れて着替えていなかったらしい。

 担任は、「今日は、着替えているんだね。よかった」と言って、次の話に行ってしまった。

 「ああ~~だめだなあ」と思った。

 放課後の反省会でも、とくにここを強調した。

 子どもたちが、教師の指示がなくても、初めて着替えているのである。

 すぐに、誰が最初に着替え始めたのか、みんなに呼びかけた者がいるのか、……などを見つけ出すのである。

 そして、その子どもたちが出てきたら、みんなの前でべらぼうに褒め称えること。

 先生の指示無くして、自分たちで、できるようになったのである。

 1年生の子どもたちは、理想主義者だから、必ず褒め称えたことには続いていこうという気持ちになるはずである。

 そして、褒めることは、<みんな>ではなく、<個>でなくてはならないことも鉄則になる。

 ★

 担任をはずれてみて、こんな小さなことがとても気になる。

 私は、1年生を4回担任したことがある。気付いたことがある。

 低学年の子どもたちが自分たちでできた小さなことを見つけ出し、一つ一つ褒め称えてあげ、それを積み重ねると、すごいクラスになるのである。

 今、集団としてきちんと成立してくるのは、実は、高学年ではなく、3年生までの低、中学年であると思っている。

 「自分たちでできるようになったこと」という眼で、1年生の子どもたちを見ていると、結構あるものである。

 その日、<テレビの後ろを掃除していた子どもが2人いた><おしゃべりをしている子どもたちに『静かにしてください』と注意していた>……などのさまざまなことが目につく。

 担任は、なかなか気がつかない。授業をいかに進めるか、早く掃除を終わらせようなどいうところに気が向いているので、なかなか子どもたちの小さな行為に目がいかない。見えない。

 ここだなと思う。

 教師としての力量をつけるとは、授業の力量も学級経営の力量も必要だが、最も必要なのは、このような小さなことに眼を向けることができる視線だ、と思ってしまうのである。

 神は、いつも細部に宿り給う。

| | コメント (1) | トラックバック (2)
|

教育長副島先生に紹介される

  いつも楽しみに読ませてもらう「教育委員だより」がある。1/29に231号を発行されたばかりである。

 小牧市の教育長副島 孝先生のたよりである。

 http://www.komaki-aic.ed.jp/kyouikuiindayori/H21/iindayori231.htm

  私が楽しみにしているのは、2つある。先進的な内容をもらえるということが、1つであり、もう一つは、読まれている本の紹介である。

 先進的に進めてきた特区の英語教育が、どこにつまづいているのかなど、私は副島先生がこのたよりで書かれた内容で知ることができた。

 他から知ることができない情報が、さらりと明らかにされているのである。

 もう一つの本の紹介では、今何を読むべきかをこれもさらりと紹介されている。

 紹介されている本は、すぐアマゾンで取り寄せて読むようにしている。

 だが、忙しい毎日であるはずなのに、いつ読まれているのだろうかと思う。

 例えば、「日本語が亡びるとき」(筑摩書房 水村美苗著)をこのたよりで紹介されてあったとき、驚いたものである。

 実は、私もどうしても読まなくてはならないと買っておいてものである。しかし、先に読まれてもう紹介されている。

 副島先生より私は何倍も暇なはずのものが、いやいや遅れをとっているのだ。

 ★

 その副島先生が、今日の便り(231号)で「縦糸・横糸」論を紹介してくださっている。

「閉講式の講話では、『成長し続ける教師になるために』というテーマで、最近よく言われるようになった教室での「縦糸」「横糸」論を紹介しながら、次のステップに進む道筋について、私見を述べました。「よい授業」と「よい学級経営」の関係は、昔からどちらが先かという議論がありました。どちらができなければ片方はできないでは、いつまでたっても次へ進めません。相乗効果をあげるためにも、具体的な『縦糸』『横糸』論(野中信行氏や横藤雅人氏の『縦糸』『横糸』学級経営論も紹介しました)は役立つと考えたのです。

 DVDで映画『二十四の瞳』を見直してみて、理想の教師だと感じていた大石先生は、泣くばかりで全く指導力が無く、今なら問題教師だと言われかねないと、内田樹氏が『街場の教育論』で書かれているように、以前とは違った難しさが現在の新任教師にはあります。しかし、教育の醍醐味は変わらないと、初任者の1年間の感想を聞いて感じました」

