後ろから見ていて、見えてきたもの
担任教師は、前から子どもたちを見ながら授業をしている。当たり前である。
しかし、後ろから子どもたちを見ていたら、何が見えるのだろうか。
私は、8ヶ月の間初任研担当として主に後ろから子どもたちを見てきたことになる。
こんなに長い間、後ろから子どもたちを見てきたことなんてない。
何か変わりがあるか。
あるのである。
前からは見えないものが見えてくる。
1年生の教室で、最近ふと気づいたことがある。
上履きを脱いで、授業を受けている子どもが多いのである。
1時間目、脱いでいる子どもを探してみた。8人いた。
40人のうちの8人であるので、多いのか少ないのか分からないが、とにかく気になった。
担任の先生と打ち合わせてみたら、2人は分かっていたが、そんなに多いとは気づかなかったということだった。
女の子達が結構多いのには驚いた。
上履きを脱いでもいいじゃないかという考えもある。
窮屈だから、脱いでほっとするということも分かる。
8人の子どもたちの様子をよく見ていると、上履きを脱いでいる状態の時は、机で休んでいる状態や先生の話を聞いていない状態が多いということが分かる。
2人の男の子は、ずっと脱いでいた。1人の男の子は、よく見ると靴のかかとが大きくて1センチぐらい間が空いていた。
「お母さんに言って、もっと小さい靴を買ってもらうんだよ。いいね」
と伝えておいた。担任の先生にも、電話して確認した方がいいねと伝えておいた。
最近、この子は、手いたずらが多くて、ちょっとマークしなくてはいけない子どもだったからだ。
もう1人の子どもは、休み時間も上履きをちゃんと履いていなかった。踏みつけていつも履いているので、かかとが原型をとどめていない状態であった。
落ち着きがなく、クラスでは一番先生の手を焼かせている。授業中も、きちんとなかなか話が聞けないのである。
そうか、そうかと思った。
上履きを履いているか、いないか。そういうところから見てきたことはないなと思った。
担任の先生と相談して、一番落ち着きがない子どもの上履きを親と相談して、新しい上履きと替えてもらうようにしたらどうだろう、新しい上履きにしたら、今度はきちんと履いているかどうかの一点で強く指導をしてみたらどうだろう、と打ち合わせをしてみたのであった。
★
しばしば、森信三先生の「一語千鈞」を引用して申し訳ないが、先生の言葉に次のことがある。
学校の再建はまず紙屑を拾うことから-。
次にはクツ箱のクツのかかとが揃うように。
真の教育は、こうした眼前の瑣事からスタートすることを知らねば、
一校主宰者たる資格なし。
私の親しい校長先生は、クツ箱のクツのかかとが揃うことを全校規模でやっておられる。
すごいことだと感心したことがある。
私は、森信三先生の影響から、靴箱や靴に注目することができるようになった。
この影響がなかったら、教室の後ろから子どもたちを見ていても、きっと上履きに注目しなかったかもしれない。
私たちは、見ていても見えないものはあるのである。
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