友人が、学級崩壊をしているクラスの補助に入った時のことである。
サポート(T・T)いう形で、3年の崩壊しているクラスに入る。学年は2クラスで、1クラスの人数は、37名である。
とにかく、初めて見たような惨状で、すさまじい状態であったという。
そのクラスは、4月の下旬から崩壊の状況が浮き彫りになり、担任は、全職員にクラスの現状を訴え、手助けをお願いしている。
5月の上旬には、教務主任がサポート体制に入るが、らちがあかず、6月上旬には、特に問題のある2名を親の承諾のもと、特別に学習室で学習させる体制を取っている。クラスには、空き時間の教師が随時サポートに入る。
友人は、7月に、その教室にサポートとして入る。
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クラスの特徴は、37名のうちに男子が10名多く、男子の幼稚さが際だつ。
すでに学習室で、別に2名が学習しているが、その他に席を離れたり、教師の指示に従わない子供が、男4人、女1人いる。
そして、その場のムードに流されて、強く指示すれば、しぶしぶ従う子供が、男6人いる。
すでに特別なやんちゃな2名は、クラスから外れているのである。
それでも、他の11人が、クラスではやりたい放題をやっている。
保護者もまた、教室に毎日参観されている状況だったらしいが、ほとんど何の影響もなかったらしい。
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友人(Yとする)は、次のようなやりとりを彼らと繰り返したらしい。
Y「チャイムがなったから座りなさい」
子「なんで」
Y「ここはね、学校だから」
動こうとしないので、手を引っ張ったら、「痛い、引っ張った、暴力」の声。
それでも引っ張っていったら、「何すんの」という罵声。ようやく座る。
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学習が始まっても、何も出さないで遊んでいる子に、
Y「ドリルを出しなさい」
子「ない」
机の中を調べようとすると、
子「人の机の中、勝手に見ないで」
Y「紙をあげるからやりなさい」
子「いらない」
しばらく友達と喋って、少しやる。
このようなやりとりが、何人もの子どもたちと延々と続く。
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その日の気分で動くことが多い。ちょっとおもしろいと乗ってくるが、自分にとってつまらないと思うと授業の妨害を始める。
このような子供たちは、教師の指示にはすぐには従わないので、それぞれ勝手な判断で動き、自分のやりたいことをやる。当然、忘れ物やけんかは多い。掃除に至っては、時間になるとウロウロしながら、上手にサボる。
教師への言葉遣いに表れているが、教師や大人をなめきっている。教師は、体罰ができないということを逆手にとって対応している。
友人が、メモしたものをこのように公開しているのであるが、小学3年生とはとても思えない姿が、ここにはある。
友人に対しては、「変なおじさんが来た」という受け取りで、ほとんど教師としての扱いを受けていない。
友人は、8月には、仕事を終えている。
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学級崩壊は、日常化している。どこでもありふれた事例としてある。
先日も、ある学校の、ある校長さんから電話があり、「退職されたと聞いたので、もし家におられるようでしたら、5年生の担任をもってもらいたいのですが…」ということであった。
担任は、病休になろうとしている。しかし、代わりの教師がいないのである。
おそらく、学級崩壊がらみのものであろう。
とんでもない状況になってきている。
私は、前代未聞の状況が進んでいると言い続けているが、まさしくその通りに騒然とした事態が進んでいる。
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この学級崩壊は、授業不成立の事態としてとらえることができる。
しかし、これは現象として、学級にそのように表れているものである。
この現象を引き起こしている核となるキーポイントは何か。
これをつかまえることができれば、対処法が出てくるはずである。
(1)授業がつまらない (2)男女の仲が悪い (3)やんちゃな子供が多い
(4)軽度障害をもつ子供がいる (5)担任の学級経営が悪い などの理由が考えられる。
それぞれに、少しずつ「そうだよな」という原因はある。
そこで、さまざまな原因が複合的に重なって、学級崩壊が引き起こされるということになってしまう。結果的には、何を言っているか分からないように、うやむやになってしまう。
私なら、今、この問題を次のように考えている。
学級崩壊は、クラスの担任と子供たちとの関係作りの失敗・破綻によって引き起こされる。
これが、授業不成立という現象を引き起こしている、核となるキーポイントであると理解している。
これはどういうことだろうか。
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学級崩壊を起こした先生、学級崩壊に関わった先生たちならば、理解できることであるが、次のことははっきり認めなくてはならない。
1,学級崩壊を起こしているクラスは、どのようなサポート体制をとろうとも、ほとんど効力を発揮しない。校長、教頭、教務主任などが関わり、問題がある児童に対して、さまざまな対処をしても、また保護者を呼んで、さまざまな監視活動をしても、ほとんど効果はない。
2,そのクラスを変えるためには、担任替えをする以外にない。担任を替えてそのクラスが見違えるように変わったという事例は、豊富にある。また、学年が代わり、担任が替われば、見違えるようなクラスになるというのは、私が実際に経験した事例でもある。
このことが明らかにしているのは、学級崩壊を起こしているクラスで、その担任が、そのクラスに居続けるかぎり、事態はほとんど変わらないということである。
もう少し突き詰めれば、その担任と子どもたちとの間に作られている関係が変わらなければ事態は変わらないということになる。
学級崩壊を乗り越えたという先生が、わずかでもいるが、それは、その先生がそれまでの子どもたちとの関係を劇的に変えた結果だろうと予想される。
つまり、このことは何を意味しているかと言えば、崩壊しているクラスは、その担任の先生と子どもたちとの関係作りの失敗・破綻があって、授業不成立の現象が起こってきているのである。
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だから、学級崩壊の問題は、担任教師と子どもたちの関係作りの問題であった、と私はいま理解しているのである。
「なあんだ、そんなことか。そんなことは分かっていたよ」と簡単にこの問題を通り過ぎないでもらいたい。
この学級崩壊に対して、適切な処方箋を提起した先生は、少なくとも一人を除いて私は見たこともない。
ともすれば、とんちんかんな対応をしていたかもしれないのである。
その一人とは、北海道の横藤雅人先生である。
横藤先生は、手作りの雑誌「ブラッシュアップ指導力」で「織物モデルの教育論」という連載で、「縦糸・横糸」理論(私がそのように勝手に命名している)を提起されている。
学級作りは、織物を織るように、まずしっかりした「縦糸を張る」ことから始め、そこに「横糸を張り巡らせていく」ことをしなければならない。
「縦糸を張る」とは、教師と子供たちとの縦の上下関係作りである。
「横糸を張る」とは、教師と子供たちとの横の<通じ合い>である。(私なりの理解で、ここでは書いている)
横藤先生は、「縦糸を張る」、「横糸を張る」ということで、子供たちとの関係作りを明らかにしたのである。
この2つの関係作りをきちんとしなければ、学級はきちんと成立しませんよと提起されたわけである。
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この「縦糸・横糸」理論は、まだまだ明確ではない。
「縦糸を張る」ことは、具体的にどうすることなのか。
「横糸を張る」ためには、具体的にどのようにしていくことか。
ここがまだまだ曖昧である。人それぞれに勝手に受け取られている。
定義を明確にし、実践を積み、実践を集め、多くの人に伝えなくてはならないと思っている。
この「縦糸・横糸」理論は、学級崩壊問題に大きな一石を投じ、必ず事態を打開していく方向を示していくと私は確信している。
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