 どういう視点で副島先生が縦糸・横糸を取り上げて論じられたのか、ぜひとも私が講話を聞いてみたかったと思う。

 ★

 昨年の3月末に、小牧市では、初任の先生たち全員に、私の明治図書本を配布してくださっている。

 今年は、3月25日に小牧市初任研研修に出かけることになっている。

 これから各学校へ赴任しようとする初任者の皆さんに、直接話ができるという光栄を私に与えてくださっている。

 大変なことではあるが、何ともわくわくすることでもある。

 これらの初任者の人たちへ向けて、来年度はもう少し先へ踏み出そうといろいろ企画を考えているところである。

 

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

明治図書本は、6版になりました。ありがとうございます。

  寒い木曜日だった。一日中、冷たい雨が降り続いた。

 出勤の日。1年生の教室で、一日参観し、初任の先生を指導する日である。

 最近、その初任の先生、授業の中で、「一時に一事の原則」をうまく使えるようになっていて、とてもスムーズに授業が進行するようになっている。この効果は大きいと感じる。

 5時間目は、授業参観になっていた。教室は、あふれかえるくらいに保護者が集まり、ぎっしり。算数の授業であった。

 長さの勉強。測るものをさまざまに特定して、それで測っていくという勉強。

 子どもの意見から親指と人差し指で広げた幅で、教室にある5つのものを測ってみようという課題が出されて、子どもたちは意欲的に挑戦していた。

 先生は、黒板の横を測った人を指名し、どのくらいになったか聞いた。

 30,31,32,33,40,……とさまざまに出された。

 先生は、「親指と人差し指の幅がみんなちがうからこのように違ってくるのですね」とまとめて次に行ってしまった。

 放課後の反省会で、私は、「あそこはもっと子どもたちを追い詰めなくてはならないところだね」と助言した。

 普遍単位(1cm)を導き出す前段のところを勉強しているのだ。子どもたちの問題意識をここに集中させておかなければいけないはずである。

 「私なら、あそこで発問をするね」と言って、その時に考えた発問を出した。

「黒板の長さは、誰が測っても長さが決まっているのですか、それとも測る人の違いで決まっていないのですか」

と揺さぶってみたらどうだろう…と。きっと、2つに分かれただろうと思われた。

 ★

 何か慌ただしくばたばた過ごしている。

 26日(月)には、市内のK小学校で、「若手人材育成研修会」(5年次未満の先生達)が開かれ、そこに講師として呼ばれている。周辺の学校からも集まってこられるらしい。

 2年目の先生が、国語の授業をして、それについて話し合いをして、それから私の学級経営についての話を1時間聞きたいという会である。

 最近は、このような学級経営、学級作りがクローズアップされていて、やはりここに問題が集まっているということらしい。

 昨年、明治図書から出した「新卒教師時代を生き抜く心得術60」も、先日6版になった。

 読まれている。ありがたいことである。

 ★

 K先生の実践記録をまとめている。

 まとめながら、途中で立ち止まることがあり、なかなか進まない。

 メールも数多くいただき、是非ともほしいという内容であるが、なかなか進まない。

 なぜ立ち止まっているかというと、その先生の教師としての力量に唸ってしまっているからである。

 横藤先生は、「その先生は、横糸を張ろうと思っておられるが、しかししっかりと縦糸を張っておられる」というような言い方をされていたが、実際にまとめ出してみると、縦糸の張り方がすごいということである。

 その縦糸の張り方の中に、即座に横糸を絡ませていくというやり方がとても巧みであるという印象を受ける。

 これを2,3ヶ月でやり終えられているのだ。

 こんな飛び抜けた力量を持っている先生が、市井の中で目立つこともなく、淡々と仕事を続けておられること(臨任として各学校に勤務されている)。

 今回の記録も、私のところへ送られてこなければ、そのままに埋もれてしまったことになる。

 これはどういうことであろう。

 記録は、A4の紙15枚程度になってしまうであろう。しばし、待っていただきたい。(私のコメントが余計なことだったかと思っているが、ごめんなさい)

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

いつのまにかK先生は、子どもの奥深くに入り込んでいた

  崩壊学級立て直し記の実践記録を書かれたK先生に、やっと電話がつながる。

「困っている先生達の助けになることですから、何とか公開をお願いできませんか」と、お願いした。快諾してもらった。

 早速、実践記録をワープロで打ち直している。

 ただ、打ち直すだけでなく、ある視点から分析・考察を加えたいという立場である。

 もちろん、その視点は、「縦糸・横糸」理論である。とりあえず、私が分析し、横藤先生に後々付け加えてもらいたいと思っている。

 ワープロで打ち直したら、その記録をK先生に送付し、加除訂正をしてもらい、それから公開の手続きに移りたい。

 もうしばらく待っていただきたい。

 ★

 今回のブログに、さまざまなコメントやメールをいただいた。カウントも、一気にあがった。それはものすごいものである。

 現場が、学級崩壊問題でどれほど心痛しているのか、その思いが伝わってくる。

 今回のコメントの中で、iwaiさんの指摘は、ものすごく重い。

 iwaiさんは指摘されている。

「その一方で、クラスを崩したことがあるわたしは思うのです。今、その初任の先生はどうされているのか。子どもたちの変貌を見て、どう思われたのか。どうしてもっと早く、助けてもらえなかったのか。崩したくて崩したわけではないでしょう。その先生の心の傷の深さを思うとき、わたしも涙がこぼれます」

 同じような気持ちになられた方もあるに違いない。

 私は、この指摘を深く受け止めたい。そして、こういう初任の人たち一人でも二人でも、クラスをきちんと経営していける力量を持てるように、微力だが私の力を尽くしたい。

 ★

 初めてこのK先生が、算数の授業に入られたときのこと。この時、ドラマがあったのだが、ここではそれは書けない。

 「初めは、机もバラバラ、教科書も出さず、だれも手をあげません。重苦しいトゲトゲした空気が固まっているだけです。全身で正面からぶつかっていくしかありません。どんな小さなことも、いいところを認めて、授業にまきこんでいきました。…45分のさいごには、なんとか子どもたちが集中して手もあげてくれるようになりました。」

 「そのあとの中休み。『先生、子分にしてください』と、子どもたちに囲まれ、『ヤクザの親分じゃないんだからさあ…』と、みんなで大笑いでした。そして、何故か『先生、おんぶしてあげるョ』と、言われ、せっかくなので、女の子何人かに次々おんぶしてもらって、職員室まで運んでもらいました」

 「3校時。どうしてこのクラスはこうなってしまったのか、子どもたちに話をききました。とにかく聞きました。とことん聞きました」

 これが、子どもたちとの最初である。

 巧みである。巧みという言葉は悪いが、極めてしたたかである。

 全身で正面からぶつかっていくしかありません。……みんなで大笑いでした。……そして、3時間目には、もうこのクラスの問題に入っている。

 どんなしたたかな教師達も、こうはいかない。クラスの問題に入っていくには、もう少し時間をかけるものである。しかし、このK先生は、遠慮をしていない。3時間目に突入している。

 そして、口をはさまないで、とことん聞いている。

4校時。「紙を配りました。『今まで、やってきた悪事を、はきなさい。』と言いました。『たかだか10才で、表と裏で、いろんな悪いことをして、それをかかえたまま5年生になっては、いけないよ。ここではいて、きれいな心になって、やり直そうよ』『先生、それ読んで、ママに電話で,つげ口するんでしょ!』『しない。』『するよ~~』『しない。』『ほんと?』」というやりとりをする。

 K先生は、答える。

「先生だけが読んで、あなたたちのよごれた心を食べる(?)だけ」

 なんとすごい問答をしているのかな、思った。

 巧みである。子どもの心に突き刺さる言葉だ。

 4時間目で、いつのまにかK先生は、子どもたちの奥深く入り込んでいたのである。

 

| | コメント (1) | トラックバック (0)
|

崩壊クラスの立て直し記

  親しい校長先生からお手紙をもらった。その中に、これも知り合いの先生の実践記録が入っていた。

 この知り合いの先生とは、以前学年が一緒で、今も年賀状の交換をしている関係である。

 この実践記録には驚いた。

 学級崩壊のクラスに入って、そのクラスを立て直した記録である。

 公開するために書かれたものではなく、メモとして手書きで書かれたものである。

 臨任経験のある初任の先生のクラス(4年生)が崩壊し、そのクラスで授業をしてもらえないかと頼まれたところから始まっている。

 その知り合いの先生は、一旦教師を辞められ、また臨任として勤めているところでのことである。

 12月下旬から2教科の学習を教えられ、2月中旬からほとんど教室に入られていた。

 これだけの期間で、みごとにクラスを立て直されていて、その手腕に驚くばかりであった。

 先生は、最後にこどもたちに次のように書かれてある。

「4の○の風景(空気)が、ふつうの風景(空気)になったね。みんなの表情が、やわらかく自然になったね。素直な笑顔になりましたね。4の○は、思った通りの、いいクラスでした。しっかりしていて、やさしくて、人の気持ちがよくわかる、いい子たちでした。明るくて、とっても、がんばる子たちでした。素直な子たちでした。

 私は、4の○に行くのが楽しみでした。みんなといっしょにいるのが、とても楽しくて、どの子も、みんな、かわいかった…。4の○のみんなに出会えて、よかった…。

 あと少しで、4の○とも、さよならです。今は、寂しさで、いっぱいです。

 短い間でしたが、先生についてきてくれて、ありがとう。みんなに、たくさん助けてもらいました。みんなにたくさんやさしさをいただきました。みなさんのおかげで、先生も、がんばれました。

 いつも支えてくれてありがとう。やさしくしてくれてありがとう。

 本当に 本当に、ありがとう……。」(○はクラスです)

 短い間に、クラスでどのように先生とこどもたちとのやりとりがあったのか、この言葉が全てを物語っている。

 先生は、実践記録のなかに、次のように書かれてある。

「詳しいことは分かりませんが、私は毎年“初任のクラス”に関わるので、崩壊するクラスとしないクラスの分岐点は、その先生が“責任の所在”をどこにおいているか、によるような気がします。どこかで子どもたちのせいにしている先生のクラスは崩壊していきました。そして「自分に力がなくて……ゴメン、でも子どもたちがかわいくて…」とさいごまでそう言っていた先生のクラスは、ぎりぎりのところで崩壊しませんでした。先生の体温や本気が伝わるのでしょうか…」

子どもたちの作文も収められていて、貴重なものであった。

一人の子供(特に暴れていた子供の一人)の作文は次のようなものである。

「ぼくは○○先生がきて、こう思った。『あっ、自分をわすれていたと』きずいた。だけど○○先生がきて、ぼくがゆうたちばじゃないけど○○先生はみんなのことを自分の子どものようにやさしくしてくれたことはずっとずっとおとなになってもぜったいわすれません。これからもすこししかないけどかならずわすれません。いままでありがとうございます」

 ちょっと感激する作文である。

 ささやかな時間で、この暴れていた子どもたちをこのように変えられている実践とは何か。

 「なぜ、あなたは先生なのか」が問われている。

 暴れていた子供に、「○○先生がみんなのことを自分の子どものようにやさしくしてくれたことはずっとずっとおとなになってもぜったいわすません」とまで言わせている。

 これは、子どもへの指導の手立てや技術や方法とは無縁である。

 「あっ、自分をわすれていたと」と、その子どもは気付いてもいる。この言葉は貴重だ。

 わたし流に言えば、その子どもは「生徒する」ことを忘れていたということを○○先生に気付かされているということになる。

 こんな貴重な資料が埋もれているなんてとんでもないなと思いませんか。

 何かの形で、みなさんが読める形で公開できないものか、これから交渉してみたいと私は思っている。

| | コメント (4) | トラックバック (0)
|

考え違いをしていないか?

   拠点校指導教員として1ヶ月に一度、教文センターで集まりを持っていた。全体の指導教員が集まるのである。

 今日は、その最後の日。最後に、小学校から一人、中学校から一人、実践報告である。

 小学校からは、私の親しい知り合いであるK先生の報告。(K先生は、校長を退職され、この仕事をされて2年目である)

 20分ほどの短い時間だったが、的確な報告であった。

「始まりのときに、こういう話を聞いておきたかった」という話があちこちで聞かれた。

 その報告の中で、私が注目したのは、「言葉の持つ意味の解釈を誤らないように」と書かれてあるところである。

 ・子どもの側に立つ・・・迎合することではない。立場、心情を理解することである。

 ・個を大切に…学習中問題を起こした児童にかかりきり、多くの児童がそのままに(3分間ルールを適用)

 ・指導言…「~してください。~お願いします。」ではない。

        「~しなさい。~します」と言う。

 ・子どもの自主性を尊重…「好きな者同士~」禁句である。好きの反対は嫌い、学級作りの核となる仲間同士に教師自らが差別選別を持ち込むことになる。

 ・誉めることが大事だ…やたらに誉めない。誉めるには、根拠がなければならない。誉めるためには、児童の小さな変化を見逃さない眼力が必要。いつも見ていないと発見できない。根拠なく、誉め言葉を使うと、何に対して誉めているのか分からず、信頼をなくしてしまう。

 ・怒ってはいけない、叱ることが大事だ…怒ることも大事である。人として許せない行動や、生命に拘わることに関しては、体全体を震わせて怒ってよい。いつも優しい先生がこれほど血相を変えて怒っているのはただ事ではないと子どもが身震いするぐらいの迫力で怒ること。ただし、年に1~2回が限度

 この中で、最近私も気になることが指摘してあった。

 泣いている子どもや問題のある子どもに、先生がずっと付き添って問題解決に当たっていることである。

 これは、当たり前のことであるが、その時間である。かなりの時間をかけて対応している。

 廊下で、ずっと指導していることもある。

 その間、他の子供たちは置き去りになっていて、しゃべったり、うろうろしていたりする。 

 多分、「個を大切に」ということであろう。

 考え違いをしていると私も思う。

 私は、泣いている子供には、理由を聞いて分からないようだったら、「休み時間にちゃんと聞くからね」と言って、そのまま授業を進めてしまう。

 K先生は、ラーメンができるぐらいの3分間をその時間にあてればいい。そして、休み時間にきちんと聞くからねと伝えると言われる。

 全体のこどもたちに空白の時間を作らないことが、とても大切なことなのである。

 廊下へとび出していく子を追いかけていく先生もいるが、それをやってはだめだ。全体の子は、空白の時間になってしまう。

 これを毎回毎回やって、クラスを崩壊させていった先生がいる。

 「個を大切にする」という考え方が、とんでもない考え違いに結びついているのだと、思っている。

 K先生は、最後に「共に学んできて楽しかった」とお互いに言える関係で終わりたいと結んであった。

 初任者の2人の先生は、素晴らしい先生に担当してもらったのである。 

| | コメント (1) | トラックバック (0)
|

当たり前を積み重ねると特別になる

 1月になって、初めて1年生のクラスに入る。7日が授業はじめだから(2学期制)2日目のクラスである。

 給食も開始になる。5時間授業である。後ろで、5時間分の授業を見る。

 とても落ち着いている。40人のクラスで、初任者は、男の先生である。

 4,5月は、やんちゃな子や落ち着かない子がいて、なかなか大変であった。ところが、9月頃からすっかり落ち着いてきた。

 クラスは、よく仕上がっている。

 12月の初任者の研究授業では、「1年生で、40人もいるのに、あんなに静かに授業に集中しているなんてびっくりした」と、いろいろな先生に評してもらったほどである。

 もはやさまざまなことで、指導をするということはない。これから、どれだけ力量をつけるかは、自ら身構えていけるかどうかにかかっている。これからは、自分で進んでいくしかない道である。

 初任者担当の仕事をしてきて9ヶ月が過ぎた。

 違った角度から授業を見ることができて、また違うような見方ができるようになった。

 ★

 その先生と放課後話をした。

 すぐれた実践家の話になった。

 ほとんどの先生達が、誤解している。

 「日本の中で学級づくりや授業ですぐれた実践を続けている先生がいますが、ほとんどの先生が、その先生達は、何か特別な技を用いてこどもたちを鍛えていると思っているんですよ。全然違いますよ。その先生達が、特別なのは、特別な技じゃなくて、基本的なことや原則的なことを続けていく、その徹底さにあるのですよ」と、話した。

 そこのところがよく分かっていない。何かすごい実践家は、特別な技みたいなものを駆使して学級経営や授業作りをしているのだと、思っている。

 その特別技を盗みたいと願っている。その技を盗むと、自分の学級作りや授業作りが一変すると思っている。

 ほとんど幻想である。

 そんなことはない。考え違いをしている。

 その実践家が、普通の先生達と違うのは、基本的なことや原則的なことを繰り返し徹底していく、その粘り強さにある。

 じゃあ、あなたが提唱している「3・7・30の法則」は、特別技の1つじゃないかと言われるかもしれない。しかし、これは特別技でない。こんな名前を付けなくても、すぐれた実践家は、1ヶ月が学級作りにとって大切な時間だということは分かっていたのである。これは基本的な仕組みづくりであり、システムなのである。

 ★

 パティシェ・杉野英美。この男の菓子は、本場フランスで「ほかのどこにもない菓子」と呼ばれる。15年前、日本人として初めて、世界の菓子職人の頂点に立った。それまで誰も見たこともない、まるで漆器のようなチョコレートのつや。何層にも折り重なった多彩な味わいのハーモニー。舌の上でとろけて消えていくような食感。彼の菓子は、すべてが新しかった。

 杉野は、若い頃、フランスのベルティエの菓子の虜になり、そこへ弟子入りを志願するが、断られ続け、諦めずに3年とちょっと粘った末に、ついに受け入れられた。

 杉野は、菓子作りの奥義を学べると思い、勇んで店に飛び込んだが当てが外れた。

 ベルティエは、特別な食材を使っていなかった。レシピも、料理学校のものとまったく同じだった。なのに、なぜ、あの菓子が生まれるのか?

 飾り付けのペリーは普通のもの。しかし、少しでも傷んでいれば全て取り除いた。菓子をつけ込むお酒も、一滴たりとも残さず染みこませていた。ある日、若い職人が、菓子をほんの少しだけ焼きすぎた。ベルティエは、声をあげた。「これはお客に出せない」その職人は、店から追い出された。完璧を求めるベルティエの厳しさを知る。

 どの作業も、おいしい菓子を作るためには、当たり前のこと。しかし、その全てを完璧に行っている店は、ここが初めてだった。

 「当たり前を積み重ねると特別になる」

 杉野は、言う。

 ★

 若い実践家がいる。自分の力量を高めたいと希求している。

 求めなければ、絶対に手に入れることはできない。その意味では、まっとうである。

 しかし、私が1つだけ今まで違和感を感じてきたことがある。

 授業作りや学級作りの奥義を求めて、ひたすら本通いや研究会通いをしていることである。

 もちろん、刺激は受けるし、今まで知らなかったことを知ることはできる。

 でも、もっとも大切なことは、「外から奥義はこない。内にある自分のものをどれだけきちんと積み重ねていく徹底さ」ではないかと、私は思い続けるのである。

 そのためには、基本的なこと、原則的なことをどれだけきちんと身につけていくか、それにかかっている。

| | コメント (4) | トラックバック (1)
|

吉本隆明語る

    4日の夜10時から3チャンネルで「吉本隆明語る」を見た。多分、吉本隆明さんが、テレビにこんなに長く登場するのは、初めてではないか。

 吉本さんは、84歳。糖尿病で、目があまり見えなくて、歩くのもやっという状態で、講演には車いすでの参加であった。

 吉本さんが何か遺言状のつもりで語るのだと思った。

 吉本さんは、虚空を見つめるような感じで、ひたすら語り続けた。饒舌だった。

 講演は、相変わらずへたくそで、言い淀み、言葉を言い換え、時間はひたすらに延びた。

 1時間30分の講演時間が、延々と3時間に及んだ。でも、聞きに来た2000人の人たち(若い人たちがずいぶんいた)には、ほとんど分からなかったのではないかと思われた。

 途中で、司会者の糸井重里が、止めに入った。そうでもしなければ、もっともっと語るのを止めなかったと思われた。

 しかし、その必死さは、聞いている人たちの心を打ったのか、最後はみんなスタンディング・オベーションで拍手喝采であった。

 ★

 私が、学生運動で大きく躓いたとき、もし吉本隆明さんの本がなかったら、どのように転んでいるのかと思ってしまうのだ。

 そのように吉本隆明さんは、私の人生の分岐点を支えてくれたのだと思う。 

 講演の中心になったのは、「芸術言語論」ということで難しい課題であった。

 「言語の幹と根は、沈黙なんだ」と語ることには、聞いている人は、驚きではなかっただろうか。

「『芸術言語論』への覚書」(李白社)では、そこのところを次のように書いている。

「僕は言葉の本質について、こう考えます。言葉はコミュニケーションの手段や機能ではない。それは枝葉の問題であって、根幹は沈黙だよ、と。

 沈黙とは、内心の言葉を主体とし、自己が自己と問答することです。自分が心の中で自分に言葉を発し、問いかけることが、まず根底にあるんです。

 友人同士でひっきりなしにメールで、いつまでも他愛ないおしゃべりを続けていても、言葉の根も幹も育ちません。それは貧しい木の先についた、貧しい葉っぱのようなものです。

 本質は沈黙にあるということ、そのことを徹底的に考えること。僕が若い人に言えるとしたら、それしかありません」

   ★

 10時から11時30分までの1時間30分。私は、メモを取りながらテレビを見た。

 84歳になった吉本さんが、必死に語りかける姿を見ながら、違うことを考えていた。

 「老いるとはこのようなことなのだ」と…。

 私にも、このような時間がすぐにやってくるのである。

 

 

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

あけましておめでとうございます

   あけましておめでとうございます。関東は、天候に恵まれて、きっと初日の出は素晴らしかったのではないだろうか。

 退職して、ゆっくりした正月を迎えられるかなと思っていたが、そうはいかなかった。暮れから原稿書きに追われている。

 私の部屋から二階の六畳の部屋に移動して、そこで終日籠もりっきりで原稿書きである。

 11月の明日の教室で、糸井さんや池田さんから「野中先生には、難しい課題を振っておきましたので、よろしくお願いします」(笑)と言われていたが、それは冗談だと思っていた。

 今年の春に出版される学級経営の本(全5冊)<明日の教室シリーズ>である。糸井さんや池田さんが編者である。多くの方が、書き手として加わっているらしい。

 出版社から原稿依頼が送られてきた。見ると、大変である。本の構成が凝っている。課題が大変である。私は、16の課題を書かなくてはいけない。締め切りは、1月24日である。

 退職で、さまざまな資料を処分してしまっている。これが手痛い。

 何とかしなくては思い、苦労に苦労を重ねている。もはやできることをするだけである。

 ★

 年賀状がどっさりと送られてきた。

 その賀状の中に、1枚だけ入っていた。びっくりした。読んで、舞い上がるような気持ちになった。

 私のクラスで、ずっと不登校になっていた子供からの年賀状であった。

 私は、その子が、小学、中学の間ずっとはがきや賀状は出し続けていたが、何の返事も来なかった。それは、それで仕方がないことであった。

 ところが、ところがである。

「お久しぶりです。こんにちは」で始まり、「さんざんお世話になりましたが、こんな私もなんとか、無事高校生になれそうです。今まで心配おかけしてすみませんでした。では。」と結ばれていた。

 よかった。彼女の未来が、見えてきたのだ。

 宝物のような年賀状であった。私が、ずっとはがきを書き、年賀状を出し続けていたのをきちんと受け止めてくれていたのだ。そう思うと、うれしくて、うれしくて、私は教師だったんだと、改めてそう思う一日であった。

 ★

 そんなこんなで、慌ただしく暮れも正月も過ぎていく。

 箱根駅伝は、早稲田が東洋に最後に逆転されてしまった。すごい1年生が出てきたものだ。

 というテレビをちらちら見ながら、原稿書きにがんばっている。

 楽しみは、10時から11時まで読む佐伯泰英の「密命」である。17巻まで読み進んだが、ますますおもしろくなっている。

 今年もどうぞよろしくお願いいたします。

 

 

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

« 2008年12月 | トップページ | 2009年2月 »